第7話


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「……ここに偉大なる父祖と精霊と開拓のともがらに倣って祝わんとする。騎士システィーユ・ラハーマの比類なき忠誠。輝かしき功績。トマーヤは賞賛と感謝を表し、都市模範勲章を授与する。市長ナリト・ドーゲン」

 都市の庁舎前の広場、様々な式典で使用される舞台に金紗の織り込まれた赤い絨毯が敷き詰められ、パトリア邦国白馬騎士団第三連隊第二小隊が先頭に立ち、その後ろに庁舎の長官、市議会議員、その他有力者を並べて、柵を隔てた向こう側に好奇心を溜め込んだトマーヤ市民が群れを成している。

 彼らの視線は壇上に傅き跪いた少女に注がれている。白金色の髪、色白の小顔はなかなかに整っていて、所作にも卑屈なところがなく、男女問わずに好感を抱かせた。

 パトリア邦国白馬騎士団第三連隊第二小隊システィーユ・ラハーマは、騎士となってたった三ヶ月で都市勲章を授与された。各都市に認められた自治権の範囲内で、大きな功労を遂げた者を表彰するもので、実はそれほど格式の高いものではない。一般市民でも三十年勤続して税金を納めていれば無条件で授与される程度のものだ。

 精霊学者らしくつるりと頭を丸めて白いローブを着込んだトマーヤ市長ナリト・ドーゲンが勲章を持って演壇を下りる。

 しかし、システィは立ち上がらなかった。


「騎士ラハーマ?」

 小声で市長が問いかけたが、システィは何の反応も示さなかった――が、それは反体制的な信条からではなく、緊張しきって半ば気絶していたからだった。

 部下の精神異常に気付いたジェニアは、見かねて失礼のないように近寄り、両肩を抱くように叩いた。


「はひっ!?」

 雷にでも打たれたかのように新米騎士の身体が跳ね起きた。


「ほら、システィーユ、立ちなさい」

 出来の悪い操り人形のような立ち方のシスティのタバードの肩口に市長が勲章をつけた。コーヤンの国章――霊峰からの曙光――とトマーヤの市章――森泉と関門――が連なった銀と銅の都市勲章が市長の手から離れるのを見計らって、左右に控えていた近衛兵が祝砲を放った。

 祝砲を合図に行進曲が演奏され、空に白い有翼馬が四頭翔けていった。昨日ドラゴンを倒したというのに、用意の早いことだと小隊の一人として壇上に立っているヘルミネ・アストラーダは思った。

 空を翔ける白い有翼馬は邦国の男性騎士が騎乗している。その翼は精霊との同化によって生えている。馬は古代から人間と生活を共にしてきた。精霊が人間やドラゴンだけでなく、他の動植物とも同化することがあることを知っていた人類は、速く賢くたくましく共生への理解もある馬に同化を促す研究を行った。

 主人である人間が同化の概念を理解させて、馬自身に精霊への親密感を抱かせる。最終的に馬と精霊が同化するかは自然の成り行きに依るが、そうして同化に成功した馬同士を長年にわたって交配させてきた結果、各国の騎士団で飼育される馬の大半は同化しやすい種族となっている。なかにはエルフのように同化した状態で生まれることもある。

 そうして精霊と同化して変容した馬は、多くが翼と角のどちらかを得る。それは二つとも人間が年月をかけて馬を導いた進化のイメージであった。中でも白い有翼馬は天馬と呼ばれ、立派な一本角を持てば一角馬と称えられる。

 同化と変容が自然に任せるしかない以上、女性だけが天馬に乗れるということもない。有翼騎士は主人と馬と精霊が真に心を通わせた証とされ、多くの人々から尊敬されるに値する――とはいうものの、やはり人気が集中するのは女性の天馬騎士であった。

 大陸で高名なパトリア邦国白馬騎士団は、その名の通り隊員のすべてが白馬に騎乗している為、有翼馬はすなわち白い天馬となり、まず天馬騎士が集合して連隊を組む。同様に有角馬も集合して有角騎士隊となる。この二つに序列は設けられない為、連隊名に第一、第二の番号はなく、まだ同化していない騎士、同化しても変容を起こさなかった騎士が第三連隊に所属することになっている。

