第7話 炎の痛み
フレッド君が怖いです。
街を出てから――と言うよりセルジオさんが加わってから、フレッド君は一言も発していませんでした。
彼は寡黙なように見えますが、実際はそんなことなく――かと言って多弁でもありませんが――、程よい会話を楽しんでくれる人です。くだらない話であっても広げてくれますし、わたしが会話を欲している時には、さり気なく話題を提供してくれます。こういうところが、フレッド君の数ある美点の一つです。
それなのに今、隙のない動作でわたしの手を引く、ただそれだけで物凄い緊張感を出すフレッド君は……。
「……」
横目でわたしの顔を見て、小さく溜め息をつきました。……えぇ!? わたしが怒られています?
恐々とフレッド君の顔を覗くと、彼は口の端を持ち上げて、少しだけ意地の悪い顔になりました。それから、繋いだ手の甲をぽんぽんと指で叩いてきます。とりあえず自分が怒られているわけではないことがわかって、安心です。
「君達は本当に仲が良いんだね。いつもそうやって手を繋いでいるのかい?」
ふっと空気が緩んだのを見計らったのか、セルジオさんが話し掛けてきました。途端にフレッド君の表情が固くなります。
「はい。わたしの落ち着きがないので、いつもエスコートしてくれるのです。フレッド君はとても紳士的なのですよ」
「はっはっは! そうだったのかい。それでは、大人である私はより紳士的でなければいけないね」
自分で「落ち着きがない」と言うのは悲しいですが、研究の話をしている時にはよく言われますし、言い訳としてはぴったりでしょう。――と、セルジオさんは芝居がかった動作で右手を差し出してきましたが、わたしにはその手に触れるのが躊躇われました。街で握手を求められた時と同じように、にっこりと笑って流します。
しかし彼は、何故か哀れむような視線をフレッド君に投げかけました。それを受けたフレッド君は苦い顔です。
もしかしてセルジオさんは、わたしの言う「エスコート」を真に受けたのでしょうか。傍から見たわたし達は、ただ手を繋いでいる「仲良し兄妹」という感じで、エスコートというのは冗談だと気づくはずなのですが……。
単純に、エスコートを知らない子供を哀れんでいるのだと思いますが、紳士的なフレッド君がそのような感情を向けられるのは好ましくありませんし――
まさかこれが、わたしにとって完璧なエスコートであるということには、さすがに気づかれていませんよね……?
「冗談のようなエスコートが実際に完璧である」という冗談。わたしの壊滅的な身体能力と、フレッド君の素晴らしい身体能力を隠すには丁度良いのです。
ここはひとつ、落ち着きの無さを見せてみた方が良いでしょうか? そう思いましたが、話題が見つかりません。セルジオさんはわたし達の能力を探っているような気がするので、落ち着きがなくなるような魔法の話は下手にできないのです。
結局、ほとんど話すことなく次の街に到着しました。適当に夜ご飯を食べ、宿を取ります。
いつも通り部屋に結界を張るために、薄い魔力で魔法陣を描きつつ手直しをしていると、フレッド君が覗き込んできました。
「昨日のと同じやつか? やっぱり結界を調べていたのはあいつか?」
「そう思っています。それから確証はありませんが、今朝話していた魔法陣の改ざんも、彼がやったのではないかと」
魔法陣の改ざんというのは、昨日の村にあった女神像のことです。修復したような跡は、魔法陣にとある機能を加えるものでした。その内容や、魔法陣の修復を勧めてきたこと、そして今ここにいることから、わたしはセルジオさんを信用できないと感じていました。
「隠してはいますが、どうやら彼は魔法を使えるようですからね。しばらくは六層構造の結界を使おうと思っているのですよ。……いいえ、現時点で敵対の意思はなさそうですが、わたし達の能力を測ろうとしている節があります。簡易的な偽物を増やしてみましょうか。定番の物をいくつか組み込むのであれば難易度は変わりませんし、調べる側からしたらつまらなく思うはずです……! フレッド君はどう思いますか?」
「落ち着きがないってのは全く冗談になってないな。お前の好きにすればいいよ」
う……。
「あぁそうだ。俺もあのおっさんに色々知られたくないからな、明日の朝は手を触れた状態で起こすことにする。あんまり驚いてくれるなよ」
毎朝フレッド君に起こして貰っていますが、何せ寝起きが悪いものですから、普通には起きません。
そこで、結界を張っていることを利用します。こちらに敵意を向けることで結界が反応し、魔力的にわたしに伝わる、という方法で起こして貰うことにしているのです。かなり物騒ですし心臓にも悪いのですが、わたしの感知能力の訓練とフレッド君の気配を操る訓練を同時にできるため、二人とも納得してやっています。
