第2話


 2


 ネイ・クリンガーと名乗った屠龍騎士は、まずシスティを崖下の河原へと導いた。


「とりあえず、その汚い顔を洗うといいよ」

 一七〇センチ近い身長はブーツと合わせてシスティより頭ひとつ分は高くなる。赤毛のショートヘアはよく見ると右半分を剃って耳を出している。日焼けした肌、薄い口紅。そして整ったシャープな顔立ちをしていた。


「馬をとってくる」

 そう言って山道を戻っていった。システィの白馬アーサーは一緒に連れてきている。ドラゴンとの戦闘ですっかり心がくじけてしまい、歩くことさえおぼつかなかったが、河原の開けた景色を見て気分が落ち着いてきたようだった。

 システィは鎧とタバードを脱いで、袖なしシャツとズボンになって、河辺に座り込み、それらについた汚れを簡単に洗い流した。

 水筒に水を汲んで頭にふりかけて流すと、ネイが戻ってきた。連れてきた馬には荷車がついていた。


「システィ、あなたが迷子になっているっていうパトリアの騎士だよね」

「迷子になっていた訳ではありません」

 反論する元気は戻っていたが、常時さっぱりとした雰囲気のネイは意に介さずといった調子で続けた。


「トマーヤに滞在しているあなたの隊長が探していたんだよ。とりあえず合図でも送って迎えにきてもらったら」

 トマーヤはコーヤン邦国とパトリア邦国の二国を結ぶ関門の都市で、システィが所属する小隊もそこに滞在して周辺の巡察に出かけている。

 システィはタバードだけを着て、鎧はまとめてアーサーに積みなおすと、呼び笛を吹いた。

 すぐに返事の笛の音が山の中に響いた。南西の方角、トマーヤのあるほうである。システィは向こうから自分のいる方角がわかるように、笛の音色を変えて吹き返した。


「さて、ちょっと付き合ってもらうよ」

 ネイが馬の手綱を曳いて山道へ戻っていく。システィは慌ててアーサーを曳いてついていった。本来ならばついていく必要はないはずなのだが、根がまじめな少女ゆえに〝命の恩人〟というような言葉に弱く、すっかりネイに身を任せていた。

 ネイの馬が曳く荷車は人間が二人乗りの物だが、小さな荷物袋以外は何も積まれていない。他に何も持っていないのだろうかと思って視線を上げると、そこにはあの巨大な剣があった。

 ネイの背中の大きな剣だ。もちろんシスティはその正体を知っている。

 ドラゴンスレイヤー。

 屠龍騎士のこともそう呼ぶし、総じて彼らが操る巨大な武器のこともドラゴンスレイヤーであった。

 まさしくドラゴンを倒す為の武器だ。

 ドラゴンの生命力の高さはよく学習していたし、先刻実感したばかりだ。騎士団支給のマスケット銃を急所を含めて四発命中させても生きていた。その強靭な筋骨を真正面から叩き割る為には単純に巨大な武器が必要になる。

 一方、ネイの身体もまた強靭であるものの、はっきりと女性である。背負うだけでも一苦労になる巨大な武器をどうやって扱っているのか――その答えは精霊にある。

 屠龍騎士はすべて精霊使いであり、鍛冶師でもある。精霊と同化して武器を鍛えて、武器にも精霊を同化させる。文字通り一心同体となるのだ。それが屠龍騎士の必定であり、その為には厳しい修行を己に課さなければならない。

 同化は精霊の特徴のひとつだ。彼らは他の生命とは異なる基準の命とみられているが、それが形作られるのは無数にある元素と結びついてからである。精霊の元となる核が生まれて、可能な限り単一の元素と結合を行い、ある程度の質量を有してから意思と呼ばれるものを持つようになる。それでも彼らは物質的には不安定な存在である。

 その為、精霊は同化という方法を用いて世界とさらに強く結びつく。火、水、土、木、金のいずれかに質量と意思を固定した精霊は、それに惹かれて近づくものにも結びつき、自らの質量を相手に委ねる。精霊は意思だけの存在となり、同化は完了する。結果として精霊の性質が結びついた相手に宿ることになる。この習性に種族の知恵として目をつけたのが人間とドラゴンであった。

 人間は同化前の精霊と意思を疎通する方法を考え、ドラゴンは体内に精霊を住まわせる器官をつくり出すことによって精霊の力を得た。

 精霊と人間の関係は、彼らと交信する方法も含めて精霊学として集約されている。システィも心得ており、準備があればマスケット銃や槍の威力を高めることができる。騎士の必修だが、精霊を扱う能力は天性の才能に依存することが多い。

 屠龍騎士が普通の騎士と違ってくるのは、精霊に同化を促せるほどの理解力と巨大な剣を鍛える膂力を兼ね備えているということだ。

 ここまでいうと知勇兼備の英雄のようであるが、システィをはじめとした多くの人々から奇異の目で見られるのが屠龍騎士たちであった。


(この人はどうして屠龍騎士になどなったのだろう)

 という疑問が先に出てくるのだ。

 屠龍騎士は邦国ごとに屠龍騎士団という特殊な組織に所属している。

 ドラゴンの被害が出た時、まず邦国に通達される。その情報を基に邦国正騎士団から派遣される人数が決定される。

 騎士の派遣が決まる前に先遣隊として投入されるのが屠龍騎士であった。報告されたドラゴンを実地で確認して、偵察と防衛を行い、可能であればそのまま討伐することも含まれる。基本的に単独行動で現地でも支援が望めない非正規ユニットであり、当然ながら命の保証はなく、華やかな尊敬よりも陰惨な畏怖の対象として知られている。

