第856話 『イピーディロクの情人』の憂鬱(後編)

 イベサー『フォルニデレ』の拠点である、都心の中心部にあるレジデンス。

 そのロビーに、自分が仕える邪神を殺したと宣言した男子がいる。


 普段なら冗談と笑い飛ばすが、正しい名前を口にしたことで、そうも言いきれず。


 芸能人も顔負けのまゆずみみきは、ソファに座ったまま、相対している室矢むろや重遠しげとおを見た。


 こういう時に限って、妃香ひかがいない……。


 同じ大学とイベサーにいる、もう1人の『イピーディロクの情人じょうじん』を思う幹だが、それに意味なし。


 笑顔を作り、問い返す。


「きゅ、急に、何を言っているの? よく分からないけど……」


 最悪の事態を考えた幹は、しらを切ることに決めた。


 あとで報復するにせよ、今は相手のペースだ。

 妃香に話して、他の眷属けんぞくと合流したら――


 座っている重遠は、殺意を出さないまま、片手を横に振った。


 幹が見たのは、銀色の線だけ。


 美女の姿をしたままとはいえ、『イピーディロクの情人』の戦闘力は高い。

 1周目では、暗い山中だったが、臨戦態勢の警官チームを全滅させたほど。


 2周目の重遠は、世界を変えている。


 この時点で、正義に燃えている警官5人が犠牲になったのかは不明。

 重遠に興味はないが、早めに動いているため、生存した可能性も……。


 相手に届かない距離で、リジェクト・ブレードを横に一振りした重遠。


「あっ……」


 幹の意識は、途切れた。

 本来なら、煉瓦れんがの壁で囲まれた廃墟に召喚されるが、そうはならず。


 目の輝きをなくし、座っていたソファーにもたれる。


 立ち上がった重遠は、手の平で幹の目を閉じた。


「せめて、美しいままで眠るといい……」



「幹さーん! ……あ、寝てるのか」


 近寄ったヒロは、ソファーで目を閉じている幹に気づき、声を小さくした。


 イベサー『フォルニデレ』の幹部をしている男子は、ソッと離れる。



 ◇ ◇ ◇



 東京ネーガル大学のサークル棟で、薄暗い部屋に、1人の女子大生。

 うずくまったまま、両手で頭を抱えている。


 嘘だ。


 嘘だ、嘘だ、嘘だ……。


 そこに、くぐもった男子の声。


小枝こえださん、そろそろ――』

「うるさいわね! 幹を探してきなさいよ!!」


 小枝妃香は、自分の半身とも言える女子の名前を出した。


 よく聞けば、ドア越しの声は、イベサー『フォルニデレ』のヒロだ。


『気持ちは……よく分かるっス! だけど、幹ちゃんはもう死んで――』

「そんなわけなぁあああい! あの子は、すぐに復活するの!!」


 『イピーディロクの情人』は、死の苦痛や恐怖すら、快楽になる。

 そして、邪神イピーディロクが復活させ、現世に戻すのだ。


 しかしながら――


 邪神を滅ぼす室矢重遠には、無意味。


 相手が悪かった。


 

 ――サークル棟


 勝手に占有している3Fで、ヒロは頭を抱えた。


 優しくて、妃香ちゃんをなだめていた幹がいなくなり、彼女は引き篭もったまま。

 広告塔で接待もしていた2人がおらず、約束していた商談はパー。


「くっそ……。どうすりゃ、いいんだよ!?」


 大きなイベントは、融資による回転だ。

 次の企画で入金しなければ、その時点で焦げつく。


 イベサーの奴らには、まゆずみみきの穴を埋められるだけの女子を見つけてこいと厳命。


 裏の事情を知らない彼らは、ムダな努力を重ねた。


 そんな女が都合よく見つかるはずが――


「ヒロさん! うちの正門に、すっげー美人がいます!! ただ、片っ端からなぎ倒していて――」

「マジか!? そこに案内しろ、今すぐ!」


 正確に告げようとした男子は、その勢いに呑まれた。


「う、ういっす!」



 ――正門から中央へ続く道


 コツ コツ コツ


 1人の男子高校生が、青空の下を歩いている。

 それに付き従う、文系の女子大生も。


「あぁああああっ!」


 絶叫しながら、数人の男子が、両手で持つアサルトライフルを連射する。


 バババと、工事現場のドリルを思わせる音。

 粗雑な作りだが、人を殺すには十分すぎる弾が、次々に空を裂く。


 けれど、自宅にいるかのような室矢重遠は、サークル棟を目指す。


 よく見れば、ライフル弾は、その手前で消えている。


 ブンッ ヒュンッ チュバッと、訓練を受けた者でも、身を屈めたくなる音……。


「今日は、よく晴れているな?」


 一緒にいる小坂部おさかべけいは、顔を引きつらせたまま、同意。


「う、うん……」


 いっぽう、その様子に恐怖を感じた一部が、ビール瓶や、紐を引っ張ったショルダーバッグを投げつけてきた。


「んぉおおお……はっ!」

「ふんっ!」


 スポーツ選手のように、全身を使っての投げ。


 そのまま地面へ伏せ、両手で頭を守れば――


 重遠たちは、建物も破壊できそうな爆発と炎に包み込まれた。


 それを見ていた男子が、思わず呟く。


「や、やった?」


 コツ コツ コツ


 まだ燃えている炎を気にせず、重遠が歩いていく。


 笑顔のままで。

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