第10話


 10


「システィ、あんたは先に準備しておきなさい」

 一緒に行動するコリンナにそう言われてシスティは牧場の厩舎に入っていった。さすがはセントラント一の大牧場で、百頭の馬をつなげる大きな馬房がある。今は外に放してあるのでつながれているのはシスティたちが乗ってきた白馬だけだ。それぞれ当番の従卒が世話をしている。

 システィの愛馬アーサーを世話しているのは傭兵のトラナだ。ナハーラーム人のなかでもさらに濃い肌の色と厚い唇で、裕福ではない家庭ゆえに騎士学校に通わず傭兵となったが、母とは幼なじみでそのまま従卒になった女性だ。あまりしゃべらないが馬を愛する優しい性格で腕も立つ。


「トラナさん、ヤシロさんはどこにいますか?」

「エレノさんと一緒に母屋にいると思います」

「ありがとう。すぐに出発しますので、用意をお願いします」

「はい」

 厩舎からすぐ隣の母屋に行くと、そこは既に従卒たちでごった返していた。だいたいの人は顔を覚えているが、基本的に従卒が主人以外の騎士とその従卒と話すことはできない。システィのような騎士の場合、相手の従卒のほうが家柄が上ということすらある。そうなると従卒同士でも陰ながら序列が生まれ、自然とシスティの従卒たちは隅に寄って行動するようになる。ある意味では探しやすくて楽だった。

 まばらな無精ひげとえぐれたような左頬が特徴的な男性のヤシロは母屋から中庭に出た木陰でシスティから預かっている騎士甲冑や道具を整備していた。


「ヤシロさん」

「へい、お嬢さん」

 振り返ったヤシロに先ほどのトラナと同じことを伝える。


「へい、女房もつれていきやすか」

「いえ、私とトラナさんだけです」

「へい、ではすぐ行きやす」

 母屋からまた厩舎に戻ると、トラナがすでにアーサーの手綱を曳いて出てきていた。鞍も手綱も新しくしてある。ヤシロが抱えて持ってきた鎧兜をトラナに手伝ってもらって着る。


「うーらー、用意はできたかー、システィー」

 腕を振って戻ってきたコリンナも既に従卒たちによって――小柄なサイズぴったりの――装備を整えている。


「はい、行けます」

「よーろーしいーぃー」

 背骨が折れそうなほど無意味にふんぞり返ってから、コリンナは出発を合図して自分の白馬クラークにまたがった。

 システィもアーサーに乗り、出発した。従卒と合わせて十人の行軍だった。地図に記載されている見張り小屋は帝国との戦争の間に建てられたもので、十年以上使用されていないらしい。方向はキッセイ牧場から見て北西。システィたちが通ってきた道は北東側に出てくるので、反対側になる。


「隠し道の一つとして作ったみたいね」

 森の中に入ってわずかに残る道路の跡を観察して、コリンナが呟いた。


「ライゼンがパトリアから攻めてきた時に使うつもりだったのかもね」

 もともと隠されていた道なので、木々は鬱蒼と生い茂って頭上を覆いつくしていた。トマーヤを出たのが朝の八時で途中休憩をとって十一時頃にキッセイ牧場に着いていた。この道がトマーヤにもつながっているとしたら、その中間にある目的地までは一、二時間ほどかかると思われる。まだ昼の一時ぐらいだが、太陽の光はほとんど差し込んでこない。

 このような道では蜂や蛇など普通の生き物にも注意を払わないといけなかった。従卒たちが前後それぞれで剣や槍で草木を払いのけながらの行軍だった。途中、地面がすっかり隠れて方向がわからなくなることもあった。命綱をつけた従卒が四方に散って道の痕跡を探して進んだ。

 結果として、レンガづくりの平屋の建物を見つけることができたのはおそらく幸運だったのだろう。三十平方メートルほどに切り開かれた敷地にL字型で低く建てられており、周りを背の高い雑草がびっしりと囲っている。小屋というには広すぎるなとシスティは思った。

 近づくと急に視界が開けて陽光に目が眩んだ。太陽はだいぶ傾いている。四方を山に囲まれた盆地なので日没も早そうだ。


「見張り台なるようなものがないですね」

 梯子を上るようなジェスチャー交えて訊ねると、コリンナは建物のほうを指した。


「たぶん組み立て式のを中にしまってあるのよ。意外と大きくて立派だから、たぶん何十人かで詰めていたのね」

 ともかく目的の建物が見つかったことで一行はすこし元気になり、まっすぐ草を刈って道を開き、中に入った。


「かび臭いけど、まあまあね」

 おそらく退去する時にしっかり封印していったのだろう。施設内はテーブルや棚などに布をかぶせてあり、十分に使える状態で残されていた。また、隅に大量の建材が積まれていた。これが解体された物見やぐらのようだ。