 華やかな白馬騎士団に対抗する為か、パトリアでは男性の騎士団も各隊に天馬騎士を配属させるようにしている。路上からは騎乗しているのが男性か女性かなど判断はできないので、見上げている市民たちは――おそらく女性騎士だと思って――天馬の羽ばたきとクラッカーの音に歓呼の声をあげた。

 システィーユ・ラハーマばんざい。

 トマーヤばんざい。

 コーヤンばんざい。

 パトリアばんざい。

 二十四年前まで、このように表彰が行われる際にはまず、ライゼン王国に対する万歳が行われていたが、それはもう慣習として消え去っていた。パトリア、コーヤンなどはいまだにライゼンを王国として尊崇する姿勢を見せているが、帝国はそれすらも認めていない。そのような状況ではライゼンという名称を尊ぶことも侮蔑することもできない。しかたなくライゼンの名を使わぬことにして、公式の会議や式典は行われるようになっていた。

 歓呼の中でシスティは音楽や歓声が自分に向けられているものだとまったく理解できなかった。むしろ理解していたら、重圧に倒れてしまっただろう。ただただジェニアに支えられて立ち尽くしている。


「副賞として一万キュールとトマーヤの銀霊筒を授与する」

 正面からの市長の声にはっとしてよく見ると、そこには重そうに膨らんだ袋と綺麗な銀色の筒の乗ったトレーが用意されていた。


「へっ? あの、えっ、キュールって、へ、お金……?」

「システィ、いいから受け取りなさい」

 うろたえるシスティにジェニアが促す。


「だ、だって一万って……そんな大金……」

「いいから。あなたのものというわけじゃないのよ」

 そう言われて騎士団の慣習を思い出す。邦国や都市から出る報奨金の類はすべて騎士団へ納付することが暗黙の了解となっている。邦王でさえ直接的な世襲が抑えられている社会で、豊かな生活を何世代にもわたって維持できているのはほんの一握りだ。

 軍備に出費がかさむうえに公務第一と清貧を叩き込まれる騎士も大半は月々の俸給をあてにして暮らしている。そういう騎士の寄り合いである騎士団ではいつの間にか報奨金などをそっくり納付して運営費にあてる不文律が誕生したのであった。


「要するに、みんなで貧乏になろうということだよ」

 以前にそう言い返したのはフェマことフェンマラノーラ・テロミアだったが、彼女自身は騎士団でも稀に見るほど豊かな一族の生まれだった。ただしそれも四代にわたって三公を輩出したという実績の上に築かれた財産であり、そこから国庫に返納した額も相当なものだという。

 とにかくシスティの目の前にある一万キュールという二ヶ月分の手取りにもなる金貨の袋は、受け取ってすぐに騎士団の金庫に移される予定となっている。そう思うと抵抗はなくなるが――

 もうひとつの、銀霊筒というものについては、また別であった。


「こ、こんな立派なもの、わたし……」

「いいから、受け取りなさい」

 システィは小声で叱られて震えながら受け取ると、市長が手をあげて、また祝砲が鳴らされた。それから、ジェニアに促せるままに手を振っているとさらに恥ずかしくなり、とうとう速足で舞台を降りて控室に逃げ込んでしまった。


「ぷはっ!」

 今日はじめて呼吸をした気がする。そこへ追って入ってきたのはセリカ・ソーラだった。この博士号を持つハイエルフの娘も授与式に招待されていたのだ。


「だいじょうぶ? システィ、具合悪いの? おなか痛いの?」

「セ、セリカ……だいじょうぶだから……」

「しかたないわねぇ。まだ式典は続いているのよ」

 さらに遅れて控室に戻ってきたジェニアは、システィが持ちっぱなしにしていたトレーを引き取り、近くのテーブルに乗せる。じゃらりと音を鳴らす袋を横目にして、セリカが注いでくれた水を一杯飲んだ。

