第493話 絵茉ちゃん・ネバー・ダイ(後編)

『店の予約は、キャンセル! みんな、解散して!!』


 香月こうげつ絵茉えまの指示を聞いた女子高生は、片耳のイヤホンに当てている手を離した。


 制服姿のままで、忙しく行き来する通路をキビキビと歩き、その片隅に置かれていた、大きなキャリーケースを手に取った。

 1週間以上の海外旅行に向いているタイプだ。


 彼女は、自分の胴体ぐらいはあるか? と思われるキャリーケースの上部ハンドルを握り、そのまま床を引き摺ることで、下の車輪をゴロゴロと鳴らす。


 市民会館の内廊下を移動するも、有名な女子校の制服ゆえ、それを見咎める人間はいない。

 せいぜい、ボランティアで参加した、どこかの支持者の娘、と思うだけ。


 その光景は、市民会館のいたる所で見られた。



 どこかで、がした。



 通報を受けた警察は、市民会館に急行する。


 サイレンを鳴らしつつ、一般車両を退避させていくも――


 野党が集めた人々の列や車によって、行く手をさえぎられる。


 パトカーの助手席に乗っている巡査長は、これ以上は進めない、と判断。

 運転している巡査に、命じる。


「お前は、このまま現地へ向かえ! この状況で2人とも車から離れるのは、マズい。俺は、自分で走るから! あと、本部に報告しておけ!」


「はい! 分かりました!」


 巡査長は捜査に必要な荷物をつかみ、ガチャッと扉を開け、渋滞にはまっているパトカーから降りた。


 バムッと扉を閉めた後で、目立つ制服姿のまま、歩道を走り出す。



「スマホが使えないんだけど?」

「トランシーバーもだ」

「車が動かない……」

「電気が途切れたって!」



 その会話を耳にした巡査長は、いったん止まり、腰の無線機を確かめる。


 次に、制服の肩章に挟んでいるクリップ――音声をハッキリと聞くための共鳴管でもある――につけていたイヤホンを耳にはめた。


 この状況で、全く指示がこないからだ。 


 胸のポケットに入っている受令機から伸びたイヤホンは、基幹系。

 本部からの通信を傍受するためにある。


 それに対して、腰の警察無線は、署活系。

 自分が所属する警察署とのローカルなやり取りで、使用する。


 本部の通信指令室が沈黙したままは、あり得ない事態だ。



『ザ―――――』


 無線機の会話をする部分を握り、通話状態にした。


「聞こえますか? ……誰でもいい。聞こえたら、応答してくれ!」


『ザ―――――』


 通話はできないようだ。

 指令どころか、他の警察無線も聞こえない。


 念のために、公用携帯電話のデータ端末を取り出したが、通信できず。

 110番通報による連絡も、不可能。



 考えている暇はなく、彼は再び走る。



「あ、お巡りさん! 良かった。何か、今ちょうど停電で! おまけに、ウチの立候補者である須瀬すせさんが、行方不明なんです!!」


「分かりました。詳しい情報を教えてください」



 市民会館は、電気をつけられない状態だ。

 まだ明るい午後とはいえ、天井の灯りを前提とした設計で、中は暗い。


 携帯していたフラッシュライトをつけて、昼とは思えない内廊下をゆっくりと進んでいく。


 その光でたむろしている人々が次々に浮かび上がり、ちょっとしたホラーだ。


 立往生をしている人々は、小声で話し合っている。


「あの女は、何を考えているんだ?」

「だから、素人を担ぎ出すのは止めようと、言ったのに!」

「後援会の方々には、どう言い訳をすれば……」


 ボソボソした会話は、巡査長が照らし出す光と、彼の正体を知ったことで終わる。



「ここです! この控室にいたところまでは、我々が確認しています」

「はい」


 控室と言われた場所は、なぜか扉が外されていた。


 外から、中の様子を照らし出すと――


 その部屋は、まるで解体中の現場のように、がらんどう。

 内装どころか、コンクリートや壁材が剥き出しの、建設現場だ。


 天井から床まで、くまなく光を当ててみる。


 人がいた気配はなく、どう見てもリフォーム中。

 長く滞在できる雰囲気や、環境ではない。



「あの……。本当に、ここでしたか?」


 振り返った巡査長は、案内してくれた人間に訊ねた。


 ガクガクとうなずいた彼は、それを肯定する。


 巡査長は自分の腕につけている、ゴツい腕時計の表示を見た後で、とりあえず指示を出す。


「この部屋と周辺は、立入禁止です。テープでも何でもいいから、通路に張ってください。ここに通じる場所に人を立たせてくれると、なお良いです。それと、この建物の周辺にいる人たちは、まだ帰さず、一ヶ所に集めてくれませんか? 事情聴取でご協力をいただくと思いますし、その須瀬さんが紛れているか、行方を知っている可能性がありますから。じきに、他の警官も駆けつけます。見つからない須瀬さんの顔写真などの個人情報を教えていただけますか?」


