第44話 それから
「ようやく、またここへ来ることができましたね」
目の前に広がる、なだらかな坂の街。ずっと下っていったその奥には、青く光る海が見えました。建物が強い陽射しを反射して、眩しさに目を細めます。
「……王族教育がなければ、もう少し早く来られたのですけれど」
もう夏も終わりに近づいています。
あれからわたし達は、東部領に建てられていた新しい家に移り、それぞれに教師をつけられました。春の始まりから夏の中頃にかけてみっちりと、勉強や立ち居振る舞いの練習をさせられたのです。
更に、東部領で特に魔物の被害が大きいところを回り、その討伐や、調整にも立ち会いました。本当に、目の回るような忙しさだったことは言うまでもありません。
「何も、今までの分を一気にやることはなかったと思いませんか?」
忌み子として雑に扱われていたわたしは、そういったことを神殿でしか教えて貰えなかったため、所作はともかく、知らないことがたくさんありました。それをこの短期間に詰め込まれたのですから、不満だって言いたくもなります。
口を尖らせてフレッド君を見上げると、彼は、はぁ、と溜め息をつきました。
「いやお前……教育の時間より、これを作っている時間の方が長かっただろう」
そう言いながら後ろを見たフレッド君。そこには一体の魔獣が座り込んでいます。東部領での討伐で出会い、新しく使役することになったその魔獣に、わたしは「サセット」と名前をつけました。
サセットの背中には魔力金属で作られた鞍が着けられていて、陽の光を鈍く反射しています。わたしとフレッド君のどちらでも操縦できるようにした、渾身の作品です。
「そ、そんなことはありませんよ! それは、期間だけ見れば長かったかもしれませんけれど、隙間の時間に少しずつ進めていただけなのですから……」
どうだか、と肩を竦めるフレッド君を無視して、サセットのところへ戻ります。「ねぇ、サセット?」と同意を求めながら、そのごわごわとした赤褐色の翼を撫でると、彼――サセットは雄の鳥獣です――は気持ちよさそうに、くぅ、と鳴きました。
「では、サセット。少しの間、この山で待っていてくださいね」
そうしてわたし達は、およそ一年振りに南部領の都、ニースケルトに足を踏み入れたのです。
南部領の裏側に潜む、人身売買の組織を壊滅させること。それが、お父様やセレスタンお兄様から命じられた、最初のお仕事でした。
セルジオさんの一件からも、忌み子と何らかの関わりがあることは明らかですし、外国にも通じていたのです。
まさに、忌み子で王女のわたしに相応しいお仕事です。……正直なところ、荷が重すぎる気もしますけれど。
わたし達は早速、エストとして南部領を取り仕切る、貴族達の会議に参加しました。
といっても、今日は初日ということもあり、あまり難しい話はせず、自己紹介や、簡単な認識の擦り合わせ程度です。
貴族達としても、いきなり忌み子に対する感情を変えるのは難しいのでしょう。平民より、貴族の方が忌避する気持ちが強いものです。その辺りについては、わたしが少しずつ頑張るしかありません。
ともかく、六の鐘が鳴る前に会議は終わり、役場を出たわたし達は、その足で海へと急ぎました。
とても、楽しみにしていたのです。
「リルちゃん!」
その声に顔を向けると、カラットさんが大きく手を振っているのが見えました。その周りに並んでいるのは、一年前にニースケルトの街を立った時と同じ顔ぶれ。
はやる気持ちを抑え、しっかりと砂浜の中を進みます。
「カラットさん、お久し振りです。皆さんもお元気でしたか?」
「リル、久し振りだね。こっちはこの通り、皆元気だよ」
そう言って笑うのはファルさんです。その人好きのする笑みに、思わず頬が緩みます。
「え……本当に、そんな態度で良いの……ですか?」
「ウィルムさん。当然です。寧ろ、そうやってよそよそしくされたら寂しいですよ。……それに、競争のことも、忘れていませんよね?」
ここへ来る前に、カラットさんに葉手紙を飛ばしていたのです。驚かせたいわけではありませんでしたし、せっかく仲良くなれたのですから、変わらず迎えて欲しいと思っていました。
僅かに俯いた顔を、わざとらしく挑発するように覗き込むと、「も、勿論だよ!」と慌てるウィルムさん。
「リ……ルちゃん、こそ、どうなんだよ?」
「ふふ、それは工房でのお楽しみですよ。わたし、とっても強くなったのですから……あっ!」
あることを思い出して声を上げると、皆の顔が傾きます。わたしはその中から、カラットさんに目を向けました。
「ごめんなさい、カラットさん。お土産のこと、すっかり忘れていました!」
「あぁ、そんなことも言ってたね。残念だけど、仕方ないさ。忙しかっただろう?」
「東部領で、討伐にたくさん参加したのに……」
「ははは、それに、王女様にそんなこと頼めないよ」
ぽりぽりと頭をかくカラットさんに、全員が頷きました。フレッド君に護衛を頼んでいたマイナさんも、「まったくだわ」と呆れています。
「次にあなた達が来たときは、こき使ってやろうかなんて考えていたのに」
「そうそう。……それにしても、リルが本物の王女様だったなんてね。せいぜい、良いところのお嬢様くらいだろうとしか思ってなかったよ。こうして見ると、疑いようもないけれど」