 すると、またあの恥ずかしいような恐ろしいような緊張がよみがえってきた。


「た、隊長! やっぱり私これ、返してきます!」

「なにを言っているのよ。そんなことできるわけないでしょう」

「でも私、こんなものいただけません!」

「もらえるものは病気以外もらっておきなさい」

 今時めずらしい欲のない子だ。というより、権力や権威に免疫がないだけだろうか。


「で、でもですよ……」

「あのねぇ、システィ……」

 さてなんと言って諭そうか――そう思ってため息を吐いた時、控室のドアが開かれた。


「どなた?」

 現れたのはくすんだ銀色の甲冑の騎士だった。つまり男性の騎士である。女だけの控室に予告なく入り込んだ男は型通りの敬礼をすると、背後のもう一人の騎士に戸口を譲る。


「失礼する。ジェニア小隊長」

「……何用でしょうか、ブリック小隊長」

 いきなりの訪問だった為、嫌悪感を完全に隠すことはできなかった。パトリア邦国第三騎士団第二小隊長ブリック・ライムをジェニア・フォルセナは好意的には見ていなかった。三十代で大きな体格をしており、甲冑とタバードを身に着けていても内側の筋肉の隆起が容易に想像できる。髪を短く刈り揃え、目つきにははっきりと女性蔑視の意志が宿っている。


「式典の途中だが、小隊長として情報の共有をせねばならない。理解していただきたい」

 慇懃無礼を絵に描いたような態度で詫び言を連ねるブリックだったが、次に発した言葉には確実に毒が込められていた。


「南部の森を哨戒中、私の部下が狼に襲われた。バフェット化しているとみられる」

「バフェット……!」

 嫌っている相手とはいえ、ジェニアは報告を真摯に受け止めた。傍らでもシスティとセリカが表情を強張らせるのを横目で見ながら、ブリックは続けた。


「騎士マルコを覚えているか」

「え、えぇ」

 あいまいにジェニアがうなずく。たしか騎士学校を卒業してブリックの小隊に配属されたばかりの――つまり、システィと同期の少年だ。


「まさか……」

「襲われたのはマルコだ。喉と耳を喰いちぎられた。まだ治療をしている」

「……あぁっ」

「式典が終わり次第、捜索の手筈を整えてもらおう。以上だ」

 嘆き、頭を抱えるジェニアに構わず、ブリック・ライムは靴音を鳴らして身を翻した。自分の部下の被害についてはまさしく当てつけであったが、ここに来て言わなくては気が治まらなかったのだろう。システィは怒りを抑えるブリックの背中を見て震えた。まるで運命が嘲笑っているかのような出来事だからだ。

 システィは己に依らないところで功績をあげて、表彰されているのに、その真裏ともいえる場所でもう一人の若い騎士が死に瀕しているのである。


(昨日、ドラゴンに襲われたばかりだというのに、バフェットウルフだなんて……)

 ふと、隣りのセリカと目が合った。昨夜の会話がよみがえる。


「ライゼン王国が帝政戦争を起こしてから、三体もヒュージドラゴンが現れている。それにね、たぶんだけど、ウィニードラゴンも増えているの。これはたぶん、偶然じゃない」

 連続する事件は偶然ではなく、人間の争いに起因する異常な自然現象なのではないかと思うのは飛躍しすぎだろうか。


「システィ」テーブルにもたれていたジェニアの声でシスティは我に返った。「私はもうだいじょうぶ。あなたはここで少し待っていてちょうだい。これから四人を連れてきます」

「は、はい」

 システィがうなずくと、ジェニアは姿勢を正して控室を出ていった。

 後にはシスティとセリカだけが残っていた。


「あの、システィ……」

「あ……ごめんね、セリカ。せっかく来てもらったのに」

「うぅん、それはいいの。それより、狼がバフェット化したって……」

「うん……」

 うなずくと、ブリック・ライム小隊長の報告を思い出して、

またシスティは肩になにかのしかかるものを感じた。

 バフェットウルフによって、システィと同い年の騎士が重傷を負ったのだ。


(落ち込んでいるのは、それが原因かもしれない)