今回は、その気配が部屋の外に伝わらないよう、最低限に留めるつもりなのでしょう。
わたしは少し口を尖らせて言いました。
「フレッド君の好きにしたら良いですよ」
「リルの意見を聞いたわけじゃないんだけどな、そうするよ」
フレッド君には苦笑いされてしまいました。
次の日。宣言通りに手を触れた状態で起こされました。……正直とても心臓に悪かったです。フレッド君も微妙な顔をしていました。
「俺だから良いが、考えたらこれ、かなりまずくないか? しばらくはこのやり方でいくか」
「そうですね……。フレッド君以外の人をこの結界内に入れることはないと思いますけれども」
「それはそうだ……いや、そうかもしれないが、気づかれずに結界内に入られることだってあるかもしれないだろう? 別条件でお前が起きるような仕組みを入れられないのか?」
「良い案です! 早速、今夜試してみましょう。この結界をどこまで凄いものにできるのか、楽しみになってきました」
それから朝ご飯を食べ、すぐに街を出発しました。勿論セルジオさんも一緒で、昨日と同じく会話の無い道程です。
途中でお昼ご飯を挟みつつ三つの街と村を通過して、夕方に少し大きめの村に到着しました。今夜はここに泊まろうと、宿へ向かいます。すると、セルジオさんがそれを止めました。
「君達、ここで泊まるのかね?」
「はい。そのつもりですよ」
「もう少し行けば街があるだろう。そこで泊まる方が快適だと思うよ」
少し先に街があることは知っていました。けれども、わたしの足では到着が遅い時間になってしまいます。
「あのなぁおっさん。村に泊まるのが嫌なら一人で行けばいいだろ? 俺は最初に言ったはずだ、ペースを合わせることはしないと」
フレッド君の言葉にも納得していないような、どこか焦っているようなセルジオさんを、わたし達は訝しげに見ました。
と、そこでセルジオさんに話し掛けてくる人がいました。
「お久しぶりですね、セルジオさん。お仕事ですか?」
「あ、あぁ。久しぶりだな。……今回は仕事じゃあないんだ。実家に用があってね」
話し掛けてきた人は、セルジオさんより少し年上に見えるおじさんでした。近い村ですから、お知り合いなのでしょう。
その人は、わたしと同じ赤毛の女の子――忌み子を連れていました。思わず、じっと見てしまいます。
女の子はくたびれた無地のワンピースを着て、俯いていました。表情は見えませんが、随分と怯えているようです。胸元には不思議な質感のペンダントが掛けられていて、それだけが妙に目立ちます。わたしの視線に気づいたのか、おじさんがこちらにも話を振ってきました。
「おや、この子も忌み子ですね。この村に用があったのかな?」
答えるより先に、セルジオさんが慌てて言いました。
「いやいや! この子は私が保護していてね、忌み子だけど自分で魔力制御ができる、優秀な子なのだよ」
……え? 保護、ですって?
わたしは驚いてセルジオさんを見上げました。彼は何故か、「大丈夫だよ」と言って頷きます。
――その時、女の子のところからぶわっと魔力が膨れ上がりました。
目を向けると、彼女もこちらを見ていて――というより、睨んでいました。魔力制御ができていないのか、苦しそうでもあります。
わたしは、自分とフレッド君が魔力を浴び過ぎないよう盾魔法で保護しつつ、どうしたものかと考えていました。もう少しで魔力暴走を起こす――という時、おじさんがポケットから魔法具のようなものを取り出して、女の子に向けます。
魔法具が発動すると、女の子の魔力が収まりました。ふっ、と力が抜けて座り込みそうになったところを、おじさんが手を引いて立たせます。彼は、とても冷たい目をしていました。
「やはり君は駄目だね。全く制御ができていないじゃないか。……これで約束の五回目だ」
「そ、そんな……! あの子だって、あたしと同じなのに! 同じ、なんでしょ!?」
苦しげな表情で指をさされて、びくりと肩が揺れました。フレッド君が、庇うように前に立ってくれます。
「聞いていただろう? あの子は自分で制御ができるのだと。同じではないよ」
そう言って、おじさんは女の子を引っ張って広場の方に向かいました。「嫌っ! 離して……助けて!!」と叫ぶ女の子に、周りで見ていた村人達は冷たい視線を送ります。
後を追おうとフレッド君の手を引くと、彼は何も言わずについて来てくれました。セルジオさんもその後に続きます。
広場の真ん中には魔法陣の描かれた丸い台があり、その周りに、こちらも魔法陣の描かれた四本の柱が立っていました。女の子はその横で待機していた四人の男性に引き渡されると、柱に繫がる鎖で両手両足を拘束されます。
