第506話 渋谷の再開発エリアからの脱出ー③

 夜の支配者たる美女は、東京の中にある廃墟の一群の中で、全裸のまま立つ。

 長い銀髪は凍える夜風に攫われ、紅い目は、暗闇にいるのが当たり前の雰囲気だ。


 胸から股間まで見えているのに、不思議と、イヤらしい感じはない。

 他人を寄せ付けないオーラのせいだろうか?



 渋谷で再開発を待っている、元繁華街のエリア。

 破れたアーケードの屋根から差し込む月光は、都心部の真ん中とは思えない。


 小森田こもりだ衿香えりかだけではなく、その隣にいる鍛治川かじかわ航基こうきも、ボーッと見惚れている。


 衿香は、ポツリと、つぶやく。


「ユキちゃん……なの?」


 頭の天辺から糸で吊り下げられているように、背筋が伸びている女は、衿香を見たままで、小さくうなずいた。


 次に、その20歳の外観にふさわしい、落ち着いた声で呼ぶ。


「トレヴァー!」


 少し離れた位置の執事は、シュッと投げた。


 美女……沙雪さゆきが上げた片手の中へ、吸い込まれる。


 バッと広げたかと思えば、両肩のストラップで吊る、黒のキャミソールドレスを上からまとった。


 胸元まで大きく開いていて、背中の半分ぐらいが、剥き出し。

 体の側面、太ももにスリットがあるため、動きやすい。


 冬の始まりの屋外で着るには、薄手。

 おまけに、ブラとパンツがない、煽情的な着こなしだが、よく似合っている。



 執事のトレヴァーは、次に、黒のベルトを投げた。


 重量があるようだが、キャッチボールのように届き、大人バージョンの沙雪も、あっさりと受け取る。


 腰に巻き付け、ガチャリと固定。


 ベルトで固定している右腰のホルスターから、ロックを外しつつ、拳銃を抜く。

 

 右手でグリップを握りつつ、左手の指で上半分のスライドをつまみ、後ろまで引いてから、離す。

 シャキンッと、初弾が装填された。


 同じように、左のホルスターにある拳銃も、準備する。



 舞台の上の女優のように、沙雪は、片手を虚空へ差し出した。



「さあ、踊りましょう?」



 その言葉を待っていたかのように、大人よりも少し大きいヒキガエルたちは、その白い巨体を揺らし、目の代わりになっている、ピンク色の触手の群れをうごめかせた。


 片手に持っている長槍を投げつつも、やはり、カエルのように飛び跳ねる。



 沙雪はジャンプした後で、飛びついてきた1匹を蹴り飛ばす。


 動きにくい空中だが、ちょうどカウンターになったことで、ヌルヌルした表皮を深くめり込ませ、反対側へ弾丸のように、吹っ飛ばした。


 その反作用でさらに高く飛びつつ、両手でそれぞれに、拳銃を抜く。

 個別に照準をつけることなく、落下しながら、左右で別々に撃ち続けた。


 よく見れば、沙雪が持っている拳銃は、かなり大型だ。

 発射される弾丸も特別製で、通常の生物ではないであろうプレーナビーストを内部から、破裂させている。


 人間に耐えられない設計のハンドガンを操る沙雪は、楽しんでいた。

 全ての行動、ベクトルを味方につけて、弾丸、自分のこぶしや蹴りで、敵を粉砕しながら……。


 雪のように白い肌を紅潮させている彼女は、『女子中学生の沙雪』と同一人物には、思えない。



 空中で鮮やかに姿勢を変えつつ、目にも留まらぬスピードで、動き続ける。

 その衝撃の余波と、彼らの足場にされたことで、再開発エリアは一足先に、解体作業を始めた。


 執事のトレヴァーは、スマホを胸ポケットに仕舞ってから、飛んでくる破片を金属の薄板で弾きつつ、催促する。


「ここは危険です。どうか、お早く……」




 アーケード通りを抜けた先には、黒塗りの高級車が、停まっていた。


 後部座席に、小森田衿香と鍛治川航基の2人を乗せて、すぐ走り出す。



 ブロロロと走る高級車は、警察の検問に引っ掛かった。


 速度を落とした車は、その列に加わるべく、最後尾で停車。



 衿香は、思わず口走る。


「え? だ、大丈夫なの?」


 前の助手席に乗っているトレヴァー・アーサー・シーウェルは、事もなげに言う。


「ああ、問題ございません……。この車は、外交官ナンバー。いわゆる外ナンバーでして、警察が手出しできない立場です。しかし、窓を開けると、さすがに面倒なので、お控えくださいませ」


