第424話 被疑者:須瀬亜志子(前編)
東京のベッドタウンに数えられている県警。
その所轄署に設けられた捜査本部は、残務処理を進めている。
1人の刑事、
ピッ
「俺だ。どうした?」
『冷泉さん……。俺、最後にどうしても、伝えたくて……』
「おい?」
明らかに異常と分かる声音に、昇はスマホを耳に当てたままで捜査本部に戻り、片手の走り書き。
“
昇の近くにいた刑事が、そのメモを手に取って、追跡ができる端末に向き合う。
画面上でリストアップされた中から、『中川』を選択。
いっぽう、通話中の中川は、苦しそうな声だ。
『時間が、ありません。……と話しては、ダメです。あれは……。我々の手に負える相手じゃ……ない』
「誰のことだ? もう一度、そいつの名前を言ってくれ!」
――パアンッ
『ぐうっ……』
「撃たれたのか? おい?」
スマホから聞こえてきた銃声と、昇の叫びに、捜査本部の全員が注目した。
端末に向かっていた刑事が、中川巡査部長の位置を言う。
それを聞いた数人が、すぐに覆面パトカーのところへ向かった。
残りは、拳銃を準備するために、走り出す。
昇も車に向かいながら、必死に中川の話を聞く。
『もう、あいつに関わらないでください。関わっちゃ、いけない……。そう言えば、覚えていますか? あのスパイ映画、面白かったですよねえ……』
「すぐに、そちらへ行く! もう少し、頑張れ!」
話している昇は、助手席に乗った。
運転席にも刑事が乗って、サイレンを鳴らし、動き出す。
『確かに、伝えましたよ? 2年の短い間でしたが……。お世話になりました……』
「切るな! おい、聞いているのか、中川?」
――1時間後
中川巡査部長は、近所の山の上にある展望台――日帰りで行ける程度のハイキングコース――に倒れていた。
頭部に一発と、片足の太ももに一発。
救急搬送されたが、『死亡』と判断された。
突然の出来事に、冷泉昇は気持ちの整理がつかない。
署長のところへ押しかけ、捜査の継続を訴えたが……。
「あいつは、自殺した。ということですか? しかし、私への電話――」
「現状で、他に解釈のしようがない。この話は、もう終わりだ。例の事件の捜査本部も、解散する。ご苦労だった」
すぐに却下された後で、追い出された。
課長から、順番に有給を取得しろ、との通達があった。
2人目の中川巡査部長が出たら、困るのだろう。
ご丁寧に、自主出勤はするなよ? という言葉まで、ちょうだいした。
書類が片付いたら、言われなくても、そうする。
ただでさえ、徒労に終わった捜査。
トドメに、同僚の自殺だ。
残った書類の作成は、自分のデスクで行いつつも、早めに上がる空気になった。
ガランとした会議室には、片付けの警官や職員がいるのみ。
冷泉昇は、中川からの最後の電話について、考えていた。
おそるおそる、職員が話しかけてくる。
「冷泉警部補。そちらの資料は、片付けてもいいですか?」
「すまん。もう少しだけ、考えさせてくれ……」
事情を知っている職員たちは、ひとまず退室した。
捜査本部だった会議室に、昇だけが取り残される。
「結局、あいつは何を伝えたかったんだ? 何を追っていた?」
その時、昇はふと思い出す。
スパイ映画……。
乱暴に立ち上がった昇は、警察署に駐車している、自分の車へ向かった。
ドアを開けて、車内に入り、片っ端から調査。
すると、助手席のグローブボックスの中に、見覚えのない物体を発見した。
昔のガラケーのような形状の、ボイスレコーダーだ。
イヤホンも、ついている。
「これか……」
ボイスレコーダーと、それに巻き付いている紙片をつかみ、再び捜査本部へ戻る。
ホワイトボードに張り付けられた地図を見た後で、段ボール箱の1つから、ファイルを取り出す。
殴り書きの紙片にあった名前は――
20歳の女。
黒髪ロングで、茶色の瞳。
第一印象は美人だが、年齢に対して、幼い言動だ。
連続の飛び降り事件があった公営団地に住んでいて、犠牲者とも挨拶ぐらいは交わしていた。
本人の証言でも、そう言っている。
冷泉昇は、両腕を組んだまま、
「確かに、被害者たちと接触できる。共通点はあった……。しかし、こいつは、事情聴取を済ませている。いったい、何が引っ掛かったんだ?」
イヤホンを両耳につけた後で、ボイスレコーダーを起動。
『冷泉さんが、この音声を聞いている頃には、俺はもう生きていないでしょう。まさか、自分がこんな遺言を残すとは、思ってもみませんでしたが……。とにかく、説明します。俺が須瀬亜志子に注目したのは、本当に偶然です。個人的な情報提供者の1人に、ホームレスの男がいて――』
その声を聴きながら、昇はホワイトボードを見る。
【公営団地と近所】
自殺者:9名
※ 被害者の素性は、問題なし