 広間はL字の一辺を居間としており、もう一辺には簡単な流し場と地下への階段があった。


「それにしても臭いますね。空気が澱んでいるんでしょうか」

 右手でぱたぱたと仰いでいると、じっとコリンナが見上げてきた。


「おまえ、私を見下ろしてないか」

「いっ! いえっ!」

 ずさっと正座するシスティを、コリンナはずずいと見下ろす。


「で、なんだって?」

「えっと、空気を入れ替えて掃除をしてはいかがでしょうか」

 あらためて提案すると、背の低い白馬騎士はぐいっとのけぞった。


「よーろーしーいー」

 ほっとしてシスティはあらためて小屋の中を掃除するよう従卒たちに伝えて、扉をすべて開けていった。左手側の扉から外に出ると、物見やぐらを建てる為であろう土台があったが、雑草はその上にまで侵食しており、まずはこの雑草を抜かなければやぐらを建てるのはむずかしそうだった。

 風通しがよくなったのを確認して、地下への階段を下りていく。地下には四つの部屋があり、左の二部屋は仮眠室のようだ。天井に木窓があり、それを開けると一階の床につながっているようで、どうやら換気用の窓らしかった。

 右側の部屋も開けていく。一つ目は上の階より設備の整ったキッチンだったが、もう一つは開けようとした瞬間、猛烈な酸っぱい臭いがして思わず呻いた。


「うぅっ……コ、コリンナさん……!」

「なーによ」

 上で荷物をチェックしていたコリンナは、呼ばれて下りてくると、やはり扉の前で顔をしかめた。


「なによこの臭い……なにか腐ってるの?」

 臭いは扉の向こうに充満しているようで、立っているだけで鼻の中に支配域を広げていく。


「システィ、開けなさい」

「は、はい」

 気は進まないが、掃除しなければ使えない――そう思って扉を開いた瞬間、どろっとした液体がシスティのくるぶしまで浸していった。


「いっ……! ひやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 奇声をあげてシスティは後ろに下がり、反対側の壁に背中をぶつけた。コリンナも同じように大きくしりぞいていた。

 液体は黄緑色のどろりとしたものと赤黒い血のようなものの二層になっていた。そしてとてつもない臭気を放っており、システィは胃が逆転するような感覚に襲われた。


「うぇ……えぇっ、げほっ!」

 どうにか吐くのだけはこらえることができた。悲鳴を聞いて駆けつけてきた従卒から水を受け取って飲んでも脳にまだこびりついているようで、外へ飛び出していった。

 少し遅れてコリンナも外に出てきた。


「あー……ひどい目にあったわ」

 年齢の半分以上は幼く見える顔がわずかな間に青ざめて、げっそりと痩せたように思えた。


「コリンナ様」年長の従卒が丁寧に片膝をついた。「あれらは全て動物の血と体の腐った体液のようです」

「あそこはお風呂場?」

 小さな主人の問いに従卒がうなずいた。


「じゃあ、屋根の上を調べてご覧なさい。システィ、あんたも見てきなさい。それと、クリムとヤルルを呼びなさい」

 すぐに冷静な命令を下しているのはさすが十年以上騎士団に務めている騎士らしい姿だった。システィはすぐに梯子を持ってきた従卒の後に続いて屋根に上った。

 小屋の屋上はレンガにさらに漆喰を塗ってあるが、長年放置されていて、ところどころ剥げている。一見、平坦に見えるが縁に沿って枠で囲うようにレンガが積まれた箇所がある。


「あそこが……?」

「貯水槽ですな」

 ちょうど太陽が山陰に入り始めた。周囲が薄暗くなっていくのが手に取るようにわかる。貯水槽は内側を濃い影で包んでおり、近づくごとに憑りつくような悪寒が全身に纏わりつく。やはりそこには強烈な臭気が立ち込めていた。囲いはシスティの肩ほどの高さで脇に小さな階段がついていた。

 一段目に足をかけた瞬間、中から数羽のカラスが飛び出してきた。


「きゃっ!」

 のけぞったシスティの頭の上でカラスが挑発するように鳴く。


「大丈夫ですか、ラハーマ様」

「え、えぇ、大丈夫……」

 本当は心臓が破裂しそうなくらい高鳴っている。それでもシスティは自然と先に立って歩いている。根っからの真面目であった。

 六段の階段を中ほどまで上がって、貯水槽を覗き見た。


「うぅっ……!」

 鼻を覆ってしっかりと確認した。


「ド、ドラゴン……」

 貯水槽の中にはウィニードラゴンが横たわっていた。システィの三倍はありそうな体の半分ほどまで血が浸っている。おそらくはこのドラゴンの血なのだろう。それが直下の浴室に流れ落ちていたのだ。この小屋が放置された時、貯水槽に水が溜まらないように栓は抜かれていたのだ。

 同時にシスティはある事実に気が付いた。


「このドラゴン、まだ死んでからそう経ってない……」

「左様ですな」

 隣から貯水槽を覗く年長の従卒が同意した。


「喉元をご覧ください。喰い破られております。おそらく血は全てそこから流れているのでしょう。そして、同じように腹回りも喰われています」

「ドラゴンが食べられる……なんて」

「狼です」

 予測していたことを確認するような言い回しだった。先ほどコリンナの命令を受けた段階から推察していたのだ。


「バフェットウルフが、このドラゴンを近い過去の間に捕食した。そういうことです」

「待ってください! それじゃあ……!」

 自分の想像が正しいことは、既に身を翻している従卒が肯定した。


「すぐにコリンナ様に報告を。この小屋はバフェットウルフの縄張りです」

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