第486話 詩央里ルートの重要な分岐点ー⑤
俺は、自分の日本刀を通して、真の力を解放した。
ここにあるのは、地上の生物が耐えられない、絶対的な死の空間。
光が届かぬ、真っ暗闇の中で、上下左右から水圧が襲いかかる。
ゴキボキと骨が折れて、肉が潰されていく音が、そこかしこで響いた。
まるで水中のような音と共に、中心へ向かって折り畳まれていく。
深海では、その悲鳴もよく聞こえない。
被害者の口からは、空気の泡が、ボコボコと漏れるだけ。
先ほどまでのように刀を持ち、普通に歩きながら、その暗闇の中で会いに行く。
霊力による高速移動をした先には、6mの巨体を揺らす、赤鬼がいた。
朱江童子だ。
頭の角は5本で、目は15個もある。
両手両足は、それぞれ黒、黄、白、青と、妙にカラフルだ。
水圧に抗うも、振り回す手足は、何の意味もない。
ボコボコと泡を吐き出し続ける口からは、恨み言だけが流れていく。
その巨体に見合った、荒々しい声に変わっていた。
『またか!? また、京の連中は!! どうして、俺たちを目の
俺は、両手で柄を握り直した後で、もう聞いていないだろう朱江童子に語り掛ける。
「ここは、海の3,000mの深海底帯だ。深層と呼ばれている領域で、だいたいの海底となる。亀裂になっている海溝を除けば、地の底というわけだ」
対する朱江童子は、溺れたままで、もがくだけ。
透ける頭の魚が泳いでいき、先端が丸い突起がいくつも伸びている樹のような物体も点在。
開いている部分に鉄の甲冑をつけたような貝が、近くを通り過ぎた。
光が届かぬ領域では、常に最新の潜水艦を一瞬で折り畳むほどの水圧。
さらに、温度は1℃ほど。
「水圧もさることながら、その極低温だけで、生物を死に至らしめる。軍などの深海ダイバーは母船から温水も送って、何とか体温を保持している」
1人だけ平然としている俺は、話を続ける。
「
周囲を見た俺は、再び朱江童子に向き直る。
「沖縄で……」
甚兵衛と呼んだ刀を前に掲げつつも、言い直す。
「沖縄で、ジンベエザメを見た。疑似的な海底も……。同じ地球とは思えない光景だった。この刀になったキューブも、気に入ったようだ。見てくれ、この海底の絶望さを……。まるで……」
「俺が見てきた、原作の『
朱江童子は、その言葉にブルッと震えた。
構わずに、別れを告げる。
「お前は、原作の俺によく似ている。だから、ちゃんと戦いたかった……。残念だよ」
『俺たちも、好きでこうなったわけでは――』
「鬼の物語は、最後に倒されて、姫君が救われるものだろ?」
駄々っ子のように手足を振り回すだけの朱江童子に、正面から向き合う。
『俺は、まだ――』
「さようなら」
力まずに振り切った、横一文字。
切っ先が届いていない距離であるのに、朱江童子の両手と胴体が切断された。
そこを起点にして、奴は吸い込まれていき、じきに跡形もなくなる。
風船が破裂するように、深海は消えた。
いきなり明るくなった場所は、どこかの山の中だ。
木々は冬支度を終えていて、鳥が
おそらくは、京都。
戦闘の名残を振り払うように、血振り。
ゆっくりと納刀した後で、元の私服に戻った。
朱江童子は、滅びた。
その心象風景だった、第二の大江山と、奴の大事な思い出だったろう屋敷や関所、仲間たちも、消え去ったのだ。
俺の新しい必殺技の完成と、引き換えに……。
伝説に残るほどの鬼。
それも、神格すら持っていそうなレベルと、その軍勢を一蹴できることを証明した。
今の俺は、隊長格1人と副隊長4人、それに大勢の手下を加えた戦力と、同じだ。
スマホを見たら、GPSは大江山を示していた。
木漏れ日の中で、俺は独白する。
「
5分ほどの森林浴の後で、角が生えた鹿を発見した。
人を恐れることなく、近づいてくる。
「サクラ―!」
首元に飛びつき、ペチペチと叩いている。
じきに、人の気配も増えた。
霊力による身体強化らしく、ジャッと地面を削る音の直後に、出現。
そのうちの1人の美女は、俺を見た後で、お辞儀をした。
「柊家の
原作通りの、おっとりした雰囲気だ。
まだ20代であるものの、心が落ち着く声。
伊勢世に向き直った俺は、堂々と告げる。
「室矢家の当主、室矢重遠だ。この娘は間違いなく、柊結芽だな?」
「はい」
「俺は、この娘が迷子になっていたところを見つけたに過ぎない。礼は不要だ」
眉を上げた伊勢世は、反論する。
「お言葉ですが、室矢隊長。それでは、
「人によっては、『怪異に攫われた時点で汚された』と判断するだろう? 俺は、柊家から依頼された覚えはない。この場では、早く結芽を帰すことが優先だ。詳しい話は、この娘に尋ねてくれ……。それよりも、俺は妹の千陣
那智伊勢世は、驚いたように顔を上げた。
すぐに、深くお辞儀をする。
「お気遣いいただき、誠にありがとうございます。ただちに結芽さまを自宅へお連れすると共に、室矢隊長へのご挨拶も早急に手配します。では、失礼いたします」
言うが早いか、伊勢世は結芽を連れて、高速で移動した。
周りの巫師たちも、それに続く。
誰もいなくなった大江山で、俺は長く息を吐いた。
「俺も帰って、自宅に引き籠もるかね……」
◇ ◇ ◇
柊家の屋敷に戻った、結芽。
彼女は、広間の畳の上で寝転がりつつ、
「那智! 本当に、大変だったぞ!」
首肯した伊勢世は、結芽の話を聞いたうえで、熟考する。
室矢隊長の力は、あの伝説の鬼たちを寄せ付けず、一瞬で全滅させるほど……。
隊長格ならば、それぐらいは成し遂げられるだろうが……。
考えあぐねた伊勢世は、傍にいる幼女に話しかけながら、自分の考えを整理する。
「結芽?
