8章 世界の形
第35話 氷炎獣
笑いが収まり、氷炎獣の話を続けます。
「『割れぬ鏡』というのは、この瞳のことなのですよね? 出発前に色々と試してみたのですけれど、何も起こらなかったのです」
「あぁ、討伐したその場にいる必要があるからな」
「なるほど……。討伐の場ということは、魂が溶ける時の“気”、そしてその範囲は瞳に映るところ、ですか」
「……」
“気”や魔力を引き金にした魔法は多く、そこに時間や場所を限定することでより複雑にすることができるのです。血に素質を取り込む、という表現を聞いたときは不思議なものだと思っていましたが、つまるところは魔法の一種なのでしょう。……そう考えると、何だか楽しくなってきますね。
「その場にいる必要があるということは、リル本人が討伐しなくても問題ない、ということですね?」
「そうだ」
「あら、二体討伐するのかと思っていました。探すのが大変そうだな、と」
そう言うと、ギョッとしたようにセレスタンお兄様が目を剥きました。
「あんな魔物が一度に二体も出てきてたまるか!」
「リル……」
「あ……そ、そうですよね」
同じようなことをニースケルトの街でもしましたね。忘れていました。半目でこちらを睨んでくるフレッド君には、えへへ、と誤魔化しておきます。
「強い者、知識のある者から信頼を得て、従えることもまた、王の素質と考えられる」
「リリアーヌ王女殿下のように、自身で賄えることもありますが……」
と、今度は呆れたような三人の視線がこちらに集まりました。何となく気恥ずかしくて、少しだけ話を逸します。
「討伐で活躍すれば、素材は分けて貰えるのですか?」
「それは当然だ。身分は関係なく、討伐により多く貢献した者から好きな素材を選ぶことになっている」
「なるほど……」
「あ、それは――」
「騎士団ではそれが普通だ。フレッドも知っているだろう?」
「……そうですね」
フレッド君は何かを言いかけたようですが、あっさりと引き下がりました。わたしは首を傾げつつも、魔法陣の構成を考え始めます。
セレスタンお兄様は勿論、東部領の騎士団はとても強いことで有名です。強い魔物が多いので当然といえば当然なのですけれど、その中でわたしが活躍するためにはどうしたら良いでしょうか……? できればもう一つ、瞳が欲しいのです。一体の魔物から二つしか取れないのですから、やはりここは一番の活躍を目指したいところですね。
「リリアーヌ、それは?」
「魔法陣を考えているのですよ」
氷炎獣が厄介なのは、その名の通り、冷たさにも熱さにも強い耐性があるからなのです。大抵の魔物は火を恐れますから、火属性の魔法を使います。稀にいる耐性持ちの場合でも、氷属性、雷属性と属性を変えていくことで何とかなるものなのですけれど……。
「そういう意味ではなくてだな」
「恐らく、今話し掛けても無駄だと思います」
もしかすると、もっと違う方法で攻める必要があるかもしれませんね。たとえば、氷と炎を攻略するのではなく、体の内側から崩していく、とか。
「……どうしたら良いのだ?」
それならやはり、光魔法と闇魔法でしょうか。最近はこの組み合わせばかり使っているような気がします。せっかくなら色々な魔法を使いたいところですが……。
「急用でしたら今すぐに止めますが、そうでなければ馬車が到着するまでお待ちいただく方がよろしいかと」
「……わかった」
手の中で鈍く光る宝石を見ながら、わたしはニースケルトの街で過ごした日々を思い出していました。ウィルムさんと知識を交換したこと、海の“気”の穏やかさ、土木工事に大道芸……。纏めるのは後で良いと考えて、思いついたことを片っ端から魔法陣に組み込んでいきます。
「あ……」
ごちゃごちゃしているだろうと思っていた魔法陣は、確かにこのままでは使えませんが、何となく方向性が見えてきたような気がしました。このまま理論的に間違いがあるところを――
「ひぇっ!?」
「おい!」
いきなり自分の魔力が変な動きをしたために、思わず悲鳴を上げてしまいました。その元に目を遣ると、呆れ顔のフレッド君がナイフを手にしています。それから血相を変えて彼を警戒しているセレスタンお兄様を見て、わたしは何が起こったのかを理解しました。
フレッド君に手を引かれて馬車から降りながら、謝罪の言葉を口にします。
「ごめんなさい」
「そう思うなら、いきなり研究に没頭するのはやめてくれ」
「……き、気をつけます」
数日は馬車での旅が続き、ようやく、氷炎獣がいると言われる山の麓にある村に到着しました。
「え……?」
馬車を降りた途端、ざっと粒の揃った音がして、騎士達が敬礼をしてきました。その勢いと人数に驚き、セレスタンお兄様を振り返ります。
「こんなに大人数で向かうのですか?」
「そうだ。確実に仕留める必要があるからな」
……認識を改めなくてはいけませんね。どうやら本当に、氷炎獣という魔物は手強い相手のようです。厄介なのはその性質に限った話なのかと思っていましたが、セレスタンお兄様がここまで準備をするということは、そういうことなのでしょう。一つの部隊は作れそうな人数の騎士達に周りを囲まれて、早速山へ入ります。
そこは枯れた山でした。領都の辺りはまだ緑を多く見られましたが、ここはところどころに低木が生えているだけです。代わりにあるのは赤黒い砂と、ごつごつした同じ色の岩。どこまでも単調な景色が続き、乾いた風が吹きつけています。