 その言葉を証明するかのように、待っている車列を無視して、周囲の警官が誘導を始めた。

 面倒は御免だから、先に通ってくれ。という話だ。


 まさに特権階級の所業で、順番を待っている車からの、恨みがましい視線が突き刺さる。


 あっさりと検問を抜けたら、警官がせわしなく動き、その通行スペースは、すぐに塞がれた。



 助手席のトレヴァーは、何か言いたそうな衿香たちのために、説明する。


「先ほどの再開発エリアでは、発砲音や怒声が続き、今は沙雪お嬢様が暴れておりますからな……。これで動かなかったら、警察の意味がありません」


 心配した衿香は、思わず尋ねる。


「だ、大丈夫なの? ユキちゃんが捕まったり、倒されたりしないよね?」


 その言葉に、トレヴァーは微笑んだ。


「ご心配なく。日本警察は、上の命令がなければ、突入しません。最低でも、機動隊の数を揃えてからでしょう。おそらくは、現場を包囲したまま、事態が落ち着くまでの静観かと……。あの化け物たちに、お嬢様が負ける可能性もございますが……。私は、お嬢様に怒られたくありません」



 走っている車内で、今度は航基が、質問する。


「なあ? あんたらは、いったい何者なんだ?」


 助手席のトレヴァーは、胸ポケットからスマホを取り出し、後部座席が使うためのホルダーに差し込んだ。


 その画面に『笑顔』の顔文字をしたヴォルが現れて、説明する。



『私たちは、永遠の帝国(エーヴィヒカイト・ライヒ)だ。欧州のREUアールイーユーにある、人ならざる者たちの住処……と言えば、分かるか?』



 トレヴァーの戦闘力は、人間離れしていた。

 いくら異能者でも、あれほどの動きは難しい。


 そう思っていた航基と衿香は、すぐに納得した。


 疑問に思った航基は、さらに尋ねる。


「じゃあ、日本でいう、妖怪たちが暮らしている場所か……。ヴォルは、どういう立場なんだ?」


 聞いて驚け! という顔文字になったヴォルは、自己紹介をする。


『ヴォルフ・フュルスト・フォン・ハイネンブルク。かつては王族、公爵家だったが、今となっては、僅かな領土を残すばかりの存在だ』


 つまり、れっきとした、帝国の幹部。


 近所のオジサンの感覚でいた航基は、ごくりと、唾を呑み込んだ。

 隣に座っている衿香も、目を丸くしている。


 ヴォルは、自分の帝国を語る。


『狼男、妖精、動くガーゴイルと、あちらの怪異で、知性ある者たちの退避所だ。今のところ、教会の勢力とは、「お互いに不干渉」の関係が続いている』


 衿香は、気になっていたことを訊ねる。


「あの……。さっきのユキちゃんだけど……。ヴォルさんの血筋が、関係しているの……ですか?」


 敬語を使うべきかどうかで悩み、たどたどしい表現になった。


 察したヴォルは、すぐに答える。


『敬語は不要だ。今まで通りに、話してくれ……。確かに、沙雪の変身は、私の血筋が関係している。あいつは、かなり嫌っているから、ギリギリまで使わなかったようだが……』


 だいたい理解した航基は、それでも、ヴォルに聞く。


「お前は……何の種族なんだ?」



『不死の代名詞でもある、ヴァンパイア……平たく言えば、吸血鬼だな。自然発生した真祖の1人だ』



 予想外の大物に、航基は、次の言葉が見つからない。


 ヴォルは、淡々と説明する。


『世間では色々と言われているが……。吸血鬼は、簡単には死なないし、死ねない。少なくとも、銃弾で吹き飛ばされた程度では……』


 

 美女の沙雪が本性であるのなら、異常なまでのスピードと怪力にも、うなずける。


 雪女と、ヴァンパイアの子供……。



 かつて、退魔師の仕事を受けた時に、山奥の古民家を訪れた。


 そこに潜んでいた座敷童子ざしきわらしは、沙雪に問いかけていたのだ。


 ――どうして……


 ――なぜだ? なぜ、お前がそいつらの味方をする?


 ――やはり、こん


 そこで、座敷童子は、沙雪に撃たれた。


 最後に言おうとしたのは……。



 ――やはり、混血か



 あの時の沙雪は、どんな気持ちだったのか?


