第4話


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 偉大なる父祖ドリトンの名前からドリトン大陸と名付けられたこの大陸には、ひとつの帝国と五つの邦国、そして無数の盗賊団と無数のドラゴンがそれぞれ支配権を握っている。

 しかし二十四年前はそうではなかった。

 ドリトン大陸は東西にやや広く、その中央に大陸を縦断する長大な山脈が連なっており、城砦山脈と呼ばれている。

 かつて、城砦山脈の東側には五つの邦国、西側に七つの邦国があり、それら十二邦国を束ねるライゼン王国があった。大陸において国王とは宗主国であるライゼンの国王ただ一人であり、他の十二邦国を統治するのは国王の親族から選出されて国王から任命される邦王である。邦王は邦国内で最大の権益を有するが最終的には国王の臣下となる。

 西側の七邦国は父祖の生まれた土地ドリトンと、ロネム、バーランド、ヘルジアード、タイトロン、ユラサ。

 東側の五邦国は大陸最大の人口を持つパトリアと、コーヤン、ナハーラーム、ベイロス、モルドバ。

 二十四年前、第三十六代ライゼン国王ネスルヤは、前王ハリスの三人目の息子であった。

 上の兄二人は共に聡明で、ネスルヤが国王の位を継ぐことはなく、老齢の邦王がいるパトリアかベイロスを継ぐだろうと見越して、騎士学校を卒業すると東側の邦国を訪ね歩いていた。


「パトリアは東側の中央に位置して西側との交易を一手に担うとても豊かな国だ。ベイロスは大陸の胃袋を掴む大穀倉地帯だ。農園ばかりの田舎と思っていたが、国民はみな素朴でつつましやかな生活を楽しんでいる素晴らしい国だ」

 いずれ君臨するであろう未来の土地に惜しみない賞賛を送るネスルヤだったが、それは生まれ育ったライゼンに迫っていたゆるやかな文明の停滞を感じ取っていたことの裏返しだったのかもしれない。いずれにしても悲愴な運命はネスルヤをライゼン国王としてしまった。父の跡を継ぐはずの兄二人が相次いで夭折したのである。

 長兄は当時最大規模であった盗賊団との戦いで戦死し、次兄はドラゴンの群れとの戦いで戦死した。

 ドリトン大陸に巣食う無数の盗賊団と無数のドラゴン。城砦山脈という侵しがたい長大な自然が隠す恐るべき無法者の集団は、お互いを敵同士と認識していながらももっぱらの獲物を善良な民衆と家畜に定めて狩猟と略奪を繰り返していたのである。

 騎士団とはつまるところ盗賊団とドラゴンを討伐して、国内の治安を維持するのが任務の国防組織である。

 当然ながら宗主国であるライゼンは最大の騎士団を有していた。各邦国の騎士学校を卒業した騎士はすべてライゼンに忠誠を誓い、ライゼンの騎士となった後にライゼン騎士団に編成されるか、それぞれの邦国の騎士団に所属することになる。

 ライゼン王国は邦国からの税を受け取り、代わりに騎士団を派遣して無法者の脅威を取り払う。

 それがドリトン大陸にライゼン王国が誕生してから約千年の間に成り立った統治方法であった。

 人類は大陸の西側の村から偉大なる父祖ドリトン・シービルの使命を受けて生息域を拡大する開拓計画を打ち立てた。肥沃な牧草地ロネムと始まりの地ドリトンを結ぶ要衝の地がライゼンであり、ドリトンの息子ライゼン・シービルが指導者として議会をつくり、死の直前に王となった。その為、ライゼンは国名を冠する初代国王であるが、実際に王国として歩み始めたのはライゼンの息子バダム・シービル・ライゼンからとなる。ライゼンの名が姓となったので、初代の墓碑銘はライゼン・シービル・ライゼンであった。父祖ドリトンの名は発祥の地である西端の村の名に与えられ、ロネムと並んで最初の邦国になる。そしてシービルの姓は直系のライゼン国王にのみ許される姓になった。


