第十八章 南極から生還した男女の恋模様
第627話 M.I.A.(ミッシング・イン・アクション)
清潔なシーツと、薄い上掛けの感触で、自分が知っている場所と違うことを理解。
頭が痛い。
ゆっくりと上体を起こせば、ベッドの傍に、窓が並んでいる。
外は、快晴だ。
窓際の教室のように、外からの光が飛び込んできて、照明をつけずとも明るい。
時計はないが、下を歩いている人の様子や、太陽の位置から、遅くても午後3時ぐらいか……。
自分の服装を確かめれば、素っ気ない寝間着。
囚人服……とは言いすぎだが、デザイン性はゼロ。
むろん、こちらも見覚えなし。
上掛けを外して、両足を下ろす。
そこにあったスリッパを履き、ペタペタと歩いた。
引き戸の取っ手をつかみ、ガラガラと、横へスライドさせれば――
『外来の方は、必ず――』
アナウンスを聞き流しつつ、白い壁と天井による内廊下で立ち尽くした。
近くにあったプレートも、ここが病院であることを示す。
リノリウムの床から視線を上げた時に、次の放送が流れる。
『――先生! 副院長先生が、お呼びです。お近くの内線からご連絡を――』
どうして、俺はココにいる?
綿貫雄司は、現実感を失ったまま、心細くなった。
内廊下の左右を見たが、不思議と、看護師や患者の姿は見当たらない。
その時、若い男が1人、やってきた。
下の階から上がってきたと思われる男は、背負っているデイパックを落とさんばかりに驚きつつ、すぐに駆け寄ってくる。
「綿貫! 目を覚ましたんだな? ……少し、待っていろ! 今、先生を呼んでくるから!」
尋ねようとした雄司が声をかける間もなく、男は早足で、やってきた階段へ姿を消した。
目覚めた個室に戻された雄司は、そのままで担当医の診察を受け、待機させられた。
最初に出会った男は、ずっと立ち会ったまま。
2人きりになったことで、ようやく自己紹介をする。
「えーと……。俺は、
どうりで、見覚えがあったはずだ。
雄司は、ぼんやりする頭で考えるも、すぐに思い出せない。
「悪い……。見覚えはあるんだが……」
「ああ、いいよ! 俺も、壮行式を見るまで……名前を覚えるのが苦手でさ! 巡査部長で同じ階級だから、呼び捨てで構わないぜ?」
――数時間後
日が傾いた頃に、平澤は帰った。
綿貫雄司は、自分だけの個室で座り、改めて机の上に置かれたタブレットを見る。
ここは、政治家もよく利用する、附属病院だ。
それなりの伝手と、口止め料を含めた金額を払うことで、ようやく入れる施設。
聞けば、自分のために、この1フロアーが貸し切りだとか……。
内線の受話器を手に取れば、数コールで、相手が出た。
男の声だ。
『はい。ご用件をどうぞ?』
「ネットは、使えますか? 外の情報を知りたいのですけど……。何だったら、テレビだけでも」
電話口で、悩む気配。
『大変申し訳ございません。まだ担当医の許可が出ておらず、ご希望をかなえられない状態です。恐れ入りますが、次回の診察でお聞きになっていただきたく存じます』
「そ、そうですか……。いえ、ありがとうございました」
政治家が立て籠もるだけあって、コンシェルジュも完備。
この部屋も、病院と分かるぐらいの雰囲気を残しつつ、高級ホテルのようだ。
ルームサービスのように、食事を持ってきてくれる。
――翌日
担当医からは、他の人物が立ち会うことを条件に、許可が出た。
特殊機動隊の第一小隊を指揮する
「綿貫……。お前が目覚めてくれて、本当に良かった。色々と聞きたいことがあるだろう? この後の予定はないから、率直に話してくれ……ああ、これは俺の奢りだ」
手荷物をガソゴソと漁った進介は、色々な缶を取り出し、近くのテーブルに置いていく。
残りは、備え付けの冷蔵庫へ詰め込んだ。
途中で視線に気づき、進介は説明する。
「先生には、もう話した! 別に、投薬や手術をするわけじゃないから……」
座り直した進介は、持っている缶を開けた。
綿貫雄司が自分の缶に手を付けないため、先にグイッと傾ける。
喉に流し込んだ後で、缶を置いた。
「なあ、綿貫? お前は、どこまで覚えている? これは尋問じゃないから、思いつくままに答えてくれ……。そうでないと、俺も話しようがないんだ」
数分の沈黙の後で、雄司は口を開いた。
「自分が覚えているのは……。帰国した直後の――」
記者会見で、
防衛省の
「その後……。その後に……。あの、仙石隊長? 小鳥遊さんは、どこにいるのですか?
