エピローグ

第746話 主人公を辞めた航基の明日

 山奥にある、隠れ里。

 雪女たちが暮らす、静かな場所で、一台の高級車が止まった。


 エンジンが止まり、運転席から出てきたのは、30代前半の男だ。

 流行りに乗らず、自分のこだわりで選んだメガネをかけ、優しそうな顔。


 低いイケボで、周りに立つ雪女たちを見る。


「やあ! 久しぶり……。初見の人も、多いね?」


「「「お疲れ様です、九条くじょう隊長!」」」


 一斉にお辞儀をした雪女の集団に、鍛治川かじかわ航基こうきだけが、理解できない。



「ご苦労……。すまないが、もう出発する」


 爽やかな笑みを浮かべたまま、九条和眞かずまは、航基のほうを見た。


「さあ、行こうか? 早くしないと、途中で日が暮れてしまう……」



 ガタガタと揺れる、車内。


 助手席に座っている航基は、運転席の和眞に、話しかけられる。


「ところで……。君は、色々あったようだね? いや、僕は千陣せんじん流の者で、うわさを聞いているんだ。……体のほうは?」


「え、ええ……。まあ、療養したんで、日常生活ぐらいは……」



 ハンドルを握ったままの和眞は、前を見たまま、つぶやく。


「室矢くんとは、クラスメイトだったそうだね?」


 驚いた航基は、思わず、横を見た。


「えっと……。はい、そうです……」


 千陣流で、さっきは隊長と、呼ばれていた。

 ならば、自分の事をよく思わないだろう。


 緊張した航基だが、和眞は、全く変わらない。


「まあ、『仲が良くない』とは、聞いているよ? 誰にだって、合わない相手はいるものさ。気にする必要はない。ただ、距離を取れば、いいだけのこと。喧嘩や殺し合うよりは、よっぽどマシだ」


 ホッとした航基は、心情を吐露する。


「あいつのことは……認めたくないです。俺は、あいつとクラスメイトになって、同じ異能者だから、親交を深めようとは思ったんですよ……。今だから言えますが、俺は鍛治川流の宗家でして、その妻にふさわしい詩央里しおり……南乃みなみのさんが欲しかった。当時のあいつは霊力ゼロで、猫に小判。だいたい、千陣流の次期宗家なら、他に女を見つけられる立場だ!」


 悔しそうな航基は、言葉を切った。


 和眞に批判する様子がないことから、続きを述べる。


「今は……鍛治川流を捨てました。名字はまだ鍛治川ですが、東京へ戻ったら、何とか変更するように動くつもりです」


 言外に、南乃詩央里を諦めたことを告げた。


 和眞が、口を開く。


「そうか……。突然で悪いが、昔話をしても、いいかな? ……僕の友人の話だが、高校時代に、1人の女子から思いを寄せられていた。けれど、彼には夢中になっている女子が他にいて、彼女には目もくれなかったんだ」


 航基は、恐る恐る、尋ねる。


「その友人は……告白されたんですか?」


「いや、それはなかった……。だが、彼女の世話になったことは事実で、好意を利用したと、言えなくもない」


 首を横に振った航基は、自分の意見を言う。


「それは! 浮気をしなかったことで、誠実だったと思います」


 息を吐いた和眞は、付け加える。


「言わせてしまって、すまない……。ただ、その友人に尽くした女子は、とある事情で、命を落とした。もはや、話すことが不可能。今となっては、彼自身も、その部分だけ、止まったままさ」


