第3話
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パトリア邦国白馬騎士団第三連隊第二小隊隊長ジェニア・フォルセナは亜麻色の髪と均整の取れた身体に真白い鎧兜をしっぱりと着込んで、なめらかなたてがみの愛馬ペドウィンにまたがっている。
二十六歳の妙齢の女性で、システィの直接の上司にあたる。
隣に並んでいるのが三十八歳の副隊長カミラ・ロシェル。小隊では最年長で栗色の長いウェーブを兜から一房垂らしている。穏やかを通り越して臆病な面があり、ドラゴンが出現しているという報告に一番怯えていたのが彼女であったが、今は恐怖心を無理やり抑えつけて隊長に付き従っている。
それぞれ自分の後ろに数人ずつ従卒を連れて山道を登り、呼び笛を鳴らして行方知れずとなったシスティーユ・ラハーマの捜索をしていた。
一度、無事を知らせるシスティの笛が聞こえた時、二人は安堵したものだが、しばらくしてこちらからの笛に返答がなくなったことで新たな不安を募らせていた。
「ドラゴンの声は聞こえないけれど、なにかあったのかしら」
ジェニアの予測にカミラは鞍から腰を浮かせて辺りを見渡した。
「システィ、どこにいますか。システィーユ」
最年長のカミラと最年少のシスティの年齢差は二十二にもなり、システィの母ミマームよりも年上である。カミラは結婚していたが子どもはなく、模範的で素直なシスティがかわいくてしかたなかった。
今日のシスティの単独行にも一番反対していたのもカミラであった。
山と森に囲まれたトマーヤの近くでドラゴンの目撃情報があり、騎士たちはその事実を確認しなければならなかった。人口が一万人にも満たない国境の都市に滞在しているのは、ジェニアが率いるパトリア邦国白馬騎士団第三連隊第二小隊の六名の他に、男性騎士で構成される本来のパトリア邦国第三騎士団第二小隊の十六名と、トマーヤ市庁区の近衛兵三十名である。精霊学の総本山であるコーヤンは国内の八〇パーセントを山地で占められてパトリアとのみ街道を通じていることもあり、伝統的に軍事戦力としての騎士団を常設していない。パトリア邦国の騎士団が滞在する他は王宮や地方官舎を警備する近衛兵がいるだけだ。その為、コーヤンの中で騎士や兵士を希望する者はパトリアに移住して、パトリアの騎士団としてコーヤンに戻ってくることが多い。実際に第三騎士団の人数は約二〇〇〇人のうち、半数以上はコーヤン人である。
一方、パトリア邦国の白馬騎士団は女性のみで構成される独立した騎士団である。かつて〝白馬公女〟と呼ばれた騎士ルクレシア・ローメルの影響を受けて女性騎士が増えた為に設立された背景を持ち、現在では三〇〇人ほどの女性が騎士として所属している。
とはいえ実態は騎士としての実力よりも治安維持や民心の慰撫を目的としており、部隊としての規模は邦国騎士団の本隊より常に一回り小さい。男性の騎士が一つの任地に四年間在籍するのに対して、一年ごとに転任していく。また、白馬騎士の来任はその地方にとって良いことであった。華やかな女性騎士がいることで都市は賑やかになり、在地の騎士たちは仕事が減るのである。
ジェニア小隊も歓迎されて街に入って三ヶ月が経っていた。この後も何事もなく過ぎ去っていけばよいと思った矢先のドラゴンの出現であった。
ドラゴンが出現すれば、その都市の警戒レベルは最大にまで上がる。所属している騎士は老若男女の区別なくドラゴン対策として投入されることが義務付けられている。
ジェニア小隊では通常、三人ずつ二組で巡察を行っていたが、ドラゴン探索へ任務が変わると、二十四時間あらゆる方向に目を向けなければならなくなり、一人の騎士で巡察を担当するよう邦国騎士団の小隊長ブリック・ライムに要請された。
ジェニアは新入りのシスティーユ・ラハーマともう一人の若手のフェンマラノーラ・テロミアについては単独行動をさせることを不安視してブリックに相談をしたが、
「女だろうと新入りだろうと、騎士ならば相応の働きをするべきだ。私の部下にも新入りはいる。もちろん彼も一人で任務にあたらせる」
と、すげなく断られた上に、
「騎士一人とはいえ、従卒はいるだろう。本当の意味で一人ではないのだ」
「その通りですが、騎士ラハーマには従卒も四人しかおりません。裕福でない騎士ではそれが精いっぱいなのです」
「ならば貴公の従卒を貸してやればいいだろう」
結局ジェニアは有効な反論をすることができず、自分の従卒から三人ずつ選んでシスティとフェマの配下としたが、システィは固辞した。
「隊長附きの方を私が指揮するなど恐れ多いことです」
予想できたことだったので、ジェニアも説得の内容をあらかじめ用意していた。
「システィ、あなたはまじめで良い子だけれど、好奇心も強すぎることがよくないと、私は言っていたわよね」
「はい」
「今は逆ね。まじめすぎることが良くないわ。私があなたを心配しているから、厚意をありがたく受け取っておきなさい」
「はい、わかりました」
「素直なのも良いことよ」
ジェニアが選んだ三人の従卒もフォルセナ家に仕えて長く、ドラゴンとの戦闘の経験もある熟練兵だった。