 それから千年の時が経つ。

 バダムの子、第三代フラン国王が主導して再考された新しい開拓計画によって、はじめて城砦山脈を越えて邦国が建てられた。それがパトリアである。建国にあたり大陸の東側では徹底的な調査が行われ、パトリアを含めた五つの土地が新都市に選出されて、五つの都市すべてと西側のライゼン王国とが有機的に結ばれる街道敷設計画が実行に移された。この功績によりフランは開拓王と呼ばれるが、その一方で国家の体制を整理して邦国と邦王、それらを支える司政長官、国防長官、工部長官の三公制度を発足させるなど、王国の基礎も築き上げた。制度の特筆すべき点は、邦王と三公は就任した当人から三代の間は同格の位には就くことができないという点であった。フランは特権が継承されて、家格と権力が結合した時、とてつもない勢いで膨張していくだろうことを心得ていたのである。

 フランの戒めに従ったことだけが要因ではないが、ライゼン王国はいくつかの苦難と試練を乗り越えてドリトン大陸に繁栄をもたらしてきた。

 ネスルヤはその歴史をよく知っていた。そのうえで、パトリア邦国がライゼンを上回る富を有していることもまた、よく知っていた。

 二人の息子を相次いで喪い、国王ハリスは哀しみに打ち震え、すべてにおいて無気力な人間となってしまった。

 国王が自堕落に陥った以上、ネスルヤが奮起しなければならなかった。盗賊団にもドラゴンにも王太子を殺められたライゼンは、国威が失墜して国内の統治にまで影響を出し始めていたからだ。


「父はもはやあてにならぬ。私の手でライゼンを復興させる」

 三公を前にネスルヤははっきりと言った。ハリスも暗黙のうちにそれを認めた。ネスルヤが国政を執り仕切るようになって三年、ハリス国王は失意のまま崩御した。この時ネスルヤ王太子は二十二歳と若年であったが、既に実権を掌握していたので滞りなく王位を継承した。

 ネスルヤは国王としてあらためて政治を執り仕切った。兄二人を殺害した叛乱勢力に報復し、王国の権威を取り戻した。

 堕落した王権を強制する為には、宮中にも流血は避けられなかった。

 即位するやいなやネスルヤは前王ハリスによって任命されていた三公の長官を罷免し、捕らえて追放した。


「貴様らは国王が政治を省みぬ姿を見て諫めもせず、すべてを私に押し付けた」

 それがネスルヤの言い分であった。

 三公の私財を没収すると、すべて臣民に分配した。魂胆は見え透いていたが、民衆はネスルヤ万歳を歓呼することでさらなる富の降嫁を期待した。

 しかし三公を同時に罷免しては国政が滞るということで、司政長官のみ現職に戻し、即位後の混乱が収まると再び追放した。

 三公すべてを自分の腹心に交代させると、まず軍制改革に手をつけた。騎士団の綱紀を粛正し、新体制を確立させた。

 これらの強硬策によって必要以上の血が流れたことは否定できないが、ライゼン王国の権威は確かにネスルヤの手に戻った。しかし、若き王の心はやはりかつて訪ね歩いた東側諸国に残されていたらしい。吉数である即位五年目に各邦国の邦王がネスルヤに祝辞を述べに訪ねてきた際、ネスルヤはパトリア邦王フリックに臨時徴税によってパトリアの国庫をネスルヤに移すよう求めた。フリックは過去にネスルヤがパトリアを訪問するたびにもてなすなど厚意を施してきたが、この要請は正式に却下した。


「飢えて苦しむ国に与えるならばともかく、進歩に衰えありとはいえライゼンはいまだ宗主国としての威厳をもっておられる。威厳を保ち、邦国の忠誠を信じるからこそ、ライゼンは千年の時を経てなお健在であるのです」