四人がそれぞれ柱の前に立ち、その魔法陣を発動させました。四本の柱に囲まれた空間――つまり台上が、結界に囲まれます。魔法陣を見たところ、結界の内外で“気”や魔力を通さないようにする結界のようです。
「さて。お集まりの皆さん! 先日、我々の村に庇護を求めてきた忌み子が、とうとう約束を違え、五回目の魔力制御放棄を行いました!」
「まぁ!」
「何と忌まわしい……」
「俺たちの善意を無駄にしやがって!」
おじさんが広場に集まった人達に声を掛けると、皆汚い物を見るような目を女の子に向けます。
「今は魔法具で魔力を抑えておりますが、ひとたび解除してみれば、その恐ろしい暴力性を目に入れることができましょう! あぁ勿論、柱の外側には出て来られないようになっていますから、皆さんは安心してご覧ください」
そう言って、女の子の魔力を抑えていた魔法具を解除しました。すると、制御ができていないどころか、すでに暴走を始めている魔力が膨れ上がり、結界に触れてパチパチと爆ぜます。
そしてその魔力が、台の魔法陣を満たすのは一瞬でした。
……業火の魔法陣、ですね。
わたしがそう思うのと同時に、結界内で炎があがりました。繋いでいるフレッド君の手が一瞬、グッと握られます。
広場にいる人は、口々に罵り始めました。
「恐ろしい色! あの髪の色と同じね」
「あんな炎をこの村に放とうとしていたのか!」
「何て残酷な子なのかしら……」
「自分の炎に焼かれるなんて、自業自得だな」
違います! と出かかった言葉を、わたしは飲み込みました。ここで何を言っても、魔法に詳しくない人からすれば、女の子が炎の魔法を使ったようにしか見えないのです。
彼女はただ、元々あった魔法陣の上で、魔力の制御をできなくさせられただけなのに……。
業火の魔法陣が出す炎はとても高温です。魔力で作られた炎は結界を出ませんが、その熱は少し離れているこちらまで伝わってきます。
広場から出ようと踵を返すと、その横にいた人がわたしの頭を見て声を上げました。
「おや? ……おい、ここにも忌み子が紛れ込んでいるぞ!」
ぎょっとしたように、わたしに視線が集まりました。
「本当だ! 忌々しい、その汚い髪を見せるな!」
「どうせあれの仲間だろう!? すぐに捕らえるべきだ!」
今にも飛び掛かってきそうでしたが、わたしが先程から出していた杖を掲げると、怯んだようにその動きが止まります。それを見たのか、おじさんが駆け寄って来ました。
「この忌み子はセルジオさんが保護しているとのこと。勝手に手を出してはいけませんよ」
「そうですとも。魔力制御ができるよう躾けてあります故、皆様に害なすことはあり得ませぬ」
「あぁ、先程あれが魔力制御を怠った時も、自分で盾を出していましたな。確かに、それなりの制御ができているようでした」
「えぇ、えぇ! これでも大切な子ですからな。ここで見逃していただけるのであれば、それなりのお礼もご用意しますよ」
セルジオさんが仰々しくそう言うと、人々は納得したように、またとても悪い顔で頷き、離れていきました。
「おい。躾けてあるって何だよ?」
「気を悪くしたのならすまないね。しかし、この村みたいに忌み子に対して悪い感情を抱いているところでは、こう説明するのが一番良いのだよ」
詰め寄るフレッド君に、セルジオさんはそう答えます。
わたしは左手を胸に当てて後ろを振り返り、未だ燃えている炎を見つめます。
「光と影へ向かう者。四つ森の恵みが、共にありますよう」
これは、神殿で死者を弔う時に巫女が言う言葉の一文です。本来は神殿魔法を使いながら弔うのですが、ここで魔法を使うのは止めておいた方が良いでしょう。
わたし達は今度こそ、広場を出ました。
「リル。今日は野営にしないか?」
人通りの少ないところまで離れてから、フレッド君はそう提案しました。
「お前、自覚ないだろうが顔色が悪い。これ以上この村にいたら倒れるぞ」
何を言っているのですか、フレッド君。そう言って笑おうとしたのに、ぽろっと涙が溢れました。慌てて風魔法で目を乾かしますが、後から後から流れてきて、止まりません。
困ったようにフレッド君を見上げると、彼は溜め息をついて頭を撫でてくれました。
「……フレッド君。胸が、苦しいです」
「あぁ」
「それなのに、あそこにいたのはわたしかもしれない、なんて。そんなことを考えてしまいました」
「……あぁ。それで間違ってない。それに俺は、あそこにいるのがお前じゃなくて良かったと思ってる」
わたしの狡い考えを、フレッド君が優しく認めてくれます。それだけで少し、喉の奥でつかえていた痛みが和らぐようでした。
セルジオさんは、何も言わずにわたし達を見つめていました。
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