第399話 千陣流の女子会で語られる「千陣重遠」の秘密ー③

 板張りの床で、四方も木目を活かした密室。


 大勢が一度に稽古けいこできるほどの広さで、今は全ての引き戸が閉められている。

 高い天井にある灯りは、武道場のような空間をぼんやりと照らす。



 ダアンッと大きな音が鳴り響き、次にバキッと骨が折れる音がした。


 次期宗家で、全裸の千陣せんじん重遠しげとおが、連撃によって吹き飛ばされた後で、仰向けに倒れた彼の片腕が折られたのだ。



 同じく全裸の柚衣ゆいは、倒れ伏した重遠に訊ねる。


「なんで、目を背けた?」


「いや、全部見え――」

 ボキッ


 片足を踏みつけられて、折られた。


 激痛で絶叫する重遠に対して、笑顔の柚衣はこう言う。



「これで、負傷した時の訓練もできるな?」



 フラフラの重遠を無理やりに立たせた柚衣は、構わずに組手を続けた。


 彼が半死半生になったことで、立会人の女たちが介入する。


「柚衣さま! もう、お止めくださいませ!」

ねやの指導をされるはずでは!?」

「それ以上の狼藉ろうぜきは、千陣家にご報告させていただきます!」


 全裸の柚衣は、立ちはだかった女たちに言う。


「これも、立派な閨の訓練やで? それに、あんたらの手間も省けるやろ? 今更、何を良い子ぶってるんや」


 言外に、邪魔な千陣重遠を事故死させれば、それでいいだろう? と告げている。


 その通りだが、彼女たちは、重遠が子種を吐き出すだけの存在になるまでの立会人だ。

 ここで死なれては、自分たちも何らかの罪を着せられ――


 いや、もっとストレートに、命令違反で処刑されるかもしれない。

 次期宗家の暗殺をした下手人という扱いなら、一族の首が物理的に飛ぶ。



 ひるむ女たちに対して、柚衣は、どうにか主導権を握ろう、と試みる。


 立会人をなくすか、完全に取り込まないと、結論ありきでケチをつけられ、女郎蜘蛛の美耶みやが呼び戻されるだけだ。

 もしくは、新たに密命を帯びた女たちが介抱を装い、弱った重遠にトドメを刺すか……。



 焦る女たちに、柚衣が話を続ける。


「ああ、すまんすまん。重遠の竿と玉は、残しておかんとな! そうやろ?」


 直球すぎる問いかけに、誰も答えない。


 可愛らしく首をかしげた柚衣は、それを否定と考えた。


「ウチの認識は、間違えとったようやな? あんたらが『千陣重遠に生殖能力はいらん』て言うとったと、十家の当主に伝えておくわ」


「必要です! どうか、お世継ぎを作れるだけの状態には、お残しくださいませ!! 本人が抵抗しないようにする手段は、一切問いません!」


 今にも男の部分を潰さんと、柚衣が倒れ伏した千陣重遠を見やった瞬間に、1人の女が絶叫した。

 なぜなら、柚衣がそう告げるか、重遠の男を再起不能にした瞬間に、彼女たちは当主会に逆らった愚か者の仲間入りだから。



 次の瞬間に、尋常ではない圧力が、周囲に襲いかかった。



 重力が倍以上になった、と錯覚するほどのプレッシャーだ。

 周囲の女たちは、床に崩れ落ちた。


 空気の密度が一気に高まり、コンクリートの中で塗り固められているか、プレス機で潰されているようにも感じる。


 全裸の柚衣は、いきなり冷たいシャワーを浴びたぐらいで耐えた。

 半死半生になっている重遠を庇いながら、恐れの感情が混じる。


「この霊圧。あいつか……」


 地面から建物まで、揺れている。

 周囲の建築物を構成する要素が分解されているような、全てを支配する力だ。


 見る見るうちに、離れの武道場の壁に亀裂が入り、ミシミシと音を立てて、どんどん崩れていく。



 隊長格だ。

 柚衣にとっても、勝てるか分からない相手が――



 ザッザッという、外の地面を踏み締める音が、だんだんと近づいてくる。


 空気が壁のように感じられる中で、鍵をかけておいた扉は内側に吹き飛んだ。

 そこで、入口に人の姿が見えた。



 中年というには、まだ若い男。


 上品な大袖おおそではかまは、見るからに上質だ。

 その上には、高価な羽織と家紋。


 最も汚れやすい部分にも金を惜しまず、優雅さを忘れない。

 その左腰には、日本刀の柄頭つかがしらが見える。


 ただ勝てば良いわけではない。

 それを外見でも表現した、千陣流の実力者。


 高級ブランドの眼鏡めがねをかけた優男は、人を魅了する低い声で、言葉を発する。



「これは一体、どういうことかな?」



 言いながらも、草鞋わらじを脱がずに、前へ進む。