 フリックは既に老齢の邦王であったが、判断能力に陰りはなく、むしろネスルヤの野心に対して高いレベルで警戒していたと思われる。


「国王陛下は財政と秩序を回復させたが、それは自分の配下にならぬものを罰して財産を没収し、配下を通じて軍隊を私益化させて国民を縛り付けているだけです」

 痛烈なフリックの批判にネスルヤは、


「臣民は喜び、私を貴んでいる」

 と反論したが、それすらもフリックは、


「堕落した前王ハリスの後の劇薬としての効果に一同が陶酔し、昏睡しているだけです。いずれ皆が目を覚ますでしょう」

 と突き返した。

 ほどなくしてフリックの言葉は証明される。臣民から劇薬の効果がなくなると、排除された高官や貴族たちが裏で盗賊団を支援してライゼンの臣民を狙って攻撃し始めた。

 ネスルヤはこれをフリックの陰謀と断定して出頭を命じるが、当然フリックは拒否した。

 ネスルヤが国王に即位してから十年目、バーランド邦国が叛乱を起こした。前邦王が逝去して、以前からバーランドに在住していた従弟のイルオーゾが即位してすぐに叛旗を翻したのである。

 邦国の叛乱はおよそ二百年ぶりであった。その時は賭博王と言われたフレデリク二世が多くの負け額を踏み倒したことが原因だった。

 ライゼン国王ネスルヤはただちに各邦国に連合軍の集結を呼び掛けた。苛烈で不仲であろうとも宗主国であるライゼン国王の権威は確かであり、パトリアも含めてすべての邦国が騎士団を派遣した。

 バーランドの叛乱はすぐに終結した。バーランドの騎士団はイルオーゾに服従していたが、連合軍を前に一戦して敗れ、邦都を包囲されると降伏し、イルオーゾは虜囚となった。

 戦勝を祝い、連合軍は解散。そう思われた途端、事件は起きた。


〝帝王の背中撃ち〟と悪名をもって伝えられる事件はその名の通り、ライゼン騎士団が、撤収するパトリア騎士団を背後から攻撃したのである。

 この奇襲にパトリア騎士団はなす術なく崩壊した。東側から城砦山脈を越えて西側に遠征してきたパトリア騎士団であるから、退路を守るライゼンから攻められてはどうしようもなかった。

 この報告が東側に届くより早く、ネスルヤはドリトン大陸の全土をライゼン帝国の名の下に統一することを宣言した。

 ライゼン帝を称したネスルヤは邦王たちに臣従以上の服従を迫り、侵略した。抵抗した邦国もあったが、最終的には西側七邦国はすべてライゼン帝に支配されることになった。

 一方で、東側への侵略は失敗に終わった。

 最初の奇襲によりパトリア第一騎士団は崩壊したが、ネスルヤを警戒していたパトリア邦王フリックは城砦山脈の主要な山道に騎士団を配置させていた。

 結果的にライゼン騎士団はこの防御を打ち破り、城砦山脈を越えてパトリア国内へ押し寄せるが、時間稼ぎに成功したパトリアは軍勢を整えて対峙し、東側五邦国のうち、ナハーラームとコーヤンの二ヶ国の協力を得て、ついに退却させたのである。


 以後、二十年にわたってネスルヤはパトリア侵攻を企図するが、フリックは城砦山脈に堅固な要塞ガトゥーアを建築させて、何度も侵略を防いだ。

 そして、帝国宣言時には既に老齢であったフリックより先にネスルヤが崩御した。五十二歳だった。

 跡を継いだのがアルフレッド二世である。

 フリックは代替わりを機にライゼンの無謀な帝国化をやめるよう求めた。

 だが、アルフレッド二世は帝国の解体は行わなかった。帝国化に従わなかった東側五邦国を謀叛人と定めたうえで、恩赦を出して赦すという名目で、事実上の休戦とした。

 東側五邦国としては不本意であるが、譲歩は一切なかった。フリックも他の邦王から諭されて認めることにした。専守防衛に努める限り優勢を維持できるが、長きにわたる戦乱は城砦山脈に潜んでいた無法者たちを大きく増長させていたのである。

 ドリトン大陸にはひとつの帝国と五つの邦国、そして無数の盗賊団と無数のドラゴンが残された。

 それから四年が経つ。

 この物語は、後に束の間の休戦と言われる歴史上の短い時間での出来事である。

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