当番の時間もドラゴンが行動を控える早朝にしたので、きっと安全だろうと信じて送り出した。
誤算は、ドラゴンがやはり狡猾で気まぐれで、優等生のシスティがやはり責任感においても優等生だったということである。
ウィニードラゴンの襲撃を受けた時、システィが七人の配下をかばって注意を引き付けたのだった。
呼び笛で営舎を飛び出したジェニアは、合流した従卒たちから奇襲を受けたことを報告された。
ドラゴンは一行の背後から襲いかかって、まず従卒の一人を鋭い爪で捕らえた。
そのまま飛び立とうとしたドラゴンにシスティは馬上から槍で突いた。驚いたドラゴンは従卒を落としたが、代わりにシスティに狙いを変えた。
システィもまた、ドラゴンを引き付けて愛馬アーサーを駆けさせて、離れていったという。
「あぁ、システィ。だから一人で行かせたくはなかったのに」
従卒がついていったとしても、馬を全速で走らせては追いつけるはずがない。
ジェニアは自分とドラゴンとブリック小隊長の三者を等分に呪いながらも、ドラゴンを追跡し、システィを救出する手筈を整えた。
それから三時間、捜索は続いた。
邦都コーヤンほどではないが、トマーヤの周囲も高い山に囲まれている。というより、山間の狭間にあるわずかな平地を切り開いて街道をつくり、ようやく人間の都市を築いたといった方が正しい。
三十分ほど前にドラゴンの金切り声と銃声が聞こえてきた時、こぼれだしそうなくらいの不安が呼吸さえ止めてしまいそうだった。
一度途絶えた呼び笛が再び聞こえてきた時、ようやく胸を撫でおろした。もう遠くない場所だった。というより、通り過ぎた場所で従卒が崖下に続く獣道を見つけた。
「システィーユ、システィーユ!」
「はい! ここに!」
待ち望んでいた返事だった。ジェニアとカミラは馬を下りて、従卒に案内されて岩壁に沿ってつくられた坂道でようやくシスティーユ・ラハーマと再会できた。
「あぁ、システィ」
ジェニアは目の端に涙を湛えて小さな騎士を抱きしめた。ジェニアは感情が任務より先立つことを指摘されるが、いつもそれは問題ではないと反論している。騎士とはいってもシスティはまだ十六歳の娘なのだ。一回りも小さい少女が泥だらけ埃だらけでいるのを見て無感情でいろというのならば、それこそ人間として欠陥があると言いたい。
「本当に無事? けがはない?」
「はい、騎士クリンガーのおかげです」
「クリンガー?」
いぶかしげにジェニアは眉をひとめた。その名に聞き覚えはなかった。システィが後ろを向いて指し示した岩壁の途中のくぼみには赤毛の女が用を果たした短剣をぬぐっている最中だった。その人間以外を標的とした装備は……
「屠龍騎士……?」
「はい、あの方が三体のウィニードラゴンを退治しました
そこでシスティは隊長の目に疑惑の影が差していることに気づいたらしい。
「あの、ご存じではなかったのですか?」
はっきりとした記憶ではないが、覚えがあった。システィの捜索に出る時に、群衆の中にあった特徴的な赤毛を目にしていた。傭兵の一人と思っていたが、まさか屠龍騎士とは。
紹介された女騎士はちらりとジェニアを見ると、ぱちりとウィンクしてみせた。屠龍騎士が正式な騎士団に対して礼を欠くのは珍しいことではないが、ジェニアが気にしたのはもっと別のことであった。
「感謝します。騎士クリンガー」
「ネイでいいよ。ネイ・クリンガー」
短剣をしまったネイを見て、ジェニアは疑惑を確信に変えつつ訊ねた。
「失礼ですが、あなたはライゼンの者ですか」
「えっ」
質問に驚いたのはシスティだった。泡を喰ったような表情でネイ、ジェニア、カミラの間で視線をさまよわせる。カミラは既に理解していたようで、不安げに、しかし隙の無い視線をネイに向けていた。
二人は知り合いではなかったのか? まずシスティはそう思っていた。先ほどネイは小隊長がシスティを探しているようなことを言っていたが、それは嘘だったのか?
「そうだけど、そんなにカリカリしないでもらいたいですね」
ネイはシスティに対していたのと同じように、相手の言うことを意に介さないさっぱりとした態度で笑いかけていた。
「私は帝国の騎士団にいましたが、もうあそこはやめた……やめましたよ。このように、正式の通行証もある」
すこしだけ態度をあらためてネイは荷物袋から木枠に挟まれた紙の通行証を見せた。ジェニアはそれを受け取るが、さっと見る程度ですぐに返した。目にはいまだ剣呑な光が灯り続けていた。
「そこの騎士ラハーマがドラゴンに追われていると聞いて、抜け駆けに来たということでしょうか」
「まあ、大方は」
「トマーヤに来たのは、ドラゴンの報告を聞いたからですか」
「いいや、偶然さ。もっと大きな噂を聞いてきた」
ネイの所作は相手を刺激しないように意識していたようだが、その名を口にした時は底知れぬ感情を瞳に宿しているようにシスティには見えた。
「ヒュージドラゴン、白銀のシレーヌ。こちらに渡ってきていると聞いてやってきた」
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