第415話 ティナ・アイデンティティー①

 不破ふわ哲也てつやのおかげで冷静になった不破アシーナは、横たわっていたソファから身を起こした。


 上掛けのおかげで、寒くない。

 散らばっている服や下着の中で、ぼんやりとする。


 時計を見たら、もう朝だ。


 先に服を着ていた哲也は、近くにある1人用のソファに座り、難しい顔をしていた。

 視線の先には、ノートパソコンや資料がある。


 隠そうともしないアシーナは、ポツリとつぶやく。


「ソファ、駄目になっちゃったね……」

「また、買えばいいさ。とりあえず、シャワーでも浴びてきたら、どうだ?」


 生返事をしたアシーナは、自分の服を掻き集めて、リビングから立ち去った。




 本日の予定を全てキャンセルした哲也とアシーナは、自宅のダイニングテーブルで向き合う。


「話を整理しよう。室矢むろや様には、この世界を滅ぼすだけの力がある。そして、バレを取り上げて制限することも不可能だ。……そこまでは、いいな?」


 コクリとうなずいたアシーナは、マグカップでコーヒーを飲んだ。


「うん。それで、どうするの?」


 自分のコーヒーを飲んだ哲也は、アシーナの顔を見た。


「ここまで知った以上、俺たちに選択の余地はない。五夜いつよ様のご指示通り、明夜音あやねさまのバレの制作を手伝う。ティナ、俺だって怖い。でも、他の者に任せたら、目先の利益のために情報を売るか、利用するだろう。その先に待っているのは、あの沖縄の再現。……ポジティブに考えたら、これだけの新しい技術を独占的に扱えるんだ。悪い話じゃない。俺たちが友人として室矢さまのストッパーになれば、世界を救うことにもなる」


 思い詰めた表情のアシーナは、我慢できずに質問する。


「哲也は、室矢くんに勝てる? 摩擦に干渉できる固有魔法なら、良い線いくと思うけど……」


 溜息を吐いた哲也は、遠回しに、暗殺できないか? という、アシーナの質問に答える。


「俺が室矢さまの立場なら、常時発動のバリア、またはカウンターを用意する。加えて、自分が死んだ瞬間か、その後で時限的に発動する仕掛けぐらいはするさ! あの一撃だけが、奥の手とも限らない。室矢さまの1人だけでも厄介すぎるのに、式神のカレナ、同じ魔法師マギクス咲良さくらマルグリットもいる。咲良については、全賢者集会(サピエン・キュリア)で『戦略級』と認められたばかりだ。おまけに、他流の手の内は、全く分からない。仮にやれても、千陣せんじん流、真牙しんが流、桜技おうぎ流の3つを敵に回す」


 どう考えても、勝ち目はない。


 溜息を吐いたアシーナは、ダイニングテーブルの上に両肘をついて、項垂うなだれた。


「分かったわ。もう言わない……。明夜音のお手伝いで、バレの制作を頑張りましょう」


 ふと顔を上げたアシーナは、ぼやく。


「ところで、雑賀さいかてるって、室矢君にも迷惑をかけていたのね? ブロン高等魔法学校の視察の時にも、私を巡って、あなたに因縁をつけていたし。ホント、最悪な男だったわ!」


