第505話 渋谷の再開発エリアからの脱出ー②

 短期間ながら、一緒に生活していた沙雪さゆきの、無残な姿。


 それを見た小森田こもりだ衿香えりかは、自分の心を守るため、必死に現実逃避をしていた部分を全て失った。


 正規軍の兵士ですら発狂しかねない、敵の居場所も分からない市街戦。

 おまけに、夜だ。


 彼女が、今まさに、壊れようとした時――



「衿香!? しっかりしろ!!」



 かろうじて正気を繋ぎ止めた衿香は、その言葉を発した男子を見た。


航基こうきくん……?」


 自分の正面に立ち、両肩を揺さぶっている感覚が、ギリギリのところで踏み止まらせたのだ。


 目の光を取り戻した衿香は、ようやく現状の把握する。



 ここは、渋谷の再開発エリアだ。

 時刻は夜で、たぶん午後8時ぐらい。


 二学期の期末テストが終わって、余った時間を利用しての買い物。

 護衛の航基くんが、路上で絡まれている女子高生を助けようとしたことで、1人になった隙に攫われた。


 ユキちゃんは、私の式神だった。


 それで、いきなり出現した後は、ユキちゃんが銃撃戦をしながら、廃棄されたアーケード通りを逃げていたんだ。


 私が、勝手に動いたから……。


 ユキちゃんの言う通り、自宅に引き籠もっていなかったから……。



 現実を受け入れ始めた衿香は、自分の前で言葉を並べる鍛治川かじかわ航基を見た。


「どうして、ここに?」



 聞きたいことは色々あるけど、まずは安全な場所まで逃げないと。


 ううん。

 それよりも、ユキちゃんを助けないと……。


 普通の女子高生の衿香は、頭の中がグチャグチャになったまま、立ち尽くす。



 アーケード通りは、後少しで終わる。


 血だまりに倒れ伏して、左腕も吹き飛ばされた沙雪の遺言――そうは思いたくない――に従い、このまま逃げよう。

 今の私にできるのは、それだけ。


 小森田衿香の本能は、そう告げている。


 だが、原作の主人公である鍛治川航基は、一味違った。

 沙雪の無残な姿と、無反応に近い衿香の様子を見て、怒りに震える。


 先ほどの質問に対する回答を行いながら、彼女たちのかたきを討つべく、アーケード通りの奥を睨む。


「俺、お前が電話に出ないことで、『自宅へ帰った』と勘違いしたんだよ。それで、お前のお母さんから『まだ帰っていない』と聞いて……。沙雪も電話に出ないし、俺が連絡できる千陣せんじん流のエージェントじゃ話にならないと思ったんだ」


