第8話 ニースケルトの宝石商

「わぁ……!」


 森を抜けると、目の前にとても大きな街が広がりました。ここエスティリーチェ王国の南部領、その領都であるニースケルトの街です。


 街全体に傾斜があり、街の北端にいるわたし達のところが一番高く、なだらかな坂の下、ずっと南の方は海に面しています。遠すぎてよく見えませんが、大きな港もあるはずです。

 この街は王国の南の玄関口として知られ、昔から他国との貿易で栄えてきたという話を聞いたことがありました。


「では、セルジオさん。ここでお別れです。徒歩の旅、お疲れ様でした」

「やはり旅の別れというのはさっぱりしたものだね。まぁ、同じ街にいるんだ。縁があればまた会うだろうし、何か困ったことがあれば頼ってくれれば良い」


 何やら含みのある言い方ではありましたが、彼はすんなりと別れに応じ、先に街の中へ入っていきました。そのことにほっとします。街の中でも同行を求められたらどうしようと心配していたこともありますが、何よりも、フレッド君の穏やかな表情を久し振りに見ることができたからです。


 街の北門で簡単に手続きをして、中に入りました。

 大きい街を訪れたとき、最初に向かうのは役場です。大通りや宿屋の情報、今回であれば、明日行くことになる宝石屋さんの場所などを把握しておきたいからです。


 一通り調べて役場を出ると、丁度、鐘が鳴りました。


「もう五の鐘か。今日は早めに宿を見つけてゆっくり休むとしよう」

「そうですね。この街は色々と見ておきたいですし、少し良い宿にしてしまいましょうか」


 お金はそれなりに持っているのですが、普段は安宿に泊まることにしています。余裕があるとはいえ無駄遣いはしたくありませんし、子供だけで良い宿に泊まるのは、結構悪目立ちするのです。その点、この街は大きくて治安も良いらしいですから、良いところの商家の見習いが買い付けに来たのだな、くらいに見られるでしょう。


「一人一泊、小銀貨五枚だ」


 ……まぁ、そうすると当たり前のように足元を見られるのですが。にしてもこれはふっかけ過ぎだと思いますけれど。

 普段の安宿は一泊で大銅貨一から三枚程度、このくらいの宿であれば小銀貨一、二枚が妥当なところですから。


 ふっかけられるのはよくあることとして、それでも小銀貨三枚くらいです。わたしは笑ってしまいそうになるのを堪えるのに必死でした。それなのに、横でぷっと吹き出す音が。訝しげな宿屋の旦那さんに、フレッド君が答えます。


「いや、このくらいの宿でふっかけるなら小銀貨三枚が限度だろって思ってな。あと悪いが、役場でここの値段は聞いてきてるんだ。とりあえず五日、二人で大銀貨一枚と大銅貨二枚だな」


 あまり知られていないことですが、役場では様々な店の情報も管理されていて、主要な情報――薬屋の回復薬の種類や値段、食事処で出される料理の内容など――であれば一般に開示されています。

 徴税にも関わることですから、情報と大きな差がないかは適宜調査が入ることになっています。信頼できる情報を得られる、旅人にとってはありがたいサービスなのです。


「おっと、これは失礼。よく勉強してるんだな」


 旦那さんはニヤリと笑って、フレッド君に渡されたお金を指でなぞりました。


「五日泊まってくれるんなら小銅貨二枚はまけてやるよ。全部で大銀貨一枚でいい」

「じゃあ、ありがたく」




 次の日。昨日の内に役場で場所を調べていたため、目的の宝石屋さんはすぐに見つかりました。小さくもしっかりとした店構えで、身綺麗にしていても子供だけでは入りにくそうな雰囲気です。気を引き締めて、ポシェットの中の紹介状と商売道具を確認します。


「では、行きましょうか」


 店の前まで行くと、厳しい顔の用心棒がギロリとこちらを睨み、「ガキの来るところじゃないぞ」と言いました。わたしが紹介状を見せようとしていると、店の扉が開きました。


「あぁやっぱり。君がリルちゃんだね?」


 中から出てきたのは、細身の若いお兄さんでした。彼はわたしの手から紹介状を受け取ると、元々持っていた葉手紙と重ねてひらひらと振りました。


「妹から手紙を受け取ったんだ。僕が店主のカラットだよ」


 このお兄さん――カラットさんが、紹介を受けた相手だったようです。

 男性の宝石商といえば、でっぷりとした身体にたくさんの宝石を着けているようなイメージがありましたが、それは偏見だったのかもしれません。着ている服はシンプルながらも仕立てが良く、勿論宝石も身に着けてはいますが、さり気ないアクセントとして使われているそれは、センスの良さを感じさせます。


