第12話


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 二頭のラバに曳かせた箱馬車に乗るセリカ・ソーラがキッセイ牧場に辿り着いたのは、システィが仮眠室に入ったのとほぼ同時刻であった。

 御者がいらないように中から手綱を曳けるように設計した馬車が牧場に入った時、そこは松明を持った人たちで蜂の巣をつついたような騒ぎだった。


「どうしたのかしら」

 窓を開けて様子を見るセリカ。牧場の柵を沿ってラバを歩かせて母屋に近づく途中、白馬騎士のヘルミネ・アストラーダが道をふさいだ。


「止まれ! 何者だ!」

 ランタンを掲げた声には剣呑な響きが宿っていた。全身に騎士の白い鎧を着て、兜で顔を隠し、白馬アパッチにまで馬鎧を着せている。


「セリカ・ソーラです。何か手伝えないかと思い、来ました」

「ソーラ博士?」

 窓から身を乗り出したハイエルフの娘は他に見間違えようがない。兜を脱いだヘルミネはやや呆れたような表情をしていた。


「よく来てくださいましたと言いたいですが、外出はしないよう布告されていたはずです」

「ごめんなさい」

 素直に頭を下げられると追及のしようがなかった。今さら引き返させるわけにもいかない。


「それにしても、よく来られましたね。狼の声も聞こえたでしょう」

「ええ、火薬をたくさん積んできましたから」

 なるほど、とヘルミネはブラウンのウェーブを片手で梳きながらうなずいた。バフェットウルフの支配下で人間を襲うことを恐れなくなった狼どもだが、本来はとても用心深い性格をしている。火薬の匂いが満載の馬車となれば、罠だと思って攻撃はしないだろう――が、それを実行に移してしまう人物は、やはり感性がズレているだろう。


「ところで、なにやらお騒がしいようですが」

「ああ、そうです。ただいま立て込んでおります」

 セリカの問いに忌々しげに舌打ちを返した。


「先ほど、フェマ……騎士フェンマラノーラ・テロミアが脱走しました」

「脱走!」

 思わず叫んでしまった。あの青い髪の王子然とした態度の彼女にはとても似合わない単語だ。


「正確には脱走ではないと思われます。恐怖ではなく、命令不服従。あいつは自分の意見が通らなくてヘソを曲げて出ていったんです」

「まあ……」

「外周の見張りに交代した直後で、そのまま行方をくらましました。自分の従卒もみんな置いて……そういう訳で、今は私が見張りをしているのです」

「でも、わたくしの通ってきた道では、フェンマラノーラさんは見ませんでしたが」

「あぁ、やはりそうですか」

 甲冑の腕を胸下に抱えるように組むと、ヘルミネはすぐ後ろに控えている従卒に言う。


「やはりフェマはライム小隊に向かったようだ。急いでカミラに報せてきてくれ」

「はっ」

 命令を受けて従卒が走っていく。どうやらフェマはキッセイ牧場から別の道を通ってブリック・ライム小隊の拠点に走ったらしい。

 それからヘルミネは従卒に馬車の手綱を曳かせてセリカを牧場内へ案内した。入れ違いにカミラが牧場から出ていくのを見送った。これからフェマを追うのだろう。


「ただでさえ人手不足なのに、どうしろっていうのさ」

 ヘルミネが愚痴をこぼす。セリカは自分が来ることでその負担を軽減できるのなら、来てよかったと思ったが、それは黙っておいた。


「母屋で再会したジェニア・フォルセナ小隊長も、セリカを見て似たような感想を抱いたらしい。

「ともかく、今は感謝します。ソーラ博士。あなたがもっと早く来てくれていたら、フェマも今少しここにとどまっていたかもしれませんね」

「そ、そうですね……」

 フェマがセリ火に並々ならぬ執着を抱いていたのはもちろんジェニアも知っている。それをダシにされるのは困るが、それだけ今の状況に参っているのだろう。


「システィとコリンナ様はどこかへ行かれたのでしょうか」

「二人はここから離れた場所にある拠点を確保する為に移動しました。先ほど到着を知らせる笛が聞こえましたので、とりあえず無事でしょう」

「そうですか」

「今は、騎士テロミアの行方を捜すのが先です。いったいなんの為に……」

「行方があのブリックだっていうなら、目的もわかるだろう」

 同僚のため息にヘルミネが手を打って断言した。


「狼どもを追い立てて、ロブロスを狩る。それだけのはず」

「ロブロスとは?」と、来たばかりのセリカ。

「バフェットウルフの個体名です。騎士テロミアは、それを識別してリーダーを狩ることで今回の狼害を抑えられると主張しましたが、私が却下しました」

「まさか、脱走してまで抜け駆けしようとはね」

 兜を被りなおしたヘルミネが忌々しげにつぶやく。


「しかしいくらあのブリックでも、そう単純にフェマの言うことなんて聞かないだろう」

「そうならいいけど……」

「まあいい。ソーラ博士も来てくれたことだし、ジェニアもすこしは寝ておいたほうがいい」

「何を言うのよ。せっかくここまで来ていただいたのに」

「四時間しか寝ていないんだろう。早起きのシスティに合わせる為に」

「ダメよ。せめてあなたかカミラが帰るまでは……」

「あ、あの、わたくしなら平気です。おかまいなく」

 ヘルミネが眉根をひそめたところでセリカが割り込んだ。セリカから見てもジェニアは疲れた目をしている。睡眠時間が削られている上に今まで働き詰めでは体を壊してしまうだろう。


