第623話 「さよなら」の意味を知らない男と躊躇う女(後編)

 ――オーストラリア シドニー港


 観光地として賑わうダーリング・ハーバーとは違い、コンテナを積載したタンカーが行き交い、大きなクレーンで積み下ろしの場。


 港湾の関係者だけがいる埠頭ふとうは、寂しい雰囲気だ。

 汽笛きてきやクレーンの動く音、大型の車両が走り回る音が、BGMとなっている。


 もう、夕暮れだ。

 あかね色の光が辺りを照らしていて、高所のクレーン作業者は、かなり神経質に仕事を行う。



 とあるコンテナが下ろされ、中身を確かめられていた。


「よし……。これだけ状態が良いブツを、よく揃えられたな?」


 スーツを着た男が、渡されたクリップボードの紙をめくりつつ、開かれたコンテナの中から出てきた。


 一緒に挟まっているペンを手に取り、下のほうにサイン。

 

 傍にいる男に、渡した。



 作業着の男は、クリップボードの紙にサインがあることで、顔を上げた。


「ヘヘッ。こっちも、南極で死ぬ思いをしたんでね……。支払い、よろしくお願いしますよ?」


「分かっている。……これは、いつもの倉庫に入れて、ウチの船に乗せるまで見張っておけ」


 興味なさげに答えたスーツ男は、自分の手下に命じて、迎えの高級車に乗り込んだ。


 高級車は、小気味よいエンジン音を響かせつつ、油と鉄の臭いがする場所から去っていく。



 閉じられるコンテナの中が、夕日を浴びた。


 そこには、体育座りのような姿勢で待機している、ロボット兵たちの姿が……。



「あーあ! 俺たちは、これで徹夜かよ。やってられねえ……」

「言うなって……。とにかく、仕事だ」

「つーか、何個あるんだよ? このコンテナ……」


 スーツ男の手下たちは愚痴を言いながら、買い取ったばかりの商品を移動させるべく、動き出した。


「あー。酒を飲みたい!」

「分かったから、黙れ……」

「これ、ウチの倉庫に入るのか?」



 ◇ ◇ ◇



 ダーリング・ハーバーは、日が暮れた。

 沿岸に立ち並ぶビルの灯りで、海とつながっている水面が輝く。


 一大観光地のため、高級ホテル、サービスアパートメントも多い。

 小型の観光船や、個人所有と思われるクルーザーが、優雅に浮かぶ。



 ショッピングセンターをぶらついた、綿貫わたぬき雄司ゆうじたち。


 今は、観光ガイドにも載っている、有名なステーキハウスにいる。

 モダンな雰囲気で、オンラインの予約によって、何とか入店。



「それ、本当に食べられるんですか?」


 対面の小鳥遊たかなし奈都子なつこは、雄司が注文したステーキの分量を見て、目を丸くした。


 2人分はあろうかと言う、巨大な肉の塊が、彼の前にデンと置かれている。

 むろん、ステーキ皿の上にだが……。


「ええ! これぐらいは、普通に食べられます」


 感心した表情の奈都子は、自分の前にあるカップをつついた。


 上を覆っているパイを崩しながら、中のスープごと、口へ運ぶ。


「小鳥遊さんのは?」


 モグモグと口を動かした奈都子は、雄司の顔を見た。


「オニオンスープパイです。けっこう、美味しいですよ?」



 雄司は、ワイングラスを傾けた後で、奈都子のメニューを見た。


 四角のプレートに、スライスした肉が5つほどで、それとは別に、カレーとライスの容器。

 ワイングラスもある。


 色々な種類だが、全体的に少量だ。



 ジッと見ていたら、奈都子が提案してくる。


「欲しいですか?」

「え、ええっと……」


 急に聞かれたことで悩んだら、奈都子が先に回答する。


「あ! だったら、お互いに食べませんか? 私も、綿貫さんのをいただきますから……」


 思わずドキッとする雄司だが、奈都子は自分のプレートを少しだけ前に出した。


 自分で取ってくれ、という意味だ。



 内心でガッカリした雄司は、お礼を言いながら、フォークで彼女のプレートから1つのスライス肉をいただいた。


 お返しで、自分のステーキ肉も、あげる。



「美味しーい!」


 笑顔で食べている奈都子。


 女子大生というには、幼い雰囲気だ。



 ランチタイムの真剣な表情は、それっきり。

 今は、楽しそうな雰囲気で、何事もなかったように、デートを楽しんでいる。


「俺にとって、大事なものか……」


 小声でつぶやいたら、向かいに座る奈都子は、少し赤い顔で尋ねてくる。


「どうかしました?」


「あ、いえ! 美味しいなって……」


 思わず誤魔化した雄司は、自分のワインを飲みながら、考える。



 ――最後に、もう一度だけ、同じ質問をします


 やっぱり、彼女は、俺から言うのを待っている?