「ハイッ! すぐに用意しますので! よ、よろしくお願いします。ウチも、今回の選挙に全てがかかっているんです!! 早く、見つけてください!」


「……最善を尽くします」


 ペコペコする男を見た巡査長は、肩に載せたフラッシュライトで照らしたクリップボードの用紙に、今の情報を書く。

 まだメモで、単語と簡単な状況、矢印のような記号だけ。


 須瀬亜志子あしこの資料がある場所へ走り去った男に構わず、暗闇の中で控室を覗き込む。


 手で持ったフラッシュライトは、解体現場のような部屋を照らす。


 まるで、ここにあった全てをえぐり取ったようだ。



「どこかに、吸い込まれた……。そんなわけ、ないよな?」



 巡査長は、自分で言っておきながら、慌てて首を横に振った。


 走り去った男を追いかけて、そちらの方向へ歩き出す。




 ――東京の大型駐車場


 プシュ―ッ


 大型車両に特有の音が響き、放送中継車は停まった。


 椅子に座ったままの香月絵茉は、笑顔で言う。


「じゃ、ここで降りてね! ああ、そうだ!」


 何かを思いついたような言い方に、冷泉れいぜいのぼるは、絵茉の顔を見た。


「警察には、言っちゃダメだよ?」

「お前は、俺をいったい何だと思っているんだ……」


 冗談と分かっているが、昇は反射的に言い返した。


 そこで、口を閉じる。


 聞きたいことは、山ほどある。

 しかし、素直に答えるだろうか?


 その雰囲気を感じ取ったのか、絵茉が説明する。


「何が起きたのかは、私も知らない。その情報は、これから集めるところ。『須瀬がどうなったのか?』は、むしろ教えて欲しい!」


「そーか……。とりあえず、世話になったな。じゃ……」


 肩透かしを食った昇は、側面のドアを開けて、少し高い場所からスタッと降り立った。

 

 そのまま、振り返らずに歩いていき、近くの駅の構内へ消えていく。


 彼が知っていて、チェーン店で岩室いわむろ佐助さすけに話したのは、ここまで……。




 車内で立っていた五月女さおとめ湖子ここが、内側からドアを閉めた。


 放送中継車は、再び車道へ戻る。



 湖子は、空いている椅子に座った。


のおかげで、何とか逃げ切りましたね?」


 ダラッとした雰囲気に変わった絵茉は、投げやりに返す。


「そりゃ、EMPイーエムピー爆弾まで使えばねえ……。あの周辺はもう、全ての家電やインフラを取り変えないと……」


 EMP爆弾は、電磁波爆弾とも言われている。

 

 その爆発によって生じた電磁波は、周囲の数百mにわたり、電子機器を破壊した。

 放送中継車はシールドされているため、被害に遭わず。



 今回は、市民会館ごと須瀬亜志子を爆破するべく、部隊を展開。

 意図せずに、ターゲットが行方不明になったことで、EMP爆弾を足止めに使ったのだ。


 香月絵茉は、椅子にもたれかかったまま、ボソリとつぶやく。


「これ、室矢むろやくんがやったよね?」


 隣の椅子に座っている五月女湖子は、それを肯定する。


「はい。おそらくは……。手段は分かりませんが、控室にいる須瀬亜志子を消したのでしょう。文字通り……」


 悩んでいる顔の湖子に対して、絵茉は立ち上がって、壁の扉を開けた。

 飲み物のペットボトルを取り出し、そのうちの1本を放り投げる。


 不意を突かれたが、落とさずにキャッチした湖子。


 元の椅子に座りながら、絵茉はその悩みを一蹴する。


「湖子ちゃん。あまり考えると、しわが増えるよー? 二度と須瀬が現れなければ、もう終わりだってば!」


 ふうっと溜息を吐いた湖子は、温かいミルクティーのふたを開けて、少しだけ飲んだ。


「絵茉? もし、が予定通りに実行されて……」



 ――市民会館を爆破したら、あの刑事をどうしたんですか?



 その問いかけに、絵茉はフッと笑いつつ、自分の炭酸ジュースを開けて、ゴクゴクと飲んだ。

 

 のどを通っていく刺激を楽しんだ後で、湖子のほうを見た。


 先ほどまでの天真爛漫な様子ではなく、普通の女子高生とは思えない凄み。


「私さ……。相手を苦しめるのは、あまり好きじゃないんだよね」


 次の瞬間、シュホッと擦れる音が小さく響き、絵茉の右手にセミオートマチックの拳銃が現れた。

 

 アサルトマスターを改造しまくったモデルで、プロが見れば、スライドとフレームの間にガタがないことも分かる。

 手で触れられる部分は、ことごとくスムーズ。


 映画やゲームで主人公が使いそうな、格好いい拳銃は、絵茉の手で再びショルダーホルスターに収められた。


 そして、話を続ける。



「だからね? せめて、美人の女子高生に抱き着かれた感触だけでも、冥土の土産にと思ってさ……」



 本来の計画通り、市民会館を爆破した場合は、冷泉昇を始末した。


 衝撃的な事実を告げられた五月女湖子だが、全く驚かない。

 昇がいる間、ずっと彼の後ろで立ち続けていて、いざとなれば始末する気だったから。


「自分で言っていれば、世話ないですね?」


 ぐいぐいとミルクティーを飲んだ後で、ポツリと言う。


「まあ……。いくら許容された犠牲とはいえ、誰も死ななかったのは、良かったですよ」


 

 香月絵茉は、ペットボトルを飲み切った。


 それを確かめながら、口を離す。


「EMP爆弾を使ったから、その犠牲者はいるかも……。だけど、そこまでは知ったこっちゃないわ」


「そうですね」 



 笑顔で話す彼女たちは、どちらも美少女。

 しかし、やはり普通の女子高生ではない。


 絵茉がふところから拳銃を抜いた速度は、もし冷泉昇がポケットに手を入れて、そのまま拳銃のトリガーに指をかけた後でも、十分に間に合うほど。


 それ以前に、ずっと湖子が後ろを取り、こちらも怪しい気配や動きをしたらヘッドショットをする気だったが……。



「ま、知らないほうが、幸せだよ!」


 結局のところ、それに尽きる。

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