第453話 未来予知と対応できる力が合わさった結果ー③

 人を無力化させる方法は、いくつかある。

 しかし、即効性がありつつも、危険な人間を大人しくさせることは、難しい。


 今回、室矢むろや重遠しげとおが選んだのは――


 

 『東京エメンダーリ・タワー』の一番上にある、高級ホテル。

 その最上階から、冷気が広がっていく。


 空気中の水蒸気が急激に冷やされたことで、しもが降りる。


 重遠を中心に、床や壁、窓ガラスが白くなっていき、50階はもちろんのこと、37階の住宅エリアまで、瞬間的に到達した。


 このタワーの住宅エリアと高級ホテルに、氷河期が訪れたのだ。


 咲良さくらマルグリットの魔法は、氷結どころか、全てを凍結させる。



 ――46F ホテル


 可愛い留学生たちと歓談するはずだった招待客のグループは、50階のイベントスペースから逃げ出した。

 1人の男子高校生の乱入をキッカケにして、銃撃戦が発生したからだ。


 ここには、タワーの高級ホテルで唯一の、地上に降りる手段がある。

 直通エレベーターだ。


 エレベーターホールの前には、押し合いへし合いの群衆が……。


「まだ、来ないのかね!? 責任者を呼んでくれ!」

「何なんだ、あの子供は! ふざけている! タダでは済まさんぞ!!」

「こんなはずでは……。あの2人は、どこにいるんだ? まさか、自分だけ逃げたのか!?」


 正規のホテルマンは、いない。

 今日は、PMCピーエムシー(プライベート・ミリタリー・カンパニー)のコンセンサスの傭兵たちが、彼らに化けているだけ。


 それを知らない招待客たちは、無秩序にわめき散らす。



 やがて、上階から冷気が降りてきた。

 業務用の冷凍庫のような、全てを凍らせるレベルで……。


 人間がまともに思考して、動くために必要な体温は、けっこう高い。

 そのラインに近づけば、どんどん鈍くなる。


 まるで眠くなったかのように、エレベーターホールにいる群衆が座り込んでいった。



 チーン


 その時、待てど暮らせど来なかったエレベーターが、ついに到着した。


 まだ動ける人間は、よろよろと立ち上がり、左右に開かれていく扉の中へ入ろうと――


 紺色の制服を着た集団が、待ちかねたように、エレベーターホールの全体へ展開した。


「警察だ!」

「動くな!」

「武器を捨てろ!」


 誰もが、リボルバーの銃口を自分に向けている。


 それを不思議に思った男は、右手に拳銃があることに気づいた。

 護身用に、途中で落ちている物を拾ったのだ。


 体温が下がったことで、頭の回転も鈍くなっている。


 男は、すぐに拳銃を捨てようと指を――


 開かない。


 なぜだ?


 

 この男が知るよしもないが、室矢重遠は銃火器を撃てないよう、完全に凍らせた。

 素手で握っている男の手は、グリップと一体化しているのだ。


 力を抜き、ブンブンと振っても、離れない。


 ここで、冷静に説明できれば。

 もしくは、攻撃の意思はないと、ジェスチャーをすれば……。


 しかし、男は、最も愚かな選択をした。

 撃たないでくれ、というつもりで、両手を前に突き出したのだ。


 警官隊に、銃口を向ける形となった。


 リボルバーの発砲音が重なり、撃てない拳銃を握ったままの男は、ドサリと崩れ落ちた。



 他のエレベーターからも、次々に警官が出てきた。

 銃火器を見たことで、慎重に拘束していく。


 冷凍庫の中のような寒さに、首をかしげながら……。



『ホテル突入班より本部へ! ……46階から制圧中で、銃火器が多数ある他に、低体温症による救急搬送の必要がある人間が多いです。拘束後に下へ送るので、そちらで対応を願います。どうぞ?』


『住宅エリアも、低体温症で倒れている人間が多いです。こちらも、ボディーチェックと拘束を済ませたら、順次エレベーターに乗せます。それから、応援を願います。バラバラ死体を見つけました』


『警視庁SWATスワット(スペシャル・ウエポン・アンド・タクティクス)第一小隊より、ホテル突入班へ! こちらは、ヘリポートに降りた。今から、屋内へ突入する! そちらの現在位置を教えてくれ』