 きちんと向き合っている奈都子に対して、雄司は逃げ腰だ。


 それでも、遠征隊として帰国すれば、熱愛報道のラッシュへ……。


 

 俺にも、男としてのプライドがある。

 デートの最後に、自分から言おう。


 あのキャリアの手駒てごまではなく、俺と小鳥遊さんの関係を発表するために、記者会見やテレビに出たい。




 ――カジノ


 パスポートでID確認をした2人は、カジノの中へ足を踏み入れた。

 貴重品を身に着けたうえで、手荷物のバッグは預ける。


 ドリンク無料などの特典があったから、メンバーカードも作った。



 綿貫雄司はスロットへ向かい、ビギナーズラックか、そこそこ増やした。


 ホクホク顔で換金を済ませて、小鳥遊奈都子の姿を探す。



 それぞれのチップが積まれたテーブルに座っている奈都子の後ろ姿が、見えた。


「Place your bet.(賭けてください)」


 ディーラーの合図で、テーブルの上に区切られたスペースに、チップが置かれていく。


「No more bet.(締切です)」


 バンカーとプレイヤーに、2枚ずつ配られた。


 このバカラは、バンカーとプレイヤーの対戦だ。

 どちらが勝つのか? それとも、引き分けか? を予想して、賭ける。


 伏せカードを開く、バンカーとプレイヤー。



 勝敗が決まり、参加者と周囲はどよめいた。


 営業スマイルを浮かべたディーラーは、流れるように清算。

 チップの山が回収され、あるいは、戻される。



 大喜びする人間が目立つ一方で、フラフラと立ち上がった奈都子。


「私の3万円が……」


 彼女は、負けたようだ。




 スマホの案内を頼りに、古いビルの裏側にあるバーへ。


 掃除用具を入れていそうな、鉄板のドアを開けば、そこは薄暗い店内。


 一面にぎっしりと立ち並ぶ、ウィスキーの瓶。

 カウンターのすみに陣取った小鳥遊奈都子は、見るからに意気消沈。


 バーテンダーが出してくれたグラスをあおって、すぐにお代わり。


 それも飲み終わって、ダンッと置いた。



「それ、ジンベースだから、あまり飲みすぎないほうが……」


「お~? 私に、指図するのかぁ~? 最初はねー! 調子が良かったんだけどぉー!」


 奈都子は、酔っているようだ。


 綿貫雄司に注意されて、子供のように言い返す。



 昼の凛々しい姿とのギャップで、雄司は初めて余裕を持つ。


 自分のグラスを口に運び、冷たい液体を流し込みつつ、隣に座っている奈都子を見た。


「小鳥遊さん。昼の質問ですけど……。まだ、覚えていますか?」


 真剣な声音で、奈都子も表情を変えた。


「覚えています……。では、私がもう1回――」

「いえ。すぐに、お返事をします」


 雄司は座ったままで、姿勢を正した。


 数回の深呼吸をしてから、奈都子の顔を見る。


「俺にとって大事なものは、あなたです」



「会ったばかりですが、南極で生死を共にして、今後も一緒にいたい女性だと思いました。俺と結婚してください! 絶対、幸せにします!!」



 拝聴していた奈都子は、静まり返った店内で、端的に返す。


「分かりました……。1つ、聞かせてください。あなたは、警察を辞める気がありますか?」


 最初に肯定された雄司は、すっかり舞い上がった。


「えっと……。はい。じゃなくて、いいえ! 辞めませんよ? 確かに楽な仕事じゃありませんし、南極では死にかけたけど……。すぐに辞めたら、子供が大変でしょう? しばらくは、石にかじりついてでも、頑張ります! 将来的には――」


 深く息を吐いた奈都子は、残っていたグラスの中身を呷った。



「Are you getting married?(あんたら、結婚するのかい?)……あなた達は、結婚するのか?」


 店内の注目を集めていたことから、バーテンダーが恐る恐る、声をかけてきた。


 水商売では、聞かなかった振りをするのがマナー。

 けれど、他の客が揃ってガン見で、状況を確認する必要があったのだ。


 自分が英語で喋ったことに気づき、日本語で繰り返した。



「ええ、はい……」


 雄司は、興奮した様子で応じた。



 そこからは、お祭り騒ぎ。


 南極のエイリアンを倒した遠征隊と知ったことで、他の客からお祝いの言葉や、奢りのグラスが続き、バーテンダーからもサービスしてもらったのだ。


 しまいには、マスターが肩代わりしてくれて、無料に……。




 夢のような時間が過ぎて、2人はダーリング・ハーバーの夜景を眺める。


「あの……。これから、よろしくお願いします! 帰国したら、色々と挨拶をする――」

「今となっては、信じられないですよね……」


 まくし立てていた綿貫雄司は、奈都子の冷静な一言で、押し黙った。


 酔っている彼女は、後ろに反り返るような姿勢から、前へ戻る。


「南極で、大冒険をしていたなんて……。詳しく述べても、信用されませんよ、きっと」


 笑顔の雄司は、同意する。


「そうですね……。俺も、小鳥遊さんが生きていて、本当に良かったです。あなたを失ったら、きっと絶望したでしょうから」


 顔を伏せていた奈都子は、隣にいる雄司を見る。


「綿貫さん……。私も、あなたに死んで欲しくありません」


「ハハ! 大丈夫ですよ! 俺、頑丈なことだけが取り柄で……」


 奈都子の顔を見た雄司は、言葉を失った。


「あの、小鳥遊さん? どうして、泣いているんですか?」



 涙を流している奈都子は、近づこうとした雄司を拒絶するように、威圧した。


「南極で一緒に来てくれたから、今の私がある……。それを思い出したから」


 感動して泣いた、と分かり、雄司は安心した。



「きょ、今日はもう、帰りますか? お互いに、酔っていますし……」


 夜景を見たままの奈都子は、それを拒否する。


「私は散歩してから、戻ります……。先に、帰ってください」


 治安が良いとはいえ、海外だ。

 かなり酔っている状態で、自分の婚約者を1人にするのは……。


 けれど、今の彼女に付き纏うのは、止めたほうがいい。



 雄司は、奈都子の機嫌を損ねないように、気を遣った。


「では、先に戻ります……。明日、また会いましょう!」

「さよなら」

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