第5話


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 城砦山脈によって隔たれたドリトン大陸の東側にある五つの邦国の位置関係は次の通りである。

 まず中央にパトリア。城砦山脈の中心部の南に敷かれた東西行路と接続しており、東西を往復する場合の最も普遍的な陸路にあり、交易の中心地である。ただし現在は山脈の出入り口に堅固なガトゥーア要塞が築かれており、通行の際は検閲を受けて通行証を発行してもらわなければならない。

 パトリアの北西に位置するのがベイロス。城砦山脈から大陸の北海に向けて大河が流れており、その水を引いて巨大な穀倉地帯をつくっている。

 ベイロスから時計回りに見て、変容する大地の国モルドバ、砂丘と傭兵の国ナハーラーム、そして精霊と霊峰の国コーヤンが、パトリアを半円に包む形で連なっている。

 これら五邦国は開拓王フランによる綿密な都市計画の下に建設された都市が基礎となっており、邦国同士の有機的な交通の連携が図られている。

 十六歳の新米騎士システィーユ・ラハーマが所属するパトリア白馬騎士団第三連隊第二小隊が滞在しているトマーヤはパトリアとコーヤンの国境にある人口一万人弱の都市で、豊富な森林資源を用いた木造建築が多い。

 ぐるりと外周を見渡してみると、国境にしては物見櫓や柵などの防衛施設が少ないのがわかるだろう。これはコーヤンの成り立ちに由来する友邦国の伝統であった。

 コーヤンの初代邦王であり精霊王と呼ばれたエルドウッドは当時のパトリア邦王エイデンと乳兄弟であった。本来ならば昵懇の仲の王族が連なって邦王となることは危険視されて避けられるのが慣習であったが、精霊王の名の通りエルドウッドは精霊との完全同化を成し遂げて、エルフ化した初めての王族であった。そのエルドウッドを精霊学の総本山であるコーヤンが初代邦王任命にと望むのは当然であっただろう。その世論に押される形でエルドウッドは邦王となり、コーヤンは精霊学の都市から邦国となった。以前より仲の良かったエイデンとエルドウッドは互いに邦国に緊張をもたらさないことを固く結びあい、それは確かに実行されて今に至る。

 そういう訳で、パトリアとのみ平地でつながるコーヤンは騎士団と国防手段をパトリアに頼み、国境の都市トマーヤには野生動物やドラゴンを警戒する以上の防御を敷かないことになっているのだった。


 セリカ・ソーラは両親がともにエルフというハイエルフの娘である。娘といっても十八歳という年齢上の区分であり、一七四センチの長身と膝裏まで届く真珠色のロングヘア、そして見る者に威圧感さえ与えかねない大きな胸がセリカに対して娘や少女という形容詞をためらわせる。

 とがった耳に細い手足と指、あらゆる不純物を弾いているのでは錯覚させるほどなめらかな全身の肌。これらは精霊と常態的に同化した者の多くが持つ特徴である。

 つまりこれをエルフ化と呼び、エルフ化した者がエルフと呼ばれる。

 千人が志してようやく一人というほどエルフ化は狭き道であるが、その子どもには母親の胎内で既に精霊と同化した状態で誕生するものがいる。それがハイエルフであり、セリカ・ソーラの出自であった。

 道ですれ違えば振り返って見とれてしまうほどの美貌を持つハイエルフの娘は、トマーヤの鉄砲鍛冶屋に併設されている射撃場で、丸テーブルを囲む椅子に足を組んで座り、試作したばかりの拳銃を眺めていた。

 奇妙な光景である。博士号を持ち、精霊の申し子とも言われるセリカは、精霊学を学ぶ修士の証である白い幅広のローブを着ているが、すぐ隣には火を噴く鍛冶場があり、掌中には武骨な黒鉄の拳銃が握られている。

 一方で拳銃を扱うセリカの手つきは刺繍作家を思わせるほど洗練されており、弾を込めた拳銃の銃床を眺める眼差しは真剣そのものだ。貴族の娘が戯れにいじっているというものではない。

 銃身の後ろを折って開く弾倉に騎士団の制式の弾丸と火薬を込めて、セリカは立ち上がり、二十メートル先の的に向かって銃を構えた。

 撃鉄を起こして、引き金を引く。

 轟音が響き渡り、中心のやや右上に的中した。


「どうですかい、ソーラ博士。新作の様子は」

 鍛冶場から熱くるしいダミ声がかかった。鍛冶屋の主人が不思議な上客であるセリカに訊ねたのである。


「とてもいいと思います。でもわたくしの想定より重いし、不格好ですね」

「そりゃあそうですよ。銃身が短い、そして弾を後ろから入れるなんて全く知らない代物でさ。パトリアでも試作中のやつの、しかも一度見ただけで用意された設計図で模造品をつくれなんて、とりあえず形にするのが精いっぱいでさ」