【県立 前崎女子高等学校】
自殺者:2名
※ 該当の女子高生は存在しない、と判明
【所轄署】
自殺者:中川巡査部長
携帯した正規の拳銃による自傷
太ももに一発、銃口を咥えての一発
→ 現場は、近くの山中
※ 対外的には、捜査中の事故による殉職、で処理
『その男が、須瀬を知っていたんですよ。名前を出した途端に、ビビりまくって。それで、「何かあるな?」と思い、差し入れを奮発しました。酒が入ったから信憑性は低かったものの、後で調べたら、どうにも作り話には思えなくて。何しろ、その女は、例の銃撃事件の生き残りですから。15年前に山中で、市民が8人ばかり撃たれた、アレですよ』
昇は、捜査資料を片付けながら、イヤホンの声に耳を傾ける。
こうしていると、中川がまだ生きているようだ。
会議室の資料を片付けた昇は、上司にその旨を報告してから、本日は早退することを告げた。
私用車の運転席に座った冷泉昇は、所轄署の駐車場から出て、適当なコンビニに停車。
ボイスレコーダーを再生して、続きを聴く。
『銃撃事件があった県警にも伝手があって、「現場で派手に横転していた車が崖下に転落したのは、現場に先着して、犯人と銃撃戦をしていた警官2人がやったから」という話も入手しました。信じられますか? それも、「拘束されていた幼女にお願いされたから、そうした」と述べていたそうで……。今どき、小学生のガキでも、マシな言い訳をしますよ。ともあれ、その2人は当日中にクビになって、県警は不祥事を隠ぺいした流れです。市民が大量に死んでいて、「現場の警察官が、被害の拡大を防げなかったことで、責任を感じた」という説明で通りました。まあ、それだけなら、「許されない所業の警官がいた」という話ですが……。今回の投身自殺の連続事件と併せたら、須瀬亜志子に注目せざるを得ません』
昇は、いったん聞くのを止めた。
コンビニに入って、おにぎり、ペットボトル、ガムを買う。
再び、車の運転席に座る。
適当に飲み食いしながら、再生ボタンを押した。
『ホームレスの男が言うには、須瀬は施設に入ったものの、すぐ里親が見つかったそうです。そこからは補導歴もなく、まっとうに生きています。引き取った家庭に思想などの問題点はなく、普通の市民です。ただ、その周囲では、何と言うか……。事件と呼ぶほどではない、奇妙なことが続いていて――』
手帳を開いた冷泉昇は、気になったことをメモしていく。
その一方で、中川巡査部長――殉職のため、階級は上がるだろう――は、生前の声で喋り続ける。
『須瀬の周りでは、カップルの破局が頻発していて、クラスメイトや同学年では「あいつに彼氏や、気になる男子を近づけさせるな」と
メモをしていた昇は、音声を止めたまま、手帳を見た。
中学時代の男の担任が、進路指導にかこつけて、須瀬亜志子を襲った。
未遂で、学校が隠蔽。
警察への被害届はなし。
本人の生活は、清廉潔白。
裏で人を操って、特定の誰かをイジメるか、ハブるわけでもない。
少なくとも、書類上では……。
そのホームレスが、被害妄想なだけでは?
どうやら、須瀬に勧められて始めた飲食店が、すぐに破綻したことで、夜逃げしてきたようだし。
イライラした昇は、指でハンドルを叩きながら、独白する。
「団地の事件でも、全く不審な点はなかった。事情聴取でも、矛盾はなし。そもそも、自殺が続いただけで、事件ではないんだ」
しかし、
運転席に座ったまま、昇は
「あいつは、自殺するような奴じゃない。少なくとも、あの電話で、何かを伝えようとしていた。この遺言によれば、団地に住む須瀬亜志子を追っていたと……」
ボイスレコーダーを再生したら、まるで会話をしているかのように、中川が応じる。
『冷泉さんも、疑っていますよね? 俺も、立件できるとは、思っていません。仮に、「須瀬が自殺をさせた」と仮定しても、
少し間が空き、意を決したように、再び話し出す。
『これから、カマをかけに行きます。もし、俺が生きている間にコレを見つけたら、そっと返してください』
中川のダイイング・メッセージは、終わった。
ドライバーシートにもたれかかった冷泉昇は、息を吐く。
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
あいつは、須瀬亜志子に関わるな、と言っていた。
けれど、俺が動かなければ、次の被害者による事件まで、誰も気づかず。
他の奴らにボイスレコーダーを聞かせても、終わった事件に首を突っ込むとは思えない。
覚悟を決めた昇は、車のエンジンをかけた。
「現場百篇。とりあえず、須瀬の自宅に行ってみるか……」
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