第502話 身構えている時に事件はやってこないものだ【航基・衿香side】

 渋谷の勢力圏は、複雑だ。

 繁華街につきものの、男気がある方々の他、海外の勢力まで入り乱れている。 


 とある探偵に言わせれば、ここを拠点にしている団体は怪しいと思え、ぐらいの勢いだ。


 狭いエリアで、入り組んだ地形。

 そこにいる各勢力を正しく理解しなければ、尾行や張り込みをしただけで、翌朝にはゴミ捨て場に転がっていそう……。



 裏の利権争いがあるものの、常に衝突していては、共倒れ。

 基本的に、住み分けを行っているらしい。


 地方から東京をイメージしている人が訪れ、去っていく。

 あるいは、主体的に動けないまま、変化していく街で埋没する。


 ここに来たことで、自分が変わった気がする。と錯覚した若者を呑み込み、どんどん使い捨てていくのだ。


 祭りのような雰囲気の街、と表現すれば、いいのだろうか?




 いかにも格闘技をやっていそうな大男は、小さなジムで叫ぶ。


「よし! これで終わるから、後は片しておけよ?」


 他の鍛えられた男たちが、頭を下げた。


「「「う――っす!」


 

 威厳があった大男は、かつて多羅尾たらお早姫さき備旗びはたを始末した時に、現場で野次馬をしていた1人、折竹おりたけ功男いさおだ。


 雑居ビルから出た功男は、狭い路地を歩き、やがて自宅に辿り着く。

 見栄を張るために、入居可能なリストの中で、最高のマンション。


 自分だけの空間へ入れば、オシャレな高級家具ばかり。


 だが、手下にイキッていた気迫は消え失せ、広いローベッドの端に、ドカッと腰を下ろす。


「やっぱ……。年かよ……」


 必死に堪えていたが、先ほどのスパーリングで、若手をいなした時に体を痛めたのだ。



 功男は、アラサーになった。


 以前と同じように動けず、ダメージも回復しないことを実感。

 常に力を見せつけないと蹴落とされる、半グレの集団では、命取りだ。


 このままでは、じきにスパーで無様を晒して、自分の集団でも居場所がなくなってしまう。


 危機感を覚えた功男は、室矢むろや家の女たちに思いを巡らす。


「あいつにおごった分は、かなり痛かったけどよ。それだけの甲斐はあったぜ……」


 おかげで、その男は、知っていることを全て喋った。



 自分のスマホに転送させた画像を見た功男は、傷だらけの顔に似合わぬ、まるで中高生のような感じに……。


 室矢家が引越しても、過去に出回った写真や動画、個人情報は残ったまま。



 南乃みなみの詩央里しおり、室矢カレナ、咲良さくらマルグリットの3人は、紫苑しおん学園に通っていたことで、特に情報量が多い。


 さらに、2日間の文化祭に参加していた悠月ゆづき明夜音あやねの画像も……。


 どの女子も、渋谷にはいないタイプだ。

 自分を持っている人ほど、ここには寄り付かない。


 それ以前に、住んでいる世界が違う。


 詩央里たちは、地方から出てきて、街の仕組みにめられた女や、投げやりの家出娘にはない、煌めきと風格だ。



「いいじゃねえか! どいつも、俺の女に相応しい。この悠月って、まさか財閥の女か? なら、そいつに言えば、もう金にも困らねえな! ……すぐ呼びつけたいところだが。今は、サツが妙に五月蠅いんだよなあ。おまけに、今は引っ越したようで、自宅が分からねえ」


