3章 穏やかな日々は海とともに
第10話 滞在中の出来事(前編)
「おはようございます! 本日から三日間お世話になります、リルです」
二の鐘が鳴る頃、わたしはニースケルトの神殿に来ていました。
神職者でない男性は神殿に入ることを禁じられているため、今日はわたし一人です。……いえ、これからしばらくの間、わたしとフレッド君は別行動になります。宿屋の寝泊まりでしか、顔を合わせることはありません。
セルジオさん達と戦った日、宿の前はわたし達を待ち構える人々でごった返していました。戦いを見て、是非依頼を受けて欲しいと押し寄せてきたのです。
特にわたしへの依頼が殺到していて、ありがたいことではありますが、楽しそうな――いえ、重要そうな依頼だけに絞らせてもらいました。わたし達は旅人で、一所に長くいるものではありませんから。
それでもひと月くらいはこの街に滞在して、それぞれの依頼をこなすこととなります。
今日はその依頼を受ける最初の日です。一応わたしは忌み子ということで、危険がないか判断したいという街の意向を汲むことになっていました。そのために、神殿の依頼を受けるという体裁をとっているのです。
忌み子と神殿は昔から深い関係にあると言われていますし、実際にわたしもお世話になったことがありますから、特に不満はありません。
「おはようございます。リルさん」
声を掛けてしばらく待つと、奥から中年のほっそりとした女性が出てきました。真っ直ぐと揺れのない歩き方は、神殿の巫女さん、という感じがします。
「依頼をお受け頂きありがとうございます。私は巫女のラウラです」
「ラウラさん。よろしくお願いします」
神殿式の、指を交互に重ねて胸の前に掲げ、軽く膝を折るという挨拶をすると、ラウラさんは目を細めて微笑み、同じように挨拶を返してきました。
「やはり赤のお方は、綺麗に挨拶をなさいますね。作法は一通りできるですか?」
「昔の事で忘れているところがあるかもしれませんが、神殿での生活は経験しております」
神殿では、蔑称である「忌み子」は使われず、髪の色から「赤のお方」と呼ばれます。まだ五歳になる前の話ですが、魔力制御が上手くできないわたしが神殿で生活していた時も、そのように呼ばれていました。
差別はほとんど無くなったとはいえ、魔法に関わる場面ではやはり忌避を示す人が多くいます。その感情を少しでも和らげるために、忌み子は特に厳しく所作を仕込まれるのです。……まぁ、この前のような村を見てしまうと、もっと必要なことがあるようにも思いますけれど。
「十分です。……実際のところ、今回の依頼は神殿としてとても助かるのです。赤のお方に問題がないか、などという言い方をしていますが、リルさんに問題がないことなどとうにわかっております。忙しくさせてしまうと思い恐縮ですが……どうかそのお力を、ニースケルトにお貸しください」
神殿の巫女らしい淡々とした話し方ですが、随分あけすけな内容です。つまるところ、一番乗りで依頼を出せて良かった! ということなのでしょう。わたしはくすりと笑いました。
「わたしは魔法が好きですから、忙しいのは大歓迎ですよ。試しているのだという名目で、いくらでも使い倒してください」
神殿の忙しさは知っています。自ら泥沼に足を踏み入れるようですが、これも修行の内だと思いましょう。フレッド君がいませんから、身体的に暴れないように、ということだけは気をつけることにします。
そして早速、仕事を任されました。
最初は神様へ祈りを捧げる仕事――実際には、それぞれの神様を祀る魔法具を発動させることで、どの神殿でも等しく、朝一番に行われる仕事です。
礼拝堂に案内され、中に入ります。既に何人かの巫女さんが祈りを捧げていて、薄暗い礼拝堂の中を、流れる魔力がぼんやりと照らしていました。
しかし、流石は南部領の領都と言うべきか、魔法具の数がとても多いです。祀る神様の数自体もそうですが、一柱の神様に対していくつもの魔法具があるようなのです。この様子では、三の鐘までに終わらないでしょう。
「ラウラさん。あちらの巫女さん達をこちらに下げてもらえますか?」
「えぇ、構いませんけれど……」
