第34話 道中、あれこれ

 次の日。セレスタンお兄様にゆっくり休むようにと言われていたので、わたしはフレッド君と、街の工房を見て回ることにしました。わたしが言い出したのではありません。朝、傷の様子を確認していたフレッド君が、「これなら動いても大丈夫だろう」と言って、提案してきたのです。

 まさかと思い確認してみると、確かに縫った傷口は塞がりかけていて、歩き回るくらいなら問題なさそうでした。……本当に、驚きました。いくら薬の効果を魔法で高めたと言っても、彼自身の回復力が強くなければこんなに早く治ることはないのですから。


 ともかく、ゆっくりと街を散策するのは久し振りで、わたしはうきうきしていました。北部領に入ってからは何かと問題が続きましたし、そんな時間も無かったのです。明日からはまた慌ただしくなるはずで、フレッド君もそれをわかっているから、最後にこうして誘ってくれたのでしょう。


「リリアーヌ、入るぞ」


 朝ご飯を食べ終わる頃、ノックの音とともにセレスタンお兄様が部屋に入ってきました。まだテーブルの上に食事が残っていることに気がついたのか、「悪い」と呟きながらこちらに近づいてきます。それからわたし達の顔をよく見て、何かを確認したかのように頷きました。


「少しフレッドを借りる。……食事が終わったら、私の部屋へ来てくれ」


 残念ですが、そういうことになってしまいました。


 一人で出歩くことを止められたので、結局わたしは、役場の敷地内にある資料館で時間を潰すことにしました。しばらく資料館の魔法具について調べていると、いつの間にかお昼を過ぎていたようです。フレッド君が迎えに来てくれました。


「明日からは魔獣での旅だ。東部領に向かうらしい」


 何のお話をしていたのでしょうか。そう言ったフレッド君は、どこか悩み事があるような、それでも何か強い意志を感じさせるような、そんな表情をしていました。読みかけていた本を閉じようとすると、彼は「それを読み終わってからで良い」と言って、隣の椅子に腰掛けます。


 静かな時間でした。互いの呼吸音と、紙の擦れる音だけが聞こえます。資料の内容を理解するのと同時に、フレッド君は今何を考えているのかしらという疑問が頭をよぎりました。……何となく、それを尋ねてはいけないような気がして。ただひたすらに、読み進めていきます。




「悪いが、別々だ」


 次の日、出発の準備を終えて役場の門のところへ向かうと、そこには二体の魔獣が並んでいました。一体はセレスタンお兄様のもので、もう一体も見覚えのある、護衛騎士のものでした。仕方がないことです。お兄様の魔獣にわたしが、護衛騎士の魔獣にフレッド君が乗せて貰うことになりました。


「わぁ! やっぱり、魔獣は速いですね」


 あっという間に空高く飛び上がり、盆地を囲む山を越えると、わたしは感心して声を上げました。結界を張っているので寒くはありませんし、澄んだ空気は遠くの景色までよく見せてくれて、とても心地良いものでした。


「……父上はずっと、君を心配していた」


 と、頭上から声が降ってきて、ちらりと上を見ます。


「お父様が?」

「忌み子で、更に禁忌魔法行使者。心配しないわけがないだろう」

「……フレッド君から聞いたのですね」


 セレスタンお兄様が問いただせば、フレッド君は答えるしかないでしょう。それ自体は構わないのですけれど、お父様が心配していたということが気になりました。彼は、わたしのことなど眼中にないと思っていましたから。現に、ダン君のことがあってからは、顔を合わせることすらなかったのです。


「いや、元から知っていた。……私は、半信半疑だったが。あのお方は気づいておられたよ」

「そう、ですか」

「リリアーヌが国王に相応しいと思うようになったのは、そういう話も聞いていたからだ」


 その言葉に、ふっと息を漏らします。


「それだけの信頼を得ているのなら、セレスタンお兄様が国王になれば良いではありませんか」


 わたしの身体を包む、セレスタンお兄様の身体が揺れました。声も聞こえませんでしたし、勿論表情も見えません。けれどもわたしには、彼が笑ったことがわかりました。


 一度、お昼ご飯も兼ねた休憩を挟んだだけで、魔獣は飛び続け、その日の夜遅くには目的地に到着しました。東部領の領都、テールイラです。街の周囲には堅牢な外壁がそびえ立っていて、魔物の襲来を防いでいました。暗くてはっきりとは見えませんが、中の建物も、美しさより頑丈さを重視した造りのものが多そうです。


「さすがに速かったな。俺達だけだったら何日も掛かっていた」


 魔獣から降りると、フレッド君がそう言いながら近づいてきました。わたしは頷きましたが、セレスタンお兄様は呆れたように首を振りました。


「本当にずっと歩きで移動していたのか? リリアーヌは王女だぞ?」

「セレスタンお兄様、わたしが言い出したことです。フレッド君を責めないでください。……それに、王女としての扱いについて言うなら、王城の皆さんこそではありませんか」


 剣呑な空気が流れます。けれどもそれは一瞬で、セレスタンお兄様は観念したように溜め息をつきました。


「そう、だな」


 それから、とても王族が二人もいるとは思えないような簡単な食事を済ませ、あてがわれた部屋で休みます。長時間の、それも慣れない魔獣での移動で疲れ切っていたので、心底ほっとしました。


