第33話 わたしの指輪(後編)
旅に出ることを決めてからは、大忙しでした。いつ来るかわからない、王城から追い出される日に備える必要があったからです。ダン君は騎士団の役に立つような勉強をさっぱり辞め、地理や、お金や、生活に関わるような内容の本を持ってくるようわたしに頼みました。
……わたしですか? 勿論、魔法の勉強を続けましたよ。身を守るために動けるのはわたしだけですし、ダン君の具合が悪くなっても大丈夫なように、調合の技術を学び始めたのも、この時です。
この日々は、想像以上にわたし達を成長させました。はっきりとした目標があるというのは、良いものです。それに、とても楽しい時間でした。わたし達が疎まれていることなど、忘れてしまうくらいに。
けれども、その日はやって来たのです。
丁度今の季節くらいの、冷え込みが厳しく、ダン君の具合が特に悪い日でした。部屋は暖かくしていましたが、彼は寒気がすると言ってベッドに潜り、そこで本を読んでいたのです。
当然、ダン君には専属の医師がいました。調合の勉強を始めてからはその様子も盗み見るようになりましたが、心のどこかで、自分が何かをすることはないと、そう考えていたことは事実です。
「……ル、苦しい……」
「ダン君?」
彼の呻き声が聞こえてきたのは、陽が沈み始めた頃でした。窓から見える空が、やけに赤かったことを、覚えています。
「熱……、息が、……きない、だ……」
「え、えっと……水? 水を飲めるかしら!」
慌ててベッドに駆け寄ると、彼はびっしょりと汗をかいて、苦しげに呻いていました。息が上手くできていないのか、あまりに悪すぎる顔色に、こちらの息まで詰まりそうになります。
「誰か! ダン君が、ダンフォースが苦しんでるのっ!」
部屋の扉を開け、めいいっぱい叫びます。食事や診察以外で人が近づくことはありませんが、もしかしたら近くを人が通るかもしれない、そう思いながら。そうでなくても、わたしにできることなんて他にはありませんでした。
「ねぇ! どうして? どうして誰もいないのよっ!?」
「リル……もう、良いよ」
リル、ともう一度呼ばれて、わたしはベッドのところへ戻りました。そして、治癒魔法を発動させます。……もう何度も試して、ダン君の病気には効かないとわかっているはずの魔法を。
「リル、落ち着いて」
「どうして君がそんなに落ち着いているのよ! そんなに苦しそうで……」
「僕のことは、僕が一番……わかる、から」
ダン君はそう言って、優しく微笑みました。
「ね、リルは、凄い魔法使い、なんだよ。きっとこれから、何だってできるようになる。僕が、それ……保証する」
「ダン君……?」
「ん、もう一回。……最後に、僕の名前、呼んで?」
「何を言ってるの? 最後って……旅は? ねぇ、一緒に旅をするって、そう言ったじゃない!」
涙がたくさん溢れて、彼の顔がぼやけました。その儚い微笑みを崩さないように、何度も目元を拭います。
「お願い、リル」
「ダン君……ダン君」
「うん」
「ダンフォース、君はわたしの最高の婚約者よ。これからも、ずっと」
そう言うと、ダン君は満足そうに目を閉じました。唇が、「駄目だよ、リル」と動いたように、見えました。
「ダン、君……?」
その感覚を、わたしは知っていました。
「駄目、ダン君っ!」
魂が身体から離れて、“気”に溶けていく感覚。わたしは咄嗟に、魔法陣を描いていました。
何か、依り代になる、丁度良い物は……。
辺りを見回すと、反応のないダン君の手に握られた、ペンが目に入りました。ゆっくりと抜き取り、そのペン先を外します。
「お願い、行かないで……」
魔法が発動すると、彼の魂がすうっとペン先に宿ったのがわかりました。その瞬間、全身の血は熱を持って。
「うっ……うぅっ!」
蹲ったまま立ち上がることができずに、わたしはひとり、泣き続けました。
そんなわたし達が発見されたのは、夜ご飯の時間でした。使用人に呼ばれて、凄い勢いで部屋に入ってきた騎士団長とその奥さんを見て、わたしは「いつもは見向きもしないのに、珍しいわ」と場違いなことを考えていました。
「リリアーヌ王女……あなたは、何ということを!」
わたしが怒られていることに気づき、首を傾げます。何か、悪いことをしたかしら……?
