第13話


 13


 起こされたのは仮眠室に入ってからぴったり四時間後だった。


「騎士ラハーマ、起きましたか」

「……うん」

 肩をさすっていたのはヤルルという女性で、コリンナの従卒だった。彼女はナハーラーム人で、つまりシスティの母と同じ故郷の人だ。というより、コリンナがナハーラーム人なので、当然ながら従卒も同邦の人が多いのだった。

 地下に下りた時は浴室から流れ出たドラゴンの腐液の臭いがきつかったが、ベッドに横になるとすぐに寝ていた。半覚醒の体を起こして地上に出ると、二人の従卒とカードの賭けに興じているコリンナの横にコーヒーが用意されていた。


「飲みなさい」

「あ、ありがとうございます」

 ミルクも砂糖も入っていないコーヒーは苦手だったが、勧められたものに手を加えるのは失礼だと教えられていた為、すするように飲み始めた。

 だが、それはシスティの想像を十倍は超えて苦いコーヒーだった。


「~~っ! かっ! 苦っ! 苦ぁっ!」

 一瞬で口の中が真っ黒に染まってしまったかのようだった。雑草を頬張ってもここまで苦くはならないだろう。


「いっひひひひひ」

 コリンナが悪い魔女のようなわざとらしい笑い方をしていた。


「残しちゃダメよぉ。ちゃんと飲んで目を覚まさないと」

「うぅ……」

 一撃で目は覚めた。しかしコーヒーは残っている。苦みの後から焦げ臭さが喉を支配していた。どうやらカップ半分の水で煎れてからさらに煮詰めたらしい。酸味や甘みが完全に消し飛ばされている。二口目には涙が出てきた。


「よく眠れたかしら」

「は、はい」

 コリンナの問いにシスティはちびちびと舐めるようにしながら答えた。


「そう、それならよかったわ。さっそくだけどね」

 わずかな笑みを残して、静寂のトーンが下げられた。


「来てるわ」

 システィは指さされた窓から外を見たが、夜の闇が広がっているだけで、何かがいるような気配すら感じられない。


「二、三、四……囲まれたわ」

 コリンナの視線はテーブルにあったが、意識は別のものに集中していた。それは精霊使いが精霊と同調している姿であった。小隊きっての精霊使いは小屋を囲む木精と同調して狼の行方を追っていた。


「テデリ、上の二人に伝えてきなさい」

「はい」

 あぁぁっ……!

 くぐもった悲鳴が頭上から聞こえたのは、初老の従卒がうなずいた時だった。


「なに!」

 音を立ててコリンナが椅子を蹴った。その手がマスケット銃に伸びるのを見て、システィも銃を取った。

 うわあぁ……!

 また頭上から――今度はうめき声だった。

 その時には屋上で何かが起こっていることがはっきりとわかっていた。濃密な邪悪な気配が屋上から壁を伝い床から立ち上がってきて怖気に全身の毛が逆立った。銃を取ったものの、システィは身が竦んで動けなくなっていた。

 混乱は一秒にも満たない間だったが、全員が正気に戻った時、頭上の声も聞こえなくなっていた。しかし、何かがまだそこにいて、歩いているような気配だけはシスティにも伝わってきていた。


「お待ちください、コリンナ様」

 厳しく制する初老の男の声にシスティがそちらを見ると、テデリが装弾したコリンナの前に立ち、押しとどめていた。


「ちょっと見てくるだけよ」

「いけません」

 ずしゃっ、と引きずるような音が主従の問答を打ち切らせた。


「プラータ」

 ナハーラームの罵りの言葉をつぶやき、コリンナは天井をじっと見つめた。音の正体はもうあきらかであった。それを背の低い白馬騎士は耳でじっと追っていき、木窓の側に張り付いた。

 他の従卒たちも静かに動き出して、各々が自分の剣や槍を取った。システィは恐怖に緊張しながらマスケット銃に弾を詰めて、雷管キャップを取り付けた。

 コリンナがシスティを見た。目配せで、自分の後ろに来るように伝えた。

 システィがコリンナの傍に立つと、外のかがり火につながっているロープを手渡された。身振りで、合図をしたら引けと命じられる。

 邪悪な気配が二人の真上を通った。


「引け!」

 コリンナが叫ぶのと、何かが落ちてくるのはほぼ同時であった。システィはすぐにロープを引き、かがり火が倒れる感触を感じたが、その時にはコリンナが木窓を開け放って外に銃口を向けていた。

 草ずれの音と乾いた銃声が交差した。


「撃て!」

「は、はい!」

 叱咤されてシスティも銃を構えたが、外はもう燃え盛る炎だけで何もわからない。しかし、草ずれの音だけは続いていた。その方向に見当をつけて引き金を引く。

 コリンナがさらに次弾を放った。


「プラータ!」

 罵声の間にシスティも撃った。システィが二発撃つ間にコリンナが四発撃った後、後ろで悲鳴がした。


「コリンナ様! こちらにも!」

 その声に振り返ったが、なんの異変も見られなかった。しかし従卒たちは恐慌を起こして頭上を指さしていた。


「狼が複数、上にのぼって、あぁぁっ!」

 報告を遮ったのは、彼らの目の前に降り立った影であった。複数の草ずれの音がした。それはすぐに遠ざかっていく。人間の大きさのものを引きずる音と共に――


「プル・プラータ……!」

 コリンナが窓枠を叩いた。窓の外は火の粉を舞い上がらせて炎上しており、追いかけるのは不可能だ。小屋の中に火が入り込むおそれはなさそうだが、それは既に起きてしまった出来事に比べれば些細な心配であった。


「裏目に出た。ロブロスは二体の精霊を抱えていた……!」

 深い後悔の色を露わにしてオレンジ色の髪をかきむしる騎士はそのまま呟き続けた。


「あいつ、土精にも木精にも引っかからなかった。両方持っているんだ。囮だとわかっても、その時にはあいつは上にのぼっていた……」

 システィや残された従卒たちは沈黙のままだった。彼らは何が起こったのかさえ判別がつかなかった。しかし、取り返しのつかないことになってしまったことだけは、わかっていた。

 その沈黙を破ったのは、遠くから聞こえてくる呼び笛の音だった。


「ジェニア」

 安否を確認する音色にコリンナは軋る髪から手を離した。


「システィ、返事をしておいて。対象と遭遇したけど、無事だったって」

「無事?」訊き返さずにはいられなかった。「全然、無事ではありませんよ」

「じゃあなんて返事をするのよ」

 反論の間も与えず、コリンナは頭を振った。


「私はもう寝るわ。後片付けをしておいて。あなたの元気な精霊もおとなしくさせなさい」

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