第419話 ティナ・アイデンティティー⑤

 ライフルで撃たれても、すぐには死なない。

 ローラは一定量の失血まで、ひたすらに苦しむだけ。


 むせるような赤が広がっていき、彼女はその上で倒れたまま、自分の体をよじる。



 薄幸の美少女は、運命的な出会いで、王子様に助けられた。

 自分が同じことをやっても、無視されたに違いない。

 それに、表敬訪問で男にしがみついたまま、離れないことを実行できるわけが……。


 関係者だけの結婚式。

 画像で見せられた新居。


 セレブのように、広く、豪華な戸建てだった。

 不破ふわ哲也てつやという男子は、自分から見ても、好ましかった。

 妬ましい。


 そして、怖かった。

 自分がもう必要とされず、アシーナに見捨てられるのではないか、と。


 だから、絶対的に裏切らないモノが欲しかった。


 今になって思えば、CIAシーアイエー(中央情報局)のチーフは、私をこういう心理へ追い込み、アシーナを管理するように仕向けたのだ。


 もし、彼女に打ち明けて、私も亡命したい、と述べたら、彼女は助けてくれただろうか?


 …………


 無理だろう。


 おそらく、日本の真牙しんが流がアシーナを引き取る際に、多くの代償を支払ったはずだ。

 彼女にはESPイーエスピー能力者として、大きな価値がある。

 今だって、間違いなく、何らかの組織のバックアップを受けている。


 あの男、哲也に断られたら、アシーナはあっさりと見捨てるだろう。

 そこまでの価値が、私にはないから……。



 ローラは、確かなモノを欲しがり、最後までCIAの操り人形となった。

 仰向けの視界には、一面の青空。


 日本で最も優雅と言える青山にある、時代に取り残された団地の廃墟。

 その屋上の1つで、遠くから聞こえてくる、若者たちの楽しそうな声を聞く。


 最後の力を振り絞ったローラは、片腕を上に伸ばす。


「ズルいよ、ティナ……。私も、また一緒に……」


 ――連れて行って


 双眸そうぼうから涙、鼻や口から血を流していたローラは、その言葉を言い切るぐらいに、絶命した。

 空をつかもうと伸ばしていた片腕も、力なく落ちる。


 これで、新しい人生を始められる。と夢を抱いて、国際線の旅客機のシートで隣のアシーナと楽しく喋っていた時を思い出しながら……。




 ESP阻害にならない、偽物の髪留めを外したアシーナは、能力を使いすぎた反動による鼻血を拭きつつ、通りがかった川に投げ捨てた。


 通行人が不審に思う様子を気にせず、泣きながら、端的につぶやく。


「さよなら、ローラ」



『アシーナは、大通りの国道に沿って、移動中。尾行を続ける』

『上空からの映像、チェック』

『対象は、公園の多目的広場に入った。南地区のほうだ』

『全ユニットに告ぐ。公園を囲むように、配置につけ! 弾丸の種類を再チェック。対ESPイーエスピー装備を忘れるな』




 ――青山の公園 南地区


 黒塗りのバンが2台、公園を囲んでいる車道に停まった。

 ここには、長方形の広い、多目的広場がある。

 都心の一等地とは思えない、ふちをフェンスや木々で囲まれた平地だ。


 ちょうど、その両サイドを囲む形で、黒塗りのバンが急停止。

 片側の隅で仮眠中のタクシー運転手は、強引に入ってきて、中途半端に塞いだ車両に恨みがましい視線を向けた。


 側面のドアが勢いよく開き、私服の外国人たちが細長いバッグを抱えたまま、バラバラと出てきた。

 反対側の車道も、同じ。


 一見すると、これから多目的広場でスポーツの試合をする団体だ。

 しかし、タクシーの運転手は、これ、関わったらマズい奴らだ。と察して、気づかずに寝た振りを継続。

 今、車を出したら、それこそ目をつけられる。



 CIAの戦闘部隊は、多目的広場を囲んで、配置についた。

 擬装のスポーツバッグを外して、それぞれに小銃や拳銃を構える。


 多目的広場の中央に立っているアシーナが周りを見たら、すでに囲まれている。


 戦闘部隊のリーダーらしき男が、両手に何も持たずに、近寄ってきた。


「我々と、来てもらうぞ? すでに、この場を囲んでいる。君の務めを果たせ」


 まるで、ワガママを言っている子供を叱るような口調だ。

 目の前に立っている男の視点では、それ以外の、何物でもないのだろう。


 答えずに立ち尽しているアシーナを見て、リーダーはすぐに動く。

