第425話 被疑者:須瀬亜志子(後編)

 冷泉れいぜいのぼるの車は、公営団地の駐車場に滑り込んだ。

 住人の状態を調べられる場所へ、急ぐ。


 聞き込みで顔見知りになっていた管理人は、すぐに応じてくれた。


「あー。須瀬すせさんは、引越しましたよ?」

「どこに?」


 首をひねった管理人は、書類をめくった。


「んー。東京のどこか、とは聞きましたが。引越し先は未定だそうで、『もし郵便物や遺留物があっても、処分して良い』と聞いています」


「そうですか。ご協力、ありがとうございました」


 お礼を述べた昇は、管理人室を後にする。

 人を操り、破滅させている化け物に会えず、内心でホッとしながら……。


 いずれ対決するにせよ、対策なしで戦うのは、不安だ。

 拳銃を持っていても、その銃口が誰に向けられるのか? が問題となる。



 団地の外見や設備に、面白みはない。

 コストパフォーマンスを追求した、同じブロックの集合体だ。


 階段を上り、管理人に借りた鍵で、屋上への扉を開く。

 外に出てから、念のために施錠した。


 四角い建物の屋上は、大きなフェンスに囲まれている。

 訪れた住人が登れないよう、上は内側を向く。


 外を眺められる位置に、固定されたベンチが、いくつか。

 業務用のタンクなどの設備もあって、独特の雰囲気を醸し出している。


 フェンスの白色と、屋上のコンクリートを見ても、無機質という感想だけ。


 住人に解放されていた空間は限定的で、連続の投身自殺を受けて、閉鎖中。

 現場検証の痕跡が、そこかしこに残っていた。


 今となっては、警察官ですら、近づこうとしない場所。 



 屋上で風に吹かれている冷泉昇は、これほど高いフェンスをよじ登る心理を理解できず。

 いや、理解してはならない。


「この屋上から、次々にジャンプか……」


 特定の人物の犯行というよりも、宗教か、薬物、あるいは、別の要因で錯乱していた可能性が高い。


 そちらの線で洗ったが、全く出てこなかった。


 任意で団地の人間にも話を聞いたが、有力な情報はなし。

 監視カメラも、あまり役に立たず。


 改めて現場を見た昇は、屋上に続くドアを施錠した後で、管理人に鍵を返した。




 ――市役所


 こちらでは、警察手帳を見せた。


 カウンターの内側にいる職員は、調べた結果だけ伝える。


「須瀬亜志子あしこさんの転出届はありますが、その先はまだ……」

「ご協力、ありがとうございました」


 冷泉昇は、すぐに立ち去る。




 ――市街地

 