 カラットさんは用心棒に「ご苦労様」と声を掛け、わたし達を店内に招き入れました。改めて挨拶をします。


「はじめまして。魔法使いのリルと言います。こちらは剣士のフレッド君です」

「ご丁寧にどうも。妹から話は聞いてるよ。早速噂の魔法具を見せてもらいたいところだけど……まずはこちらの商売をさせてもらおうかな。ロツが必要なんだよね?」


 お茶目にそう言うと、カウンターに回ってその下の棚を開けたカラットさん。彼は爽やかで優しげな雰囲気ですが、どこか隙の無い印象を受けます。さすがは大きな街で店を持てるような宝石商、と言ったところでしょうか。


「今店にあるのはこれだけなんだけど……」


 カラットさんはそう言いますが、出されたロツは普通の店では置いてない程の量がありました。


「……どれも質が良いですね。これと、それからこれなんて、最高品質ではありませんか?」

「へぇ。わかるんだ? 子供がロツを使うってだけでも驚きなのに、その善し悪しもわかるなんてね……。『最近は誘導宝石の見極めができる奴が全然いない。こっちは必死になって高品質を集めてるってのに』ってうちの父さんは嘆いてたのに」

「ふふ、よく使っているからというだけですよ。ではこの最高品質を二つと、ここの三つをいただけますか?」

「はい?」


 まさかこんなに買うとは思っていなかったのか、カラットさんは驚いた顔をしました。


「……あはは、まだ朝なのに、ここ最近で一番の売上だ」


 わたしは財布から、代金――小金貨二枚と大銀貨五枚を丁寧に取り出します。その手を、カラットさんがじっと見つめていました。


「はい、確かに。……リルちゃん、その、指輪には宝石を使わないのかな?」


 その言葉で、彼が見ていたのはわたしの手ではなく、左手の人差し指にはめられた指輪だったということに気がつきました。一瞬、後ろに隠そうか悩んで、止めます。


「お金もあるようだし、君は可愛いから似合うと思うんだけど」

「いえ、それは……」

「あ、それとも男に贈られたい派かな? ほらフレッド君、出番じゃない?」


 カラットさんにからかわれるように肩を突かれて、フレッド君は嫌そうな顔をしました。そうです、フレッド君だって贈り物をする相手くらい選びたいですよね?


「こいつはそういうのに興味を持たないんだよ。その指輪以外の装飾品を着けているところを見たことがない」

「そうか、勿体無いなぁ。にしても、珍しい形だよね……ペン先、なのかな?」


 ペン先型の指輪。


 たった一つ、わたしが毎日身に着けている装飾品です。そして――


「とても、大切な物なのです。……これの代わりはありませんから。ですが、フレッド君。興味が無いわけではありませんよ? わたしだって、可愛い物や綺麗な物は好きです」


 そう言うと、フレッド君は意外そうに片方の眉を持ち上げました。……た、ただ、宝石を見ると魔法具や研究に使いたくなってしまうだけなのですよ。


 カラットさんが奥の棚に案内してくれたのでじっくり見てみます。やはり質の良い物が多く、普通の品質と同じくらいの値段で売られているのが驚きです。

 それについて聞いてみると、「普通の品質もあるにはあるからね。自己責任だと言う代わりに値段を均一にしているのさ」という面白い答えが。


「それで、あまり質の良くない物を掴んでしまった人に、文句を言われないのですか?」

「うん、言われるだろうね。でもまぁ、自分で選ぶ人ってあまりいないから。僕が選ぶ時はちゃんと質に見合う料金にしてるんだよ?」


 あ……試されていたということですか。


「リルちゃんに『自分で選ぶ』と大量発注されたら、痛いだろうけどねぇ」


 なんて言いつつも、彼は楽しそうです。わたしも楽しくなって、宝石を真剣に見ていきます。


 棚の宝石は意味なく並べられているように見えますが、魔法的に関係のあるものが近くになるよう考えられていて、購買意欲がそそられます。それでいて色がごちゃごちゃしないようになっているので、見るだけでもとても綺麗なのです。カラットさん、凄いです……!


 それにしても、珍しい宝石もたくさんあるのですね……。

 国外から輸入するしかないような魔物由来の宝石も結構ありました。鉱物由来の宝石よりも人の魔力と馴染みが良いので、人気が高いのです。しかし、魔物から宝石を取ること自体が難しいですし、属性によっても需要が大きく変わるために厳選されますから、中々目にすることはありません。それをこれだけ揃えられるというのは、単純にニースケルトだからというだけではないでしょう。