そんなファルさんの言葉には、得意げに胸を張ります。……いえ、得意げにすることでもないのですけれど。
先程まで、エストの会議に参加してきたのです。今のわたしの格好は、旅装とは言え、確かに王族らしく見えるでしょう。薄い布が重ねられた袖を、そっと触ります。
「本当に。話し方だけで言えば、私の方がよっぽどそれらしいわ。……なんて言ったら、怒られるかしら?」
お茶目な表情でそう聞いてくるマイナさんに、思わず吹き出してしまいそうになりました。現に、隣でフレッド君が笑います。
「いや、その通りだ。この際だから言っておくが、俺はその話し方、結構気になっていたぞ?」
「え、そうなのですか? 敬語じゃない方が、良いですか?」
それならそう言ってください、と口を尖らせていると、皆が期待するような視線を送ってきます。ふぅ、と息を吐き、そして、大きく吸いました。
「……フレッド。こちらの方が、良いかしら?」
妙に緊張しました。ダン君がいた頃と同じはずなのに、おかしな話です。
「……悪い、いつも通りにしてくれ」
「ふふ、わかりました」
居心地悪そうに首を振るフレッド君に、同意の笑みを向けます。
「でも、どうして敬語で話すようになったんだ? 前は違ったんだろう? あの庭園のときだって……」
「え、と。……それは、秘密です」
本当は、フレッド君が敬語じゃない方が良いと言えばそうしても良いと、思っていました。そのうえで同じように質問されたなら、わたしはそれにも答えていたでしょう。
けれども、彼はわたしがこのままでいることを望みました。ですから、秘密なのです。
……教えてしまえば、きっと、敬語を止めてくれと言うでしょうから。
「そういえば、リル。あの薬はどうしたの?」
「便利に使わせて貰いましたよ。……正直、とても助かりました」
北部領でのあの狼の群れを思い出しながらしみじみと言うと、「えっ!?」と驚いたように目を剥くファルさん。
「まさかフレッド、うわ――」
「あ、フレッド君に使ったわけではありませんよ? 狼の群れに襲われて、大変だったのです」
「……。はい?」
あの時の経緯を説明すると、ファルさんは大きな溜め息をつきました。それからフレッド君の方に向き直って両手を上げます。
「……降参」
「え?」
「こんなとんでもない子、僕の手には負えないよ。……まさか媚薬を狼退治に使うなんてね」
「ふぁ、ファルさん! しーっですよ!」
「やはりあれは、そういうやつだったのか」
「う……」
媚薬のことはフレッド君に気づかれないようにしていたのに、知られてしまったではありませんか。頬を膨らませていると、右手がぐっと引かれました。
「へっ?」
そのまま左腕の方に手を回されて、バランスを崩した身体ごと、包み込むように支えられます。
「フレッド君?」
「……今度から、何か貰ったら俺にも知らせろ」
「ひゃっ」
耳元でぼそりと呟かれて、その意味より先に、驚きが身体を巡ります。
「ちょっと……ち、近いです!」
「魔獣に乗るときと変わらないだろ」
「そうですけれど……!」
じたばたともがいてみても、フレッド君の力にかなうはずがありません。早々に抜け出すのを諦めて、彼を軽く睨みます。……こんな人前なのに、抱きしめられているみたいで恥ずかしいのです。
「って、どうして貰った物を教えることになるのですか!」
「お前な、自分が王女だって自覚はあるのか?」
「ありますよ」
「今までは隠していたが、これからは違う。明確に狙われる理由があるんだ」
「……それも、わかっています」
「なら当然のことだとわかるだろう? というか、わかってくれ」
「……。はぁい」
渋々頷くと、彼は大きな溜め息をつきました。周りの皆が、憐れみの目を向けてきます。
「不安だなぁ」
「不安ね」
「うん、不安だ」
「……皆さん、酷いです」
もう何度目か、抗議の視線を向けると、フレッド君はようやく解放してくれました。
「まぁ、この街にいる限りは僕達もできるだけ協力させて貰うし、そうでなくとも、リルちゃんならとんでもない方法で窮地を抜け出しそうだけど……」
カラットさんが濁した言葉を、ウィルムさんが拾います。
「もうすでに、とんでもないですよね。……リルちゃん、王女様って、こんな簡単に出歩いてて良いものなの?」
「勿論です。確かにわたしは、王女としてもここにいますけれど。それ以前に……」
傾いた陽が、淡い赤色を海に落としていました。
ゆっくりと息を吸うと、穏やかで、大きな“気”の流れを感じます。それは、わたし達のこれからを支えてくれるようにも思えました。
隣のフレッド君を見上げます。
その瞳に映り込んでいたのは、わたしと、その顔の横で揺れる、光でした。
自然に溢れる、二人の笑み。
フレッド君は口の端を持ち上げて。わたしはきっと、頬がだらしなく緩んでいて。
どうしようもないほどの幸せがここにあって、これからも続くのです。
そうしたいと、わたしが望んでいるから。わたし達なら、できるから。
左手を、ぎゅっと握ります。
「わたしは魔法使いで、フレッド君は剣士です。二人で、旅をしているのですよ」
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