第501話 室矢重遠を探す特別緊急配備の裏側で……

『警視庁は、「年末の特別警戒」と発表しており――』


 母親らしき声が、催促する。


「衿香! もう出ないと、遅刻するわよ!?」

「は――い!」


 朝のテレビは、いつもの情報番組だ。


 1階のダイニングテーブルで朝食を詰め込んだ小森田こもりだ衿香えりかは、慌てて立ち上がった。


 紫苑しおん学園の制服を着たまま、手早く歯磨きと洗顔、化粧水や乳液で肌を整える。



「ユキちゃん、お待たせ!」


 バタバタと走り回った衿香は、玄関口で待っていた少女に声をかけた。


 アニメキャラを彷彿とさせる、薄い青色でロングの沙雪さゆきは、同じ学園の中等部の制服を着ている。

 幼い外見だが、精神年齢は高い。


 そのロリっぽい美少女は、暗めの灰色の瞳を向けながら、落ち着いた声で返事をする。


「じゃ、行こうか?」



 生活感がある戸建てから、外へ出た。


 コートが手放せない季節になりつつある。



 東京のラッシュアワーは大変だが、ここは一等地のため、通学しやすい。


 爽やかな朝日を浴びつつ、並んで歩き出す。



 沙雪は、角の向こう側へ視線を向けた。


 その様子に、小森田衿香は思わず質問する。


「ユキちゃん、どうかした?」


「いや。何でもない……」


 衿香を見上げた沙雪は、小森田家を張っているか、と見当をつけた。


 警視庁が密かに、室矢むろや重遠しげとおを追っていることは、自分の情報網でとっくに把握済み。


 一定間隔で尾行してくるのが、鬱陶うっとうしい。


 小森田家の張り込みは、交代制でオールタイム。

 こちらに接触してくるのは、時間の問題だね……。



 頭を切り替えた沙雪は、衿香に訊ねる。


勝悟しょうごたちのように、しばらく通信制へ切り替えるってわけにはいかない? 鍛治川流の電話のこともあったし、本当は出歩きたくないんだけど……」


 警察を入れないために閉鎖されたWUMレジデンス平河ひらかわ1番館では、そこで暮らしている寺峰てらみね勝悟と多羅尾たらお早姫さきも籠城中だ。


 彼らは、一時的に通信制で単位を取って、何とか進級するつもり。



 気まずい顔の衿香は、首を横に振った。


「もうすぐ期末テストで、長く授業を休むと大変だから……。それに、いきなり自宅で閉じ籠ったら、お母さんが心配しちゃうし……」


 やっぱり、ダメかな? という表情で、衿香は沙雪を見つめた。


 白い息を吐いた沙雪は、その考えを肯定する。


「別に、悪いとは言っていないよ? ご近所のうわさにも、なるだろう……。ま、相手の出方も分からないんだ。下手に穴熊を決め込んだら、逆手に取られるかもしれない」


 不登校の生徒への家庭訪問となれば、警察が乗じない保証もないのだ。

 


 心配そうな衿香に対して、沙雪は微笑んだ。


「そのために、あたしがいる。衿香は、いつも通りに過ごせばいいよ」




 ――1週間後


 正体不明の敵に怯えていた小森田衿香は、ようやく落ち着いてきた。


 非通知の着信履歴が並ぶこともなく、期末テストの勉強に集中し始める。




 その日の衿香は、沙雪とは別で帰った。


 学校の図書室で粘っていたことで、もう暗くなった正門を抜けて、早足で最寄り駅のホームを目指す。


 路肩に停まっているパトカーの赤ランプが、妙に目立つ。

 一般人とは思えない目つきで周りを見ながら、片耳にイヤホンをつけている、スーツ姿の人間も。



 まだ11月なのに、年末警戒なんだ……。と思いつつ、改札の読み取り部分に、非接触型の定期券をかざそうと――


「あの! ちょっと、いいかしら?」


 声をかけられたことで、衿香は立ち止まった。


 後ろを振り向くも、並んでいた人から迷惑そうに見られたので、すぐに退く。



 衿香を呼び止めたのは、冬用の私服を着た、20代後半ぐらいの女。


 ショルダーバッグを肩掛けで、上はダボッとしたトレーナー。

 さらに、薄手のアウターを羽織っている。


 下は、ジーパン。

 走りやすいスポーツシューズのせいで、ランニング中にも思える。


「急いでいるのに、ごめんなさいね? 実は、人を探しているの。あなたと同じ紫苑学園の高校生で――」

室矢むろや重遠しげとおの行方なら、あたし達は知らないし、無関係だ。ついでに言えば、『元クラスメイトに連絡して』という要求も、お断り」


 それまで人の気配がなかった空間から、いきなり可愛い声。


 驚いた女は、声がした方向へ振り返りつつ、左手でトレーナーをまくり、そのまま胸の下を押さえた。

 右手は、トレーナーの中へ入っている。


 可愛らしい声は、警告する。



を抜いたら、敵と見なすよ?」



 女は、そのままの姿勢で、相手を確認する。


 ……外国人らしい風貌の少女だ。


 深呼吸をした女は、ゆっくりと両手を戻す。


「脅かさないで……。あなたは、誰かしら?」


「いちいち名乗らなくても、そちらは知っているでしょ?」


 質問に質問で返したことで、女は会話をする気を失くした。


 オロオロしている小森田衿香のほうへ向き直り――


「警視庁の捜査一課の――が、こそこそと何の用? 今、ブラの下につけている樹脂製のホルスターから、拳銃を抜こうとしたよね? これ以上、勝手に動くのなら、あたしにも考えがあるよ」


