ドラゴンスレイヤーさん! ハイファンタジーのつもりがずいぶん百合ゆりしてしまいました!!~ドリトン大陸白馬騎士物語~

zankich

第1話


「あぁ、アーサー……ごめんなさい、こんなことになって」

 誰かがつくったものか、断崖のくぼみを利用した洞窟に入って、システィは愛馬の首を撫でた。

 システィーユ・ラハーマ。ドリトン大陸の東側に位置するパトリア邦国に仕える少女騎士の嘆きに、忠実な白馬アーサーは頬を摺り寄せて慰めようとする。

 共に騎士学校を卒業して、まだ三ヶ月だった。システィは十六歳でアーサーは三歳。父は徴税官で母が白馬騎士団の熟練の騎士。忠誠と謙虚と勇敢さを兼ね合わせているつもりだった。


「すこしここで休みましょう。隊長たちが探してくれていると思うけれど……」

 システィは身に着けていた胸当てと手甲を外して、タバードの腰ひもも外し、ひとまとめにしていた白金色の髪もほどいて汗をぬぐった。土埃にまみれていた卵型の小顔が生来の色白の素顔に戻っていく。

 それから、アーサーに水筒の水を分けて、真白い毛並みにブラシをかけてやる。背中に積んだ荷物袋からリンゴを剥いて半分に分けて食べ合った。

 一息つけた――そう思った瞬間、耳を裂くような金切り声が洞窟の外から響いてきた。


「アーサー! 静かに……! まだおとなしくしているのよ」

 身震いする白馬をなだめて、システィはそっと外を見た。お互いに先刻の恐怖を思い出していた。


「……まだいる。ドラゴンたち」

 白いタバードの腰ひもを結びなおしながら洞窟の奥に戻った。

 その間にも何度かあの金切り声が響いた。


「三体はいる。私たちを探しているんだ」

 ドラゴンの言葉はわからないが、奴らから逃げてこの洞窟に入ってきたのは確かなことである。

 システィは荷物を確認した。

 武器はパーカッションロックのマスケット銃と十七ミリの火薬込め済み紙薬莢と雷管キャップのセットが三十発分。

 腰に六〇センチの小剣と二〇センチのナイフ。


「槍……! そうか、落とした……」

 後ろから襲われた時、でたらめに振ったのは覚えている。その後どこかで落としたのだろう。

 システィは馬上槍の名手だった。それは学校レベルのことではあるが、隊内でも一目おかれる腕前であることは証明していた。

 その槍を落とした。しかも、落とした場所さえ思い出せないほどうろたえて洞窟に逃げ込んでいる。


「なさけない」

 わきあがってくる涙をぐっと呑み込んで、他の荷物を確かめた。

 他の荷物――馬の背に兜と脛当てと野営用のブランケットとそれらを結ぶロープ、荷物袋には着かえと呼び笛と望遠鏡とランプと油と筆記用具と裁縫道具と大小さまざまな食器。そして水筒とリンゴ二つ。

 つまり、遠征旅具のほとんどである。しかしシスティの任務はパトリアの同盟国コーヤンの巡察滞在であり、戦争に参加する予定は全くない。たかだか二時間ほどの巡察の度にこれらの装備を用意して持ち運んでいる。それがシスティーユ・ラハーマの性格を正確に表していた。マスケット銃だけで四キロはするというのに。

 小隊長のジェニアはこう評していた。


「システィの欠点はね、まじめすぎることね。学校で習ったことをいちいち守ってる」

 事実として、これらの荷物を持たずにいれば、もしくは途中で捨てることができていたら、ドラゴンから逃げきれたかもしれない。

 落ち込んでいる間に、あの金切り声がしないことに気づいた。

 システィはあらためて騎士の鎧を――兜と脛当ても含めて――着なおして、望遠鏡を手に外の様子をうかがうことにした。

 洞窟は崖のくぼみを掘り進む形でつくられている。システィが逃げ込んだのは一頭の白馬が少し頭をかがめれば入れるくらいだが、出入口付近は四、五人が立てるくらいに広がっている。

 その出口に一五五センチの細身の体をさらに縮こませて乗り出していく。外は緑多い平穏な山並みだ。精霊の国コーヤンは大陸でもっとも高い雲走る霊峰に寄り添うようにある。システィも派遣されてから毎日アーサーや小隊の先輩たちと共に美しい山々の間を歩いていた。

 しかし今、この山は望まれぬ闖入者たちの狩場と化している。そいつらは先ほどまでシスティたちを付け狙っていた。

 ドラゴンは一つの土地に在来する生物ではない。ほとんどが体長数メートル、巨大な翼と鋭い牙と爪を持ち、精霊の力を行使する。その優位性でもって生態系の頂点に立ち、いたずらに棲み処を替えて他の生物を襲う。人間も例外なく奴らの獲物だ。

