第629話 モブにはモブの人生があるー①

 風越三千院かざこしさんぜんいん高等学校。


 桜技おうぎ流の学校であり、“かぜ” の剣術を教えている。

 主要な教育機関の中でも、その立地から、品格があるのが特徴。


 機動力を重視した立ち回りで、常に動き続ける。



 応接室のソファには、1人の若い女が座っていた。


 反対側には、この部屋の主と思われる、年配の女も。



安曇野あずみのさん……。その要望をかなえることは、無理です。たった今、お話した通り、我々は警察から離脱をするべく、全方位を警戒しています。……状況が変わったのです。局長警護係の小鳥遊たかなしさんですら、切り捨てられました……いえ、これは失言ですね。あれは、オーストラリアに侵攻した宇宙人の仕業……。ともかく、あなたの保護は、母校であるウチが行います」


 膝の上で両手をギュッと握っている安曇野和稟かりんは、何とか返事をする。


「分かりました……。校長先生のご厚意はありがたいのですが、有馬ありまに相談しないと……」


 息を吐いた校長は、静かにさとす。


咲莉菜さりなさまは、非常にお怒りです。あなたが即断せず、警察官である夫に情報を持ち帰ることも、マイナスの材料となりますよ?」


 座ったままでうつむいた和稟は、それでも折れない。


 校長は、同情した様子で話す。


「あなた達の結婚は、本当におめでたい話……。保育園から見守ってきた私としては、何とかかばってあげたいところですが」


「私が……馬鹿でした。有馬が連れてきたからと、家に上げてしまって……」


 体の前で腕を組む校長が、それに突っ込む。


「相手は、キャリアでしょう? 警察学校を出たばかりの巡査が断れるとは、思えません。いずれにせよ、同じ結果になりました」


「はい……。おっしゃる通りです……」



 ここで説教をされていても、らちが明かない。


 希望を絶たれた和稟は、無言で立ち上がり、一礼をした後で退室。




 交通機関を乗り継いで自宅へ帰れば、顔を見たくないキャリアが、数人。


 話は終わったらしく、社交辞令の挨拶だけで、席を立つ。


「どうやら、奥さんが帰ってきたようだね? 新婚夫婦を邪魔するのは悪いから、これでお暇するよ」

「安曇野くん。ちゃんと、話してくれよ? 君たちを悪いようには、しないから」


「ハッ! お、お疲れ様でした!!」


 玄関口まで見送った安曇野有馬は、頭を下げたままで、スーツ姿の男2人を見送った。



 閉められた玄関ドアは、内側から施錠。


 それをした和稟は、ドアにもたれながら、夫に報告する。


「……ダメだった。私はいいけど、有馬は受け入れられないって」


 ようやく頭を上げた彼は、ガックリと、項垂うなだれた。


「そっか……。じゃあ、言う通りにするしかない。悪いけど、和稟も協力してくれ! できることだけで、いいから」

「待って!? それはできないと、言ったじゃない!」


 有馬は、和稟の肩をつかんだ。


「頼む……。キャリアに逆らったら、生きていけないんだよ。形だけでも、いいからさ」


 青ざめた顔の女は、必死にあらがう。


「それをしたら、私たちが危ないの! 前に、言ったじゃない! あなた、高師たかしがどうなってもいいの!?」


 大袈裟おおげさに言っている、と感じた有馬は、肩から手を外しつつ、なだめる。


「もちろん、考えているさ! だから、俺が出世しないと、高師のためにもならないんだって! ……今日は子供がいないから、久々に――」

「ごめんなさい。そういう気分にならないの」


 和稟は、フラフラと歩き出した。




 和稟は、風越三千院高校の卒業生だ。

 捨て子として保護され、あまり目立たない生徒のまま、無難にお勤めを終えた。


 剣道の稽古を始めたことで、同年代の男子との接点ができた。


 有馬は非能力者だが、剣道に熱中していて、現代でも刀を振るう演舞巫女えんぶみこに興味を持ったのだ。

 一緒に稽古や遊んでいき、恋仲に……。


 演舞巫女は、警察官に準ずる立場。

 道場の先生からも、祝福された。


 喧嘩するほど仲が良く、お互いに高校を卒業した後で、ゴールイン。


 四大流派といえども、下っ端は自由恋愛で破瓜するパターンが多い。

 和稟も、彼を受け入れた。


 高卒で警察学校に入った有馬は、優秀な成績を収めた。

 幼妻がいることから、厳しい生活にめげず、頑張った結果だ。


 原作であれば、色々なことがあれど、2人で乗り切っていく未来も。

 けれど――



「どうして、こうなっちゃうのよ……」


 暗い自室で座り込んだ和稟は、泣き出した。



 状況が、大きく変わった。


 筆頭巫女の天沢あまさわ咲莉菜さりなは、警察からの離脱をするために、本気で内部統制を始めたのだ。


 警視庁のキャリア、御手洗みたらいまもるが、彼女の側近である小鳥遊たかなし奈都子なつこを取り込み、そこから桜技流を掌握しようと画策。


 激怒した咲莉菜は、彼を潰すべく、動き出すことに……。



 そして、警察官になった夫を持ち、元演舞巫女の自分が狙われた。


 護の部下が、わざわざ東京から足を運び、県警本部のキャリアと共に圧力をかけているのだ。


 長男が生まれた直後で、自分も兼業主婦。

 そもそも、異能者として、半端者に過ぎず。


 室矢むろや重遠しげとおのような立場はなく、北垣きたがきなぎほどの武力もない女。



 自身の家族は、夫と長男だけ。