 ――50F 警備センター


 警備室にいるPMCコンセンサスの指揮官は、監視カメラ、センサーによる警報で、警官隊が突入したことを知った。


 警官で埋め尽くされる映像を無視して、最後の任務を果たす。


 預かっていた鍵を副官と同時に差し込み、隠されたコンソールを表に出した。

 壁にある金庫を解錠して、分厚いテキストを取り出す。


 そのコンソールで、一定のコードを入力しては、少しずつ認証を進めていく。


 2人で協力し合うが、簡単には終わらない。

 なぜなら、これはデータをする手順だから。



 都心部の超高層ビルからは、とても逃げられない。

 ゆえに、このような状況では、警察に投降する手筈てはずだ。


 武器を持たず、素直に投降すれば、日本警察は撃ってこない。

 状況によっては、自分たちもヘリに乗り、海上まで逃げられただろうが……。



 こうなった以上、『東京エメンダーリ・タワー』の住宅エリアと高級ホテルに残された記録を全て消す。

 それさえ完了すれば、自白剤と拷問がない取調べは、簡単にやり過ごせる。


 指揮官は、警官隊が入ってくるまでに終わらせるべく、作業を急ぐ。


 だが、周囲の空間が急速に凍結していったことで、強烈な眠気に襲われた。


 低体温症は、根性でどうにかなる話ではない。

 最後まで粘ったが、副官と共に、床へ崩れ落ちる。


 最後にモニター群を見たら、男子高校生の姿をした悪魔と目が合った。


 こいつが、やったのだな……。


 直感で理解した指揮官は、半ば朦朧もうろうとしながらも、ニヤリと笑う。

 やっぱり、異能者なんぞろくな奴じゃねえ。と英語で言いつつ、完全に意識を失った。



 ――タワーの終点


 細長いアームが、斜め上に伸びている。

 クレーン車のようで、アームの下には2本のワイヤーで吊り下げられた清掃ゴンドラの姿も……。


 そのアームの先に、室矢重遠が立っている。


 少しでもバランスを崩せば、超高層ビルの高さだけ、落下する。

 ところが、地上の光に満ちた絶景を見ている彼は、何の感慨も抱かない。


 式神からの念話で、警官隊が現場に到着した、と知らされる。


 溜息を吐いた重遠は、視線を感じて、少しだけ向きを変えた。



 そこには、夜の暗がりにたたずむ、2人の少女の姿。

 

 蜂蜜を思わせる色のロングヘアに、明るい茶色の瞳。

 女子高生ぐらいで、どこかの制服を着ている。


 もう1人は、女子中学生らしい。

 丸みシルエットのボブで、黒髪だ。

 暗闇の中に、紫の瞳が2つ。


 片手を上げた女子高生が、テレパシーを飛ばしてくる。


『話す必要はないわ。返事は、そのまま考えてちょうだい』


 室矢重遠は、先ほど警告した女子2人に対して、友人のように返す。


USFAユーエスエフエーは、どう考えている?』


 指で眉間みけんを揉んだ少女は、深く息をしてから、応じる。


『あなた、終わったら1人でさっさと寝るタイプね……。私たちはUSの異能者で、今日の交流会でお嬢様と、ついでに他の留学生も救いに来たのよ。手間を省いてくれたことには、感謝するわ。できれば、事前に連絡が欲しかったけど』


 最後の発言は、ただのジョークだ。


 重遠は、彼女との会話を楽しまずに、必要なことを尋ねる。


『ラングレーと、それに協力した奴の始末は? 手伝いは必要か?』


 CIAシーアイエー(中央情報局)の本部の住所は、ラングレーだ。


 金髪の女子高生は、すぐに返事をする。


『日本支部のトップ、今日の交流会を仲介した大使館の管理職と担当者、主だったシンパは、私たちの獲物。……あなた達は、手を出さないで。これは、ウチの問題よ!』


 剣呑な雰囲気で、腕を組んだ美少女が警告してきた。


 重遠は、念のために確認する。


『証拠の有無……という問題じゃないよな?』

『そうよ。奴らは、レッドラインを越えた! その報いを受けさせる』


 うなずいた重遠は、端的に返事をする。


『俺たちも、別件で忙しい。そちらのターゲットは、勝手に始末してくれ』

『……用件は、それだけ。失礼するわ』


 黒髪の女子中学生と並んだ後で、2人は消えた。

 どうやら、テレポートのようだ。

 

 俺と同じ発想で、なぶり殺しにされる女子たちを救いにきたか。

 まあ、パラシュートで降りるにしても、ビルの壁面に衝突しそうで、高さも中途半端だからな……。


 夜景を眺めつつ、そう考える重遠は、また別の気配を感じた。



「そこにいるのは、誰だ!?」


 ヘリポートに仮設本部を設置した警察の一部が、アームの先に立つ室矢重遠を見つけた。

 短機関銃の下につけたフラッシュライトで、彼を照らし出す。


 しかし、伊達メガネを別の空間に収納した彼は、スッと足を滑らせる。


「っ!! SWAT仮設本部より至急! タワー屋上から、1人が飛び降りた! 地上への落下に注意せよ!!」



 頭から落ちていく重遠は、タワーの側面に激突しないまま、どんどん加速していく。


 いきなり、柔らかい感触と香りに包まれた。

 彼の式神の1人、小坂部おさかべけいだ。


 抱き合ったままで、落ち続ける。



 落下による風の音が耳を打つ中で、慧は話しかける。


「そんなに辛いのだったら、いっそ、私と死ぬ? 付き合ってあげるよ?」


 眠そうに目を閉じている重遠は、小声で返す。


「……お前と一緒なら、それも悪くないな」



 永遠と思える落下は、唐突に終わる。

 見る見るうちに、地面へ。


 体をひねった小坂部慧は、室矢重遠をかばいつつも、両足で着地した。


 受け身すら取らないため、凄まじい衝撃が慧の身体に伝わってくる――


 と思いきや、彼女を中心に地面が大きく凹んだ。


 『東京エメンダーリ・タワー』の玄関口を兼ねている通路は、敷き詰められた部材が外側へ円状に弾け飛び、大きなクレーターを作り出す。


 退避している警官隊は、轟音と衝撃によって、混乱したまま。

 いっぽう、小坂部慧は重遠を抱きかかえたまま、一瞬で離脱する。



「嘘つき……。そんな気は、全然ない癖に……」


 ぼやいた慧は、この上なく嬉しそうな表情だった。

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