 騎士が装備するマスケット銃でも倒すのは容易ではない。数人の小隊単位で撃ち続けてようやく相手になる程度だ。


「行ってくれたかしら」

 注意深く様子を探って、システィは出入口付近のくぼみからも出て、太陽の光を浴びた。濃密な殺戮の気配に気づくことができたのは、ほとんど偶然であった。

 狡猾なドラゴンは用心深く頭上の断崖にしがみついていた。


「ひっ……!」

 システィは悲鳴をあげようとしたが、間近で轟いた金切り声に全身が竦んで出せなかった。

 大口を開けたドラゴンは、そのまま落下するだけで幅広の顎でシスティの首に噛みつける。恐怖で膝からへたりこんでいなければ、ヒグマをも上回る膂力によって今頃は空中に放り出されていただろう。しばしばドラゴンは捕らえた獲物を遊び道具にする。

 兜のすぐ上で硬い歯の噛み合う音がした。新米騎士の少女は這いずるようにして洞窟に戻っていった。


「あぁっ……! はぁっ! はぁっ!」

 どうにか逃げ込むことに成功したようだ。システィを謀ったドラゴンは翼をたたんでも横幅が一、二メートルある。白馬のアーサーがやっと入れるくらいの洞窟にまでは入ってこれないが、あの耳障りな鳴き声で新米騎士の臆病を嘲笑い続けている。

 アーサーが恐慌を起こした。狭い洞窟内で蹄を鳴らしている。


「アーサー! 静かにしていて!」

 怒鳴りつけることで、逆にすこしだけ冷静になれた。奴らはここには入れないことに気づけた。それでようやく騎士学校時代に叩き込まれた動作を始めることができた。

 うつぶせのままマスケット銃を手に取り、紙薬莢から火薬と弾丸を銃身に詰め込む。あおむけに寝転んで銃口を返し、またうつぶせになって洞窟の外に構えた。

 ドラゴンは入り口に身体をねじ込んでいた。鳴き声が洞窟の中に反響して頭が壊れそうだった。一方でシスティの小ぶりな胸の心臓も破裂しそうなほどに脈打っている。

 しかし、狙いはしっかりと定めた。敵は侮っているのだ。こちらが準備を整えつつあることもわかっていない。

 撃鉄を起こす。狙いたいのは眉間。しかし騒ぎ立てるドラゴンの頭は動き回っている。少し照準を下げて首を捉える。

 引き金を引いた。


「……ッ!」

 乾いた轟音の後に無形の悲鳴が響いた。

 鼓膜が破れたかと思った。洞窟内での発砲はドラゴンの鳴き声の何倍も大きな音を生み出し、規格外の頭痛に襲われた。

 システィは自分の耳に手をあてた。血は出ていないが何も聞こえない。脳みそがどこかに飛んで行ってしまったような浮遊感があった。うつぶせだからわかりにくいが、おそらくめまいを起こしているのだろう。

 代わりに、弾丸はドラゴンに命中していた。

 引き金を引いた瞬間に、怨敵は弾かれたように身をよじらせ、赤黒い血を撒き散らしていた。


「やった……!」

 どろっとしたものが目と鼻をつたって落ちてきた。ぬぐってみるとただの汗だった。血ではないことに安心した。

 しかし、平穏はいまだもたらされてはいなかった。ドラゴンが一発の銃弾で死ぬことはほとんどない。システィは自分の発砲が相手の眉間を貫いたとは思っていなかった。一度反撃に転じた以上、もう躊躇はできない。槊杖で銃身を拭き、再び火薬と弾丸を詰めて、雷管を付ける――数年前から何度も履修してきた単調な作業を、何度も寝転がりながら遂行して、おそらくは逆上しているのだろうドラゴンに向けて、二発、三発と撃った。

 引き金を引く度に金づちで頭を殴られるような衝撃を受けた。自分の放つ銃の音さえ聞こえなくなった。


「死ぬぐらいなら、耳がなくなったってぇ……!」

 四発目を撃った時、それが白い煙の向こうのドラゴンの左の眼の下に命中するのを見た。


「やった……?」

 ドラゴンの動きがぐったりと鈍いものに変わっていた。

 まさか。信じられない。期待と不安がのしかかっているようで、身動きができなかった。

 システィは五発目の弾丸を込めようとしたついでに、アーサーを見た。自分の愛馬は完全に怯えきっていて、洞窟の奥に吸い込まれるように全身を竦めていた。


「ごめんなさい、アーサー」

 聞こえないだろうと思いつつも、システィは謝った。

 這いずる姿勢はそのままに、水筒の水を飲んだ。リンゴもかじった。火薬の白い煙が洞窟内に充満していて、呼吸をしても苦しかった。

 耳が聞こえてくるようになり、ようやく立ち上がれるかと思った時、自分を追い詰めていたものが一つではないことを思い出させられた。

 撃ち倒したドラゴンを見ようと振り向くと、そこに差し込む太陽の光を隠すように、二体のドラゴンが現れていた。

 彼らは仲間が遊んでいるのを知っていた。そして手痛い反撃を受けたのを見てやってきたのだ。地に伏している仲間の体を咥えてシスティの見えないところへ引きずっていくと、出入口の左右から首だけを伸ばしてシスティを睨みつける。