 被疑者が東京へ引っ越せば、それ以上の調査はできない。

 なぜなら、この県警の管轄ではなくなるから。


 車を自宅に置いた冷泉昇は、気分転換を兼ねて、買い物に出た。

 適当に駅前をぶらつき、今日の夕飯を考える。


 必死に若い女を追う自分を振り返り、自嘲する。


「こうしてみると、ただのストーカーだな……」




 フラフラと歩いていたら、いつの間にか、鷹崎たかさき駅の周辺にいた。 


 この地域で有数の、ターミナル駅だ。

 昔から交通の要衝ようしょうで、隣接している商業施設や、大きな看板が目立つ雑居ビルが取り囲む。


 車道には白い線による枠の他に、矢印や文字も。

 それだけ、車の行き来が激しいのだ。


 駅とつながっている、2階の高さにあるフロア。

 下で走っている車とは無関係な、人口の地面だ。


 冷泉昇は、ふと立ち止まった。


 デパート、映画館といった娯楽施設が集中していて、デートスポットでもある。

 夕方とあって、若者の姿が目立ち、制服姿での男女やグループが――


「お兄さん? ちょっと、いいかなァ?」

「あまり、時間を取らせないので……」


 最初に声をかけてきたのは、薄いレモンのような、不思議な色のボブ。

 赤紫色の目をした美少女だ。


 童顔の女子高生。

 中学生にしては、大人びている。


 黒髪ロングで、紫の瞳をした、真面目そうな美少女も、相方と同年代のようだ。


 2人とも、県立 前崎女子高等学校の制服を着ている。


 昇の前に立ち塞がった童顔の女子高生は、彼が口を開く前に、1枚の名刺を差し出す。


「私たちは、こういう者です!」


 白い名刺を見た昇は、眉をひそめた。


 “香月こうげつ絵茉えま


 もう1人の名刺には、“五月女さおとめ湖子ここ” という名前がある。


 顔を上げて、そこに記されていた、もう1つの名称について、訊ねる。


「エグゼ・リューデックス? どういう意味だ?」


 悩んでいる昇は、面倒を増やされたことで、その怒りをぶつける寸前だ。

 ニコニコしている絵茉と、緊張している湖子のほうを向く。


 身分を明かしていないが、冷泉昇は一般市民に見えない。

 その男が怒気を見せているのに、2人の女子高生は話を続ける。


「単刀直入に言うけどォー。私たち、お兄さんが持っているが欲しいんだよねー」


「取引しませんか? こちらで用意できる物なら、お金、女、情報……。での昇任か、転職先の斡旋でも、構いません」


 昇は、真顔になった。 


「お前らを引っ張っても、いいんだぞ? ここは、俺たちの庭だ。交番だけじゃなく、非番の奴らだって、すぐに駆けつける」


 絵茉は、隣に立っている湖子の頭をぺシッと叩いた。


操備そうび流を敵に回す覚悟があるのなら、どーぞ! 湖子ちゃんも、いきなり言いすぎだよ?」


「こちらも、警察と喧嘩をする気はありません。先に言っておきますが、そちらで把握している、自殺した女子高生2人は、です」


 その言葉で、昇はスマホに伸ばしていた手を止めた。



 

 ――カフェ


 鷹崎駅とつながっているビル内の、落ち着いたカフェ。

 外に面した部分はガラス張りで、外から店内の様子を見られる。


 全国で統一しているチェーン店だが、大人でも利用しやすい内装だ。

 夜には、バーをやっていそうな雰囲気。


 平日の夕方とあって、学生の姿も多い。

 注文したコーヒーや軽食のトレイを抱えた冷泉昇は、壁があるカウンターのすみに陣取る。


 主婦や若者が入り交じった、カオスな空間だ。

 まるで洪水のように、甲高い声や、連れの女子にアピールする男子の声が響いている。


 そこに、自分のトレイを抱えてきた絵茉と湖子が、並んで座る。

 

 昇の隣は香月絵茉で、彼女が交渉役のようだ。

 じっと様子をうかがっていたら、自分を見つめている顔で、花弁のようなくちびるが動く。



 絵茉から話を聞いた昇は、疑わしそうにつぶやく。


「……産業スパイの後始末で、内偵をしていた?」


 ストローから口を離した絵茉は、昇の顔を見た。


「ウチの研究員が、機密を流したらしいんだよ。最初は男子のエージェントを潜らせたんだけど、消息不明に。追加で女子のエージェントも派遣して、そのうち2人がお兄さん達に見つかったわけ」