「綿貫!」
叫んだ進介は、自分の缶をつかみ、一気に飲み干した。
近くのテーブルに置く。
中身がなくなった、カンッという音が響いた。
進介は、クシャッと握り潰しながら、綿貫雄司を見た。
「いいか? 冷静に、聞け! 小鳥遊奈都子は、もういない!! シドニーの港湾エリアで、彼女らしき左腕と大量の血痕、本人の警察手帳、同じく警官用の蛍光ジャケットが見つかったんだ。……その後に現地警察が調べたものの、彼女の姿は見つからず。全ての意味でだ」
雄司は、呆然としたまま。
それに構わず、進介は、説明を続ける。
「世間は、オーストラリアを救いつつも犠牲になった女警官に注目している。彼女と婚約していた、お前にもだ! ウチとしては、お前を
言い終わった進介は、カバンから書類のファイルを取り出した。
受け取った雄司は、流し読みで、どんどん入れ替えていく。
オーストラリア警察らしき、英語だけの書類も。
それによって、小鳥遊奈都子の行動が、浮き彫りになる。
――深夜のダーリング・ハーバーで、アンドロイドと思われる少女と交戦
――蛍光ジャケットを頼りに追跡した警察ヘリは、地上からの攻撃で一時撤退
――シドニーの港湾エリアで、大規模な戦闘が発生
――制圧した部隊によって、小鳥遊らしき遺留品を発見
――返却された左腕は、現地で火葬
「だから、遺骨を持ち帰った……」
嘘だと言って欲しい、と書かれた顔で、進介を見る雄司。
けれど、進介は、すぐに肯定する。
「ああ……。お前が最後に見たのは、彼女の骨壺だ。何度も言うが、『小鳥遊奈都子が死んだ』と決まったわけではない。……おい、ちょっと待て!」
「オーストラリアに、戻ります! 彼女を探さないと!!」
小さく震えていた雄司は、立ち上がって、引き戸を開けた。
そのまま、走り出そうとするも――
「外出の許可がないため、ここを通すわけには参りません」
そこには、スーツを着た男が立っていた。
雰囲気から、要人警護のSP(セキュリティ・ポリス)だと分かる。
立ち尽くす雄司を見たSPは、沈痛な面持ちで、軽く頭を下げた。
「失礼します……」
引き戸が、閉められた。
フラフラと戻った雄司は、元の位置へ。
投げ出すように腰を下ろした後で、上官の進介が言う。
「悪いが、仮にお前が警察を辞めても、外には出られないんだ……。むろん、ずっとではなく、一時的なもの。入院や生活するための支払いは、警視庁で持つ。適当な名目にしておくから、気にする必要はない……と言われた」
「自分が……ちゃんと送っていれば」
進介は、雄司の
「あの夜、自分も一緒にいたんですよ……。だけど、小鳥遊さんの機嫌が悪そうだったから、先に帰って……。もし、自分がいれば――」
「綿貫……。俺たちが話した天沢局長は、全てを知ったうえで、お前を許したんだぞ?
その意味を理解した雄司は、あっ! と声を漏らした。
次の缶を開けた進介は、部下に勧める。
「とりあえず、飲め……。すぐに心の整理をつけろとは、言わない。M.I.A.(ミッシング・イン・アクション)、作戦行動中の行方不明で、まだ生きている可能性があるからな……」
しかし、左腕を丸ごと失っては、まず生きていない。
自分の缶に手を伸ばした雄司は、一気に飲み干した。
空調が利いている部屋だから、吹き出した汗が蒸発して、少し寒く感じる。
それを見た進介は、ゆっくりと述べる。
「なあ、綿貫? 考えなければならない予定が、1つある。日本の観測基地にいた越冬隊員の、慰霊祭だ。もっとも、小鳥遊警部は、まだ死亡の判定になっていない。そこは、勘違いするなよ?」
つまり、遠征隊にいた雄司が、それに参列するのかどうか。
「遺族が詰め寄ってくる可能性があるし、マスコミも言質を取りたがる。特に、お前については……。それと、壮行式をやった講堂で、慰労会もやる。まあ、そっちはマスコミが勝手に動けない場所だから、神経質にならなくてもいいがな?」
――翌日
再びやってきた、三機の平澤が尋ねる。
「で、お前はどうするんだ?」
「俺は、小鳥遊さんの遺志。……意志を継ぎたいと思う」
綿貫雄司は、じっと見ている平澤に、自分の考えを告げる。
「彼女は、まだ死んだとは限らないし。南極でさ……。自分の身を
雄司は、感極まったように、言葉を切った。
呼吸の後で、続きを話す。
「小鳥遊さんが生きていた場合に、落ち込んだままじゃ、失望されるからな! 立派な警察官として、頑張らないと!! 同じようなケースがあった時に、俺のせいで縁談がなくなることも、絶対に避けたい!」
聞き役の平澤は、おずおずと同意する。
「いいんじゃないか? 俺に協力できることがあれば、遠慮なく言ってくれよ!」
結局のところ、綿貫雄司は、小鳥遊奈都子を理解していなかった。
誰でも良い、とは言わないが、本当に何もかも捨てて、別人になってまで添い遂げる気はなく……。
――あなたは、警察を辞める気がありますか?
酔った奈都子からの、最後の問い。
これが、ラストチャンスだった。
もし、本人が生きていれば、何を考えていたのか? を語る機会もあるだろう。
綿貫雄司は、自己完結した。
警察としても、南極で民間人を救った英雄にいきなり死なれるか、失踪されたら、困るわけで。
手厚い保護によって誘導された感はあれども、雄司は彼女との思い出で、残った接点である『警察官』にこだわる……。
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