 もう助からない。システィは思った。

 ドラゴンには知性がある。中には人間など及びもしないほどのものもいる。システィが倒したのはきっととびきり愚かなドラゴンだったのであろう。そして今システィを睨みつけている二体は人間の持つ銃という武器の存在も知っているのだ。

 それでもシスティは銃に弾丸を込めて、いつでも撃てるように構えた。これだけ大騒ぎをしていれば、きっと小隊のみんなが探し出してくれる。それまで持ちこたえられればいいのだ。

 決意を新たにした新米騎士の姿をどう思ったのか、二体のドラゴンは何か示し合わせるようにうなずきあい、右側の一体の口が不自然に半端な角度で開かれた。

 こぉっ、こぉっ、という息とそれ以外の何かが吐き出される音がした。

 一瞬で理解した。奴らは火を吐く。

 ドラゴンは体内に精霊を飼う。精霊は普遍的な存在として世界にいる。彼らはいくつかの自然物の集合体であり、物質的な生命であるらしい――らしいというのは、精霊について解明した者はいないからだ。

 精霊は生物であり、各々の意思を持ち、他の生命と交流して、共生もする。

 他の生命と一線を画すのは確かであるが、それゆえになにものとでも共存する。

 ドラゴンも例外ではない。

 ドラゴンの多くは体内に精霊を住まわせる精霊嚢を持つ。そのうちのまた大半が他の生物の直接的な脅威となる火の精霊を飼う。

 ドラゴンの喉が波打つように蠕動を始めた。どれほどの炎が吐き出されるか見当もつかない。

 撃つしかない。システィにはもう選択肢はなかった。

 見えている首に狙いを定めて、引き金を引いた。

 乾いた音が響いた。

 ドラゴンの首に槍が刺さった。


「えっ……?」

 システィは二度まばたきをして、目の前の光景を確認した。

 確かに槍が刺さっていた。右側の今しも火を吐こうとしていたドラゴンの首に深々と長大な刃を持つ騎士の槍が突き刺さっている。システィの撃った弾丸の行き先はわからない。

 途端にとてつもない金切り声が響いた。残っていたドラゴンの咆哮だった。しかしそれは自分に向けられたものではないとシスティは思った。


「助けたきた……」

 きっとそうだろう。まだ決まったわけではないが、おそらく助かったのだ。


「それにしても、槍を投げるなんて……」

 ありえないことではないが、非常識ではある。騎士の槍は刃の長さだけでも人間の上背に匹敵し、柄も長い、振り回したり投げたりするものではない。そんなことをする人は小隊にいただろうか……


「ひょっとして、あれは私の槍……?」

 ふと口をついた疑問だが、すぐに確信に至った。


「間違いない、私のだ! どうして……」

 そう思った瞬間、また大きな金切り声が響いてきた。しかし、今度の声には苦悶という雑音が混じっており、いくつかの水音が続いた。

 てっきり、小隊の先輩たちが駆けつけてくれたのだと思ったが、違うらしい。おそらく一人だ。チームじゃない。

 システィは六発目の弾丸を込めて、ゆっくりと外に向かっていった。洞窟の外でも、足音が近づいている。やはり一人だ。


「う、動かないで!」

 銃を構えて鋭い声を飛ばす。


「私はパトリア邦国白馬騎士団第三連隊第二小隊、システィーユ・ラハーマ! 動かないで、その場にいてください!」

 助けてもらっておいて……とも思うが、システィは身の安全に全力を尽くさなければならなかった。ドラゴンは恐ろしい敵だが、そのドラゴンより悪い人間も恐ろしいほどいる。


「あんたこそ、そこを動くなよ、お嬢ちゃん」

 返答は女の声だった。しかしシスティの知らない声だった。

 その直後に何かを叩くような音と、短いドラゴンの鳴き声がした。


「えっ」

 ドラゴンはすべて倒したはずでは? そう思ったシスティの目の前で、槍に貫かれていたドラゴンが身震いした。


「い、生きてる……!」

 慌てて撃鉄を起こそうとした直後、また叩きつけるような音がして、びくん、とドラゴンの体が跳ねた。


「ウィニードラゴンは死んだふりをする」

 さらにもう一撃。しっかりと息の根を止めたのを確認して、女は洞窟の出口に姿を現した。


「こいつらにとって三十年は屈辱の時間だ。力はあっても群れには勝てない。だからこいつらも群れないと生き残れないし、生きる為の知恵も使う。死んだふりもその一つだ」

 赤毛のショートヘア。男のような背丈。しかし太陽の光を背にして浮かび上がるシルエットははっきりと女だとわかる。


「システィーユって言ったね。まあ運がよかった。元気なようだからね」

「あなたは……」

 システィは銃口を下ろして相手を観察した。

 冠のような兜には槍の穂先に似た突き出しが四方に付いている。肩あてにも似たような突き出しがあり、胴を包む鎧は滑りやすいように板金が波打っている。それらはすべてドラゴンの爪と牙を防ぐ為のものだ。

 なにより特徴的だったのは、手に持っていた巨大な剣だった。それは人間よりもはるかに大きな生物を叩き斬る為のものだ。


「屠龍騎士……!」

「あたしはネイ・クリンガー。一応、あなたを助けたことになる」

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