第395話 原作の夕花梨ルートという愛憎劇

 今でも、スマホのソシャゲなどで健在の、アドベンチャーゲームの画面。


 立ち絵で表示されたキャラの台詞や、状況の説明が、下のウィンドウに表示されていく。



 千陣せんじん流の本拠地をバックにした南乃みなみの詩央里しおりは、驚いた顔に。


『え……? 嘘、ですよね?』


 詩央里は、信じられない、と言わんばかりに、目を見張った。


 それに対して、彼女の右側にいる、千陣夕花梨ゆかりが言う。


『いいえ。これは、当主会の決定です。鍛治川さんは――』



 私と、婚約しますので……。




 原作の【花月怪奇譚かげつかいきたん】で登場するヒロインは、四大流派にいる。

 選んだヒロインで物語が大きく変わり、長く遊べる寸法だ。


 メインヒロインの南乃詩央里は、主人公の鍛治川かじかわ航基こうきを助けて、時翼ときつばさ月乃つきののルートを除き、必ず攻略対象になる。


 その中で、詩央里が最大の苦しみを味わうのは、詩央里ルートから派生している、夕花梨ルートだ。


 京都の本拠地にいる千陣夕花梨と親交を深めて、フラグを立てた場合には――



 高校卒業のエピローグで強制的に、ヒロインが夕花梨に変わる。



 宗家の長女である夕花梨が望めば、十家の長女に過ぎない詩央里は、譲るしかない。


 原作の主人公は、Hイベントが多いわりには、変なところで真面目だ。

 それゆえ、詩央里と初夜を行う直前のタイミングを狙われた。


 詩央里にしてみれば、最悪の逆NTR。

 千陣流への反逆は、できない。



 詩央里ルートのラスボスを倒して、ズタズタになった、千陣流の本拠地での一幕。


 十家にも、大きな被害が出た。

 復興と同時に、隊長格の霊力を発揮した鍛治川航基を取り込むのは、決定事項。


 だが、紫苑しおん学園で3年間も愛をはぐくんできたはずの航基が、詩央里を裏切ったことに、違いはない。


 その理由は――


 画面上の千陣夕花梨は、驚いたままの南乃詩央里に告げる。


『千陣流は、新たな十家として、鍛治川家を認めました。その伴侶に、南乃家の唯一の子供である詩央里を宛てがうわけには参りません。今は、信用できる十家を絶えさせることを避けるべきです』