訝しげにしながらも、彼女は巫女さん達に指示を出してくれました。丁度良いところでそれぞれ下がってきます。
「この中で、一般的な祈りを使わない神様はいますか?」
「闇属性の“気”が強い神ですね。あの辺りにいらっしゃる……」
「ありがとうございます。夜闇の祈りで問題ありませんか?」
「えぇ、それで問題ありませんが……何をなさるのでしょうか?」
「ふふ。皆一緒にお祈りをした方が、神様も楽しいと思いませんか? それにできるだけ、光と影の逢見時に近い時間帯に終わらせた方が良いでしょう」
アルレの回復薬を取り出し、僅かに目を見開いたラウラさんや他の巫女さんの前で、それを飲みます。
増やした魔力を操り、闇属性の“気”が濃いところを避けて全ての魔法具に流し込みました。右手を左肩に当てて跪き、すーっと息を吸います。
「光と影の逢見時。四つ森が東、その猛を賜らんことを。四つ森が西、その情を賜らんことを。四つ森が南、その技を賜らんことを。四つ森が北、その知を賜らんことを。我の祈りとともに、地の恵みをお返しいたします」
魔法具の発動を確認したら、続いて魂の神様と閨の女神様に夜闇の祈りを唱えながら、同じように魔力を流します。こちらは数が少ないので、先程よりも早く終わりました。
「これで完了です」
ぽかんとしている巫女さん達。一瞬の間をおいて、祈りが終わったことに気がついたラウラさんがお礼を言いました。
「リルさんがいらっしゃれば心強いだろうと思っていはいましたが、まさかここまでとは……。あなたが身を寄せていた神殿では、これが普通だったのですか?」
「お役に立てて何よりです。ただ、このやり方をしていたのはわたしだけでした。さすがに、一度に扱う魔力量が多すぎますので……」
このやり方ができるようになるまで、当時は相当苦労しました。魔力暴走もそうですが、忌み子がこういうことをすると物凄く怒られるのです。ある程度の制御能力を身に付けてからは、寧ろ怒られることの方が怖かったと記憶しています。……危なげなくできるようになるまで、何度一人で訓練したことでしょう。
「早く終われば魔法の練習をさせてもらえましたから、当時は頑張っていましたね。……勿論、神様に失礼のない範囲で、ですけれど」
秘密を打ち明けるようにそう言うと、ラウラさんはくすくすと笑いました。
「魔法がお好きなのですね」
「それはもう! さて、次は何をしたらよろしいですか?」
「では、書庫の整理をお願いします」
「書庫、ですか……?」
不思議ですね。神殿の書庫の整理など、今までしたことがありません。というより、必要がないという認識だったのです。
ですが、その理由は書庫に着いてすぐに判明しました。
ぱっと見たところでは、「整理されていない」という印象はありませんでした。本はしっかり本棚に収められていて、テーブルの上に置きっぱなしになっているのは数冊です。
しかし、本棚をよく見てみると、確かに「神殿の書庫」という観点では整理ができているとは言えませんでした。神殿で共通した分類方法に則っていないのです。
いくつかの本棚と何冊かの本を確認してから、「普段、書庫を整理している人を連れてきて欲しい」とお願いします。これは、みんなに見て貰った方が良いでしょう。
しばらくして七人の巫女さんが書庫に集まりました。待っている間に選んでいた四冊の本を、入り口の側にあるテーブルに並べます。
「皆さんは、神殿にある本がそれぞれ神様の名の下に作られているということをご存知ですよね?」
全員が首肯しました。
「では、どの神様かを知るためには、どうしたら良いでしょう?」
その質問に、ラウラさんの隣に立っていた巫女さんが手を挙げました。「お願いします」と言うと、テーブルの上から一冊の本を取り、最初のページを開きます。
「ここに書いてある言葉から判断します」
そこには、「地に溢れし火よ」と書かれていました。
「そうですね、これは火の神様の名の下に作られた本だということがわかります。ですが」
わたしはその本を受け取り、魔力を少し流しました。
「あっ!」
薄っすらと浮かび上がった魔法陣に、声が上がります。その反応に笑みを零し、並べていた他の本にも魔力を流します。
「これは水の女神様、これは土の女神様、そして風の神様です」
