第43話 さようならの儀式
「フレッド君。わたし、ダン君にお別れを言おうと思うのです」
「……?」
離れで遅めのお昼ご飯を食べている時、わたしはそう切り出しました。ずっと硬い表情をしていたフレッド君は、和らいだ表情を通り越して、あっという間に胡乱げな表情を作ります。
「正式に、婚約を認められたでしょう? このままでは、何だか居心地が悪いのです」
「なるほどな。良いんじゃないか?」
すんなりと肯定した彼に、ほぅ、と小さく息を吐きました。
「……と言っても、彼の魂を解放してあげられるわけではないのですけれど。これは完全に、わたしの自己満足なのです」
指輪という依り代があるとはいえ、ダン君の魂そのものは、わたしの魂と繋がっています。わたしの命が尽きるまで、離れることはありません。
けれども、魂に干渉する魔法を使えば、死者の魂にもこちらの意思を伝えることができるはずなのです。
わたしが使った禁忌魔法は、魂を“気”に還すことなく留めておく、というだけのもの。ダン君から、何か返事を貰えるわけではありません。ただここに存在するだけの魂に、「さようなら」を伝えるためだけの……。
やはりこれは、わたしの自己満足です。それでも、これからは色々なことに向き合うと決めたわたしには、必要な……そう、ひとつの儀式なのだと言えます。
「なら、俺は早く出た方が良いな。準備もするだろう?」
と、わたしが考えている間に納得していたフレッド君は、そう言って、食べる手を少し速めました。
「何を言っているのですか? フレッド君、あなたも一緒に行くのですよ」
「……え? 俺もいて良いのか?」
「当然ではありませんか。わたし、ダン君にフレッド君を紹介したいのです」
「あー……。いや……はぁ。わかったよ」
苦い顔で、珍しく困った風に溜め息をつくフレッド君に、わたしは、ふふ、と笑みを溢します。
王城の庭園、その片隅にひっそりと置かれたベンチに、わたしとフレッド君は座っていました。
背の高い花木に囲まれたそこは、ダン君のお気に入りの場所でした。今は季節ではありませんが、花が咲くと、温かくてやわらかな香りで満たされるのです。庭園を散歩するときは、必ずこのベンチで休憩をしていたものです。
わたしは杖を使って、空中に魔法陣を描いていきました。まずはこの空間を囲む結界を張り、それから魂に干渉するための闇魔法に取り掛かります。
複雑な魔法陣をある程度描き終えたところで、左手の人差し指にはめていた、ペン先型の指輪をゆっくりと外します。それを魔法陣の中心部分に重ねて手を離すと、指輪は落ちることなくその場に留まりました。
「……凄いな」
感心しているフレッド君をちらっと見て、また続きを描いていきます。今度は、指輪を囲むような魔法陣です。
魔力を流して発動させると、淡い光とともに、わたしの中で変化が起こったのを感じました。普段はほとんど感じることのない、他者の魂の感触。ダン君とわたしの魂の繋がりが、強まったのでしょう。
「……ダン君。久し振り、と言うのは、きっとおかしいですね」
くす、と漏らした笑い声に、当然、ダン君からの返事はありません。少しだけ寂しく思いながらも、それはわかっていたことだと自分に言い聞かせて、一人で話し続けます。
「ずっと、一緒にいたのですもの。感じていたでしょう? わたし、旅をしたのですよ。ダン君が言った通り、綺麗な景色をたくさん見ました。美味しいものだって、たくさん食べたのです。勿論、大変なこともたくさんありましたけれど」
見えないとはわかっていても、わたしはダン君と同じ景色を見ているつもりでした。胸に当てた手の位置から、わたしが見ている景色や、感じている気持ちが伝わるように。
その気持ちの変化に、ダン君は気づいていたのでしょうか。
「……それに、大切なことも、たくさん知ることができました」
右に顔を向けると、フレッド君もこちらを見ていました。その青い瞳を、きっと世界で一番、わたしが見つめてきたのです。
「ダン君がいなくなってしまってからも、ずっとわたしは、ダン君との繋がりに縋っていました」
……それが辛くて、王城ではなく、街の図書館へ行くようになったというのに。
「君がしてきたように、それに、今度こそ大切なものを守れるように、たくさん勉強だって……」
……そのまま無茶をしていれば、ダン君と一緒にいられるかもしれない、とか。
「わたしは矛盾だらけで、本当に、狡い人間です! でもっ!」
そんなわたしでも、これだけは。
「ずっと……君と旅をするために、わたし……!」
わたしはそのために、ずっと頑張ってきたのです。強くなることも、この国を知ることも。それだけはずっと変わらない、本当のことです。
「それなのに、今は、その意味が増えてしまった。……ねぇ。君は、許してくれるのかしら? わたしはひとりで、こんなに幸せになってしまったわ。フレッド君に、出会ったから……」
フレッド君の膝に置かれた手を握ります。
「彼はとても紳士的で、強くて。ちょっぴり意地悪なところもあるけれど、本当に優しい人よ。ダン君のことも含めて、守ると言ってくれた。……気づいたらわたしは、この手を取らずにはいられないくらい、彼のことが好きになっていたの」
「リル」
「けれどもわたしは、少しも悪いと思っていない。そんなわたしを、君は許してくれる……?」
――駄目だよ、リル。
ふと、そんな声が聞こえたような気がしました。最期の、もうほとんど聞こえることのなかった言葉。それは、ダン君のいつもの言葉だったはずです。
「ダン、君」
……もしかして、彼は初めから、わかっていたというのでしょうか。わたしがあの時、ダン君を「これからも、ずっと」、「最高の婚約者」だと言ったから。
勿論、それが都合の良い解釈だとはわかっています。けれども今は、ダン君の優しさを、信じてみようと思いました。
「ごめんなさい、ダン君」
あの時、救うことができなくて。
「それから、ありがとう」
ずっと、わたしの理解者でいてくれて。
「……さようなら」
これからはちゃんと、未来にも目を向けるために。六年もの間、口にできなかったその言葉を、ようやく言うことができました。
――さようなら、ダン君。今度は、わたしの命が尽きる時に。
魔法陣の効果が切れて、カツン、と石畳に指輪が落ちるまで、わたし達はその光を眺めていました。
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