第447話 東京エメンダーリ・タワーの高層を目指して(前編)

 港区に建てられた、産学連携の『東京エメンダーリ・タワー』。

 日本を象徴する、新たなランドマークだ。

 今日は、留学生との交流会が行われる。

 

 イベサー『フォルニデレ』の主催で、異能者の少女たちが廻され、バラされる記念日にもなるだろう。


 地上50階、地下3階。

 企業のオフィス、飲食店、研究開発のラボ、高級ホテル、庁舎と、何でもアリだ。


 その手前でたむろしている中に、短めの黒髪で、茶色の瞳の少年がいた。

 目と鼻のバランスが良く、イケメンと呼ばれるタイプだ。


「すげーな! どれだけ、人と金が動いているんだか……」


 式神のカレナの能力で空間を渡った室矢むろや重遠しげとおは、そのタワーの近くで上を向いた。

 それでも、全ては見えない。


 未来予知によれば、何も知らない『本日のメインディッシュ』をハメまくるのは、今日の夕方から……。

 

 重遠の右腕にある、黒のスマートウォッチは、朝の9時を示す。


 伊達メガネをかけた重遠は、付属高校の制服を着ている。

 上からコートを羽織っているので、すぐに職質される危険は少ない。


 今日はあいにく、土砂降りの雨だ。

 広げている傘から落ちる水滴は、アンニュイな気分にさせてくれる。

 

 指紋を残さないための、薄い人工皮膚。

 そのフィルムのような感触を確かめつつ、重遠は周囲を見た。


 次のパトカーの警ら、巡回までは、時間がある。

 通りがかっても、この豪雨と集団の中から発見するのは、難しいだろう。



 土曜だが、タワーに出入りする人間は多い。

 暇を持て余しているマダム達も、いそいそと入っていく。


 重遠が片耳につけたイヤホンから、無線が流れる。


五月女さおとめ湖子ここです。屋上から点検ハッチに入り、タワーの内部で、セキュリティーの回線につなげました。ナビを始めます』


 イヤホンの短いマイク部分に触った重遠は、返事をする。


「はい、よろしく」


『エントランスに入って、低層から中層に上がる必要があります。手順通りに』

「了解」


 湖子と、香月こうげつ絵茉えまの2人は、無事に潜入できたようだ。


 1つの懸念が消えたことで、重遠は息を吐いた。



 『東京エメンダーリ・タワー』の入口は、その手前から屋根がある。

 重遠は他の人間に交じって、傘を閉じながら、トントンと水滴を落とす。


 使い捨てのビニール袋に入れた後で、屋内へと足を踏み入れた。



 ――2F 共用エントランス


「いらっしゃいませー」


 1階は駐車場になっていて、2階がエントランスだ。

 

 斜め上を見れば、3階のフロア。

 正面のエスカレーターで、すぐに移動できる。


 3階は飲食店が集まっていて、このタワーで働いている人間も利用。

 さっきのマダム達は、話題の有名店でお茶をするに違いない。


 立ち止まっていると、目立つ。


 自分に注目した人間を振り切るために、室矢重遠は歩き続けて、エスカレーターに乗った。



 ――3F レストラン街


 温かな光に包まれて、様々な飲食店が並んでいる。

 土曜の午前中だが、早めの昼食や、時間潰しに冷やかす人々で賑わう。


 ここまでは、地下の防災センターで監視している人間も、気にしない。

 警備員が注目するのは、通常の動線から外れた時だ。


 いよいよ、スパイ活動へ。


 男子トイレに入った室矢重遠は、監視カメラの視界を切った時点で、傘の石突きで床に円を描き、そのまま落とした。

 ビニール袋に入れた傘が、スッと消えた後で、その穴はすぐに閉じる。


 手を洗って出たが、仮に気づかれても、こいつは傘を置き忘れた、ぐらいの認識だ。



 右手の中で小さな金属球を転がしつつ、ターゲットを探す。


 スーツ姿の男を見つけた室矢重遠は、対面から近づいてきた瞬間に、指弾で上の照明を破壊した。  

 いきなり暗くなったことで、ターゲットを含めて、周囲の動きが止まる。


 重遠は、注意力が散漫になった男の手から、黒いビジネスバッグを奪い取り、スタスタと歩き去った。



 この時点で、地下の防災センターに、システム上の警告が表示された。


『3階のBエリアで、照明の異常が発生した。巡回中の警備員は、現場へ急行せよ!』



 ――2F エントランスロビー


 内階段で2階に降りた室矢重遠は、男子トイレに入り、洗面所の隅にビジネスバッグを置き、中から社員証を取り出した。

 首から下げるタイプで、さっきの男の顔写真と名前、会社名などが見える。


 財布には目もくれず、その社員証だけを手に、すぐ男子トイレを出た。


 今度は、低層のエレベーターホールへ行き、他のビジネスマンと一緒に乗り込む。

 見るからに高校生という重遠に注目した人も、平然とする彼に、すぐ興味を失くした。




 3階のレストラン街に駆けつけた警備員は、慌てているスーツ姿の男をなだめつつ、無線で連絡する。


『企業テナントの若林わかばやしさんについて、照会を願います。ビジネスバッグを失って、その中にIDカードも入っていたそうです。ご本人は、「まだ警察沙汰にしたくない。仕事が残っているから、早く会社に入れてくれ。バッグについては、周辺を探してみる」と申しています。どうぞ?』


