第18話


 18


 ブリック小隊の激しい戦闘の模様はキッセイ牧場の飼料小屋の窓に立つジェニア・フォルセナにもよく見えていた。


「やっぱり、狼は想定よりも多かったみたいね」

 重いため息とともにジェニアが言うと、隣で同じようにセントラントの森を俯瞰していたヘルミネ・アストラーダが訊き返す。


「どうする? このどさくさの中なら、コリンナたちの所へ行けると思うけど」

「やめておきましょう。私たちの作戦はことごとく失敗しているわ」

 作戦は失敗――こうして見下ろしている限りは、疑いようのない事実だった。

 二十以上の班に分かれて狼を半円状に追い込む手法を用いたが、人間を恐れないバフェットウルフは自らの群れもまた同じようにグループで分けて、一斉に襲いかかった。遠吠えの後、松明の火が揺れ動き、呼び笛の音が無数に飛び交った。

 その騒ぎは、ブリック本人がいると思われる中心の班から巨大な遠吠えが聞こえてきて、ようやく終息の兆しを見せていた。

 ジェニアは呼び笛を吹いた。カミラとフェマの安否を確かめる為だ。

 すぐにカミラからの返事が来た。しかし、フェマの行方がわからなくなっていた。


「どうしましょう」

 今度はジェニアが訊ねた。フェマの行方を捜すかどうか、決めかねていたが、同僚はばっさりと切り捨てた。


「放っておきなよ。生きているか死んでいるのかわからないけど、生きていたとしても私たちが罰を与えなきゃならない」

 ヘルミネは心底うんざいしているようだった。あの弱い遠吠えは、ひょっとしたらロブロスを傷を負わせたのかもしれない。それがフェマの成したことだとしても、脱走の罪が消えるわけではない。いずれにせよ、ジェニアたちはフェマの身柄を拘束して、パトリア邦国の騎士団本部に送還しなければならない。ジェニアも部下の監督不行き届き責めを負うことになる。

 長年連れ添った仲間であるジェニアを出世させたいヘルミネからすれば、今回の一件は大きなつまづきになる。ブリック小隊の損害が大きければ、システィのドラゴン退治の功績も消し飛んでしまうかもしれない。

 ウィニードラゴンもバフェットウルフも、出現を報告したら、その状態を維持するだけでいいのだ。それで十分、評価される。そして仲間が出世すれば、部下の自分もいい目が見られる。小隊でも、白馬騎士団の隊長なら、街を歩いているだけで男が寄ってくる。前回の任期交代の休養中に、邦都パトリアで相席した二十三歳の騎士……彼は邦王直属の第一騎士団の副団長の書記をしているという。トマーヤ滞在中でも手紙をやりとりしていて、隙を見て会いに行こうと思っていたが、システィのおかげで堂々と邦都に戻れるはずだった。


「これが最後かもしれないんだ……!」

 二十八歳のヘルミネは歯を噛み締めた。

 だいたい騎士というやつは噂になるばっかりでちっとも実入りがない。ちやほやされても大半は女の子だし、男といい関係になっても「女の騎士との生活は苦労する」という半ば真実と化している定説によって疎遠になっていく。男の騎士なら上は王族、下は町娘までより取り見取りだというのに、女の騎士の相手はとても限られてくる。その中のひとつが同職である騎士だが、収入が決まっている以上、下級騎士同士で妻帯しても生活の向上が望めない。それはお互い様だが。ようやく、久しぶりに出会いがあって、いい関係になった。これだけは、これだけは逃したくない。


「狼たちが、逃げていきます」

 妄執に囚われていたヘルミネを現実に引き戻したのは、それまで後ろで控えめに立っていたハイエルフの声だった。

 目を瞑り、ここではないどこかに意識を集中させていたハイエルフ――セリカ・ソーラは、振り返った騎士を見ずにうわ言のように続ける。


「ロブロスの力が弱まって、精霊たちが勝手に動き出したのを感じます。彼は、この森にとってあまり良く思われていなかったみたいですね」

 すこし哀しげに眉をひそめると、セリカは目を開いた。そして彼女にしてはめずらしく強い口調で言った。


「今なら、ロブロスを捕らえることもできます」

「それは、システィたちを助けることと同時にできますか?」

 ほとんど間を置かずにジェニアが訊ねる。この小隊長にとっては、そのほうが大事なことであった。


「可能です。ロブロスを取り逃がす可能性はありますが、彼の動きはもう手に取るようにわかります」

 精霊と同化して、エルフ化した人間の能力だ。自然の中にいる精霊を通じて、人や動物の気配を感じる。相手が神経を張り巡らして自然と同調して隠れていればわからなくなるが、傷を負って余裕のなくなったロブロスを捕捉するのはたやすいことだった。

 一方でセリカの顔には驚嘆の色も含まれていた。感じ取れるロブロスの気配から察するに、その身体にいくつもの深い傷がついている。しかしゆるやかな歩調で、かといって遅くなることもなく群れの先頭に立って騎士たちに見つからないよう周囲を探りつつ、セントラントの森から離れようとしていた。


「システィたちを助けましょう」

 折りしも、太陽が昇り始めていた。遠い山並みに陽光が差してきている。ヘルミネはその稜線に目を細めつつ訊いた。


「カミラとフェマは?」

「カミラはすくなくともブリック殿と一緒でしょう。フェマは……ほうっておくしかないわ」

 しかたないといううなずきの後、セリカを見た。


「フェマは探せないんですか」

「フェンマラノーラさんの気配は……見つかりません。隠れているのだと思います。亡くなられては、いないようです」

「本当に、わからない奴だな」ヘルミネは首をすくめた。「そんなに、システィが手柄をたてたことが気にくわないのか」

「システィは……関係ないと思うわ」

 穏やかに彼女たちの隊長は否定した。


「フェマは自分のやり方が正しいと信じているのよ。そしてそれを証明してみせないと気が済まない」

「迷惑なやつだ。巻き込まれる身にもなってみろ」

「フェマからすれば、私たちのほうが迷惑をかけているのよ。私よりあの子のほうがよっぽど隊長に向いているわ」

「あいつの下につくなんてごめんだな」

 後輩騎士の文句を十通りほど並べたヘルミネから、ぽかんとあっけにとられていたセリカへと振り返った。


「ごめんなさい、ソーラ博士。変な話を聞かせてしまって」

「い、いいえ。わたくしこそ、間が悪くて……すみません」

「私はあなたの考えに沿ってシスティ、コリンナの班を救出に向かおうと思いますが、ご同行願えますか。あなたがいらっしゃると心強いです」

「もちろんです。よろしくお願いします!」

 差し出された手を両手で握ってセリカは頭を下げる。

 ジェニアは牧場に残っている従卒から戦闘に出られる者を半分だけ使用人らと共に守備に残して、残りを見張り小屋への救出班として編成した。

 それぞれ甲冑を身に着け、武器もすべて用意させて、ジェニアはペドウィンに、ヘルミネはアパッチにそれぞれ騎乗した。その二人に挟まれるようにセリカも連れてきたラバに鞍を付けて乗っている。見張り小屋への道はきちんと整備されておらず、馬車は使えない。積んできた荷物からいくつかラバの背中とジェニアの従卒に背負ってもらって、行軍に加わっていた。

 朝日を差す太陽は半分ほど姿を見せていた。もう周囲は十分明るく静かだ。鳥が鳴き始めて、風の吹く音も聞こえる。


「システィ、無事でいて……」

 小さな祈りの声と共に小隊は合流を目指して歩き始めた。

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