「それに、まだ他の皆さんも起きていらっしゃいますし、なにかあればすぐに起こしますので」

 そう言って、母屋にいる従卒たちと視線を交わした。どうも騎士という人たちは自分たち以外を戦力として考えることができないらしい。


「ソーラ博士もこう言ってる。少しは休むといい」

「……わかったわ。ソーラ博士、申し訳ありませんが、休ませていただきます」

「えぇ、ゆっくりなさってください」

 ジェニアが席を離れて、母屋の奥のほうへ行ってからヘルミネはあらためて兜を被りなおした。


「では、私も哨戒に戻ります。ソーラ博士、礼を言います」

「はい。どうぞいってらっしゃいませ」

 ヘルミネが母屋を出ていくと、セリカが座るテーブルの周囲は人がいるのに静かになった気がした。セリカはまずテーブルの上に広げられたトマーヤを中心とした地図を見た。トマーヤは二つの山脈の狭間にできた平地の都市で、北西に伸びる道がパトリアに、東に伸びる道がコーヤンのそれぞれの邦都につながっている。システィがドラゴンに襲撃されたのは、コーヤン側の道の南のほうの山の中だった。セントラントとキッセイ牧場は、その位置からはほぼ真西で、トマーヤから見れば南になる。セントラントからさらに南に下ると、一際高い山が連なり、それを超えるとドリトン大陸の南の海に接する。ここは南半球の温暖な気候に直面する場所で、蒸し暑く、森林の植生さえ異なる地域となっていた。一説では、定期的にこの辺りに西側からの船がやってきて、パトリアやコーヤンの犯罪者を乗せて逃亡させるという。それを捕らえる為に騎士団が派遣されることは確かだが、成果の程は今一つ知られていない。

 キッセイ牧場から北西、トマーヤとの間にある深い森の中に刺してある二つのピンが隠れた見張り小屋を確保したシスティとコリンナなのだろう。やや西側にトマーヤの北からキッセイ牧場の近くまで流れる川がある。二人が確保に出かけて、先ほど無事を知らせる笛が鳴ったという。数少ない友人の安否を知れてセリカはひとまず安心した。実際には狼の縄張りとなっているのだが。

 その見張り小屋からトマーヤとセントラントをつなぐ市道を挟んだ反対側――システィがドラゴンに襲われた場所に近い――あたりに騎士の駐屯地があり、ブリック・ライムが率いる第三騎士団第二小隊がとどまっている。この場所の付近がバフェットウルフ、ロブロスの最初の目撃地点でもあるらしい。

 ふと思いつく。


「つまり、最初のドラゴンとも近い位置に狼も潜伏していたということね」

 これは、少なくともロブロスがウィニードラゴンを恐れていないという証拠だ。バフェット化した生物でもドラゴンを恐れるものはいるが、このロブロスは自身がドラゴンより優れていると思っているか、


「既にドラゴンを倒している……」

 そう予想がたてられた。このことに騎士たちは、特に脱走して直接ロブロスを叩こうと考えているフェマは気づいているだろうか。話を聞いた限りでは、彼女はロブロスを捕捉して、倒すことに自信があるらしかった。


「どうやって捕らえるつもりなのかしら……」

 狼の群れを狩猟するとなると、やはり人数をかけて追い立てる巻狩りか、毒による一斉駆除だろうか。狩猟に毒を用いることは禁止されてはいないが、毒に侵された動物の肉を取引することは禁じられている。また、経験豊富な狼は毒を嗅ぎ分けて除けることもできる。バフェットであればなおさらであろう。

 とすれば、巻狩りが妥当であるが、それは古典的で一般的な方法であり、騎士団でもバフェットを狩る際に最も用いる方法である。そして、それを行うには人数が足りないこともはっきりしている。

 いったい、十八歳の若い騎士フェンマラノーラ・テロミアはどのような異端な方法でバフェットウルフを狩るのだろう――と、同時にやはりイレギュラーなもう一人の存在をセリカは思い出した。


