第9話 フレッド君の怒り

 フレッド君が怖いです。


 少し前にもこんなことがあった気がしますが、その比ではありません。敵意どころか殺気まで溢れ出ていて、それがわたしに向けられたものではないとわかっていても、恐怖心を煽られます。


「――ふざけるなよ」


 相手を睨むその瞳はどこまでも冷たく、それでいて激しい怒りを孕んでいるようでした。


 ……何故こんなことになったのかと言うと、話は少し前に戻ります。




 カラットさんのお店に入るのを諦めて宿に戻ろうと振り向くと、そこに立っていたセルジオさんと目が合いました。


「やぁ。昨日ぶりだね」


 彼は穏やかにそういうと、こちらへ向かって歩いてきます。少し後ろには外国の商人らしき男性と、八人の護衛がついています。そして彼自身は、あの農民姿ではなく、かなり身なりの良い格好をしていました。


「リルちゃん。君を探していたのだよ」

「……何の用だ?」


 フレッド君が剣に手を触れて「これ以上近づくな」と牽制すると、セルジオさんはその場に留まりました。しかし、その言葉には呆れたように肩を竦めます。


「おや、君もわかっているのではないかね? リルちゃんは、しっかりとした大人に保護された方が良いと」

「……は?」


 やはり、面倒なことになってしまいました……。セルジオさんがそれなりの声量で話すので、周りの人が「何だ?」と集まってきます。


「いくら今まで魔力制御が上手くいっていたからと言って、これからも大丈夫だと言うのは傲慢だよ。魔法を教えてあげたのも、悪意ある大人から守ってあげたのも、私だろう? これ以上保護者に相応しい者はおるまい」

「……よくそんな嘘を言えるな」

「嘘? 豊穣の女神の魔法を教えたことも、忌み子だからと捕らえられそうになったリルちゃんを助けたことも、もう忘れてしまったと? 善意をこう無下にされるとは、嘆かわしい!」


 冗談もいいところですが、外からその行動を見ていたら、ぎりぎりそう捉えられなくもないところが難しいですね。フレッド君もそのことに気がついたのか、苦い顔をしています。

 そしてその表情を肯定と受け取る周りの人々。大通りなのが災いして、結構な人数が集まってきていました。


「フレッド君。君は何でも自分が彼女を守ったように見せたがるけれど、そんなことでは良い男になれないよ。それに、忌み子というのは、そう簡単に自由にさせるものではない」


 あぁ……。これはもう、駄目ですね。


「――ふざけるなよ」


 その瞬間、今までなんとか抑えられていたフレッド君の怒りが爆発し、辺りに殺気が撒き散らされます。


「あんたは会った時からずっと、忌み子がどうとか言っているが。……リルを、舐めるなよ?」


 セルジオさんは一瞬、フレッド君の殺気にたじろぎました。しかしすぐに笑みを深めます。


「おや、それは私と敵対するということかな? 状況が見えていないようだね……」


 そう言って後ろの護衛を見やりますが、フレッド君の表情は変わりません。


「それはこちらの台詞だ。リルの実力も知らないで、よくもそんなことが言えたな? こいつはな、努力しているから凄いんじゃない。そんなことは誰だってできる。……周りが引くほど努力して、実際にそれだけの力をつけているから凄いんだ」

「フレッド君」

「あんたみたいな奴がそれを貶すなら、俺は今ここで、あんたを殺す」


「おやおや、この子はあなたと一緒に死にゆきたいようですねぇ、セルジオ・ヘルマーニさん?」


 外国の商人――とわたしはもう確信していました――が初めて口を開くと、その言葉に周りの人々がざわめき、居住まいを正します。フレッド君も、剣を出そうと握った手を少し緩めました。


 ……無理もありませんね。

 セルジオ・ヘルマーニ。家名があるということは、貴族――エストの地位を持っているということですから。貴族に逆らうのは、平民の罪です。


 けれどもわたしは、ヘルマーニという名前を聞いたことがありました。


「セルジオ・ヘルマーニ……元エスト、ですね。去年エストの地位を剥奪されたという家のことは聞いたことがありましたが、あなたがそうでしたか」


 わたしはそう言いますが、周りの反応はあまり変わりません。


「リルちゃんは物知りだね。その通り、私は元エストだ。けれどね、いくらエストの地位を剥奪されたと言っても、元エストの私と平民の君が同じ立場で話せると、本当にそう思うのかい?」