もう少し東、国境の近くにある火山が原因なのだと、ダン君は昔言っていました。この痩せた土地に住む生き物は、確かに強くならざるを得ないのでしょう。人も然り、魔物も然り、この環境についていけなければ、そこに未来はないのですから。
魔物を倒しながら――実際に倒してくれたのは騎士達ですが――ゆるやかな斜面を登っていくと、ずっと視界に入っていた、大きな岩の景色が途切れます。
「……」
そこにあったのは、窪地でした。元は沼地か何かだったのでしょうか、湿っているように見えるところもあります。けれども。
できるだけ素早く、腰に下げていたアルレの回復薬を取り外しました。お腹に描いていた魔法陣を発動させながら一気に飲み干し、魔力を増やします。……心なしか、周りで警戒していた騎士達が離れたように思いました。
「ここにいる、か」
セレスタンお兄様の言葉に小さく頷きました。“気”は異様な程にうねりながら流れ、氷属性と火属性の、強い魔力を感じます。……ピリピリと皮膚を焼くように、騎士達の警戒心が伝わってきました。フレッド君と繋いでいた手を離すと、彼は音もなくわたしの後ろに控えます。そっと、背中を押されました。
「後ろのことは気にするな。存分にやれよ」
「はい」
「……ご武運を」
あの時と同じ言葉に、わたしは振り向かず、口元だけで笑いました。後ろはフレッド君に任せれば良い、わたしは全力で、これから現れるであろう魔物を倒せば良いのです。
シュウウ――。
歯の隙間から息が漏れるような音がして、それはゆっくりと姿を見せました。全身を覆う長い毛は氷柱のように尖っているのに、その歩みに合わせて滑らかに動いています。纏っているのは冷気か、熱気か、判断はできません。わかるのは、それが視界を歪めるほどの強い力だということだけです。これが、氷炎獣。
「……セレスタンお兄様。わたし、試したい魔法があるのです」
「リリアーヌ?」
「少しだけ、時間を頂けませんか?」
騎士達には、窪んでいるところには立ち入らないよう伝えて貰います。その間にも氷炎獣はこちらに近づいて来ていて、“気”の揺らぎが強まりました。比例して、周りから刺さる不安げな視線も強まります。
わたしは転ばないようゆっくりと窪地に足を踏み入れ、一番近くにあった岩に腰掛けました。杖を出してから、いつものように左手を胸に当てて息を吐きます。
「あなたに触れたら、わたしは凍ってしまうのでしょうか? それとも、焼かれてしまうのかしら」
もし、王都を出て最初に訪れたのが東部領だったら。
もし、そうしてこの魔物に出会っていたら。
「……なんて、考えても仕方のないことですね」
ふと、真っ直ぐに歩いてくる氷炎獣と目が合います。毅然としたその姿には優雅さすら感じて、わたしは思わず微笑みました。
多めの魔力で一瞬のうちに描きあげた魔法陣が発動します。
氷炎獣が歩みを止めたのと同時に、その体内に圧縮したわたしの魔力が入り込んだことを感じました。それを操作し、また魔法陣を描いていきます。
「わぁ……」
二段階に分け、初めて見る氷炎獣に合わせて魔法陣の最終的な構成を決めることにした昨日の自分に、拍手を送りたくなりました。氷炎獣の魔力が、想像以上に複雑だったのです。普通は反発し合うはずの氷属性と火属性ですが、体内では混ざり合っているように感じました。何も知らずに魔法を使っていたら、失敗していたかもしれません。
丁寧に、正確に、そしてできるだけ速く組んだ魔法陣を確認し、頷きます。それを満たすように、圧縮していた魔力を解放しました。
――くぐもった爆発音の後に続いた、頭にも響く激しい爆発音と閃光。
氷炎獣は内側から弾けました。
長い毛の一本一本が繊細に、混ざり合うと思っていた青と赤は鮮やかなまま、窪地いっぱいに広がります。頭部だけは、こちらを向いたままで。
それはまるで、花が咲くところを高速で見ているかの様でした。
「……っ!」
覚悟していた、試練の達成による血の発熱を耐え、ふぅ、と息を吐きます。思ったより消耗していたのか、身体に力が入らず、岩に腰掛けたまま振り返りました。
「綺麗にできたと、思いませんか?」
褒めて貰おうと思ったのに、返って来たのは二人分の溜め息でした。騎士達も、ぽかんと口を開けています。
「フレッドが止めたのはこういうことか。全く、君という者は……」
セレスタンお兄様の苦い顔に首を傾げると、彼はまた息を吐きます。それから、ゴホン、と咳払いをして声を張り上げました。
「これが、我が妹、リリアーヌ第三王女の実力だ! 氷炎獣は彼女によって討伐された!」
その言葉に少し遅れて、歓声が上がりました。おぉ! という太い声に気圧されつつも、微笑みを返します。と、その時。
「リリアーヌ!」
背後で、ぶわっと魔力が膨れたのを感じました。勿論氷炎獣のものではなく、別の魔力です。これまでの強者が倒れたことで、息を潜めていた魔物達が出てきたのでしょう。
感じたのはそれなりに濃い魔力でしたが、わたしには何もできませんでしたし、何もする必要がありませんでした。駆け寄って来たセレスタンお兄様に手を引かれたと思った瞬間、その横から飛び出て来た影とすれ違います。途端、背後で霧散する魔力。
抱え込まれるようにして窪地の外に出てから、振り返りました。魔物と戦う騎士達の中に、先程すれ違ったフレッド君の姿も見えます。
「彼を……フレッドを、信頼しているのだな」
「勿論です」
わたしはフレッド君に視線を向けたまま、誇らしげに頷きました。
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