「つまり、次回に期待、ということでしょうか」

「課題はたくさんありますがね」

 ところどころ焼け焦げてちりちりの髪をかいて笑ってから、主人はふと思い出して言った。


「ところで、先ほどラハーマ様がお帰りになられると伝令があったようですが、お迎えにいかなくてよろしいので」

「システィ? システィがどうかしたかしら」

「え……あの、ラハーマ様が巡察の途中にドラゴンに襲われて、騎士の皆さまが揃って捜索に出かけられたと……」

「……ああ!」

 きょとんとして話を聞いていたセリカが、崩れ落ちるようにへたりこんだ。


「あぁ、システィ……ごめんなさい。わたくしにはなにもできなくて。無事かしら。本当に無事かしら……それなのにわたくしは銃などにうつつを抜かして……」

「いやぁ、思いっきり目を輝かせて見入ってましたが……本当にラハーマ様を心配されていたんでしょうか」

 疑わしげな視線を追い払うようにセリカはかぶりを振ってみせた。


「心配よ! 心配に決まっているわ……でも、ああ! 機械のこととなると夢中になってしまう自分が恨めしい!」

 セリカがシスティと出会ったのは、トマーヤ到着の日が重なったことがきっかけだった。

 しかし、セリカはシスティと同じ――いや、それ以上に機械工作が好きだった。

 セリカの父のリトラ・ソーラは司政長官の側近として働き、母のマミナはコーヤン邦都の精霊寺院の司祭である。両親は共にエルフであり、ハイエルフのエリートとしてずっと精霊寺院で精霊学を学んで暮らしてきたセリカだが、儚げな美貌からは想像もつかないほどにアクティブで好奇心の強い性格であり、精霊を呼び寄せる道具から精霊工学そして機械工学にも興味を持ったのである。

 特に鍛冶場は精霊の五体系――火・水・木・金・土のすべてが用いられており、銃は人類の技術の結晶である。セリカがトマーヤに滞在しているのもパトリアに近い国境の都市には銃を扱う鍛冶屋が多いからだ。

 その鍛冶屋の主人をして、セリカの知識と実験の量は年季が違うと言わせるほどで、セリカがフィールドワークとして訪れるコーヤンのいくつかの都市では、セリカが設計した装置や機械が置かれている。

 システィと出会ったのもこの鍛冶屋で、彼女は自分のマスケット銃のメンテナンスを依頼しに来た。その時セリカは自分が注文した別の銃の出来を確かめる為に射撃場にいた。


「あちらの方は?」

 そうシスティが主人に訊ねたのがきっかけだった。

 実際、鍛冶屋という血と汗と鉄が粉塵となって舞い踊っている現場の隣で、晴天の清らかな雲のようなハイエルフが銃を撃っていれば、気になるのが当然だ。

 システィは新米騎士としてトマーヤに来ており、先輩はいても友達はいない。同じ若手のフェマもセリカと同じ十八歳だったが、いろいろな理由で友達という関係ではない。

 セリカも似たようなものだった。ただ、セリカの場合はコーヤン国内でも珍しいハイエルフでありながら機械に目がないという点で有名で、多くの人が知人という距離を保っていたからであった。


「つまり、変人ということ。賢老は路石を踏まずと」

 邦都の数少ない友人から身も蓋もない評価をされてしまったセリカを、システィは持ち前の素直さで尊敬した。セリカにとってはそれだけで友人の条件は満たせた。

 そのシスティがドラゴンに襲われたという話を聞いた時は天と地がひっくり返ったような衝撃を受けた。

 おそろしいウィニードラゴンの群れ。もしも滞在している騎士団が敗北してしまってはどうしようと思った時、セリカの足はドラゴンを倒す為の武器を求めて鍛冶屋へ向かっていた。

 それが、いつの間にか、四時間も経っていた。


「わたくしはっ! 憎いっ! たったひとり……じゃないかもしれないけど、ひょっとしたらそうかもしれない友達のことを忘れて銃に見入ってしまう自分の愚かさが!」

「あの、ソーラ博士……ラハーマ様のお迎えは?」

 およよと自分に対して恨み言をつぶやき続けていたセリカは、鍛冶屋の一言ではっと起き上がった。


「申し訳ありません。お見苦しいところを」

 いやぁ、それはいまさらでは――という鍛冶屋の表情にも気づかず、セリカは涙をぬぐった。


「それでは、行ってきますね」

 ハイエルフの娘は試作の拳銃を再び預けて、鍛冶屋の射撃場から出ていった。


「いやはや、奇特な博士だて」

 白いローブをゆるやかに波打たせて歩く後ろ姿は絵画から抜け出てきたようであり、特にその腰から下を主人はじっくりと眺めて見送った。


 国境の都市トマーヤは北西から東南にかけて国境をまたぐオーシュ街道に沿って拡張している。深い森の中で地面が平坦な場所を切り開き、二つの邦国をつないだ道を広げてつくられた都市で、端から端までをまっすぐに貫くオーシュ街道の大通りが中心となっている。