 そういえば、航基くんは前の話し合いで、シオリンに愛想を尽かされたんだっけ。

 彼女の新しい住所や連絡先も、知らないはずだし。


 他人事のように話を聞きながら、衿香は、ぼんやりと思う。


 いっぽう、航基はどんどんヒートアップ。


「本当に……すまなかった。俺が、もっと見ていれば……」



『見ていれバ、何か違っていたトォ?』



 聞き覚えがある、ボイスチェンジャーのような声だ。


 それに気づいた衿香は、ゾクリと震えた。



 ドシンドシンと、巨人のような足音が近づいてくる。


 そちらの方向を見たら、2mぐらいの黒い人影が降ってきた。

 アーケードの屋根を突き破っての登場。


 ズシンッと、舗装された通りが凹み、その重量をうかがわせる。



 闇を人の形にしたような物体で、腕は6本、顔の位置には、縦二列で3対の目がある。

 金色の輝きのため、どこか神秘的な雰囲気も漂う。


『そもそもォ……。あなたが、そちらのコモリダーさんから離れたことが、原因なのデハー?』


「五月蠅い! お前が、沙雪をやったんだな!? 絶対に許さない!!」


 その返事に、黒い巨人は首をかしげた。


『まあ、ソコはともかく……。私は今から、カジカワりゅーのコモリダの力を試すので、退いてくだサーイ』


 目を見張った航基は、即座に反応する。


「鍛治川流……だと?」


『ソーですよ? これ以上のテーコーは、そこの女のように、なりマース。早く退け』


 黒い巨人の警告に、鍛治川航基はゆっくりと呼吸をした。


 両足を大きく広げて、構える。


「俺が……。俺が、鍛治川流の宗家だ!! 衿香や沙雪は、何の関係もない!」


『エ? いえ。確かに、コモリダさんは、『自分はカジカワりゅーだ』と……』


 困惑した彼は、小森田衿香のほうを見た。


「あ、あの……。ち、違います! すぐに否定したけど、あなたが聞く耳を持たなかったんです!」


 ここで誤解を解けば、戦いを回避できるかも? と思った衿香は、必死に訴えた。


 ようやく事態を把握した『黒い巨人』は、かぶりを振る。


『フ――ッ。ここまで用意して、そんな話デスカ……』


 安堵した衿香は、まだ息があるかもしれない沙雪を救える? と期待した。


 だが――


「三の型! 浸透破砕撃!!」


 強敵の出現と、美少女の犠牲で1つの壁を壊した鍛治川航基は、千陣流で番付をされるぐらいの霊力に高まった。


 その激情のまま、地面を滑るように接近して、掌底による連撃を放つ。


 だが、あっさりと6本の腕にいなされ、カウンターで殴られ続けた後で、蹴り飛ばされ、後ろへ吹っ飛ぶ。



「ガッ! ……ゴホゴホッ!!」


 幸いにも、背中を強打しただけ。


 けれど、受け身を取れずの叩きつけと、鍛治川流の技が通用しなかったことで、大きなショックを受けた。



 呆れたように見た『黒い巨人』は、わずかに声音を変えた。


『アア、鍛治川流だな……。馬鹿の1つ覚えで、敵の正面から殴るダケ……。お前が宗家か?』


 仰向けから上半身を起こした鍛治川航基は、まだ睨む。


「そうだ!」


『変な話ダ……。お前からは、鍛治川家の匂いを感じナイ』


 その発言に怒りを覚えた航基は、ゆっくりと立ち上がる。


「俺は、養子だ! それでも、俺がいる限り、鍛治川流は途絶えない! 今は弱くても、いずれお前を必ず倒してやる!!」


 黒い巨人は、魂の叫びを受け流す。


『その台詞ハー、カジカワりゅーのから聞いタ……。ゴロー様は、その言葉で、楽しみに待っていたノニ……。結果は、コレか……』


 初めての情報に、航基は驚く。


「お前は、何を……言っているんだよ?」


 憐れんだ目つきで、黒い巨人は言い捨てる。


『金で買った立場に、尊い血筋……。鍛治川家が途絶えたのナラ、もう良いか……』

「だから、何を言っているんだ!?」


 聞き捨てならない発言に、再び絶叫する航基。


 だが、黒い巨人は、まともに答えない。


『2人とも、コロセ』


 言うが早いか、黒い巨人はその場でジャンプして、再びアーケードの屋根の上へ去った。


 入れ替わりのように、大人を上回るサイズの、白いヒキガエルたちが、飛び跳ねてきた。

 どいつも長槍を持っていて、敵意を示している。



 さらに、半グレ集団『インフェルヌス』の頭である、折竹おりたけ功男いさおの姿まで……。


 先ほどの沙雪による弾丸は、対異能者の大型ライフルに当たったらしい。



 功男は、狂気を感じさせる目で、ニヤニヤする。


「少し増えたようだが、お前ら全員、もう助からねえよォ~? このプレーナビーストどもは~! 人を拷問するのが、大好きでな~? インフェルヌスの奴らも、手足をもがれて、あの長い槍で刺し……。刺し、刺し、さし、サシ。イヒヒ、イヒヒイイィッ!」


 口の端からよだれを垂らしつつも、手にしているサブマシンガンを装填。

 バシャッという音で、内部に弾丸がセットされた。


 鍛治川航基は、小森田衿香を守るべく、前に出て、功男と向き合う。


 しかし、勇敢な彼に届けられたのは、周囲のプレーナビーストたちが一斉に投げた槍だった。


 放物線を描きながら、高速で飛んでくる槍の雨に、頭が回っていなかった航基も、ようやく反応する。


「しまっ――」


 ゴゴゴと重い音が続き、航基は思わず両腕で、自分の正面を守る。



 恐る恐る、航基が目を開けたら、自分の近くに1人の執事が立っていた。


 いかにも紳士らしい雰囲気で、老人としては若いほうの50代。


 カーディ・スイス銀行で沙雪を出迎えた執事、トレヴァー・アーサー・シーウェルは、鷲鼻わしばなを少しだけ動かしつつ、手首のスナップだけで振り回していた、薄く細長い物体を回収した。


