第15話


 15


 ブリック・ライムの小隊が動き出すきっかけとなった見張り小屋の炎はキッセイ牧場にいたジェニア・フォルセナにも見えていた。


「あ、あぁぁ……!」

 ジェニアは戦慄した。ほんのわずかな時間であるが、正気を失うほどでさえあった。

 炎は禍々しく猛り立って燃え上がっていた。二つの月に照らされていたセントラントの山々が真っ赤に染められていった。


「システィ……! システィが……!」

「全員たたき起こせ! すぐに出られるようにだ!」

 母屋から出てきたヘルミネ・アストラーダから叱声が飛び、牧場にはたちまち怒号が飛び交った。牧場の使用人たちが恐怖に顔を歪ませて騎士たちの下に来る。


「だだ、大丈夫でしょうか。あれは狼たちでしょう」

「あぁ、心配はしなくていい。あなた方は私たちが守る」

 ジェニアに代わってヘルミネが胸を叩いて答えた。


「そうね。私たちはここを守らなくてはいけない」

 僚友のセリフに失いかけていた正気を取り戻したジェニアは、運ばれてきた騎士甲冑を身に着けながら指示を出した。


「笛を吹いて。二人の無事を確かめなさい。ヘルミネはただちに付近を哨戒して、狼がこちらにも来ていないか調べて。カミラもフェマも戻ってはいないわね」

「あぁ、残念ながらな。この時間まで戻っていないということは、狼に襲われたか……」

「騎士ライムに捕らえられたか、ね」

 好ましくない予想をして、再び遠い山の炎を見上げた。フェマが脱走して、カミラが追いかけてから四時間が経過している。その間、呼び笛の連絡はなかった。カミラは四人の従卒を連れていたが、彼らも含めて笛を吹くことすらできなくなったということだ。そのことだけでもジェニアには重い苦悩だというのに、先に見張り小屋の確保に行かせたシスティとコリンナたちまで危機に瀕している。システィは二日前にドラゴンに襲われたというのに!


「そんなに心配なら、手元に置いて大事にしていればいい」

 連れてこられた白馬アパッチの首をなでながら、ヘルミネが言った。


「そんなことはあの子がいやがるだろうけどね。だからコリンナが連れていくって言ったんじゃないの。新米が隊長に依存するんじゃなくて、新米に隊長がまいってるなんて、そんな隊長は探してもウチだけだよ。よく隊長になれたね」

「それは……あなたたちが私を隊長にしたんじゃない!」

「まさかこんなに心持ちが弱くなるとは思わないじゃない。ガトゥーアではあんなに勇敢に戦っていたのに」

「もう五年も前よ」

「そう、五年前。山間を抜けた敵が攻城塔を無理やり持ち出した時、盾ひとつで指揮を執った。だから私たちだって隊長に推薦した」

「もういいわよ。おだてないで。ちゃんと隊長するから。昔の話は恥ずかしいのよ」

「はいはい」

 ヘルミネが満足そうに微笑んで、アパッチにまたがり、兜を被った。

 呼び笛の音が聞こえたのは、今しも出発しようとした時だった。


「システィ?」

「システィよ!」

 あぁ、もう、本当に――喜びを隠そうともしない隊長にヘルミネは本当に呆れるばかりだった。システィ以外にも、コリンナも同じ危機に陥っていたというのに。

 笛の音は接敵と無事を伝えていた。ヘルミネもひとまずは安堵しておいた。


「どうする? こちらから迎えに行く?」

「そうしたいけど……救援を求めてはいないのよね」

「コリンナがそう判断したんだろう。それに今から行くのは私たちも危険だ」

「それなら、コリンナを信じましょう。朝を待って、助けに行く」

「判断力はまだ冷静なようね」

「あなたのおかげでね」

 ちょっとした皮肉をかけあうと、母屋からセリカ・ソーラが不安げな表情で出てきた。


「システィはだいじょうぶでしょうか」

 あぁ、またシスティばかり気にかけているのが来た――ついヘルミネはそんなことを考えた。


「大丈夫でしょう。念の為、すぐに出られるように用意しておきましょう」

 東の方向から迫る等間隔の火の行進の報告があったのは、その時だった。


「まさか、ブリックが?」

 急いで二人は牧場で一番高い建物である飼料小屋に上り、従卒が指さす方を見た。

 それは、数十分後にシスティが見るものとまさしく同じものであった。


「おかしいな」双眼鏡を借りたヘルミネが舌打ちした。「ブリックのところは騎士は十六人で、一人は負傷してる。なのにあの火は二十はある」

「騎士なしで動かしている班があるのね」ジェニアもうなずいた。「規則違反だわ」

「今さら規則もあるかって話か……」

「位置を見るにずいぶんと前から行動しているわね」

 二人の意見は共通していた。


「フェマはブリックのやつを動かしたってことか」

「そうとは限らないけれど、カミラもきっと戻ってはこれないわね」

「どうする?」

 二回目の問いにはジェニアは深く考え込んだ。この行動に乗るかどうかは今後に大きく関わるからだが、結局は首を横に振った。


「どうしようもないわ。私たちはここから離れるわけにはいかない」

「そうだな……」

 今すぐにでも飛び出していきたいのはヘルミネも同じだった。

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