 そう思った小森田衿香は、後部座席に座ったまま、涙を流した。



 ユキちゃんは、シオリン達から霊力を授けられ、千陣せんじん流の訓練施設にいた時から、ずっと一緒だった。


 ――衿香は、あたしと一緒に頑張ればいいよ



 今回の誘拐の原因は、私が現状を認識せずに、遊び歩いていたから。

 そのせいで、ユキちゃんは、まだ戦っている……。


 血だまりで倒れている彼女を見た時には、心臓が止まるかと思った。



 過去を振り返った衿香は、自分の迂闊さと、沙雪にかけてきた負担をようやく自覚した。

 彼女がいなければ、半グレたちに汚され、取り返しがつかなくなっていたのだ。



 心配した航基が伸ばした手は、衿香が向けた手の平によって、止められる。



 ハンカチで涙を拭いた衿香は、1つだけ質問する。


「ねえ、航基くん? もし、男の人に絡まれている女性を見かけたら、また助けに行くの?」


「もちろん、そうするさ! そんなことは、絶対に許せない!」


 衿香は、迷うことなく答えた航基をまじまじと、見つめた。



 ああ、そっか……。


 この人、私を見ていないんだ……。


 男女の関係とかじゃなく、存在そのものを……。



 俯瞰ふかんした衿香は、急速に気持ちが冷えていくのを感じた。


 誰でもいいし、今の自分が、気持ち良くなれればいい。

 そんな人間と理解すれば、どんな恋愛感情だって、失われる。


 どれだけ献身をしても、相手の男は、それを自覚しないのだから……。



「バカみたい……」



 小声で呟いた衿香は、長く息を吐き、代わりに新しい空気を吸い込んでから、提案する。


「ねえ、?」


 いきなりの名字呼びに、戸惑う航基。


 それに対して、衿香は話を続ける。


「これからは、お互いに名字で呼ばない? 私、そういう気分だから……」


 理由にもなっていない提案だが、航基は承諾する。


「あ、ああ……。衿香……小森田が、それでいいのなら」


「うん。お願い」


 そう返した衿香は、背もたれに、ドサッと倒れ込んだ。


 最後のチャンスまで、鍛治川航基は執着せず。

 一発ヤリたい、という理由だろうが、求められれば、まだ悪い気はしなかったのに……。


 自分でも、スタイルは良い、と思っている。

 友だちのラインを越え、尽くしてきた自覚もある。


 だけど、彼には、何も響かなかった。


 漂流する船に乗っているかのような、心細い気分になった衿香は、拳を握りしめながら、窓の外を見た。



「本当……。バッカみたい……」



 今の衿香は無性に、沙雪の顔を見たい。


「早く帰ってこないかな、ユキちゃん……」



 ◇ ◇ ◇



 半壊したアーケード通りの壁に、女子中学生の姿をした沙雪が、めり込んでいた。

 その正面に立っているのは、闇を2mの巨人に押し固めた者。


 黒い巨人は、顔を沙雪のほうへ向けて、縦で二列に並んだ、金色の目6つを光らせた。

 同じく6本の腕を油断なく、構えている。


 いつも通り、ボイスチェンジャーのような声で、敗者に告げる。


『思ったトーリ、さっきの姿には、限界があるようデー? 先にプレーナビーストの群れをけしかけて、大正解デシタ』


 目がない、白いヒキガエルたちは、全滅したらしい。

 けれど、壁のように立つ彼は、たった1人で、吸血鬼モードの沙雪を圧倒したのだ。



 ゴホッと咳き込んだ沙雪は、弱々しい声で、話しかける。


「あたし、ようやく期末テストが終わったんだよ……」


 首をかしげた『黒い巨人』は、時間稼ぎか? と思いつつ、それに応じる。


『中高生なら、そうデスね……。だから?』


「今日は、カレンダーで何月だっけ?」


 一対の腕を組んだ彼は、残りの4本をいつでも動かせる状態だ。

 応じることで発動する呪術を警戒して、何も答えない。


 仕方なく、沙雪が、答えを言う。



「12月……。そうだよ、



 ゾクッとした恐怖を感じた『黒い巨人』は、すぐに攻撃態勢へ移る。


 正面の壁にめり込んだままの沙雪に、右腕から始めるラッシュで――



 ザシュッ



 黒い巨人は、自分の腹から生えてきた日本刀を見た。


 刃文はもんがない、銀色の刀身。



 首を回した彼は、自分の後ろの地面で立ち、背後から突き刺してきた人物を見た。


 まるで自分の影から出てくるかのように、突然の出現だ。



 黒い巨人は、思わず呟く。


『ナン……ダト?』

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