四冊の本に、四つの異なる魔法陣。彼女達は初めて見るようですが、これで終わりではありません。わたしは本棚――いえ、書庫全体に薄く魔力を行き渡らせました。
「まぁ……!」
ラウラさんが驚きの声を上げます。
どうなるかを知っているわたしでさえ、うっとりとしてしまいました。……何せ、書庫全体がとても美しい魔法陣に包まれているのですから。
たくさんの本とそれらを格納する本棚、そして床や壁、天井まで。全てが一つの魔法陣として繋がって光る様子は、本当に綺麗です。
左手を胸に当てて、しばらく眺めます。顔が緩んでいることはわかっていましたが、それを咎める人はここにはいません。皆が、この美しい魔法陣に心を奪われていました。
幻想的な風景などいくらでも見ているだろう神職者ですらそうなるのです。それほどに、神秘的な景色でした。
「では、発動させますね」
魔法が発動すると、ほとんどの本が宙に浮きました。そして、ゆらゆらと、まるで意思を持っているかのように動き出します。
魔法陣の光が消えた頃には、全ての本が、それぞれの神様を表した本棚に収まっていました。
「これが、書庫の本来の姿です。神殿の書庫というのは、大きな魔法具なのですよ」
それからお昼ご飯を食べ、四の鐘が鳴った後は、神殿で使われている細々とした魔法具の手入れです。魔法具自体の汚れを落とすだけでなく、魔法陣に壊れたところがあれば、そこも直していきます。
この頃には他の巫女さんともかなり打ち解けていて、楽しく会話をしながら作業をしていました。特に、わたしと同い年くらいのアンさんは人懐こく、よく話し掛けてくれます。
「リルさんは赤のお方ですけど、よく魔力を使っていますよね? 私達でも神殿ではあまり魔力を使わないようにって言われるのですが……他のところでは違うのでしょうか?」
「アン。そのように失礼な言い方をしてはなりませんよ」
……無邪気な言動を、ラウラさんに窘められているようですれけど。
「ふふ、良いのですよ。アンさん、確かに神殿では、無駄に魔力を使わないように、と言われますよね。これはどこの神殿でも同じはずです」
「そうなのですか? では、なぜ――」
「アン」
またラウラさんが困ったような顔をしますが、構わないと続けます。
「では、なぜそう言われるのだと思いますか?」
「あ、なぜ……? えーと、神の御力である光属性の魔力を、無駄に使っては失礼だから、ですか?」
その答えに、何と答えるか迷いました。ここが神殿だと、周りにいるのが神様に仕える巫女さんなのだということを、失念していた自分を恥じます。
とりあえず明確な反応はせず、他の「正解」を答えます。
「必要のない時に、魔法具を発動させないためです。逆に言えば、必要がある時には魔力を使うべきなのだと、わたしは思っています」
正直、書庫の仕組みを知らなかったことには驚いていましたが、これ以上言ってしまうと、ここの神殿の方針に口を出していると取られてしまうかもしれません。そろそろ話題を変えようと思っていたら、アンさんが口を開きます。
「なるほどー、リルさんは物知りですね。……あっ! では、礼拝堂の地下室のことは知っていますか?」
「アン!」
「星空の部屋ですか!?」
わたしとラウラさんが同時に反応しました。ただし、わたしは喜びの、ラウラさんは怒りの、です。思わず顔を見合わせて、わたしが地下室の話題自体に疑問を抱いていないことに、彼女はほっと息を吐きました。
「……リルさんはご存知でしたか」
「えぇ。……アンさん、今のはラウラさんが怒るのも無理ありません。わたしが元々知っていたから良いですが、本来はあの場所のことを口外してはならないのですよ」
「すみませんでした……」
星空の部屋――礼拝堂の地下室は、神殿の根源とも言われる特別な場所です。神殿の巫女さんでさえ、全員が入れるわけではありません。
ですが、常に光属性だけの魔力で満ちているその部屋はとても美しく、魔法陣の欠片が浮かんでいる様子は、まるで満点の星空のようなのです。
久し振りに聞いたあの場所の話に、わたしはうずうずしてきました。……少しだけ、少しだけで良いですから、入らせてはくれないでしょうか?
