第812話 ユーヅェルマイヤー辺境伯の強化魔法(前編)【カレナside】

――かつてのドイツ 辺境伯領


 中世ヨーロッパの城を思わせる、石造りの広間。


「報告します! 『我らは辺境伯の真意を問い質すための進軍。これ以上の遅延は反逆の意志があると見なす!』との最後通告です」


 召使いの報告を聞いた男は、数段の高さとなっている上座でその肘掛けを握りしめた。


「……これまでか」


 老齢の執事が、無念そうに進言する。


「旦那さま……。せめて、ユーヅェルマイヤー家の血筋を絶やさぬよう」

「分かっておる」


 周囲は、敵ばかり。

 あろうことか、国内でも、討伐の軍が派遣されていた。

 今の報告は、味方に裏切られた事実を示す。


 高位貴族らしい椅子から立ち上がった男は、宣言する。


「ただいまをもって、ユーヅェルマイヤー家は辺境伯であることを捨てる!」


 当主の発言で、謁見の間になっている場はどよめいた。


 集まっていた側近の1人が叫ぶ。


「しかし、教会と四方からの軍勢をどのように!?」

「案ずるな……。私がいる」


 幼い少女の声が、低く響いた。

 次の瞬間に、いるはずがない人物が立っている。


 ユーヅェルマイヤー家の当主は、そちらを見て、ニヤリと笑った。


「来たか、ウィットブレッド公爵令嬢。いや、ブリテン諸島の黒真珠!」


 そこに立つは、動きやすいドレスを纏ったカレナ・デュ・ウィットブレッド。

 貴族であることを示す、宝石のような黒髪ロングに、彼女を知らぬ者が悩み出す。


 カレナは紺青こんじょう色の瞳で、話しかけてきた男を見る。


「久しいな、ユーヅェルマイヤー辺境伯?」

「その爵位は、もう捨てた」


 肩をすくめたカレナは、問いかける。


「それで、用とは?」

「ユーヅェルマイヤー家とまだ付き従う者を脱出させて欲しい。今すぐに!」


 男の叫びに、カレナは手を自分のほおに当てた。


「それは構わぬが……。お前は何を払う?」

「最低限の財産を除き、全て持っていけ! 奴らに奪われるよりはマシだ!」


 カレナは面白そうな顔で、パチパチと手を叩いた。


「フフフ……。その思い切りの良さ、嫌いではないぞ? だが、お前の代名詞である『強化』はどうする? 私も、そこまでは――」

「いや、それも頼む」


 あまりの事態に、側近の1人が叫ぶ。


「閣下!? 強化魔法は、ユーヅェルマイヤー家そのものでございます! どうか再考を――」

「グーツァイトよ……。そなたの気持ちは、よく分かる。私とて、身体を引き裂かれるような思いだ」


 では、なぜ?


 広間にいる全員が、当主を見た。


 その視線を集めた男は、初めて本音を漏らす。


「辺境伯領を捨てる以上、もはや自衛ができれば良い……。ユーヅェルマイヤー家が続いても、私は何もかも捨て去った暗愚だ」


 立ち尽くし、拳を握りしめるだけの男。

 手に傷がつき、下にポタポタと血が落ちた。


 それを見た側近は、涙を流す。


「閣下……」

「残念でございます」


 男は、話を続ける。


「重荷を背負わせたくない。我が子孫は、自由に生きて欲しいのだ! それに、代々の先祖が追及した強化魔法だけ持っていくのは、あまりに虫がいい」


 首肯したカレナは、今度は茶化さず。


「分かった……。その矜持きょうじ、確かに受け取ったぞ? では、この城と財宝を譲り受けることで、そなたらの亡命を助けよう! ただ、新天地で生活の基盤を築けるぐらいの財産と知識は持っていけ」


「感謝する……」


 深々と頭を下げた男に、辺境伯のプライドは見えなかった。


 カレナは、約束を守る。

 気難しいが、認めた相手は大事にするのだ。




 ――ユーヅェルマイヤー家の亡命後


 プレートアーマーの騎士や武装した兵士が、ドカドカと入り込んだ。

 城の広間では、上座に続く絨毯や壁にかかるタペストリー、天井から吊るされたシャンデリアが出迎える。


 壁の燭台に灯りがついていて、上座に1人のシルエット。

 薄暗いが、人の気配も。


「おいおい? まさか、当主だけ残っているのか?」

「家臣に見捨てられたんだろ! 落ちぶれた貴族なぞ、惨めなものだ」

「……いや、違うぞ!?」


 近づけば、それは人形のように美しい少女だった。

 夜会のようなドレスを着ている。


 その時に、天井のシャンデリアで灯りがつく。


 広間の全体が明るくなり、肘掛けに置いた手であごを支えているカレナが登場した。


「ヒューッ!」

「これは、いいねえ!」

「逃げ遅れた?」

「訳ありで捨てられたか、ここの連中が差し出したんだろ」


 剣を収めるか、下ろしたまま、男たちが近づいた。


 この場でリーダーとなっている騎士が、居丈高に叫ぶ。


「名前を言え! 貴族なら、親戚だろうが身代金を払ってくれる可能性がある」

「お前らに名乗る必要はない」


 鈴を転がしたような声で、カレナが拒絶した。


 チッ! と舌打ちした騎士は、周りに命じる。


「好きにしろ!」


 下っ端の騎士や雑兵が、いきり立った。


「待ってました!」

「他の奴らが来る前に、初物をいただこう――」


「誰の許しで、私を見ている?」


 目を細めたカレナが、上座にある当主の椅子に座ったまま、問いかけた。


「ヘヘへ! もう逃げられないぞ? 少しは媚びたら――」

 ブシャアアアッ!


 ニヤニヤしたまま手を伸ばした男は、一瞬で細かく切り刻まれた。

 全身から血が噴き出し、その海に自ら沈む。

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