「この、人殺し!」
「王女と言えども、これは酷いと言わざるを得ないな」
人、殺し……? わたしが?
ダン君の両親にそう責められ、わたしは納得しました。納得、してしまいました。手の中にあるペン先に、ダン君の魂を感じて。立ち上がろうとしても動かない身体を笑うように。
……あぁ、これが、罰なのね。
「そう、そうね……。わたし、悪いことはしてないわ」
「まぁ! 開き直りかしら」
「……何もしてない、そう、何も、できなかったの」
もっと勉強していれば、もっと魔法が上手ければ……!
「ダン君を、助けられたかもしれないのに、わたしのせいで……!」
話し終わると、フレッド君はわたしの目に溜まっていた涙を拭ってくれました。それから、指輪をはめた左手を取り、じっと見つめます。
「ここに、そのダンフォースが、いるんだな?」
「えぇ。話すことも、何かを見ることもできない、ただのペン先ですけれど。ここに、います」
彼は、そうか、と呟き、「始めまして、ダンフォース」と指輪に向かって挨拶をしました。それが可笑しくて、けれども嬉しくて、涙が溢れます。
「何でまた泣くんだよ」
「だ、だって……」
溜め息をつきながらも、またフレッド君は涙を拭ってくれました。その優しさに、胸が苦しくなります。
「わたしの魔力は、人の命を奪ってしまったことがあります。人の命を救えなかったこともあります。それだけでなく、死者の魂をここに留めるという、禁忌まで犯してしまったのです」
「……」
「……フレッド君は、わたしを軽蔑しても良いのです」
「まさか。……ずっとお前は、後悔していたんだな。妙な行動指針も、ここに繋がっていた」
頷くと、いつの間にか頬に添えられていた手に、むにゅ、とつままれて。
「俺の覚悟は、そう簡単に変わらない。お前も昼間、そのつもりだったろ?」
「……へぁい」
肩を揺らしたフレッド君を思い出しながら、もう一度頷きます。
その答えにか、それとも変な声だったからか、彼は満足げに口の端を持ち上げて、頬をつまんでいた手を離しました。
「リル。話してくれてありがとう」
「……わたしの方こそ、聞いてくれてありがとうございました。それに……ずっと話さないでいて、ごめんなさい」
それから少しだけ、続きの話をしました。
旅をすることに拘ったわたしは、また勉強を続けることにしたのです。今度は一人で、たくさんのことを覚えなくてはいけません。
けれどもわたしは、王城の図書室に足を運べなくなっていました。ダン君との思い出が詰まった本を見るのが辛くて、苦しかったからです。
そこで選んだのが、貴族から平民まで、誰でも利用することができる王都の図書館でした。
今後旅をすることを想定した、質素な服に身を包んで。
禁忌魔法の行使からバランス感覚が抜け落ちた、使いにくい身体をなんとか動かして。
図書館に入ろうとした時、その建物の横で蹲っている、少年の姿が目に付きました。後ろに庇うように置かれた数冊の本と、遠目にもわかる、殴られた跡や切られた跡。思わず近づき、声を掛けました。
「怪我を、しているの……ですか?」
「あぁ。……いや、大したことはない」
「駄目ですよ、そのままにしては。治療をしましょう。……わたしは、リリ……リル。魔法使いの、リルです。あなたは?」
その少年は、ゆっくりとこちらを見上げました。今では見慣れた、深い青の瞳。それを目にしたのは、この時が初めてでした。
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