その想いが通じたのか、次の日の祈りが終わった後、星空の部屋に入らせてもらえることになりました。
「純粋な光属性の魔力を出せる巫女は少ないですから……。仕方がありませんが、魔力が減っているのも事実ですし……」
……ふふ、頑張って制御能力をアピールした甲斐がありました!
先程まとめて祈りをする時に、わたしは満遍なく混ざった全属性の自分の魔力を変換し、光属性だけの魔力にして使っていました。星空の部屋に入れるのは純粋な光属性の魔力を出せる人だけであると、知っていたからです。……下心があったことを、ここに白状します。
「わぁ……!」
ともあれ、久し振りの星空の部屋です。わたしは思わず歓声を上げました。光属性の魔力と浮かんでいるたくさんの魔法陣の欠片、という景色は記憶通りの美しさです。そして、欠片からは何の魔法陣なのか全く想像がつかないというところも、同じです。
知っているような気がするのに脳内で結び付いてくれないその感覚は、わたしが身体の感覚を失う時と似ていました。
……あれ? こんな模様の欠片があったかしら?
じっと見ていると、記憶にない模様の欠片があることに気がつきました。七年以上も前とは言え、あの頃は今よりも新しい魔法を覚えることに必死でした。それが何かはわからなくても、陣の形や構造だけは覚えていたのです。その記憶を信じるならば、前にいた神殿とは違う魔法陣なのかもしれません。
自分の魔力を光属性に変換し、浮かんでいる欠片に流し込みました。そしてそのついでに、欠片の模様を覚えます。魔法使いにとっては、陣の形を見るよりも、流し込んだ魔力の形で感じた方が覚えやすいのです。
「……いつか、この魔法陣を発動できる日がくると良いのですけれど」
お昼ご飯を食べた後は、昨日と同じように魔法具の手入れをします。今日はアンさん達と、神殿魔法について話しながらです。
「あれ、もう無いのですか?」
けれども、作業は五の鐘が鳴る前に終わってしまいました。ラウラさんに確認すると、どうやら三日分として予定していた作業はこれで全てだったようなのです。
彼女には「明日の祈りをして貰えれば、後は好きにして頂いて構いません」と言われたので、神殿魔法の話を続けることにします。
少し在籍していただけのわたしとは違い、巫女さん達の知識量は膨大でした。自分の知識は実践的なものばかりですから、ウィルムさんとの技術交換とはまた違った面で、知識の偏りを実感します。
結局次の日も同じようにして過ごし、三日間の神殿勤めが終わりました。……思い返すと、多くの時間はお話をしていただけでした。へろへろになることを覚悟していましたが、呆気ないものです。
「三日間、お世話になりました」
「こちらこそ、本当に助かりました。リルさんは、神様にとても愛されているのですね」
その言葉には笑顔だけを返します。それから神殿式の挨拶をして、外に出ました。
――わたしは、神様を信じていませんから。
そんな不謹慎なことを思いながら、宿に戻ります。
他人の信仰心をとやかく言うつもりはありません。昔、神殿に入ったばかりの頃は、わたしだって普通に神様を信じていたのですから。……ただ、知ってしまったのです。世界は、いるというのであれば神様でさえも、忌み子には冷たいのだと。何かに縋ったとしても、助けてはくれないのだと。
小さかったわたしはそのことに失望して、少なくとも自分は自分を救えるようにと、魔法に打ち込むようになりました。
それが良かったのか、今でもわたしにはわかりません。
……それくらい、たくさんのものを得て、たくさんのものを失いました。
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