 実は、トマーヤから出かける前にセリカは屠龍騎士のネイ・クリンガーを探して、対面してきていた。

 理由はいろいろあった。

 ネイが泊まっている宿はすぐに見つかった。その宿の屋上の庭園で、意外なことに絵を描いていた。鉛筆でデッサンをしているようだったが、その視線は目の前の初夏の草花、白い蝶には向いていなかった。

 カンバスに描かれているのはドラゴンであった。

 ドラゴンの首には槍が刺さっており、その槍の刃先は地面に突き立っている。セリカはそれがシスティの話していたウィニードラゴンの一体であるとわかった。小さな子供の頭くらいは丸かじりできそうな大きな顎がだらりと下がって、角ばった手が刃を握って抵抗の跡を残している。しかしそこに表現されているドラゴンの姿には誇張の気配は見当たらず、ネイ・クリンガーが自分の記憶を修飾することなく写実しようと心がけていることがわかった。

 日焼けした肌に右耳の周りだけを剃った赤毛のショートヘア、そして均整の取れたボディラインは市民服にエプロンをかけていても、どこか異人めいた様相を呈している。


「ネイ・クリンガーさんですね」

 呼びかけると、ネイは手を止めてこちらを振り返った。その目が丸く見開かれているのが、予想外だった。


「驚いた」ネイは言った。「そんな綺麗な声で話しかけられたのは久しぶりだね。エルフかい?」

「はい。セリカ・ソーラと言います。はじめまして」

「あぁ、あんたがソーラ博士? 噂はかねがね」

 カンバスを前に椅子に座ったまま首だけをこちらに向けて応対するネイの姿に、なるほどシスティの言っていたとおりの人だとセリカは思った。


「それで、あたしになにか御用ですか、ソーラ博士」

 口調こと丁寧だが、体はカンバスに向き直っている。絵のほうが大事か、セリカに興味がないということだろう。


「あなたが描いているのは、一昨日倒したドラゴンですか」

「そうだよ」

「いつも退治したドラゴンを描いているのですか」

「こういう絵がついているほうが売れるのさ」

「シレーヌも、売る為に探しているのですか」

 ぴたりとネイの動きが止まった。まるで彼女自身が絵になったかのように動かなくなった。


「あいつの居場所を知っているのかい」

「今は知りません」

 その言葉でようやく全身でこちらに振り返った。


「今、と言ったね。つまり、あんたがシレーヌを見かけたっていう誰かなんだね」

 挑戦的な眼差しがセリカを貫く。瞳は金に近い琥珀色をしていた。


「もう半年も前です。邦都コーヤンからトマーヤに下ってくるテトリとシマトの山のあたりで、銀の大きなドラゴンを見ました」

「見間違いってことはないんだね」

 セリカはこくりとうなずいた。


「騎士クリンガー、あえて訊きますが、あなたはヒュージドラゴンを討伐するおつもりですか」

「だとしたら、どうだっていうんだい」

「どうもしません。あなたがシレーヌを探していると聞いたので、興味深いと思っただけです」

 その返答はまたネイを意外に思わせたようだった。


「ヒュージドラゴンを倒してもいいのかい。コーヤンのエルフが」

「そのような決まりはありませんよ」

「ヒュージドラゴンの怒りに触れれば、人間なとひとたまりもない。あたしの国のエルフはたいていそう言って、ドラゴン退治に反対しているけど」

「それなら、ウィニードラゴンを狩ることも禁止しなくてはなりませんね」

「そのとおり、あいつらに同じことを言うと、だんまりする。ウィニードラゴンが成長すれば、ヒュージドラゴンになるし、その間に人間から受けた仕打ちはきちんと覚えている」

 ネイはカンバスの額縁に置いてあるパンを半分ちぎって、セリカに渡した。


「逆に、人間のほうも、あいつらに受けた仕打ちを忘れることはない」

 パンを受け取り、その言葉を聞いて、この対面に意味があったとセリカは思った。ネイ・クリンガーは常に自分の獲物を狙っているが、金や楽しみの為に無作為な殺戮をする女性ではない。念の為に今回のバフェットウルフの討伐を手伝う気はないか訊ねてみたが、


「興味ないね。今はこっちのほうが優先」

 という一言で返されてしまった。そして、記憶のスケッチの続きを始めた。


(システィが気になるのもわかるわ)

 普通の市民服を着ていることもあるが、ネイ・クリンガーは屠龍騎士という役職が持つ粗暴なイメージとは似合わない女性だった。挑戦的な目も他の騎士と大きく違うところではない。

 しかし、ドラゴン退治の経験からだろうか、全身に漲る生気がセリカに快い好感を与えて、なにかおもしろそうな人だと思わせるものがある。バフェットウルフ討伐の手伝いを断られたのは残念だが、別の秘密の心配をしなくても済んだのはよかった。

 回想から戻ってきたセリカはあらためて地図を見下ろして、翌朝にはシスティに合流しようかと思案を始めた。

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