第478話 天賜装守護職(前編)
地中の奥深く。
『夜の深淵』と呼ばれる領域を越えた先には、
どこか人の手が入ったような、寂しくも、怠惰に満ちた空間。
暗闇の中には、白い肥満体が1人。
背徳と悪行に価値を見出す邪神、イピーディロクの本体だ。
その巨体で
……いや、神格の思考を人間に当てはめることは、不可能。
仮にも、自分の愛人だった女2人を……。
だが、イピーディロクには、哀しみも怒りもない。
なぜなら、彼が価値を見出すのは、堕落していく様子、悪事を成すことだから。
考えているとしたら、自分を降臨させられる、と見込んだ男――室矢重遠――のことだ。
あれは、素晴らしい。
ぜひ、自分の神官にしよう。
その時、また若い女が1人、現れた。
立ったままで、両手を後ろで組み、ただ
白ブラウスに、ネクタイ。
落ち着いた色のブレザーと、スカート。
歩きやすい、ローファーの革靴。
どうやら、登下校中の女子高生のようだ。
祭壇の傍にある灯りで、その造形が照らし出された。
『ガラーキの黙示録 第12巻』を読んだか、他の方法で自分の名前を知った人間が、召喚されたらしい。
よく見れば、座っているイピーディロクの
白骨や、なりかけ、まだ新鮮と、バラエティ豊か。
生きている女たちは、横たわり、身体をくねらせながら、苦悶の声を上げ続ける。
その様子は、まるで行為の最中のようだ。
この女は、『開いたままの傷口の痛み』の試練に、耐えられるのだろうか……。
そう思いつつ、イピーディロクは、その片手を女に向けた。
手の平には、鋭い牙が並んだ口があって、クチュクチュと濡れた音、ギリギリという金属同士を擦る音が重なる。
制服の上からでも、お構いなしに、手の平を触れさせつつ、口上を述べる。
『
「黙れ、下郎」
思春期の女子のような声だが、前を向いた顔には、強い意志がある。
予想外の反応に、イピーディロクは差し伸べていた手を止めた。
腰まで伸ばしている長髪は、暗闇でも薄茶色と分かる。
彼女は、その黒い瞳を邪神に向けた。
室矢重遠が
「ウチで、やりたい放題してくれて……。許せない。そう、絶対に許せない――」
漏れ出てきた神威に、イピーディロクは、目の前にいるのが極上の美女であると理解した。
止めていた片手ではなく、今度は両手を前に出して、抱きしめようとする。
それに構わず、棒立ちの女子高生は、ただ叫ぶ。
「だよね! 弟くん!!」
地面が、下から一気に割れた。
瓦礫が散弾のように飛び散り、土煙が辺りを覆う。
「ァアアアアアアッ!」
凄まじい雄叫びと共に、巨大な鉄塊のような太刀を両手で持った男が登場した。
踏み込みから、その重そうな武器でイピーディロクに斬り下ろす。
勢いあまって、白い肥満体の肩から腹にかけて切り裂くも、そこで刃が止まった。
イピーディロクは驚いたが、とっさに両手で食い込んでいる太刀を握るも、まるで硫酸に触れたように溶けていく。
慌てて、離した。
襲撃者は、暗がりでも、両手と両足にも装甲がある、白い鎧だと分かる。
巨大であるもののスリムで、格好良さも感じるシルエットだ。
青と黄色、目立つ赤色もあって、ロボットアニメで主役機を張りそう。
フルフェイスの
不意打ちを受けたイピーディロクは、反撃しようとする。
だが、白い鎧の戦士は、背中や両足の後ろにある物体を稼働させた。
ヒイイイインと高まっていき、白い光が後方に放たれる。
後ろのスラスターの勢いによって、イピーディロクを斬ったままの戦士は低く飛翔した。
凄まじい勢いで、前方へ押し出していく。
いくつもの壁をぶち抜き、白い肥満体がボロボロになった後で、ようやく終点。
力任せに太刀を抜いた戦士は、雄叫びと共に、力強く叩きつけていく。
もはや、道路工事か、ビルの基礎を作っているレベルの轟音と衝撃。
剛力であるものの、その太刀筋は合理的。
蹴りや腕の振り回し、体当たりを交ぜることで、イピーディロクの反撃、逃走を許さない。
手足を切り飛ばされつつ、白い肥満体は無力化されていく。
だが、ここはイピーディロクの本拠地だ。
すでに仕えている『イピーディロクの情人』たちが、近づく。
どの女も、見ただけで夢中になるほどの美しさ。
彼女たちは白銀の鎧を
『イピーディロクの情人』の本体は、腐敗したゾンビのような状態。
けれども、そこに理想的な女体をガワとして、被っているのだ。
どれだけ強くても、これは男の性に対する話。
自ら武装を解き、邪神の愛人として釣り合う女たちの肉体や行為に溺れるのだが――
服を脱ぎ、甘い声で煽情的な姿勢や自慰をしていたうちの1人が、いきなり内部から吹き飛んだ。