 そんな危険な仕事を自ら請け負う者は多くない。なにかしらの事情を持つのが大半だ。

 金か、名誉か、刑罰か。

 システィは結局それを訊ねるタイミングを逃した。

 前を歩くネイに続いているうちに、その目的が小隊との合流ではないことに気づいたのだ。

 ネイが連れてきたのは、あのドラゴンたちの死体のある場所だった。崖のくぼみには死肉を漁りにきた狐と鳥がいて、二人が近づくと逃げていった。

 システィとしては思い出したくもない場所だった。


「こんなところで何をするんですか」

「いろいろとやることがあるんだよ」

 赤毛の騎士は岩壁に大剣を立てかけると、腰から分厚い刃の短剣を取り出した。ドラゴンの死体を前に腰を下ろすと、紫色の分厚い肉に包まれた顎をこじ開けて短剣をねじり込んでいく。


「な、なにをしているんですか……?」

 肉を抉る生々しい音にシスティに背筋が冷える。


「牙を取るのさ。あと爪も」

 ぶちっと何かがちぎり取られた。たしかにそれはドラゴンの牙だった。アクセサリーやお守りとして市場に出ているのを思い出す。


「骨や肉も売り物になるけど、手っ取り早くて割がいいのが爪と牙さ」

 三本目の牙を抜いた時、ドラゴンから唸るような音がした。


「ひぇっ」

 珍しい作業に興味をもって眺めていたシスティが身構える。


「忘れてた」

 舌打ちをしてネイがシスティに言いつける。


「ちょっと、手伝ってちょうだい。あたしの荷物を持ってきて」

「えっ、あ、あの……」

「だいじょうぶだよ、ちゃんと死んでる。でも中の精霊はまだ生きているんだ。そいつを出さないと」

 なにもかもが知らないことだらけだ。システィは恐怖と興味を等分に抱えて、ネイの荷物袋を取って戻ってくる。


「縄を出して。そいつで思いっきり口を開けさせるんだ」

 ネイが顎を持ち上げると、新米騎士の少女は言われるがままロープの片方のわっかを上顎にくくった。


「背中側から引っ張って。そう、そして背中の出っ張った骨を踏んで」

 騎士学校で学ぶ間に命令に従うことを体で覚えさせられていた少女は「はい、はい」とうなずいて、そのとおりにしていた。ロープを引っ張りながらドラゴンの背骨を踏むと、がばっと勢いよく口が開いた。


「きゃっ!」

 驚いて倒れそうになったが、転ばず踏みとどまれた。


「同じところ、何回も踏んで」

 ドラゴンが生き返ったのではない。そういう骨のつくりなのだ。そうシスティは理解して、また背骨を踏んだ。分厚くて硬い皮膚と肉に嫌悪感を抱きながら踏み続けると、こぉ、こぉ、という音がドラゴンの喉から鳴った。


「これって……」

「そうだよ、これで火の精霊に出番だって思いこませるの」

 システィは再び踏みつけた。喉に食べ物を詰まらせた人の背中を叩くように。

 十回踏んだ時、こぉ、という音がごっ、という音に近づいた。

 そこから三回踏んだ時についにドラゴンの口が火を噴いた。それは意思のない炎で、悪い言い方をすれば嘔吐だった。

 吐き出された炎がドラゴンの顎の先で小さな焚き火のようにとどまっていた。これが火の精霊だった。はた目には火そのものだ。しかしずっと見ていれば、それはたしかに意思をもって安定した形をつくり、システィとネイを見上げていた。


「あの、この子、どうするんですか」

「ここは山の中だからね。水ぶっかけるしかないかな」

「そんな……!」

 ネイは呆れたようにため息を吐いた。


「それなら、ランプにでも入れてやんな。でも、あと二匹いるからね」

「はいっ」

 素直な喜びを見せるシスティに、ネイも悪い気はしなかったようだ。

 要領を覚えると、作業は順調に進んだ。残る二体のドラゴンから火の精霊を吐き出させて、ネイは爪と牙を抉り取った。

 吐き出された火の精霊はしばらく戸惑っていたが、やがて自分の仲間に気づいて集まっていった。言葉はなかったが、会話をしているようだった。

 それを見て、システィは自分のランプを持ってきた。皿に一滴の油を落として、油の栓は閉じた。

 精霊を捕まえることは七歳から受けられる初等教育の三年間の最後に教わることで、騎士にとっても必修の科目だった。

 ランプを近づけると、火の精霊は油に気がついて、にじり寄り、皿の上に跳び乗った。三匹すべてが皿に乗ると、ぎゅうぎゅう詰めになったが、システィはランプの蓋を閉めた。しばらく経てば精霊の特徴である同化が始まり、三匹の精霊は一つになる。

 システィは学校以外ではじめて精霊を捕まえた。うれしくてにんまりと笑みがこぼれる。


「ところでね、システィお嬢ちゃん」

「はい?」

「気づいていなかったから言わなかったがけど、さっき上で馬に乗った誰かが通っていったみたいだよ」

「えっ……」

 システィの表情がさっと青くなった。


「あと、笛の音も鳴ったね」

「な、なななんで言ってくれなかったんですか!」

「楽しそうにしてたから、騎士のお仕事はもういいのかなって」

 ネイのほうこそ楽しそうににやついている。システィが重ねて抗議しようとした時、笛の音が聞こえた。聞き間違いようのない小隊の呼び笛だ。


「ほら、この音。さっきから何回か鳴ってたんだけどね」

「あぁ……あ、あ……」

 慌ててシスティは呼び笛を吹いた。

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