ふんふん、と聞いた結芽は、うつ伏せで足をパタパタとしていた姿勢から、起き上がった。
「あれは妖刀ではなく、御神刀だと……。それに、
偉そうな口ぶりだが、那智伊勢世は怒らない。
「そうですね。結芽も知っていると思いますが、柊家は桜技流に所属する
柊結芽は座ったまま、体を揺らしている。
「で、その桜技流からは?」
「筆頭巫女の
「出席すれば、それだけで桜技流に下ったと思われる……。かといって、筆頭巫女が自分から頭を下げた今回を逃せば、歩み寄りはもう不可能」
那智伊勢世は、弟子の考えを肯定する。
「ええ。室矢隊長は筆頭巫女と親しく、話の持っていき方では、そちらの口添えもお願いできるかと思っていましたが……。色々と事態が動きすぎて、室矢隊長にお話をするのが遅れたところへ、あなたの誘拐でした」
また、心証を悪くした。
溜息を吐いた伊勢世は、どうしたものか、と考え込む。
それに対して、座ったままで腕を組んだ結芽は、あっさりと言う。
「ならば、私が出れば、よかろう? 桜技流のいずれかの養子になれば、柊家が動くだけの理由ができる。ここにいても、どうせ柊家の直系ではないのだし……。室矢隊長に話をする時も、救出された私が同席したほうがいい」
8歳の発言ではない。
しかし、全くもって、その通りだ。
さすがに
「結芽は、その意味を理解していますか? 二度と、この場所へ戻ってこられない可能性もあるのですよ?」
こくりと頷いた結芽は、自分の希望を述べる。
「分かっている。ただし――」
――1週間後
東京にある女子校、その御三家の1つ。
前の教壇に立っている担任が、紹介する。
「彼女は、京都から転校してきた、
「「「はい!」」」
鹿島家の養子になった結芽は、胸元と後襟に海を思わせるマークを刺繍したセーラー服を着たままで、微笑んだ。
「鹿島結芽です。よろしくお願いいたします」
思っていたよりも、好意的。
年末を控えた時期の、強引な割り込みだけど……。
鹿島家のコネに、柊家からの寄付金を加えて、形だけの試験と面接をした。
結芽はあっという間に、日本を代表する小学生の1人に。
前の学校と併せて、手続きを進めているものの、前倒しの転校という形だ。
お嬢様学校だけど、意外にも普通の教室。
それを見回した結芽は、心の中で緊張したまま。
中学受験で入るよりは、内部生として扱われるだろう。
あとは、早く馴染まないと……。
放課後になった。
結芽は、クラスメイトに囲まれる。
「鹿島さんは、やっぱり神社の関係者なの?」
「うん。まあ、養子だけど……」
気まずくなった女子に対して、別の女子が訊ねる。
「でも、桜技流の名家に認められるだけの力があったんでしょ?」
「
仕草で応じた結芽は、すぐに答える。
「気にしないから。でも、時季外れなのに、すぐ受け入れてくれたのは、とても嬉しいよ」
「親同士の付き合いでも、顔を合わせるし……」
「中学校からは試験組が入ってきて、色々あるらしいけどね」
「鹿島さんも、今のうちで良かったと思う」
「フィーユらしさって言葉、耳にタコができるほど聞くわよ?」
最後の単語が分からず、鹿島結芽は首を
「フィーユ?」
女子の1人が説明する。
「ウチの学校名は、葉を意味する
「お菓子のミルフィーユは、『千人の娘』ってなるよね?」
「子供、多すぎ」
笑っていた女子のグループで、1人が心配そうに質問する。
「鹿島さんは、大丈夫? ここ、礼拝や聖書の授業もあるけど……」
「あー、うん。大丈夫!」
結芽の返事に、周囲も応じる。
「他の御三家でも、似たようなものじゃない?」
「それも、そうね……」
「私たちだって、寺社へ行くわけだし」
ともあれ、鹿島結芽の新しい生活は始まった。
原作の【
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