 五月女湖子も、絵茉の身体を避けるように、昇のほうを向く。


「私たちは、その研究員が貢いでいた、須瀬亜志子を追っています。そちらの事情も、教えてくれませんか? 応じる気がなければ、もうお別れです」


 まだ、情報を引き出せそうだ。


 そう思った昇は、少し躊躇ためらったが、唯一の手掛かりを見せる。


「俺は、須瀬を追っていた刑事のボイスレコーダーを持っている。そちらは、何を教えてくれるんだ?」


 絵茉の目配せで、湖子は膝の上に載せているバッグ――学校指定のデザイン――から、小型のノートパソコンを取り出した。


 パカッと開くと、すぐに画面が表示される。


 カチカチと操作をした後で、絵茉に渡した。

 彼女は、昇に見える位置のカウンターに置く。


 須瀬亜志子の顔写真や、病歴、学歴、成績表と、様々な個人情報が表示されている。

 もし本当ならば、完全に違法なデータだ。


 絵茉は、その画面を覗き込みながら、呟く。


「ウチで調べても、『普通の人だ』という結論でね。他との接点もなく、産業スパイとして、かなり異常だよ?」


「須瀬亜志子の履歴と、そちらで把握していない余罪です。推定になりますが、その女の手口も……」


 昇は、湖子の説明を聞きながら、ノートパソコンに表示された、その自論に驚く。


「犯行におよんでいない? 俺たちの捜査でも、怪しい素振りはなかったが……。ささやくだけで、他人を操作できる……。本当か?」


 質問された絵茉と湖子は、それぞれに騒ぐ。


「私たちに言われても、知らないよ! 分析した奴の自説だし」


「異能者がいるのだから、別におかしくはないと思いますが? こちらは、データのコピーを完了。他になければ、『これで取引は完了』と見なします」


 湖子は、ケーブルで接続していた、別のノートパソコンを見た。

 ボイスレコーダーを取り外した後で、絵茉を経由して、昇の前に置く。


 見ていたノートパソコンが回収されて、代わりにUSBメモリを渡される。


「そこに、今見た情報が入っています。では、私たちは、これで……」


 言い終わった湖子は、ノートパソコン2台を仕舞った。

 絵茉と一緒に、自分のトレイを持って、立ち上がる。



 残された冷泉昇は、カウンターの隅で座ったまま。


「もし、本当だったら……。いったい、どんな罪で裁けと……」


 生かしておいてはいけない人間。


 皮肉にも、幼女だった亜志子に対して、銃口を突きつけていたエージェントと同じ感想に。

 しかし、それで私的に処刑すれば、司法制度の否定になる。



 

 カフェから出た絵茉と湖子は、外で注目していた男子高校生たちにナンパされたが、相手にせず。


 女子トイレに入って、外で待ち伏せていた連中に気づかれないよう、駅前から離脱した。


 

 香月絵茉と五月女湖子は、迎えの車に乗った。


「地元警察のデータを手に入れたけど? ……ハイハイ。りょーかい!」

「次は、その女を追って、東京に逆戻りですか」


「まったく。研究所の連中も、危険物の管理ぐらい、しっかりしてよ!」

「あの女に、ここまで力があるとは……。厄介な話です」




 ――数日後


 いずことも知れぬ、夜の山。


十河そごうより各員へ! 重要参考人2名は、近くに潜伏している。発砲許可を出す。注意して、捜索せよ!』


 その無線に、各々が拳銃とライトを構えて、動き出した。


 


 やがて、パアンッという銃声が断続的に響き、その度に反応が消えていく。



『応答しろ! 江原えはら内田うちだ岩本いわもと! くそっ! 一体、何がどうなって……』


 パアンッ


 それっきり、夜の山は、再び静かになった。




 ――翌日


 銃声が鳴り響いていた山のふもとには、警察官がたむろしていた。


 這いつくばって証拠を探す人間や、現場の保全で張られた、黄色に太い黒文字のバリケードテープ。

 その前には、制服警官が立っている。


 大型のカメラを持ったマスコミも群がっていて、野次馬も大勢だ。



 警視庁では、幹部たちが、文字通りに頭を抱えていた。


 ホワイトボードには、殉職した警察官1班、5人の顔写真と、簡単なプロフィールが張られている。


 鋭利な刃物で切り刻まれた、警察官たち。


 犯人は、捕まらず。

 最低2人の犯行で、人数はもっと多いかもしれない。



 この件で、本庁に捜査本部が設けられた。

 警視庁の刑事たちを呼び出す。


 あの警部補、冷泉昇も呼ばれることに……。


 捜査本部が注目している中には、忌まわしき女。

 須瀬亜志子の名前も。


 昇は期せずして、仲間を殺したであろう女との、リベンジマッチになった。

 今度の舞台は、日本の中心地、東京だ。

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