 ふふ、このようなお店で普段から買い物ができれば、研究が捗りそうですね。ざっと見ただけでも、使ってみたいと思っていた宝石がいくつもあります。


「……うん、こうして見てると、普通に可愛い物好きのお嬢様みたいじゃないか」

「いや、多分違うぞ。……あれは魔法具とか研究のことを考えている顔だ」

「あはは、本当に勿体無い子だ。あれ、でも興味は――」

「俺じゃなくて、直接売りつけ――」

「ここは男――」

「それはどう――」


 フレッド君達が楽しそうにお話をしていますが、失礼なことを言われているような気もします。もう、と抗議しようかと振り向い――


「ひぇっ!?」


 思わず叫んでしまいました。目線をずらした先にあった琥珀色の宝石、その中に、一際鈍い色をした宝石が一粒混ざっています。


「カラットさん! これ、この宝石! こんなところに無造作に置いていいものではないのではありませんか!?」

「本当に君は……。よく気がついたねぇ」


 その宝石はとある魔物の瞳で、火属性と氷属性を併せ持つ、とても珍しい物でした。その魔物は東部領にしか生息しておらず、更に討伐自体が難しいため、そもそも普通の素材ですら店に並べられることはないのです。


 そしてそれは、いつか研究で使ってみたいと憧れていた宝石でもありました。


「店に置いてあるとは考えたことがなかったので、東部領へ行った時に討伐できたら良いかなと思っていたのです。これ――」

「小金貨三枚、即金なら売ってあげても良いよ?」


「高っ!」

「安っ!」


 フレッド君とわたしの声が揃いました。


「フレッド君。わたしは大金貨くらいを覚悟していましたよ?」

「お前、金銭感覚がおかしいぞ。そんなに高いなら討伐した方が良い、どうせ東部領にも行くんだろ?」

「それはそうですが、そもそもその魔物自体の出現率が低いのですよ」

「……いや、金銭感覚より魔物に対する感覚の方がおかしいと思うよ? あれって確か、国の騎士団でも精鋭で討伐隊を組むって噂だったような」


 あ……。


「……そ、そうなのですね。フレッド君、やっぱり買った方が良いですよ」

「あぁ、そうだな。……いや。買わないという選択肢は無いのか?」

「ありませんよ?」

「……だよな。まぁ、俺が決めることじゃないからな」


 わたしは他にも質の良い物を選んで購入し、カラットさんに苦笑いされました。本当に、物凄くお買い得です。


「君達が良い宝石を手に入れて、それが必要のない物であれば僕に売って欲しいかな。今日のまけは、そのための投資だと思ってくれれば良いよ」


 何となく、この店の仕組みがわかったような気がしました。


 それから何と、店に併設されている工房を貸して貰えることに。どうやらここで買った宝石をすぐに加工するサービスもやっているそうで、今は注文が無いので場所が空いているらしいのです。この後は役場の調合室を借りようかと思っていたので、とても助かります。


「ウィルム! ちょっと来てくれないか?」


 カラットさんが呼び掛けると、見習いでしょうか、フレッド君より少し年上くらいの少年が奥の扉から顔を出しました。


「お呼びでしょうか」

「うん。この子に工房を貸してやってくれないかな? ついでに技術をよく見ておきなさい」

「はぁ……。僕が、この子の、ですか?」


 ウィルムさんは、職人気質なのでしょうか。頭一つ分以上も背の低いわたしを見て、少し不満気な顔をしました。案の定、フレッド君が溜め息をついたので、わたしも真似して不満気な顔をします。


「見られるだけなら視覚遮断の結界を張って作業しますよ? ウィルムさんが技術をお持ちなら、物々交換といきませんか?」


 少し試すような口調で言うと、「そうじゃない……」とさらなる溜め息。わたしだって新しい技術は欲しいのですから、良いではありませんか。

 それとは対照的にニヤッと笑ったカラットさんは、もう一度ウィルムさんに指示を出しました。


「ウィルム。できる限りの技術を教えて、その代わりにたくさん吸収しなさい」

「……わかりました」




 結論から言うと、大満足しました!

 ついでに、ウィルムさんも大満足のようでした。わたし達の知識は相性が良く、互いの技術を高めるのに丁度良かったのです。魔法と聞くと何でも手を出してしまうわたしには、ウィルムさんの深い知識がとても新鮮でした。


 しっかりと握手し、また技術交換することを約束します。


「こうやって若い子はどんどん成長するんだね……」


 何やら感慨深そうに呟くカラットさんにお礼を言って、お店を出ます。

 調合セットの調整だけでなく、いくつかの魔法具も作っていたので気がつきませんでしたが、とっくに五の鐘は鳴り終わっていたようです。役場に行っていたら、また怒られてしまうところでした。


 ともかく、今日は高品質の宝石といい技術交換といい、得たものがたくさんありました。


「満足そうな顔だな」

「それはもう。カラットさんに感謝です――あっ!」

「何だ?」

「カラットさんに、魔法具を売りつけるのを忘れていました!」


 うっかりしていました。カラットさんの妹さんに頼まれたのですから、売れないとしても一応聞いてみるべきでしょう。


「戻るか?」

「そうしましょう」


 ですが、お店の前まで戻ると、丁度他のお客さんが入っていってしまいました。これは明日にした方が良さそうです。


「明日また、ですね」


 そうして、わたし達は宿に戻ることにしました。

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