 両腕は体の脇に下げられているが、もう戦闘態勢だ。

 霊力を使えば、一瞬で柚衣のふところに入れる。


 頭の高さを変えず、ゆったりした袴のため、足の動きが分かりにくい。



 座り込んだままの女たちは、口々に救いを求める。


「く、九条くじょう隊長!」

「お助けください! 柚衣さまが、次期宗家の重遠さまを弑逆しいぎゃくしかけております!」

私共わたくしどもは、重遠さまの閨のお稽古を見届けに来ただけでございます」


 ゆっくりと女たちを振り返った九条和眞かずまは、両手をそれぞれ反対側のたもとに突っ込みながら、訊ねる。


「僕は今きたばかりで、事情をよく知らないのだが……」


 光を反射した眼鏡で目を隠した和眞は、話を続ける。



 ――重遠さまの閨のお稽古は、当主会の決定で間違いないのだね?



「はい! そうでございます!!」

「間違いありません! 私共は、それぞれの十家から派遣された、立会人です」

ひいらぎ家のご当主さまが、ご存じです!」


 和眞は立ったまま、女たちの必死の訴えを聞いた。

 すぐに返事をしないことで、その場に沈黙が訪れる。


 柚衣は、倒れている重遠を庇うポジションで、全く動けない。


 すると、急に和眞の霊圧が消えた。

 押さえつけられていた体を動かしつつ、女の1人が催促する。


「九条さま! どうか――」

「君たちは、もう帰りたまえ。あとは、僕が引き受けよう……」


 いつもの笑顔と優しい声で諭され、柚衣に謀殺されかけた女のグループは、急いで逃げ出した。


 彼女たちが遠ざかっていく一方で、袂から両手を出した和眞は、残った1人に向き直る。


「では、柚衣くん。今の状況を説明してくれ……」




 他の家屋から離れた場所にある、ほぼ全壊した武道場の中。


 夜空が見えるようになった、平らな板張りの空間には、緊迫した空気が漂っている。


 駆けつけたのは、日本刀を左腰に差した九条和眞。

 戦装束いくさしょうぞくでありながらも、立派な和装だ。


 式神使いとして名高い千陣流の隊長格で、九条隊のトップ。

 十家の1つ、九条家の次期当主でもある。

 


 全裸のままで立ちすくんだ柚衣は、倒れている重遠を庇ったまま。


 緊張による汗が、彼女の肌を伝う。

 衣服で吸収されず、上から足元まで伝っていく。


 対する九条和眞は、美少女の裸を見ているとは思えない、無表情だ。

 全体を捉える目つきと、力まない自然体。

 もし柚衣が動こうとすれば、その瞬間に抜刀術で切り飛ばせる。



 その時、空気を切り裂く音と共に、2つの気配が現れた。

 息を切らしながら、何とか口にする。


「ようやく見つけた!」

「九条隊長……」


 重遠の妹で、千陣夕花梨の式神。

 卯月うづきと、水無月みなづきだ。


 瞬時に状況を理解した2人は、霊力を使った動きで、一気に飛び込んだ。


 柚衣と倒れた重遠、九条和眞との間に割り込み、敵と思しき彼のほうを向く。


 どちらも素手だが、糸によって瞬時に武器を具現化できる。

 膝を曲げてバネを溜めつつ、呼吸を整えていく。


 しかし、和眞は全く動じない。


「……ずいぶんと遅い、ご到着だね?」


 茶化すように言った和眞に対して、卯月と水無月は緊張感を高める。


「結界のせいで分からず、本拠地を飛び回る羽目になったよ!」

「当主会の命令で、動けなかっただけ。九条隊長の霊圧がなければ、もっと遅かった」


 徹底した擬装によって、この2人は今まで重遠を探し回っていた。

 柚衣による、ネコの鳴き声は、彼に危機が迫っている、という合図。

 

 先ほどの和眞の霊圧は、閨の稽古をするための隠蔽も吹き飛ばしたのだ。


 和眞はその場から動かずに、対話を続ける。


「お役に立てたようで、何よりだ……。予め言っておくが、僕に重遠さまを害する気はない」


 眉を上げた柚衣だが、鵜呑みにはしない。


「だから、何や? あんたが、どうだろうと――」

「その証明として、僕が今から話をつけてこよう」


 あまりに都合が良い提案に、柚衣は混乱した。


 和眞は元の位置のままで、具体的に告げる。


「むろん、十家の当主にだ……。僕の九条家、それに弓岐ゆぎ家、安倍あべ家の3つに言えば、十分だろう? 残りは、彼らの意志に従う」


 意味が分からない。

 しかし、このままでは十家の当主、次期当主、他の隊長格も出てくる。

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