 ズバリ言い当てたことで、女の雰囲気が変わった。


 鋭い眼光で、再び異国の少女を見る。


「小森田家で下宿している沙雪さん……だったわね? あなたは、室矢くんの居場所を知っているの?」


「知らない。さっき、返事をしたはずだけど?」


 とぼけた回答に、女刑事は激怒した。


「ふざけないで! 今は――」

「一度だけ、で済ませるよ」


 周囲を威圧するプレッシャーを放った沙雪は、ルビーのように輝く、紅い目に。


 聞くだけで平伏したくなる、低い声で話す。



「ヴォルフ・フュルスト・フォン・ハイネンブルクの名において、宣言する。――は、小森田衿香をその守護下にした。以後の不当な干渉は、我らへの挑戦と考える」



 気圧された女刑事は立ったまま、何も言えない。


 野次馬に至っては、その場で崩れ落ちている。

 床を濡らした者も多い。



 惨状に構わず、沙雪は、元の目と口調に戻った。


「どうせ、この会話も録音か、携帯電話を通話中にしているでしょ? 好きなだけ、今の発言を確認すればいい」


 突っ立っている衿香の腕を取り、沙雪は改札を通った。




 自宅へ戻った小森田衿香は、夕飯の後で、沙雪と向き合った。


「ユキちゃん。さっきのは、どういうこと? 刑事さんが、何で私に声をかけたの?」


 床のクッションで丸くなっていた沙雪は、顔だけ向ける。


「んー。今は、話せないよ。あの女も近づいてこないから、気にしないで!」


「そう言われても……」


 むくれた衿香だが、沙雪に答える気はないようで、クッションと恋人になった。



 この時点では、本庁の捜査本部が、室矢重遠を追いかけている最中。

 しかし、彼はすでに、人がいない場所で潜伏済みだ。


 となれば、重遠を知っていそうな人物、特に揺さぶれる立場の人間を狙う。


 あの女刑事も、身分を明かさずに何回か接触して、小森田衿香を説得する予定だった。


 衿香は室矢家の女子と親しいため、重遠が隠れていそうなWUMレジデンス平河ひらかわ1番館へ入るためのにもなる。



 小森田衿香に分かるのは、あの女刑事ともう会わないことだけ……。




 ――警察庁 警備局警備企画課 情報第0担当理事官の執務室


 冨底ふそこ道治みちはるは、内部で回ってきた書類を仕分けた。


 執務机の上で並べつつも、冷静な彼らしくもない、困惑した表情に……。


 

 小さな顔写真がついた書類を見た道治は、ポツリとつぶやく。


「珍しく、外事一課からの連絡と思えば……」



 そこには、1人の若い女の個人情報があった。


 長い銀髪を左右で部分的に編み込んでいる、オシャレな髪型だ。

 小顔に青色の瞳のため、外国人のわりには幼い容姿。


 外見からは、20代の前半と思われる。



“対象は、組織に所属している幹部の1人。スキルなどの詳細は、不明。今回の来日では、直前に関係筋から「小森田家の人間を狙うが、そちらは手出し無用」と連絡を受けており、要警戒。単独とは考えにくく、仲間もいる可能性が高い。なお、正規のルートで入国する予定のため、彼らの動きを把握するべく、あえて通過させる”



 入国審査でねたら、勝手に入ってくるだけ。


 頭が痛くなった理事官は、今日の占いで、自分の運勢はどうだったか? と現実逃避した。


 ここに情報が回ってきた時点で、言うまでもなく異能者だ。




 ――成田国際空港

 

 入国審査のブースでは、確認用の端末が備わったカウンターに、担当者がいる。


“セシリア・ユレンシェーナ”


REUアールイーユーにある――の国籍”


 長い銀髪に、青い瞳。

 いかにも外国人だが、20代の前半にしては、可愛らしい。

 制服を着れば、女子高生と言っても通りそうだ。


 書類と、年齢が違う? 


 入国審査官は、少し身構えた。


 差し出されたパスポート、ビザの書類を開き、目の前にいる本人と照らし合わせながら、手早く質問をする。


「渡航目的は?」

「趣味を兼ねた仕事です」


「滞在期間は?」

「1ヶ月ほどです」


「滞在先は?」

「――ホテルです」


「同行者はいますか?」

「いません」


「帰りのチケットは?」

「1ヶ月後の日付で、予約済みです」



「あなたの職業は “レディースメイド” とありますが? メイド……ですよね?」


 入国審査官の何気ない質問が、セシリアの怒りを呼んだ。


「レディースメイドです」


 その圧力に、入国審査官は折れた。


「あ、そうですか……」


 そこはどうでも良かったので、端末を弄りつつ、不一致や、怪しいところがないか? をチェックする。


 スーッと指を滑らせつつ、生年月日などを確認。


 パスポートの証印欄を開き、スタンプを押した後で、書類一式を返す。


「日本へようこそ!」


「ありがとう」


 書類一式を手に取ったセシリアは、そこまで笑顔。


 カツカツと歩きながら、出迎えていた女に手荷物を渡した。



 ハンドバッグを受け取った女は、セシリアと一緒に歩きつつも、報告する。


「ユレンシェーナ様。こちらが、ターゲットです」


 写真を受け取ったセシリアは、次々に入れ替える。


「確定?」

「はい。このまま推移すれば……」


 女の返事に、セシリアはうなずいた。



 小森田衿香が映っている写真を苦々しげに見たセシリアは、その全てを女へ押し付けた。


「できるだけ早く、済ませましょう!」

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