「……確かに、立場は違いますね。けれど、わたしがあなたに逆らったとして、それを裁く法はありません」

「……なるほど。リルちゃん、君も傲慢な子だね」


 セルジオさんが合図をすると、後ろの護衛達が杖や剣を出しました。こちらに鋭い目を向けてきます。


「ほら、君達にできる事はないのだよ。……あぁ、リルちゃんには一つだけあったね。これを受け取りなさい。私からの贈り物だ」


 セルジオさんがそう言って、上衣のポケットから何かを取り出しました。わたしはそれを受け取ろうと、彼に近寄ります。


「おい、リル! どう考えても罠だろ」


 呼び止めるフレッド君に振り向いて、笑顔でこう答えます。


「贈り物を拒むのは、失礼ではありませんか」


 手にしたそれは、ペンダント型の魔法具でした。あの村で、赤い髪の女の子が着けていたものと似ています。ほんの少しだけ魔力を流して、その魔法陣を確認しました。


「なっ……君、何故……?」


 ここでセルジオさんが、初めて驚いた顔をしました。その表情がおかしくて、ふふっと笑います。


「先程のフレッド君の言葉を聞いていませんでしたか? わたし、実際に力をつけているらしいのですけれど。……この魔法具は、あの女の子が着けていた物と同じですね。それから、豊穣の女神様の像、あの北側にあった傷の修復箇所にも、これと同じ魔法陣がありました」

「き、気づいていたと言うのか!?」

「えぇ。そして、魔力暴走を起こした巫女さんの祈祷位置が北側だったことも、祈祷位置を決めたのがセルジオさん、あなただということも知っています。……これは、魔力の変換速度を上げるための魔法陣ですよね?」




 “気”を魔力に変換する速度は、同じ生き物であれば一定ですが、実際には「“気”への抵抗値」が大きく影響しています。


 人間の魔力の変換速度は遅く、常に動いている“気”を魔力に変換することはできません。しかし、人は“気”に対して常に抵抗しているため、身体を通るときに“気”の動きが少し鈍くなります。その間に魔力へ変換することができるようになっているのです。


 抵抗値は人によって異なります。高いほど魔力の変換速度が高くなり、低いほど遅くなります。その差はかなり大きく、それがそのまま魔力量の多寡にも関わってくるのです。

 高すぎる抵抗値であっという間に大量の魔力を生産し、それを制御できずに暴走してしまう――忌み子が忌み子たり得る理由は、ここにあります。




「制御しきれない魔力で発動させて、普通では制御が追いつかない速度で魔力を回復、その増やした魔力で暴走させる……。本当に嫌な魔法陣ですね」


 わたしは魔力を流して、魔法陣を発動させました。ぐっと魔力が増えたことを感じ、それを全て抑え込みます。

 セルジオさんが呆気にとられたような顔をしました。


「発動させたかったのですよね? ……あぁ。もっと、魔力を増やしましょうか?」


 リュックの中からアルレの回復薬を取り出し、一気に飲み干します。フレッド君が溜め息をつきました。回復薬の効果と魔法陣の効果で、先程とは比べ物にならない量の魔力が増えます。……流石に多いので、全部圧縮してしまいましょうか。


「ここまで増やしたのは久し振りですね。ですがこれで、魔力が使いたい放題です!」


 小さな頃は、よくこうやって魔力制御の練習をしていましたが、本当に久し振りです。最初は慣れない感覚に魔力酔いを起こすのですが、この濃度には安心感があります。……わたしの場合は、特に。


 それなのに、恐ろしいものを見るような目を向けてくるセルジオさん。まさか、魔力を増やすということすなわち暴走することだ、などと思っていたのでしょうか? 頑張れば、これくらいの制御は簡単なのですけれど。


「君は一体……?」

「魔法使いですよ。そしてフレッド君は剣士です」


 挨拶をする時のように、軽く返します。


「……わたし、一応怒っているのですよ? 忌み子のことを言われるのはもうどうでも良いのですけれど、フレッド君を怒らせるようなことは許せません。それから人身売買も。今までは見逃してきましたが、大元の二人が目の前にいるなら、話は別です」


 後ろ手に描いていた結界の魔法陣を発動させれば、敵対の意思表明は完了です。その瞬間、護衛達が襲いかかってきました。


「フレッド君!」

「あぁ」


 剣を抜いたフレッド君が前に飛び出て、それを迎え撃ちます。わたしはその間に、左手に出した杖で簡単な魔法陣を描いては発動して牽制しつつ、複雑な魔法陣を右手の杖で描き続けました。


 右手で完成させた雷の魔法陣を発動させます。強い光と電気が放たれますが、護衛は怯むことなく防御し、すぐに攻撃に転じました。


 フレッド君は細かな動きで相手を翻弄しつつ、隙を見ては斬りかかっています。彼の動きを誰も捉えることができず、確かにダメージを与えてはいるようです。しかし、決定的な一撃にはなりません。……どうやら相手は、剣も魔法もかなりできるようです。


「流石に強いですね……。それに、この人数……」


 飛んできた魔法を、魔法で相殺します。


 ――魔力が大きく揺れました。


 相手の一人がわたしの結界を壊せないか、試したのでしょう。大量の魔力を使って張った結界はびくともしませんが、わたしは身体のバランスを崩し、尻もちをついてしまいました。


「リル!」

「大丈夫ですよ、フレッド君。魔法を使いやすくしただけです」


 そう言ってその場に寝そべると、一瞬だけ相手の動きが鈍くなります。


 ……もう、杖は必要ありませんね。


 両手に出していた杖を消しました。

 魔法使いが杖を使って魔法陣を描くのは、そうした方が魔力制御をしやすいからです。魔力が魔法陣の形になりさえすれば良いわけですから、魔力制御が完璧であれば、本来杖を使う必要はないのです。