 室矢重遠しげとおを探す包囲網は、渋谷にも及んでいた。

 この街こそ、彼のような人物が潜みやすい場所だ。


 警察の動きを察知した広域団体は、全てトーンダウン。

 一時的に小競り合いも止めて、事態が落ち着くまでの静観を選ぶ。

 内部の引き締めを行い、付け入られる隙を作らない。



 折竹功男は何も知らないうえに、我慢を選ばず。

 それができるのなら、最初から半グレをやっていないのだ。


 彼の頭の中には、全裸の詩央里たちが媚びて、あえぐ姿がある。

 女と会話をする気はゼロで、逆らえば、殴って言うことを聞かせるだけ。


 都合が良い時だけ、相手と対等に話せるほど、人間は器用ではない。

 いつも暴力を振るっていれば、女なぞ、換金できるアイテムにしか見えず。



 だが、功男に妙案はなく、このままではお預けだ。



「しゃーない。奴の提案に乗るか……」


 いきり立った功男は、しぶしぶ電話をかける。


「俺だ。例の話、受けるぜ! とっとと、説明しろや!!」


 通話している相手は、ボイスチェンジャーの低い声で応じる。


『ハァイ……。よろしくオネガイしま゛ーズ』



 小森田こもりだ衿香えりかが電話をかけた時に、潰れたはずの開道かいどう探偵事務所にいた人物。


 彼女を鍛治川流の人間と勘違いしたまま、そのボイチェン男は、暗躍を続ける。


 衿香の死亡フラグは、留まるところを知らない。


 

 ◇ ◇ ◇



「はい。テスト終了! すぐに、後ろから集めて!」


 その宣言を受けて、紫苑学園の教室内が一気に騒がしくなった。


 ワイワイと言い合う中で、自分の席に座っている小森田衿香は両手を上げ、思いっきり背伸び。



「あー! ようやく、終わったよオオオォッ!!」



 これで、期末テストは全て終了。

 採点後の返却が怖いものの、年末年始まで、ゆっくり過ごせる。


 プレッシャーから解放された高校生は、ガタガタと椅子を後ろへ下げて、立ち上がっていく。


「どこ、行く?」

「駅前!」


「帰って、寝よう……」


「冬休み、遊びに行かない?」



 自分の机でうつ伏せになって、巨乳をクッション代わりにしていた衿香は、クラスメイトにして想い人の鍛治川かじかわ航基こうきに声をかけられる。


「どうする? もう帰るのか?」


 上体を起こした衿香は、航基のほうを見た。


「そーだね。今日は、お家でゆっくりしたい……。あ! ユキちゃんを驚かすために、最近できたお店へ行こうよ! そこに、新作のスイーツがあるらしくて」


 机上の筆記用具を片付けた衿香は、横のフックにかけていたバッグを手に取り、全てを放り込んだ。


 ガタッと、立ち上がる。


 スマホを見たら、まだ午前11時半。




 自宅で着替えた小森田衿香は、護衛を務めている鍛治川航基と並んだまま、歩道を歩く。


 電車を乗り継ぎ、いつもとは違う景色だ。



 途中のお店でランチを食べて、デート気分の衿香は、スマホの時計を見た。

 