 その輝きから、金属だと思われる。



 長槍の残骸がバラバラと振っていく中で、トレヴァーは優雅に立つ。


「ふむ、ただの槍ですな? これが本当の、投げやりですか……」



 誰もが唖然とする中で、折竹功男はサブマシンガンを撃つ。


 しかし、その場から動かずに、あっさりと弾かれる。



 執事服の胸ポケットに指を入れたトレヴァーは、スマホを取り出す。


 うやうやしく持ちながら、全体を見られる方向へ、正面を向けた。


 汗を流している顔文字が表示され、同時に男の渋い声が流れる。



『ハアッ、何たるザマだ……。沙雪。それでもお前は、私の娘か? まったく、嘆かわしい』



 航基と衿香が、雪女の里で知り合った、沙雪の父親、ヴォルだ。

 なぜかスマホのままで過ごしていて、今は航基の家に居候中。


 実は、打ちひしがれた航基を見たヴォルによって、執事のトレヴァーと共に、沙雪たちがいる場所へ向かっていたのだ。


 けれども、実の娘が惨殺された直後で、この発言。


 正義の味方である航基は、激怒した。


「お前っ! 自分の娘だろう? 少しは『悲しい』と、思わないのか!?」


 泣き腫らしていた衿香も、非難がましい目つきだ。



 戸惑ったヴォルは、『アワワ』という顔文字へ変わり、急いで返事をする。


『ん? あ、ああ……。そ、そうだな! しかし――』

「旦那さま。今の発言は、さすがに無神経だったかと……。そのような態度ですから、奥さまに嫌われたのでは?」


 トレヴァーの指摘によって、ヴォルは、ショボーンの顔文字になった。



 折竹功男は、自分が無視されたことから、再び銃口を向けた。


「おいっ! てめえら、この状況が分かっているのかよ!? 周りは、プレーナビーストで囲んでいるうえに、あの長槍は無限に出てくるんだぜ? こいつみたいに殺されたくなかったら、命乞いしろや!」


 この場を支配している自信で、功男は言い放つも、執事のトレヴァーに慌てる気配はない。


 『不思議』という顔文字になったヴォルは、スマホの中から問いかける。


『トレヴァー?』


 弾丸を調べた執事は、首を横に振った。


「ただの鉛玉ですな……。儀式もなく、特別な素材でもありません」


 緊張して損した、と言わんばかりに、ヴォルは、『シャキーン』の顔文字へ。


『そこの男……。お前は、「」と言うのだな?』


 誰もビビらないことで、功男はオーバー気味に挑発する。


「ああ、そうだ! 対異能者の大型ライフルでよォッ! 左腕を吹き飛ばしてやったのさ!! お前らも――」

『 フ……。フハハハハハッ!!』


 大声で笑い出したヴォルに、功男は困惑した。


「お前、何を笑って――」

『それでは、1つ聞こう。お前は、沙雪を殺してくれるんだ?』


 あり得ないことを言うヴォルに、功男は思わず、彼女が倒れ伏している方向を見た。


 しかし、沙雪の死体がある場所には、何もない。


 何も……。



「は?」


 功男は、自分の目を疑った。


 全ての血が流れた、と思えるぐらいの出血だったのに……。



 ヴォルは、諭すように告げる。


『いい加減にしなさい、沙雪。自分の好き嫌いで、苦労を台無しにする気か?』



 無意識に後ずさった功男は、沙雪の姿を求めつつ、銃口を彷徨わせる。


 しかし、先に目の前の連中を片付けよう、と考え直した。


「てめえらは、いちいち五月蠅いんだよオオォッ!」


 サブマシンガンの銃口を小森田衿香のほうへ向ける。


「死ねやアアアァッ!」


 功男が今まさに、トリガーを引こうとした瞬間。

 横から伸びてきた手によって、いきなり外側へ払われる。


 普通ならば、相手の銃口を外すぐらいの動作だが、その勢いは凄まじく、思わずサブマシンガンを離してしまう。


 トリガーにかかっていた指をじ切りつつ、弾丸のように飛んでいったサブマシンガンは、商店街の1つの窓をぶち破り、轟音を立てた。



 功男は、指をもぎ取られた激痛にうめく。


「痛ええっ!」


 何者かに襟元をつかまれた功男は、その相手を見る間もなく、サブマシンガンの後を追った。


 建物が倒壊するほどの衝撃が、辺りを揺るがす。



 サブマシンガンと功男を投げた人物は、女だった。


 まだ若い女……。



 20歳ぐらいの雰囲気とスタイル。


 長い銀髪に、紅い目。

 冷たい雰囲気の美女だが、不思議と目を離せない魅力を持つ。


 彼女は恥ずかしがることなく、全裸のままで、夜を支配するが如く、そこに立っていた。



 モデルのような立ち方に、小森田衿香は思わず、見惚れる。


「綺麗……」

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