第20話


 20


「ブリックが勝手に始末してくれるなら、それに越したことはないわ」

 仮眠室のベッドに座ったまま、コリンナ・マレーンは言った。


「どうせなにもできることはないし、ここにとどまり続ける必要もない。私たちは夜明けとともにキッセイに帰るのよ」

「はい……あの、コリンナさん、だいじょうぶですか」

 即座に明確な指示を与える先輩騎士にシスティーユ・ラハーマは心配げに訊ねた。


「眠れていないなら……」

「いいわよ。眠ってなんかいられないんだから」

 システィが仮眠室をノックした時、コリンナは起きていた。数十分ほどの時間があったが、眠ることができなかったようだ。従卒を二人失ったことは心に深い傷を与えていたことが見て取れた。

 初老の従卒テデリが髪や目元を整えても疲労の色は隠しきれていない。それでもコリンナは小さな体を起こした。


(私がもっといろいろ考えることができたら)

 そうシスティは唇を噛む。ブリック小隊の行軍を見て、対処が見いだせずコリンナを起こすことを彼女の従卒に伝えた時、彼らは言葉に出して反論はしなかったが、システィへの頼りなさを表情から洩らしていた。

 夜明けは近い。もう二、三時間としないうちだろう。それまでの時間を見張り小屋の屋根にいることをコリンナは決定した。


「ゆっくり、ブリックの手際を拝見してやろうじゃない」

 火精はもう必要ないと言われたので、銀霊筒の中に戻している。文字通りの焼け野原となった小屋の外周にいくつかの荷物を出し、屋根の上にテーブルとイスと松明が運ばれた。そこにテデリがカフェオレ――きちんとミルクと砂糖が入っているもの――とリンゴとハチミツの即席ジャムを塗ったパンを置いてくれる。


「トラナさんもどうですか」

 トラナは白馬を曳き出していた。彼女もほとんど寝ずに馬の世話をしてくれていたのだった。


「いえ、私はだいじょうぶです。休憩でしたらヤシロさんをお先に」

 そう言って、濃い肌の従卒は飼い葉を撒いていく。もう少しさっきの――コリンナを起こすかどうか、という時の話の、真意とかそういうものを聞いてみたかったのだが、今の彼女はもう静かな厩番に戻っている。


「システィ、始まるわよ!」

 遠吠えと呼び笛の音が聞こえて、コリンナがシスティを呼んだ。


「はい! ただいま!」

 慌ててシスティは屋根の上に戻っていった。それから二十以上の班に分かれたブリック小隊の混戦の模様を眺めた。カミラ・ロシェルとフェンマラノーラ・テロミアがブリック小隊にいることを二人が知っていたら、もっと違う見方をしていたかもしれないが、システィははらはらと、コリンナは野次を交えながら見ていた。

 数分としないうちに決着がついた。ブリック本人がいると思われる中心の班から巨大な炎が上がって、直後に前とは比べ物にならないほど弱々しい遠吠えが聞こえてきたからだ。

 森は煌々と照らされながらも、深く静まり返っていた。その重い沈黙は悪い予想につながっていた。


「失敗してしまったのでしょうか……」

「たぶんね」

 たいした感慨もなさそうにコリンナは首を振った。


「ブリックも手柄を焦ったのかしらね。こんな穴だらけの包囲を組んで、本当に成功すると思ったのかしら」

 もともと、ジェニアとブリックの両小隊の役割は討伐隊が来るまでの間の拠点の確保である。システィたちの戦闘はその過程で起きた事故のようなものだが、ブリックは能動的に動き、失敗した。


「さて、どう言い訳するのかしらね」

 頬杖をついて燃え上がる火を眺めているコリンナだったが、背中のほうから鳴り響いた呼び笛には、顔色を変えて反応した。


「カミラ? フェマ?」

 その返事が正面から来たことにも、動揺を示した。


「どういうこと? カミラがブリックのところに? まさかフェマも?」

 事情を知らない――知らせていないのはお互い様だが――コリンナとシスティはただ困惑するしかなかった。


「どういうことでしょうか」

 二人ともしばらく考え込んでいたが、答えは浮かばなかった。


「テデリ、どう思う」

「見当もつきませぬ。申し訳ありません」

 厳かに低頭する初老の従卒とその主に対抗するわけではないが、なんとなくシスティも傍らにいるヤシロを見てみた。


「あ、あっしにはさっぱり……」

「そ、そうですよね、ごめんなさい」

 お互い情けなく肩をすくませるだけだった。


(あるいは、トラナさんなら)と、思ったが、それを訊ねる為に下に行くのは躊躇われた。ヤシロやコリンナたちに悪いと思ったからだ。それに、一度〝提案〟されたぐらいでその人に頼りきるような選択肢は良くないのではないか。せめて自分で答えを出してから、意見にとどめておくべきだと思う。それに、トラナの〝提案〟は引き付けられるものがあって、それ以上に危ない香りのようなものがあった。二の足を踏んでしまったことは臆病なのだろうか。しかし自分はまだ騎士になって三ヶ月の新米なのだ。

「危ないことはしてはいけないって、隊長も言っていたし」

 うっかりその言葉が口から洩れ出ていた為、正面にいるコリンナが目を丸くした。それから、にんまりと笑みを向けられた。


「へぇ、そう?」

「はっ、あ、あの……」

「いいのよ、別に。貴重な意見だわ。危ないから動いちゃいけない。いっひひひひひ」

「あう……」

 やがて、二つの月が落ちかかっていき、宵闇を晴らす朝焼けが伸びてくる。

 システィがまたうつらうつらとして、首がかくんとなった瞬間、呼び笛の音が聞こえた。


「ジェニアね」

 すぐにコリンナが返答する。笛の音が三往復して、その内容によると、


「隊長たちが迎えに来られるんですね」

「そうね……テデリ」

 待機命令を確認してから指先で招いた初老の従卒になにか耳打ちした。


「かしこまりました」

 システィには聞こえなかったが、一瞬だけテデリの目元が引き締まるのが見えた。恭しく一礼したテデリは足音を立てずに屋根から下りていった。


「さてと」残っていたパンをカフェオレで飲み下すと、コリンナは裾を払った。「私たちはすることもないし、あの櫓でも組み立てていようかしらね」

 もう太陽が直接目に差し込んできていた。システィたちは昨夜の騒ぎの後片付けをすると、ずっと部屋の隅に積みっぱなしであった物見櫓の材木を外に持ち出した。

 そのうちに、一人ずつに睡魔が寄りかかってきて、三人ごとに順番に眠り始めた。

 システィは昨夜のうちに仮眠をとっていたので、がんばって起きていたが、七時頃に盛大に転んで組みあがったばかりの櫓の柱に顔面を強打して、椅子に座っておとなしくしているうちに眠りこけてしまった。

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