 わたしが普段杖を使って描いているのは、自分の身体を支えるためにも制御能力を使っているからなのです。そこに能力を割く必要がなければ、複雑な魔法陣であっても一瞬で作れます。


 それでも、「なるべく殺さない」という指針に従うと、この強さと人数の相手では難しいところがありますけれど……。 手数はこちらの方が多いのに、ダメージを上手く分散させられてしまっているのです。


「リル。これ以上は難しい」

「今頃気づいたのかね? まぁ、もう遅い。君は目障りだ」


 セルジオさんは勘違いしているようですが、フレッド君が「難しい」と言ったのは指針に従うことの話です。わたしも同じことを考えていたので、すぐに了承します。


「仕方がありませんが、奥の手を使います。影響は無くとも、気持ち悪くなるかもしれません。少し我慢してくださいね?」


 奥の手と言うと何だか悪役っぽいですが、実際に奥の手なのです。わたしとフレッド君だからこそ使える、特別な手段。


 上半身だけ起こして座り、またアルレの回復薬を取り出して飲みます。そして、もう一本。使った以上の魔力が回復して、それを全て圧縮します。


「何を、しているのだね……?」

「セルジオさん。魔力暴走を起こすことが、どんなに辛いか知っていますか?」

「はい?」

「自分の中に入ってくるのに、それを制御できなくて掻き回されて。身体に傷がつくわけでも無いのに、痛くて。……その苦しみを、知っていますか?」

「し、知るか!」

「ですから、教えてあげます」


 ……本当に、苦しいのですから。


「止めろっ! そんなことしたら、この坊主だって……!」


 動いた魔力に慌てて、フレッド君を指差します。わたしは、ふっと笑いました。


「フレッド君は大丈夫ですよ」


 圧縮していた魔力を広げ、結界内を埋め尽くします。それだけ広げてもまだ魔力の濃度は高く、普通の人では制御することができないでしょう。


 わたしは、制御していた魔力を解放しました。


「がっ」

「うぅっ!」


 制御を離れた大量の魔力を取り込み、結界内の人は苦しげに倒れます。結界を縮めて更に魔力濃度を上げると、彼らは意識を失って動かなくなりました。


 ――フレッド君を除いて。


「あぁ、俺。“気”の影響を全く受けないんだよ」


 そのせいで魔法を使えないんだけどな、と呟くフレッド君。

 彼は“気”に対する抵抗が全くありません。つまり、身体を“気”が通り抜けてしまい、影響を受けることも反対に操作することもできないという体質なのです。ですから、こうして大量の魔力を受けても、何とも無いのです。


「フレッド君、もう聞こえていませんよ?」

「知ってる。一応、種明かししておこうかと思っただけだ」


 解放した魔力を全て制御し直し、草魔法でセルジオさん達十人を拘束します。それから結界を解除しました。


 ここでようやく、結界の外は大勢の人で盛り上がっていたことに気がつきました。カラットさんやウィルムさん、それから宿屋の旦那さんまでいて、皆歓声を上げています。急に恥ずかしくなって、わたしはフレッド君の後ろに隠れました。……まぁ、後ろからも見られているのですけれど。




 その後は、同じように見ていた役場の人にセルジオさん達を引き渡し、事情を説明しました。ペンダント型の魔法具も、魔力が流れ込まないようにしてから渡します。


 セルジオさんと外国の商人については、ニースケルトを管理している貴族が元々目を付けていたということで、とても感謝されました。特にセルジオさんは、貴族時代から色々と問題を起こしていたため、街の人としても嬉しいことだったようです。歓声が上がったのはそういう理由だったのでしょう。


 そう時間は掛からずに開放され、わたし達は海辺に来ていました。あのまま宿に戻ると、たくさんの人達に揉みくちゃにされそうだったからです。


 丁度夕暮れ時で、空がとても綺麗でした。

 しばらくの間、無言で海を眺めます。


「リル」

「はい、何でしょう?」

「俺はその、……リルの髪は綺麗だと思う」

「……?」


 いきなりの褒め言葉に、目を瞬かせました。


「いや。お前の色は、この空みたいだなって」


 そう言われて、納得します。あの村で、「忌々しい」、「汚い髪」と言われたわたしを慰めてくれているのでしょう。


「髪の色は陽が沈むところ、目の色は夜が始まるところ。……汚くなんかない、お前の色は綺麗な夕焼けの色だ」

「フレッド君……」

「俺が、何回もそう言ってやるから。だから泣くなよ?」

「ありがとうございます。……でも、泣いてはいませんよ」


 慌てて風魔法を使って顔を乾かすと、彼は苦笑しながら頭を撫でてくれました。

 わたしは左手を胸に手を当てようとしてフレッド君の視線に気づき、そのまま下ろします。


「……本当に、綺麗な空です」


 陽が沈むまで時間を潰したのに、宿屋に戻ると結局大勢の人に囲まれてしまったというのは、また別の話です。

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