第16話
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セントラントの東端から隊を分けて松明を持ち、隊列を保って行動するブリック・ライムの小隊は、徐々に左翼が前に出る斜線陣の形に変わっていく。この動作には呼び笛を使わず、健脚の伝令を走らせて指示を出している。伝令にも松明を持たせてお互いの位置がわかるようにしていた。途中、伝令の一人が狼に襲われたが、騎士たちは班同士の間隔を絞るようにして狼を捕捉して、捕らえた。
それは二頭のオスとメスで、夫婦であると思われる。おそらくバフェットウルフ、ロブロスの配下となったかつての群れの主だったのだろう。
ブリックはその二頭を磔にして、行軍に加えた。さらに喉の下を槍で一突きして、牙と爪を折った。今、二頭の狼の夫婦はだいぶ傾げてきた二つの月の下で流血に喘いでいる。
(すべて……あの子、フェマが考えたこと)
滴る血を目の前にして、カミラ・ロシェルはいま一人の白馬騎士の凶行に怯えた。
小隊を脱走してブリックの下に走ったフェンマラノーラ・テロミアを追いかけてきたカミラは、両手を体の前で縛られて、ブリックの班に参加させられていた。
愛馬ユスティスは鞍を取り上げられて荷馬扱いされている。連れてきた四人の従卒も武器を取り上げられたうえで班の荷物をすべて背負わされていた。
カミラが追いついた時――いや、追いつくことはできなかった。そこは小隊の駐屯地だった――フェマは既にブリック・ライムを十分に納得させていた。
「てっきり、ヘルミネ殿が来られると思っていました」
まったく臆することなくフェンマラノーラ・テロミアは自分を捕まえに来た一回り以上も年上の騎士を迎えた。
「フェマ……あなたは」
「あぁ、おっしゃらないでください。すべて承知しています。カミラ殿。そして残念ながらあなたの努力は無駄に終わります」
芝居がかった大仰な所作で手を振ったフェマの後ろで二人の騎士と合わせて二十人の従卒がカミラを半円に囲っていた。
カミラは頭から血の気が引いてふらついた。馬から下りるように言われて、ようやく口を開いた。
「あなたがた、わかっているのですか。この子は命令違反で脱走をしたんですよ」
「これは異なことを言われる」フェマの後ろに立つブリックが答えた。「我々は協力して作戦行動を行うのだ。貴公と騎士テロミアは我が隊の預かりとなる。そうであろう」
ようやくカミラも、事がすべて済んでいることを察した。
「なんということ……」
ブリックは客だと言いながらカミラの小剣もマスケット銃も預かって、手を縛らせた。ナイフだけを残したのは、騎士を捕虜にする時に、その死を選ばせるという意味で最大限の待遇だった。もっとも、今カミラがナイフを取ろうとすれば、周りを囲む従卒たちがすぐに抑えつけるだろうが。
そうしてカミラはブリックとフェマがいる小隊の中心で作戦に参加させられている。
別行動をとっていたシスティーユとコリンナの二人がロブロスと接触し、放ったと見られる炎は、当然見えていた。
「どう思う」
ブリックの問いはカミラに向けられたものではなかった。彼の隣りで轡を並べている若い白馬騎士が答えた。
「狼でしょう。本隊は牧場に向かったと思っていましたが、あちらに向かったのでしょう」
フルオーダーの騎士甲冑を着込んだフェンマラノーラ・テロミアは既にブリック・ライムの参謀のような顔をしていた。端整な顔に笑みさえ浮かべて作戦の修正を述べる。
「キッセイのほうにと思っていましたが、ここからではすこし難しいようですね。トマーヤのほうへ向かいましょう」
「トマーヤ? フェマ、あなたなにを言っているの……?」
カミラはただ自由を奪われて歩かされているだけで、フェマがどのような作戦を立ててブリックを説得したのかを知らなかった。
「教えて、フェマ。あなたはなにをするつもりなの」
カミラの声は騎士というよりも、病身の母親のようで、フェマも無視するには哀れと感じたらしいが、
「狼を追い込むんですよ、トマーヤに」
その言葉はおよそ感情のこもっていないものだった。
「そんなことをしたら……!」
一瞬、カミラは言葉を詰まらせた。
「そんなことをしたら、街の人に犠牲が出るわ! 許されることじゃない!」
臆病な彼女にしては強い糾弾だったが、フェマはさも嘆かわしげに首を振るだけだった。
「他の部隊が来るまで二日はかかる。その間にも犠牲者は出るのですよ。現にシスティたちは襲われているんだ。あぁ、犠牲が騎士だっていうのなら、たしかに我々には意味がありますね。しかしボクはそれを許容するつもりはない。そう思いますよね、ブリック隊長」
重い兜を被るブリックは鋼鉄のように固い表情のままだったが、しっかりとうなずいた。
「フェマ、あなたは……」
一回りも年下の少女にカミラは動揺していた。フェマはブリックが部下の騎士が襲われて重傷を負ったことを知っていた。知りながら、その仇討ちの精神を利用して、自分の計画に乗せたのだった。もちろんブリックにも抜け駆けの算段はあっただろうが……
フェマが示した作戦案はやはり巻狩りで、それを遂行する為に必要な人員を、はじめはキッセイ牧場のジェニア小隊を、今はトマーヤの市民を利用して補おうという内容だとわかった。当然ながら市民を動員する権限など騎士隊長にはない。しかし相手が自然の獣であるなら〝成り行き〟という言い訳ができる。市民を利用したと証言できるのは実行者しかいないのだ。
背中を小突かれた。動揺から立ち止まってしまい、背中に槍を押し当てていたブリックの従卒が前進するよう顎をしゃくった。虜囚の如き扱いをうけて一層おどおどするカミラを見て、彼らは増長していた。
三十八歳のカミラは、あの二十四年前に始まった大陸戦争に特別動員されて最初から参加していたが、参加していただけだった。騎士の心得に従い、職務を果たすことはできたが、戦いにおいて前線を指揮したり、部隊を監督するということにかけては、まったく向いていなかった。手柄をたてるどころか、臆病を罰せられることさえあった。一度目のライゼン帝国からの侵攻を防ぎきった後、親に紹介された騎士の男と結婚した。夫は砲兵部隊の指揮官だったが、二度目の戦争で行軍中の待ち伏せに遭い、戦死した。その間に生まれた子どもも幼いうちに病気に罹って死んでしまった。本来なら、そこでカミラの人生は閉ざされるはずだったが、ライゼン帝国とパトリア邦国の戦争は長く続き、多くの騎士が倒れていった為にカミラのような寡婦さえ元騎士であれば再び召集されていった。カミラは自殺や戦死を望む勇気さえなく、ただひたすら早く戦争が終わってほしいと願って過ごしてきた。
(あぁ……システィーユ……)
心のつぶやきは吐息となって未明の冷気を湿らせた。娘よりも後に生まれた新入りの少女はカミラから見れば心配の種そのものである。今でもバフェットウルフの襲撃を受けて、あの燃え盛る炎の中に取り残されているのだ。
本当は、フェマにだって同じ気持ちを抱いている。しかし彼女はそれを悪い意味で裏切り続けている。それまでもエリート然とした態度をとったり、街の女の子を誘い込んだりと奔放な行動でカミラの心配を袖にしていたが、今そこにいる彼女は心からの裏切りを行っている。そして、カミラにはそれを止めることができなかった。フェマを見つけ次第、撃つべきだったとしても、カミラには無理なことだった。
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