 午後3時ちょうど。



「結局、何もなかったね?」

「そうだな……ん?」


 衿香が行きたいお店までの道のりに、ガラの悪い男たちがいた。

 しかし、そのターゲットは、彼女にあらず。


 ここら辺では見慣れぬ制服を着た、女子高生。


 2人の男は、女子高生を挟み、体中を撫で回している。

 胸や尻を揉んでいることが、遠目でも分かった。


 彼女は拒絶しているが、男たちは意に介さず。


 女子高生が逃げようとしたら、すぐに小突き、抵抗する気力をなくしている。



 鍛治川航基は、周りを見た。


 男たちは見るからにアウトローで、誰もが見て見ぬ振りだ。



 義憤に駆られた航基は、衿香に言う。


「悪い! ちょっと、行ってくる!」

「あ、うん……」


 戸惑った衿香だが、航基は半グレ2人に突っかかっていく。


 溜息を吐いた彼女は、その場で立ち止まった。




 航基は、罵りながら殴ってきた男の腕をさばきながら、じり上げた。


 痛みに声を上げる相棒に、もう1人は怯える。


「わ、分かった! もう、やらねえよ!!」


 それを聞いた航基は、拘束していた男を解放した。


「くそっ! 覚えてろよ!」

「いいから、走れ!」


 2人の半グレは、一目散に逃げていく。



 満足げにそれを眺めた航基は、絡まれていた女子高生に声を――


 誰もいない。



 被害に遭っていた女子高生は、もう立ち去った後。


 見ず知らずの相手、それも男子が血相を変えて、飛び込んできたのだ。

 逃げて当然。


「えーと……」


 役得とまでは言わないが、お礼の一言ぐらいは聞きたかった。


 そう思っていた航基は、後ろから声をかけられる。



「あー。君、君?」



 振り向いたら、そこには制服警官2人。


 若いほうの警官が、口を開いた。


「今、通報があったんだけど。詳しい事情を聞かせてもらって、いいかな?」


 焦った航基は、反論する。

 

「えっと。連れを待たせているんですけど――」

「すまないが、後にしてくれ。証拠の隠滅や、口裏を合わす恐れがあるんでね。それとも、やっぱり後ろ暗いところが?」


 年嵩としかさの警官に挑発されたことで、航基は首を横に振った。


「そんなことはない!」


 若い警官は、すかさず言う。


「じゃあ、悪いけど、近くの交番までお願いするよ。君に事件性がなければ、ちょっと話を聞くだけで終わるから」


 航基は、視線だけで小森田衿香を探すも、見える範囲にはいない。


 彼女を巻き込むのはマズいか、と判断して、観念した。


「はい……」



 周囲の注目を浴びながら、航基はパトカーの後部座席に乗せられた。


 そのまま、最寄りの交番へ。




 ――1時間後


 若い警官は、事情を聞き終わったことで、腕時計を見た。


 午後4時だ。

 食事の手配を考えないと……。


 そう思いつつ、カウンターを挟んでいる鍛治川航基に、視線を戻した。



「なるほど。被害者も逃げたと……。新井あらい(巡査)部長! 彼は、もう帰していいですか?」


 若い警官の問いかけに、奥のデスクに向かっていた、年嵩の警官が答える。


「そうだな。……紫苑学園の生徒だっけか? 君は、室矢重遠という子を知って――」

「あいつが、どうかしたんですか!?」


 いきなりの大声で、2人の警官はビックリした表情に。


 年嵩の警官は、言い直す。


「ああ、何でもないよ。知り合いの息子さんが、そういう名前だったから。じゃ、もう帰りなさい」


 どう考えても、室矢重遠をかくまっている反応ではない。

 それに、すぐ暴走するタイプのようだ。


 相手をするだけ時間のムダだ、と考えた、新井巡査部長は、鍛治川航基をリリースした。




 納得できずに交番から出た航基は、歩いて離れつつも、スマホで小森田衿香に電話をする。


 プルルルル


 プルルルルルル



 いつまでも、電話に出ない。



「……怒っているのかな?」


 スマホを仕舞った鍛治川航基は、トボトボと歩き出す。


 時間を置いてから、電話をかけ直すつもりだ。



 この時の航基に、危機感はない。


 沙雪さゆきから、小森田衿香の死亡フラグを聞いていたが、期末テストまで動きがないことで、半信半疑に。



 自宅に帰った航基は、適当に夕飯を済ませた。


 スマホを見たら、午後7時だ。

 その時、画面の表示が切り替わる。


 ターン、タラララ♪


 ピッ


「はい。……小森田さんですか。えっと、何の御用で――」

『鍛治川くん? 今は、衿香と一緒かしら? 電話をするのは悪いと思ったのだけど、娘のほうは繋がらなくて』


 汗を出した航基は、全身がずぶ濡れになった感覚のままで、おずおずと質問する。


「あの……。ひょっとして、まだ自宅に帰っていないのですか?」


『ええ、そうなのよ! ほら、鍛治川くんがいるから、心配ないけど。今の季節は、すぐ暗くなっちゃうし――』


 力が抜けた指から、スマホが落下する。


 ゴンッと床にぶつかったことで、表面のガラスに大きなひびが入った。



 まるで、小森田衿香の現状を示すかのように……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る