「そう……ですか」



 航基にとって、よく分からないまま、一般的な話へ。


 先ほどの空気が嘘のように、話が弾む。



 やがて、市街地へ出た。


 路肩に停車した和眞は、お礼を言って降りようとする航基に、話しかける。


「そうだ! さっきの名字の話だが……。良かったら、候補を出しても、いいだろうか?」


「は? ……ああ! 構いませんよ」


 少し間を置いた和眞は、万感の思いを込めて、教える。


賀茂かも……。神社や退魔でよく聞く、あの名字だ」


「良いと思いますが……。俺では、とても……」


 誰でも知っているほど、有名だ。

 施設育ちの自分では、通せるだけの理由を作れないと、考えた。


 ところが、和眞は、力強く宣言する。


「大丈夫だ! 僕が、手配しよう……。少し、伝手があってね? せっかくなら、自分が納得できるほうが、いい」


 見ず知らずの人間に、ここまで言われて、困惑ぎみの航基だが、同意する。


「そ、それなら……。でも、どうして?」


「君は……親族がいないのだろう? 袖触れ合うも、多生の縁だ。幸いにも、僕は顔が広いから、苦労のうちに入らない。今の君は、室矢くんの寄子よりこだが、さっきの話を聞く限り、納得できないか……。高校を卒業した後は、僕が相談に乗ろう」


 思わぬ提案に、航基は、喜んだ。


「ほ、本当ですか!? 助かります! あ、でも……」


「君の霊力がほぼ失われていることは、承知している。室矢くんにも、僕から言っておこう。同じ隊長だからね……。すまない。そろそろ、駐車禁止で警察に目をつけられそうだから、降りてくれ。これが、連絡先だ」


「はい! 色々と、ありがとうございました! では、失礼します」


 いきなり、室矢重遠しげとおから離れられることで、航基は、ウキウキしながら、ドアを――


「よし! では、お前の自宅へ行くぞ、航基!!」


 女子小学生の声が、後部座席から、響いた。

 氷雨ひさめだ。


 水色のショートボブで、同じ水色の目を持つ少女は、元気よく、上体を起こした。


「え!?」


「私に手を出しておいて、逃げられると――」


 すぐに手で口を塞いだ航基は、運転席の和眞に、別れを告げる。


「じゃ、じゃあ、お世話になりました! また、連絡しますから」


 苦笑した和眞は、手短に返事。




 和眞は、痴話喧嘩をしながら、歩いていく2人を見た後で、すぐにウィンカーを出して、走り出す。


 やがて、見晴らしが良い駐車場に入り、展望台で立つ。


 遠くに見えるは、秋が深まった証拠の、鮮やかな木々。



あんず……。今となっては、僕にも、自分の気持ちは分からない……。あまりに、年月がちすぎた」



 もう、暑くない。


 答えるべき、賀茂杏の姿も……。



「直接的ではないが、航基の面倒は、僕が見る。しかし、父親だと、名乗り出る気はない……。それは、誰のためにも、ならないからね」


 結局のところ、九条和眞にとっては、室矢重遠が大事。


 賀茂に名字が変わる航基は、死ぬまで、両親の名前を知らないまま。



「航基は航基で、雪女に捕まったようだが……。まあ、それは、彼の問題だ。自分の行為には、責任を持つべき」


 執念深いのが、雪女。

 そして、幼く見える氷雨は、20歳ぐらい。


 心身が弱っている時に、優しくされて、一緒に暮らせば、こうもなるが……。


 傍から見たら、立派なロリコンだ。


 片や、触手ウネウネの淫魔王になりかけて、もう片方は、完全無欠のロリコンと、変なところで兄弟らしい。




 和眞にとっては、航基を管理する意味も。


 九条家の血を引いているのなら、監視していないと、余計な騒動になってしまう。



 ともあれ、【花月怪奇譚かげつかいきたん】の主人公は、思わぬ形で、救われた。


 彼を都合よく使う存在はなくなり、その使命も、失われたのだ。



 最後に、九条和眞は、メガネで光を反射しながら、独白する。


「ああ、そうだ……。重遠と航基をあれだけ苦しめてくれた鍛治川流は、この世から消しておかないと……。技の1つも、後世には残さない」



 十家の人間。

 それも、実質的に千陣流を動かしている九条家の次期当主が、こう言ったのだ。


 間違いなく、実行されるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る