 右手を腰の後ろに回し、黄色とグレーで塗られた、玩具おもちゃのような銃のグリップを握る。


 そのテーザ―銃の先端をアシーナに向け、撃とうと――


 距離を詰めた彼女は、下から銃身を握りしめる形で掴み、とっさに銃口を上に外した。

 左の蹴りで相手を怯ませ、テーザ―銃を取り上げた後で、すぐに発砲。


 まさか反撃してくるとは思っておらず、リーダーは刺さった電極によって震え、そのまま崩れ落ちた。


 その光景を見た戦闘員たちは、すぐさまトリガーに指をかけて、発砲。

 次々に、小銃や拳銃が腔発こうはつした。


 拳銃を持っていた男は指がなくなり、小銃を持っていた男は顔面に破片が深く刺さる。

 一発目がなぜか発射されず、それに気づかないまま、二発目を撃った結果だ。

 密閉された空間での爆発エネルギーは、手榴弾と同じ。


 まるで、銃弾が発射されることを嫌がったような、不自然な摩擦力の増加。


 一瞬にして、炸裂音が重なり、その後には重傷で倒れ伏すエージェントたち。


 遠くで、バァンッと、大きな破裂音。

 どうやら、狙撃手がトリガーを引いたことで、同じく腔発したようだ。

 生きていても、瀕死の重傷。


 多目的広場に立っていたアシーナは、高速で移動した。

 入れ替わりのように、倒れているリーダーの体に数発の着弾。


 指揮車両に乗っていたチーフは、すぐに現場から走り去ろうとするも、どれだけアクセルを踏もうと、全く動かない。


 摩擦力に干渉して、その原因になっている不破哲也は、高所で静かに狙いをつけて、周りの違法駐車を手当たり次第に撃ちまくる。

 防犯装置が作動して、フィーンフィーンと、大合唱を始めた。

 

 運転手が外に出たら、頭を撃ち抜かれて、倒れ伏す。

 いっぽう、CIAのチーフは走り出て、安全な場所に向かう。




 待ち伏せを食らった。と判断したチーフは、地上を避けて、地下鉄へ逃げ込む。

 通信は傍受されている可能性があるため、使わない。

 一刻も早く、安全な場所に辿り着き、代わりの兵隊を集める必要がある。


 チーフが下り階段に向かって踏み出した片足は、まるで氷のように、ツルッと滑った。

 残した軸足についても、同様に。

 完全な不意打ちで、そのまま体を打ち付けながら、落ちていく。

 

 不自然に加速しながら、数百mの滑落と同じ、時速100kmを超えるスピードにまで。


 下に激突した轟音は凄まじく、人間である、と分かるぐらいの残骸だった。



 USFAユーエスエフエーの諜報部は、割に合わないことで、アシーナに手を出すことを諦めた。

 これをもって、彼女は、正式に真牙流の仲間に。


 不破家の自宅では、リビングの大型モニターに、悠月ゆづき五夜いつよの姿。


『まあ……。転げ落ちて、首の骨を折るとは、その方も運がなかったですね』


 不破哲也は、それに同意する。


「はい。これで、連中も黙るでしょう」


 五夜は、それに付け加える。


『一時的には……。ともあれ、アシーナさんが私たちを裏切らない限り、きちんと守りますので』


 哲也の隣に立っている、不破アシーナは、神妙に応じる。


「はい。よ、よろしくお願いいたします」


『それにしても、の哲也さんが、ずいぶんと入れ込んだものですね? ブロン高等魔法学校の、あれだけの観衆の中で、本気を出すとは……』


 悠月家の特務機関、通称Y機関に所属している不破哲也は、目立ってはならない。

 今回は、アシーナに振り回された形だ。


 顔と名前が割れていない、新しいスパイは、まだノーマーク。

 不慣れだが、楽に大きな仕事ができるし、他にも様々な役割をこなせる。


 アシーナの誘いに乗ったことで、哲也はそのアドバンテージをドブに捨てた。

 もう、USFAのデータベースに登録されてしまったのだ。


 下手をすれば、最初の仮想訓練の時点で、摩擦係数に干渉できる固有魔法にも、気づかれた。



 わざと不真面目な態度をすることで、周囲から侮られる。

 この問題は、スパイ機関につきもの。


 たとえば、対戦中の諜報機関にいた学生は、戦時の軍人であるのに、平服で長髪。

 実家に帰って、軍人にあるまじき! と叱責されても、その理由は決して言えない。

 彼らは名誉や地位を求めず、ただ国家の捨て石になることを求められた。

 二重スパイによる攪乱かくらんを是としながらも、その中で一本の芯を持つ。という、難易度の高い任務だ。


 不破哲也。

 果たして、その名前の人物は、本当に存在しているのだろうか?