 当然だが、詩央里は反論する。


『そんな……。航基は、私と――』

『これは、彼の意思を反映した結果です。千陣流は、鍛治川流を正式な御流儀にいたします』


 驚いていた詩央里は、影のある表情に変わった。


『……その条件で、航基を籠絡ろうらくしたのですか?』


 真面目な顔の夕花梨は、の詩央里を見た。


『彼が、望んだことです』


 悔しそうな表情の詩央里は、双眸そうぼうから涙を零した。


『私は……。私は、あなたを大事な親友だと……』


 何も言わない夕花梨に、詩央里は泣きながら、走り去った。



 誰もいない空間で、千陣夕花梨は、独白する。


『ごめんなさい、詩央里……。私も、欲しかったのです。立場に関係なく、私を見てくれる陽だまりを……』


 そういう夕花梨も、泣いていた。




 ――数十年後


 詩央里の葬式が、行われていた。


 彼女は、安倍あべ家の紹介で結婚して、数人の子供を儲けた。

 理想的な、良き妻、良き母親。

 だが、いつも寂しそうで、作り笑いだけ。


 子供が昔の元服の年齢になった頃、まるで夫の家と、南乃家の後継者を作ったことで義務を果たした。と言わんばかりに、一気に弱り、そのまま息を引き取った。


 喪主は、南乃家の当主になったあきら

 妻の『こずえ』も、その傍らに立つ。


 泣きじゃくる、詩央里の子供たちの姿が、痛々しい……。



 そこに、今は十家の当主となった、沈痛な面持ちの鍛治川航基がやってきた。

 妻の夕花梨は、欠席だ。


「この度は、誠に――」

「黙れ……」


 項垂うなだれたままの暁は、小さな声でつぶやいた。


 航基は、それを聞き取れず、弔問の台詞を続ける。


「ご愁傷様で――」

「黙れと言っている……」


 かすれる声で言った暁は、自らの妖刀を抜く動作に入った。


 その気配を感じ取った『こずえ』が、思わず叫ぶ。


「あなた!?」


 けれども、暁が航基を斬り捨てる前に、パンッと乾いた音が鳴り響く。


 会場にいる全員が注目した先には、安倍家の当主の妻、安倍真千まちがいた。

 ビンタをした姿勢のままで、泣きながら叫ぶ。


「帰りなさいっ! 今すぐに!!」


 呆然とした航基は、周囲の視線に追い立てられ、その場を後にした。



 ひつぎの中の詩央里は、もう苦しまずに済む、と言わんばかりに、穏やかな表情だった。


 詩央里の縁談を世話した安倍真千は、その全てに絶望した様子を見ていた。

 どうにかして、立ち直らせよう。と努力したが、その甲斐もなく……。


 鍛治川航基の力は、弱った千陣流に必要不可欠だ。

 宗家の長女と結ばれたことで、果たすべき役割もある。


 成長した航基は、詩央里の最後の表情を見られなかった。

 ゆえに、3年間の高校生活を否定されて、幼馴染で親友の夕花梨に裏切られ、もはや誰も信用できなくなった彼女の考えを知る機会は、もうない。


 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・

 ・


 自室で目を覚ました俺は、長く息を吐いた。


 原作では、千陣夕花梨を選んで、泣いている南乃詩央里が走り去った場面まで。


 エピローグの最後は、夕花梨と楽しそうに話していた。

 しかし、数十年後までは、描写されていなかったはずだ。



「……すごく怖い表情だよ? 何か、あったの?」



 睦月むつきの声だ。

 どうやら、護衛中に心配して、実体化したらしい。


 意識して表情を戻しつつ、俺は彼女に話しかける。


「いや、何でもない。嫌な夢を見ていただけだ……」


 琥珀こはく色の瞳で見ている睦月は、おずおずと尋ねてくる。


重遠しげとおってさ……。えっと。な、何でもない……」


 俺は伸ばした人差し指で、怯えた表情になった睦月の胸をつついた。


「んうっ!? いきなりは、止めてよ!」


 なまめかしい声を上げた睦月は、両手で胸を隠したまま、上半身をひねる。

 べーッと舌を出した彼女は、そのまま霊体化して、逃げた。



「夕花梨か……」


 呟いた俺は、さっきまでの夢を思い出していた。


 実妹の千陣夕花梨を斬る羽目にならなければ、良いのだが……。


 そう考えつつ、前から疑問に思っていたことを掘り下げる。



 おかしい。

 なぜ、原作の鍛治川航基は、詩央里ルートや夕花梨ルートで、千陣流に黙認されたんだ?


 俺自身が色々と経験したから、痛いほど分かるが、仮にも宗家の長男を殺した相手を許すわけがない。

 面子のために、どれだけ被害が出ても、絶対に殺すだろうに……。


 最終的な航基が、隊長格の強さだから?


 それでも、納得できない。

 宗家の血筋は、金や強さで替えられる物ではないぞ?


 あるいは、原作の描かれていない部分で、抹殺されたのか?


「分からん……」


 何か、決定的な情報が欠けている気がする。



 ピンポーン


 ……うわさをすれば影、か。


 ピッ


「どうした、夕花梨?」


 インターホンの画面に表示された千陣夕花梨は、微笑んだ。


『はい。以前にうけたまわった、室矢家に派遣する人員の件です』

「分かった。エントランスにあるラウンジで、適当に待っていてくれ」

 カチッ


 ボタンを押すことで、オートロックを開けた。

 如月きさらぎたちも、ゾロゾロと入っていく。


 スマホで南乃詩央里に連絡して、俺もラウンジへと向かう。




 ――WUMレジデンス平河ひらかわ1番館 睦月たちの物件


 睦月は、如月、弥生やよいと共に、レジデンスの1つに住んでいる。

 3LDKのため、これまでの物件よりも快適だ。


 共同資金で、コツコツと家具家電を買い揃えているリビング。

 室矢重遠の部屋から逃げ帰ってきた睦月は、そこで立ち尽していた。


 しょげた彼女を見た弥生が、話しかける。


「どうかした?」


 泣いていた睦月は、弥生の顔を見た。


「……僕、重遠に嫌われているのかな?」


「睦月は、可愛い。自信をもって」


 弥生は、睦月をなぐさめるように、肩をポンポンと叩いた。

 ソファに座るように勧めた後で、キッチンへ向かい、炭酸飲料とお菓子を取ってくる。


 リビングのテーブルに置き、弥生もソファに座った。


「重遠は小さい頃から、周囲に狙われていた。私たちは、夕花梨さまの式神。『次期宗家になるため、暗殺をたくらんでいる』と思われても、不思議じゃない」


 推理する弥生に対して、涙を拭いた睦月は不思議がる。


「でも、今はその危険もなくなったよね? 宗家になりたくない方針は、そのままのようだし。やっぱり、僕がウザいと思われているんじゃ……」


「本当に嫌だったら、睦月に説明すると思う。この機会だから言うけど、私も睦月と同じで、敵意を向けられたことがある。たぶん、他の人形たちも……」


 目を見張った睦月に、弥生が淡々と説明する。


「さらに言うと、重遠は他の人物にも、対応がチグハグ。詩央里にすら、たまにそういう雰囲気になる。当の本人は、スルーしているけど」


 息を呑んだ睦月は、今まで目を背けていた重遠の一面に、恐怖した。

 婚約者の南乃詩央里だけは、立場的に危険がなく、全てを捧げていた女のはずだ。


「何で……」


「たぶん、幼少期にずっと狙われていたから。でも……」


 言い淀んだ弥生に、睦月がうながした。


 躊躇ためらった弥生だが、仕方なく話す。


「重遠は、全てを敵視している。だけど、物心ついた時から敵ばかりとはいえ、実際には詩央里や夕花梨さま、私たちが守っていた」


「何が言いたいの?」


 睦月の問いかけに、弥生もはっきりと言う。


「重遠は、最初から強い敵意を抱いている。私たちが見張っていたから、他の影響があった可能性はない。……睦月。最悪の場合は、夕花梨さまを守るために、重遠を殺すことになるから」

「そんなっ!? ……あ、うん。それは、分かっているよ」


 叫んだ後で、暗い顔の睦月は同意した。


 望まなくても、使役している主人に危険が迫れば、相手を殺すしかない。


 今の重遠は、隊長格だ。

 実行する場合は、最初の不意を突いた一撃のみ。

 それも、全員による連携で。


 体勢を整えられたら、勝ち目は10%以下だ。


 苦しそうな睦月に、弥生が気遣う。


「最悪の場合、だから……。今は落ち着いたし、いずれ重遠も話してくれると思う。その時に、私たちの顔も見たくないのだったら、夕花梨さまに申し出て、重遠から離れることも考えよう」


 夕花梨シリーズの通信網で、もうすぐ到着する、と連絡があった。


 泣いていた睦月は、急いで顔を洗う。

 弥生も、鏡を見ながら、身繕い。


 2人は、自分たちのあるじを出迎えるために、1階のエントランスへ急いだ。

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