 夫の親族も、警察のキャリアに逆らう度胸はない。


 唯一の頼りである、風越三千院高校からは、冷たい返事だけ。

 それどころか、時間がつほどに、和稟の立場は警察のスパイ、桜技流の敵となっていく。


 聞いてくる夫に話せば、全てキャリアに筒抜けだ。

 何も、言えない。




 ――1ヶ月後


 キャリアに詰められ、職場でも孤立しかけている安曇野有馬は、妻の和稟を抱けないことも相まって、イライラしていた。


 夫婦の関係を見直す機会にしたくて、有給を取得した。

 その理由から、上司は一も二もなく承認。


 ゆっくり過ごすため、自分の親に子供を預かってもらうことに……。


 帰りがけに、デパートでご馳走とドリンクを買った。

 駐車場に停めた有馬は、鍵を使い、自宅へ入るも――



 “さよなら”



 暗い自宅で迎えてくれたのは、殴り書きのメモだった。



 ◇ ◇ ◇



 警視庁の中にある、重役が使うような部屋。


 奥にある役員机の上には、“警備部長” というプレートが輝く。



「……どういうつもりかね、御手洗みたらいくん?」



 問い詰めるような声で、御手洗まもるは深く頭を下げつつ、すぐに釈明する。


「大変申し訳ございません! 私は指示しておりませんが、部下の管理ミスと言われれば、返す言葉もなく……」


 椅子に座っている警備部長は、両肘をついたままで、組んだ手の上にあごをのせた。


「そうか……。では、大渡大治おおとだいじくん。説明したまえ……」


 護に切り捨てられた、若いキャリア。

 彼は、スーツ姿のままで、細かく震えている。


「は、はい……。私はただ、自分の仕事を行い――」

 ガンッ


 後ろの応接セットで、鈍い音が響いた。


 大渡大治はビクッと震えた後で、恐る恐る、後ろを見る。


「……失礼しました。構わずに、お話しください」


 目が座った男は、物騒な雰囲気のままで、低い声を放った。

 階級章は、警部だ。

 

 傍にいる警官は、警部補。

 表情が消え失せた、虫のような顔で、振り向いた大渡大治を見ている。


 2人は応接セットに座ったまま、眺めるだけ。



 警備部長は、大渡大治に説明する。


「彼らは、――県警の機動隊、その中隊長と小隊長だ。今回の……安曇野くんの上司で、事情を説明するために、やってきた」


 大渡大治は、少しでも挽回しようと、彼らに頭を下げた。


「この度は、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません! 行き違いがあったのなら、私が出向いて、彼に説明を――」

「いえ。それは、結構です」


 中隊長は、あっさりと拒絶。


 頭を上げた大渡大治に対し、その理由を告げる。


「もう、手遅れなんですよ……。安曇野は、離婚しましたから」

「は?」


 思わず聞き返した、大渡大治。


 中隊長は、怒りをこらえた表情で、話を続ける。


「あなたと県警本部のキャリアが詰めたことで、安曇野は奥さんに逃げられた。そう言っているんです! 長男が生まれて、これからって時に……」


「申し訳ありません」


 それしか言えない大渡大治を無視して、中隊長は奥に声をかける。


「警備部長! お願いいたします!」


 やれやれ、といった雰囲気で、この場を仕切っている人物が話し出す。


「大渡大治くん? 君のために、1つずつ説明しよう……。安曇野くんは、新米の巡査だ。けれど、その人間関係まで、吹けば飛ぶような立場だけとは限らんのだよ」


 事情を呑み込んだ大渡大治は、血の気が引いた。


 警備部長は面倒そうに、説明していく。


「彼に剣道を教えていた先生は……大会で連覇した八段だそうだ。言うまでもなく、警察のOBだよ。離婚を知ったことで本人に事情を聞き、カンカンに怒ったようで、警視総監の耳にも入った次第だ」


 卒倒しそうになった大渡大治は、かろうじて立つ。


 警備部長は、それを気にせずに、必要な説明を並べる。


「安曇野くんも、高校の全国出場で、けっこうな有望株だったとか……。強豪校ではなく、『先生の教え方が良いから』と言われていてね? 他県の話だから、本来は私の案件ではないが……。警視総監にお願いされれば、断れんよ! まあ、警備つながりではあるしな。どうも、『妻と同じ分野で並び立ち、社会秩序を守りたい』という動機で、警察学校の次席でありながら、機動隊に志願したそうだ。最近の若者にしては、見所があるじゃないか! 所属している部隊でも、可愛がられていたと聞く」


 お前が潰したけどな?


 そう言わんばかりの雰囲気で、締めくくられた。



「……安曇野くんと、奥さんは、今どちらに?」


 おずおずと尋ねた大渡大治に対して、警備部長から目配せを受けた中隊長が、代わりに説明する。


「安曇野は、自殺未遂で入院中です。その妻の和稟は、母校である風越三千院高等学校へ行き、その後の消息は不明。あそこは桜技流の教育機関だから、知りたければ、そちらで問い合わせてください」


 どちらかに謝罪することで、突破口を開く。


 そのつもりだった大渡大治は、言葉に詰まる。



 自分が、全ての原因だ。

 直接会うだけで、トドメになりかねない。


 まさに警察と揉めている桜技流の女子校へ行くのも、御免だ。


 大渡大治は八方塞がりのまま、敵に囲まれて、頭の中が真っ白になった。

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