 諜報機関にいる人物は、連絡ノートで、このように自己紹介する。


 “●▲期に、田中三郎と名乗っていた者です”


 親兄弟を失った人間が別人になることは、容易い。




「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、大変申し訳ございません」


 いつも冷静な不破哲也にしては、珍しい暴走。

 可愛い女の子に催促されて、格好いいところを見せた次第だ。


 今の哲也は、敵の勢力と思われる女に籠絡ろうらくされたのと、似た立場だ。

 つまり、悠月五夜から、見極められている状況。


「責めているわけでは、ありません。哲也さんも、男の子だったと……。ただ、こういった事態が何回も繰り返される場合は、少し考える必要がありますね」


 五夜は許しつつも、特務にふさわしくない行動を続ければ、処分する。と釘を刺した。


 マークされた後にも、哲也には、まだまだ価値がある。

 ここで捨てるのは、惜しい。

 それに、ESP能力者を入手できたことは、大きな成果だ。


 ハニートラップで使う女は、長続きしない。

 そのため、弱みを握った一般人か、どうでもいい下っ端を消耗品にする。

 今回は、アシーナの暴走による、突発的な出来事だ。


 CIAとしても、プロジェクトの責任者であるチーフが困るだけ。

 そして、すでに死んでいるため、何も言わず。

 彼らも一枚岩ではなく、その分の予算やポストが、他のプロジェクトに回っている。



 哲也は、五夜の発言を正しく理解したうえで、謝罪する。


「汚名を返上するべく、微力を尽くします」


「期待していますよ? 可愛い奥さんもできて、そちらの心配もなくなったことですし……」


は、きちんと行います」


 哲也の律儀な返答で、隣のアシーナは膨れた。


 それを見た五夜は、苦笑する。


「哲也さんは少し、女心を勉強なさったほうが良いかと……」


 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・

 ・


 無自覚でハニートラップを行っていたアシーナが、かつての母国を裏切っての殺し合いと比べれば、雑賀さいかてるとのいさかいは、お飯事ままごとだ。


 彼が、その出来事のせいで、同じ金髪碧眼へきがんで、可哀想な咲良さくらマルグリットにこだわったのか? は、もう聞けない。

 永遠の謎だ。


 自分から防衛任務に志願した人間を悪く言うな、とたしなめた不破哲也に、妻のアシーナはむくれた。




 目立つ人間に、諜報員は務まらない。


 不破哲也は、イケメンすぎる、という問題点はあれども、摩擦係数に干渉できる固有魔法は便利だ。

 バレの開発者としても、有名。


 同じスパイでも、かつての親友を情報源にしようと目論んだ、使い捨てのに過ぎないローラとは、正反対。

 まさに、幹部だ。

 ビジネスなどで接することで、堂々とした情報収集や、シンパへの勧誘を行える。


 悠月五夜は、不破哲也を綺麗なままで育て上げ、外国の要人、企業の管理職、経営者と会わせる方針に切り替えた。

 そうすれば、人柄が良く、イケメンで、忍耐強いことが、大きな武器になる。


 大学生に不釣り合いな、高級住宅をポンと与えた。

 ラボの設備もある家に住まわせているのは、ひとえに、それだけの働きを期待しているから。


 五夜が暮らしても、見劣りしない物件。

 いずれ、上級幹部(プロヴェータ)に見合った成果を出せ。と言っている。


 室矢むろや重遠しげとおの秘密まで任された以上、どこにも逃げ場はない。



 まだ学生の不破哲也は、その固有魔法を見込まれて、悠月家の直属のエージェント。

 超法規的な存在である、特務の1人になった。


 格闘技、射撃、人体の仕組み、鍵開け、心理分析、ナンパ、女の抱き方、電子工作と、特殊な訓練を積んでいる哲也にとって、ブロ高のヒエラルキーは、面倒なだけ。

 良い成績を取れば、教官、助教に注目されて、主な進路の防衛軍や警察も、リクルートで絡んでくる。


 何も知らなかった雑賀さいかてるは、まさに虎の尾を踏んだ。

 そして、彼は、高等部3年の主席補佐が予知したように、数年後の沖縄で『歩く死亡フラグ』の室矢重遠に喧嘩を売り、最終的に自ら死地へ向かう羽目になった。


 今の照は、立派な防衛官として、死ぬまで防衛任務をするだけだ。

 まだ生きているのか? は、些細な問題に過ぎない。

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