 その大通りのコーヤン方面にセリカは駆け足で向かっている。一歩ごとに大きな胸が揺れている。

 大通りには喝采があふれていた。騎士団がウィニードラゴンを討伐したという知らせに湧いているのだ。

 人々が上機嫌に話している内容によれば、なんとシスティがドラゴンを倒したらしい。まだ若いのにたいしたもんだ。白馬公女ルクレシア様の再来かもしれない。そんな風に噂しあっている。

 コーヤン方面の関門まで来て、セリカは白馬騎士団の一人を見つけた。


「テ、テロミアさん……!」

 とっさに立ち止まったが、関門の外を流れる川にかかる橋の上で、鳶色の髪と中性的な顔立ちの下に隙間なくフルオーダーの甲冑を着込んだ女騎士はしっかりとセリカを発見していた。


「セリカ! ボクを迎えに来てくれたのかい!」

 ぱっ、と女騎士の顔が輝き、手を広げて歩み寄ってくる。ヒールを上げたブーツを履いているので、頭の位置はセリカより少し高い。


「えっ? い、いえ、そんなことは……」

 セリカの追い詰められたリスのような表情を見ながら、その手を取り、薄く口づけをする。


「安心して、ボクのセリカ。ボクはキミひとりを残しては逝かない。たとえシスティがドラゴンの胃の中に落ちてもキミだけは守り通してみせるよ」

「き、騎士テロミア、システィは死んではいないはずでは……」

「やめおくれ、ボクのセリカ! ボクのことはフェマと呼んでくれといつも言っているだろう!」

「え、えっと……」

 フェンマラノーラ・テロミア――フェマはいつもこの調子でセリカに言い寄ってくる。そこらの男性では相手にもならない端整な顔立ちのフェマは身のこなしも一流で、女の身ながらセリカに情熱的なアプローチを重ねていた。

 セリカもフェマのことは嫌いではない。同い年だし、頭もよくて、セリカの奇異に見られがちな研究にも耳を傾けてくれる。

 しかし、とにかくアプローチが激しいのだ。ただ隣に座って話しているだけなのにいつの間にか手を握っている。肩を抱き、耳に唇を寄せてくるのだ。


「いいだろう? せっかく二人で逢えたんだ。このまま二人で食事に行こう。良い店を見つけたんだ。長靴通りのすこしわき道に入っていくんだけど、花壇がたくさんあってとてもきれいなんだ」

 これ以上顔を近づけられたら逃げるしかない――セリカがそう決意した矢先、遠くから女性の怒号が叩きつけられた。


「こらぁ! フェンマラノーラ! サボってないでおまえもシスティを迎えに行くんだよ!」

 停止したフェマの肩越しに剣呑な表情の白馬騎士が立っていた。セリカやフェマより一回り年上のヘルミネ・アストラーダだ。

 しかし一瞬は眉をひそめたフェマが小隊の先輩に振り返ると、最初は怒りを、次に哀れみを込めてため息をついた。


「いけません、ヘルミネ殿。私たちは今、愛を語らっているのです。愛の時間を邪魔してはなりません。残念ながらもうすぐ三十になるヘルミネ殿は邪魔されるような愛にはぐえぇ!」

 タバードを襟から思いきり捻り上げられて、フェマの細い喉からガマガエルのような悲鳴が洩れた。


「誰と誰が愛を語っているってぇ! お前だけだろうが、この色ボケが! システィじゃなくてお前がドラゴンにやられちまえばよかったんだ!」

「ふん! システィがなんだっていうんだ。顔はいいのに他はてんでダメだ。それにボクとセリカの仲をいつも邪魔する!」

「あ、あのシスティは……」

 白馬騎士二人のやりとりをセリカはおずおずと中断させて訊ねなおした。


「システィは無事なんですよね、騎士アストラーダ。ドラゴンにやられてなんて……」

「あぁ、大丈夫だよ。いえ、失礼しました。無事です。ソーラ博士」

 短く波打つブラウンの髪を振って、ヘルミネは詫びた。十八歳でもセリカはコーヤン屈指のエリートであり、パトリアもその恩恵に預かっている。システィとフェマ以外は下にも置かない態度を徹底していた。


「システィーユ・ラハーマは巡察中、三体のウィニードラゴンと接触しましたが、屠龍騎士ネイ・クリンガーの協力を受けてこれを討伐しました。勲章ものの功績です。もちろん指一本失っておりません」

「あぁ、よかった……システィ……」

 セリカは胸を撫でおろした。ひとまずシスティは無事だとわかった。その心からの安堵を見たヘルミネもすこしだけ相好を崩して敬礼した。


「ソーラ博士、我々は公務に戻らせていただきます。騎士ラハーマも公務がありますので、後ほどうかがわせるようにしましょう」

「それには及びません、騎士アストラーダ。わたくしからお見舞いに行きます」

「わかりました。そのように伝えておきます」

 きっとシスティも喜びましょう。そう言い残してヘルミネはフェマを引きずっていく。


「セリカ! 今夜はディナーを共にしよう! ボクのふむぐぁ!」

「お前はもう一言もしゃべるな!」

 したたかに鼻っ柱をはたかれたフェマを苦笑して見送るセリカであった。

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