 防災センターから、返事がくる。


『企業テナントの解錠は、緊急連絡先リストで対応する。担当者に繋がるまで、しばらく待て』


 手が空いている警備員たちは、2~3階の捜索に入った。



 ――15F 低層オフィス


 チーン、という音と共に、エレベーターの扉が開いた。


 ここは、低層オフィスの最上階だ。

 室矢重遠だけが、エレベーターから降りた。


 土曜とあって、清掃員が床を綺麗にしている。



 迷わずに歩いた重遠は、ベンチャー企業のオフィスの前で、立ち止まった。

 かざすだけのリーダーに、さっき入手した社員証を向ける。

 

 ピーッと電子音が鳴り、出入口は解錠された。

 すぐに中へ入って、その社員証は、とあるデスクの上に放り投げる。


 奥にある管理職らしきデスクに近づき、ドサッと椅子に座った。

 パソコンの電源を立ち上げつつ、引き出しに手をかけて、鍵をこじ開ける。


 鈍い音が響いた後で、ガーッと引き出された。

 重遠は、その中から管理職に向けた、ランダム認証の装置を手に取る。


 モニター画面は、本人の認証を求めている。


 式神のカレナの権能を使える重遠は、本人よりも素早く、パスワードを入力した。


 通常のデスクトップが表示されると、タワーの入居者が利用するシステムを呼び出す。

 ここでも、あっさりと、本人認証を突破。


“中層エリアへの立ち入り申請”


 キーボードの音が響き、理由が記述されていく。


“中層のオフィスに入居している企業との商談により、弊社の社員が――”


 次に、ランダム認証の装置を起動して、表示されたコードを入力。


“中層への立ち入りを許可しました。用件が終了した時点で、相手から承認をもらってください”


 それを見た重遠は、プリントアウトされた紙片を手に取り、椅子から立ち上がった。


 痕跡を消さずに、スタスタと事務所を出て行く。




 2~3階を捜索中の警備員は、黒いビジネスバッグを発見した。


『2階の男子トイレで、洗面所の横に置いてありました! 本人による確認をお願いします』


『了解。坂井さかいは、そのまま見張っていろ。すぐに、依頼者の若林さんをお連れする。本人確認として、内容物を言ってもらう手順を忘れるな。企業テナントの解錠については、まだ連絡中だ』



 ――16F 特殊階


 完全にゾーニングされているため、低層から中層へ上がる場合には、必ずこの階を通る必要がある。

 

 物々しい様子で立哨りっしょうしている警備員が、数人。


 室矢重遠は、声をかけつつ、通り過ぎる。


「お疲れ様です」

「「「こんにちは」」」


 エレベーターホールの構造は同じだが、その近くに警備員が立っている。


 重遠が握っている紙片をかざして、エレベーターを起動させたら、話しかけてくる。


「学生の方ですか?」


 その警備員のほうを見た重遠は、笑顔で答える。


「はい。今日は、近くに立ち寄ったら、用事を押しつけられて……」


 先ほどのオフィスで、適当に選んだ書類。

 それを入れた封筒を見せた。


 警備員は、インターンの学生が、雑用を押しつけられた。と判断。


 その時、エレベーターが到着した。

 チーン、という音の後で、左右に開く。


 重遠は、中に入りながら、独白する。


「ベンチャーだと、立っている者は何でも使えって、感じですよ」


 警備員は、それに同情する。


「どこも、大変ですね……」


 首肯した重遠は、中でボタンを押しながら、別れを告げる。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 応じた警備員の言葉を聞きながら、エレベーターの扉は閉まった。


 ウィイインと、重遠だけを乗せた箱が、上昇していく。




 その間にも、地下の防災センターで、事態が進む。


『企業テナントの解錠は、無事に完了しました。依頼者の若林さんは、社員証をデスクの上に置き忘れていたようです。巡回に戻ります』


「おい? これ、入室記録がないIDで、中層エリアへの許可が出ていないか? ……坂井、ちょっと待て! 今の企業テナントに戻って、長尾ながおさんがいるか、確かめろ! 大至急だ!!」

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