 言い捨てたアシーナの頭の中では、昔の記憶が呼び起こされ、自分の人生を振り返っていた。


 ・

 ・・・

 ・・・・・

 ・・・・・・・


 USFAユーエスエフエーで、中流の家庭に生まれた、セレナ・ディ・ロレンツィの幼少期は、散々だった。


 ESPイーエスピー能力者が誕生するシステムは、未だにブラックボックス。

 ゆえに、その能力と、本人の自覚の有無で、まさに人生の明暗が分かれる。


 特に、セレナのような精神感応、テレパシー系は、ESPの中でも扱いづらい。


 室矢重遠が沖縄で知り合った、USFA陸軍のIGUイグーに所属しているグレン・スティラーは、家族にも自分の能力を隠した。

 高校を卒業するまでに情報収集を行い、異能者をリクルートしている省庁へ出向き、自分を売り込んだのだ。


 彼は、慎重な行動と国家への忠誠が評価され、比較的マシな待遇で、高校卒業後に軍の訓練施設へ。

 テレパシーの超能力は機密となり、家族にもバレることはない。


 ところが、セレナは、良かれと思って、幼い頃から、自分が思ったことを口にした。


 最初は面白がっていた周囲も、あまりの的中率で、不気味がる。

 テレパシーを使っている、と気づかれた後には、誰も彼女に近寄らない。

 実の両親とすら、顔を合わせることなく過ごしたのだ。


 学校でも、近所でも、誰も話してくれない……。


 幼い子供の精神を破壊するには、十分すぎることだ。

 塞ぎ込んだセレナは、自室に閉じ籠る。


 児童虐待による逮捕を恐れた両親は、最低限の食事を与えて、トイレなどの設備を自由に使わせた。




 ――半年後


 不登校のまま自室にいたセレナ・ディ・ロレンツィは、いきなり押し入ってきた兵士のような集団に、拉致された。

 彼女は思考停止をしたままで、車に乗せられる。


 連れて行かれた先は、警察の取調べ室のような空間。

 対面に座っているはずの刑事はおらず、セレナは1人で空いている椅子に腰かけた。


『こんにちは、ロレンツィ! いきなり攫ってしまい、大変申し訳ない』


 スピーカー越しに聞こえてくる男の声に、セレナは戸惑った。


 返事がないことに構わず、男は続ける。


『さて……。最初に伝えておきたいのは、君にはもう、帰る場所がないことだ。残念ながら、君のご両親は、「君を育てていくことは難しい」と述べていてね。その代わりに、我々が、君の面倒を見ることになった』


 平たく言えば、実の両親に売られた。

 けれども、ショック状態のセレナは、まだ幼く、その意味を理解できない。


 ここで、彼女は、ようやく顔を上げた。


「あなたは、誰?」


『私は……。いや、私たちは、USFAの公的機関に務める者だ。国を守っていると言えば、分かるかな? ところで、君は、「他の人と違う」と自覚しているだろうか? 他人の考えや、気持ちが分かるとか……』


 セレナは、じっと壁を見たままだ。


 それに慌てた男は、姿を見せずに、説明を続ける。


『すまないね。別に、君を困らせたいわけではない。この会話は、ひとまず終わりにしようか? その部屋から出ても、構わない。私と話したければ、この部屋を訪ねて、通話のスイッチを押すか、適当に呼びかけてくれ』


 ビーッ


 ブザー音の直後に、ガチャッと解錠される音も。


 どうやら、移動を許されたようだ。


 立ち上がったセレナは、スタスタと歩き、外に出る。



 研究所のような、白い通路だ。

 天井から、同じく蛍光灯による、白い光。

 窓は1つもなく、銃弾を撃ち込んでも、ビクともしなさそう。


 内廊下のサイドテーブルに、タブレットが置いてある。

 手に取ったら、内部の見取り図が表示された。


 個室、シャワー、娯楽室、食堂、サンルーム。


「服や食事は?」


 ボソッと呟いたら、すぐに返事がくる。

 さっきの男の声だ。


『必要な分だけ手配するから、心配は不要だ。言い忘れていたが、以後は担当を変わる。君も、同じ女性のほうが、落ち着くだろう?』


 いったん切れた後で、今度は幼い女の声に変わる。


『ハーイ! 私は、ローラよ。言い方は悪いけど、あなたと同じ立場なの。よろしくね?』


 自分と同じぐらいの年齢?


 それが、セレナとローラの出会いだった。




 ――1ヶ月後


 居住区に閉じ込められたセレナ・ディ・ロレンツィは、生身のローラと会っていた。


 茶髪のボブに、茶色の瞳。

 ESP能力者として、物体をスキャンできるが、実用レベルではない。

 貧困層の生まれで、金目当てに売られたのだ。


 同年代で、同じ境遇のため、2人はすぐに意気投合した。


 ローラからの贈り物という形で、ESP能力を抑制する髪留めをもらった。

 それをつけたセレナは、心穏やかに、友人との会話を楽しむ。


 両親に捨てられた以上、もはや過去の名前は、忌まわしい象徴でしかない。

 セレナ・ディ・ロレンツィは、この頃から、アシーナと名乗っている。

 愛称は、ティナ。


 アシーナは、女神アテナの読み方の1つ。

 少しでも縁起が良い名前、と考えていて、深く考えずに決めた。


 ローラについても、彼女が自分でつけた名前だ。



 この時点で、2人とも、初等部の年齢。

 オンライン教育を受けて、社会に慣れるために、組織の監視やサポートがある中で買い物を行う。

 注意深く観察していたアシーナは、警察にも顔が利くことから、おそらくUSの諜報機関だろう。と見当をつけた。


 その推測は正しく、アシーナを引き取ったのは、CIAシーアイエー(中央情報局)のダミー会社だ。

 ヒューミントを行っている情報機関にとって、彼女の能力は是非とも欲しい。


 実は、アシーナの自覚がないだけで、そのテレパシー能力は広範囲を対象にできるほど、抜きんでいた。

 少なくとも、収集したデータ上では……。


 人の心を読めることから、下手に追い込めない。

 それに、通常のスパイ、兵士の訓練を受けさせれば、せっかくの強みを損なってしまう。

 過去の経緯から、アシーナは自分の能力を使うことを極端に恐れ、ESP能力を抑制する髪留めを外そうとしない。


 多少のコストをかけても、自分たちの手駒にする。


 それが、CIAで、アシーナを管理しているプロジェクトのチーフによる判断だ。

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