 そうだ、自分は落ち込んでいるんだ――システィは自分にそう結論づけた。とにかくいろいろありすぎた。そのたくさんの変化に追いつけていけないのだ。

 ドラゴンは恐ろしく、死ぬかと思った。しかし今度のバフェットウルフも考えようによってはドラゴン以上に危険な相手でもある。

 勢いよくドアが開かれたのはその時だった。


「うーらー! システィはここかー!」

 甲高い声にシスティは反射的に背筋を伸ばした。セリカは一瞬だけ目を丸くした。彼女の視線は開かれた扉に向かっていたが、その視界には誰もいなかったのだ。しかしすぐに声の主のことを思い出して、視線を下に向けた。

 そこに立っているのはシスティよりもさらに一回り背の低い白馬騎士――コリンナ・マレーンであった。オレンジ色の短い髪に丸い目と、身に着けているサイズぴったりのタバードと合わせて少女と形容したくなるが、ヘルミネと同じ二十八歳の女騎士であり、小隊でも指折りの精霊使いでもあり、システィの母と同じ小麦色の肌のナハーラーム人であった。


「システィ!」

「は、はいっ!」

「おまえ、私を見下ろしているな?」

「そんなことはありません!」

 急いでシスティは床に正座してコリンナを見上げるようにした。コリンナは二十八年生きてきたので自分の背が低いことには寛容になっていたが、入隊したての頃のシスティはコリンナを見て思いっきり迷子の子どもと勘違いしてしまった。それ以後、顔を合わせるたびに頭が高いと言われては正座をさせられている。


「それでいい。さて、おまえはもうジェニアから聞いたらしいけど、バフェットウルフが出た」

「はい」

 かわいい否おもしろい新入りをたっぷり見下ろして、コリンナは身長に見合った高い声で告げる。


「探索には私とおまえとカミラが組んで行く。理由はもちろん、おまえが襲われたからだ」

「はい」

「よーろーしーいー」

 腕を組んだコリンナがぐいんとふんぞり返る。そのたいらな胸を見上げていたシスティはふと思いついたように正座の姿勢のままテーブルに手を伸ばした。


「あの、コリンナさん」

 システィは自分に与えられた銀霊筒を差し出した。


「あぁ、これがもらった精霊筒ね。いいじゃない」

 コリンナがそう呼んだ精霊筒は、水筒のように精霊を収納する為につくられた道具である。この筒の内側には変容する大地といわれるモルドバ邦国で採取されるマフルス鉱石を混ぜた銅合金が使用されている。この合金は火精の火でも溶けず、木精を閉じ込めても死滅させることがない。その全容は解明されていないが、精霊学の発展とともに存在しており、生活や施設に利用されている。

 その精霊筒の表に職人による銀のレリーフが施されているものを銀霊筒と呼び、トマーヤが騎士に下賜する銘品のひとつである。騎士の装備に取り付けることで精霊の力を行使しやすくする目的がある。

 この仕組みに近い働きをしているものに、ドラゴンの精霊嚢がある。しかし精霊嚢を手に入れるということはドラゴンを狩るということであり、その絶対数は少なく研究素材として国の機関が引き取る為、一般に出回ることはほとんどない。


「これ、コリンナさんにあげます」

「はあ?」

「たぶん、私なんかが持っているより、コリンナさんが使うほうがいいと思います」

「いやぁよ。部下の上前をはねるなんて」

 うるさがるようにしてコリンナは部下の進呈を拒んだ。


「ていうかね、仮にもいただいたものよ。それをまたホイホイと人にあげるなんてしていいと思ってるの」

「あ……すみません」

「アンタ、思ったよりめんどくさいやつね」

「すみません……」

「ああもう! ドラゴン退治で精霊を連れてきたんでしょ。それでも入れときなさいよ」

「はい……」

 よろしい、と腕を組んだコリンナは隣りに立つセリカを――正確には巨大な胸を苦々しげに見上げた。


「ソーラ博士も、これからまた市内は警戒態勢となりますので、もうお帰りなさいませ」

「わ、わかりました」

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