 翌朝はとてもゆっくりでした。ではなく、遅すぎました。目を覚ますと陽は高いところまで昇っていて、おそらく、四の鐘が鳴るか鳴らないかといったところです。


「フレッド君!? どうして、起こしてくれなかったのですか!」

「いや、さすがにあれは無理だろう。王子の部屋は隣だぞ? 俺が殺される」

「それならそう言ってくれれば良かったのに。セレスタンお兄様達にも気づかれないような、強固な結界を張りましたよ?」

「大丈夫だ。お前の寝起きの悪さは伝えてある」


 もう、何が大丈夫なのですか。そう口を尖らせましたが、フレッド君は真面目な顔で続けます。


「なぁ。寝起きが悪いのも、禁忌魔法の影響なのか?」

「……そうですよ」


 彼は深い溜め息をつきながら、わたしが起き上がるのを手伝ってくれました。


「代償がどういうものなのか、ちゃんと教えてくれないか」

「どういうものも何も、フレッド君が知っている通りですよ。バランス感覚の欠如……意識と身体が上手く繋がっていないのです」


 難しい顔で考え込むフレッド君の頬を、ちょんと指先で突いてみます。一瞬だけ固まった彼は、ゆっくりと目を見開きました。


「どうしてこうなったかはともかく、今どうなっているのかについては、わたし、全部話しているつもりなのですけれど?」


 ふふ、と笑うと、今度は困ったように溜め息をつくフレッド君なのでした。




「氷炎獣と言えば……」


 テールイラの街からは、馬車での旅に切り替わりました。氷炎獣との相性が悪いため、魔獣を連れて行くのは危険なのです。おそらくこの馬車も途中までで、そこからは歩くことになるでしょう。今のうちに、ゆったりとした旅を楽しんでおこうと思います。

 案内役として東部領の騎士団から数名、旅に加わることになりましたが、この馬車に乗っているのは四人だけです。向かいにセレスタンお兄様、その隣に彼の護衛騎士。そしてわたしの隣にはフレッド君です。


「何か情報があるのか?」


 セレスタンお兄様に尋ねられて、わたしはリュックの底の方に入れていた、小さな布袋を取り出しました。丁寧に、中に入っている琥珀色の宝石を取り出します。


「ニースケルトの街で買ったのです。氷炎獣の瞳、とてもお買い得だったのですよ」

「……」


 何故か固まるお兄様達。三つ数えられるくらいたっぷりとこちらを見つめた後、無表情のフレッド君に視線を向けました。


「……フレッド。リリアーヌは、いつもこうなのか?」

「えぇ。私には止められませんので」

「そう、か」

「えっと、どうして三人とも溜め息をつくのですか? それにフレッド君、わたしは何度もあなたに止められていますよね……?」

「かろうじて危険を回避しているだけだ。暴走そのものには間に合ってない」


 ぼ、暴走? むぅ、と口を尖らせると、斜め前から、ぷっと吹き出す音が聞こえました。


「申し訳ありません。……リリアーヌ王女殿下は、本当に昔からお変わりないのですね」

「え……昔のわたしを、知っているのですか?」


 驚いて尋ねると、吹き出した張本人であるセレスタンお兄様の護衛騎士は、座ったまま丁寧に敬礼をしました。


「セレスタン王子殿下の筆頭護衛騎士、クロヴィス・オートゥーレと申します」

「クロヴィスさん」

「昔はよく、『クロヴィス、魔獣に乗せて頂戴!』とせがんでいたものだ」

「そ、そんなに近かったのですか? せいぜい顔見知りくらいかと……」


 そのようなことは全く覚えていなかったので、すみません、と謝ると、彼らは笑って首を振りました。


「覚えていなくて当然ですよ。なんせ、十年も前の話ですからね」

「それって、神殿に入る前ではありませんか!」


 二重の意味で驚きました。単純に、昔の話が出て来たということと、神殿に入る前、つまり、危険な忌み子として認識されていた時期に構ってくれる人がいたということに。


「驚くだろう? クロヴィスは、偏見も持たないし、物怖じもしない。私はそういうところを買っているのだ」


 何度も助けられている、と自慢げに話すセレスタンお兄様と、照れながらも嬉しそうなクロヴィスさんが印象的です。本当に、良い主従関係なのでしょう。


「子供は敏感だ。君も、そういうクロヴィスの人の良さを感じ取っていたのだろうな……私よりも懐いていたくらいなのだから」

「リル、年をとるにつれて鈍感になってるんじゃないか?」

「酷いです、フレッド君!」


 頬を膨らませると、馬車の中に笑い声が響きました。

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