骨や筋を見せた女は、半分ぐらいの身体のままで、ドシャッと倒れ込む。
いきなりの攻撃に、他の女たちは、あられもない格好のままで
だが、次々に飛んでくる矢はホーミングして、敵を逃さない。
少し高くなった場所に立つ『アーちゃん』は、神々しい和弓と矢を持ちながら、速射をしている。
しっかりと引き絞るのではなく、どんどん射る、戦場の作法だ。
「だから、私は嫌だったのに……。弟くんも、完全に意識しているし……。放っておいたら、絶対にヤリ始めていたよ。あー、ヤダヤダ。これが終わったら、早く上書きしておかないと――」
ぶつぶつと呟きながらも、一撃必殺の矢が弾幕のように飛んでいく。
その様子に、周りで護衛をしている『ウーちゃん』が、逆手のダガー2本を下げつつ、文句を言う。
「あのさ! 怖いから、少し黙ってくれない?」
肩を
スピードを上げて、ひたすらに弓を射る。
刀を握る
やがて、更地になった暗闇で、『アーちゃん』はポツリと言う。
「どうせ、この程度じゃ滅びないんでしょ? とにかく、もうウチには来ないで……」
彼女たちが去った後には、一面の炎だけが周囲を照らす。
復活した邪神イピーディロクは、本拠地と勢力を立て直すのに、苦労するだろう。
◇ ◇ ◇
広間には、上質の畳が敷き詰められている。
左右は開け放たれていて、気持ちいい風が通り抜けていく。
実家の武家屋敷とは違う、優美な内装に気圧されつつも、自分の前に座っている女を見た。
シックな茶色の長い髪に、黄色のヘアバンド。
首元に大きなリボンがある、女子高生のような制服姿だが、その雰囲気は女子大生か、新社会人だ。
「いきなり言われても、信じられないでしょうけど。私が、重遠の母親よ! 二十分の一ぐらい」
「そ、そうですか……」
室矢カレナが紹介してくれたのは、この女だった。
眠った後で、気がついたら高天原。
カレナによって、そのまま紹介されたのだ。
その本人は、後は2人で話せ、とすぐに退席した。
内心で頭を抱えた詩央里は、
「私は、千陣流の十家が1つ、南乃家の長女である詩央里。失礼ですが、あなたのお名前を教えていただけますか?」
「
室矢重遠は、『ウーちゃん』と聞いただけ。
深く考えない性格ゆえ、そうなんだ! で終了。
けれど、南乃詩央里は、違う。
カレナは、このような嘘を言わない。
したがって、本当のことだ。
女の正体を理解したことで、両足の上に置いていた両手を思わず、握り締める。
「あ、あの……。私……。その、何も知らなくて……」
いつもの利発な口調ではなく、まるで悪い事をしていた子供が、親に見つかった状態だ。
「た、大変申し訳ございませんでした! せめて……。この無礼について、今一度、償いをさせていただきたく、お願い申し上げます!」
その様子を見た宇受売は、飲んでいた湯呑みを置く。
「あなたは、何に対して、謝っているの?」
純粋な質問。
だが、詩央里には、それを客観的に理解するだけの余裕がない。
最悪だ。
これが事実なら……。
室矢重遠の両親をいくら調べても、分かるわけがない。
カレナが、千陣流の女子たちの集まりで、何を言われても教えなかったことは、当然の対応だ。
この事実が広まれば、千陣流は完全に立場をなくす。
若さまを侮辱し続けて、隙あらば殺そうとしてきた。
さらに、自分が知らない間で、精子タンクにされかけたのだ。
宇受売が、若さまの母親だというのなら……。
絶対に、許さないだろう。
土下座したままで泣き続ける詩央里に、宇受売は溜息を吐いた。
すっと立ち上がった宇受売は、詩央里のところへ歩み寄る。
彼女の襟元をつかみ、ぐいっと持ち上げた。
「悪いけど、あたしは遠回しの言い方が、好きじゃない! 別に、そちらを取って食うために、わざわざ呼ばないわ。地上でのあれこれは、どうでもいい! あたしは、重遠の正妻である、あなたに用があるのよ」
端的に説明した宇受売は、詩央里の服を離して、元の位置に戻り、座った。
詩央里は、泣き
不機嫌になった宇受売は、それでも、話を続ける。
「あたしの用件は、いくつかあるわ! えーと……。第一に、あたしが重遠の母親であることは、他言無用! それを地上で喋ったら、あなたの命が狙われるから……。重遠にも高天原で教えたけど、あの子は放っておいてもいい。どうせ、深く考えずに過ごすから。それで、何だっけ? ……ああ、そうそう! このままだと、あなたは正妻の座を追われるわよ?」
「は?」
南乃詩央里の声は、低くなった。
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