第390話 本物のお姫様から見た室矢重遠という男ー④

 紫苑しおん学園の後夜祭が、終わった。

 室矢むろや重遠しげとお悠月ゆづき明夜音あやねも、迎えの高級車で、帰宅する。


 近くにあるビルの屋上で、ボロボロの制服のままで立つ小坂部おさかべけいは、2つの選択を迫られた。


 重遠たちを警護するのか、自分も帰るのか……。


 移動中に車ごと吹き飛ばすのは、暗殺の定番だ。

 あるいは、最も油断する、自宅に横付けして降りる瞬間を狙う?


 対応する暇を与えず、自宅を強襲する可能性もある。

 気が緩んでいる今ならば、不意を突けるだろう。

 明け方まで待ち、周囲の護衛も油断しているタイミングを狙うかもしれない。



 すると、闇の一部のように、室矢むろやカレナが現れた。


「もう、心配はいらぬ。ご苦労だった……」


 まだ自己紹介をしていないが、2人とも、重遠の式神だ。

 彼に命令されれば、何でもする立場。

 どうせ、正式な挨拶は、遠からず行うだろう。



 小坂部慧は、キャンプファイヤーが消された暗闇の中で、高所にある航空障害灯が点滅する高い場所を見上げた。

 赤や白の光は、そこに避けるべき障害物があることを示す。


 夜間の飛行をしている旅客機らしき影が、その上を通っていく。

 ゴオオオッと、ジェットエンジンの音。


 ビルの窓には多くの灯りがあって、その数は多い。

 夜は、これからだ。


 都心部は、昼とは全く違う雰囲気になった。

 人口密度が一気に下がって、ひっきりなしに入ってくる電車で、ベッドタウンへの移動が終わった後。



 慧は、カレナに顔を向けた。


「そう。なら、私はいったん、京都の千陣せんじん家に帰るわ。後は、よろしく……」


 うなずいたカレナは、慧の制服を見た。

 ブレザーは見る影もなく、ブラやショーツまで見えている。


「直そうか?」


 かぶりを振った慧は、それを断る。


「いらない。これは、私と重遠のきずなだから……」


 そこで、慧はゾッとする目つきで、カレナを見下ろした。


 けれども、カレナは素直に謝る。


「すまぬ。お主を怒らせるつもりは、なかったのじゃ……」


 息を吐いた慧は、カレナに背中を見せた。


「私はどうせ、日陰の女よ。詩央里しおり夕花梨ゆかりのように、幼い頃から見守ってきたわけじゃない。あなたのように、一番大変だった頃の重遠の力になったわけじゃない……。今となっては、女に会っていない時間を探すほうが難しい始末」


 ――それでも、私は欲しかった



 そう締めくくった慧は、千陣夕花梨とのラインによる強制召喚で、消えた。

 ゲームでいう、ファストトラベル。


 小坂部慧は、主人である室矢重遠の許しを得たことで、彼の妹である千陣夕花梨と、サブの式神契約をしている。

 以前に、彼が睦月むつき如月きさらぎ弥生やよいの3人をレンタルしたのと、同じ理屈だ。




 ――京都 千陣家の屋敷


 東京から370kmぐらい離れた場所に、小坂部慧は出現した。

 ボロボロの制服を着たまま、中庭から、千陣夕花梨の離れに近づく。


 夜は、もう寒くなってきた。

 山間部とあって、吐く息が白い。

 障子を閉められた角部屋に、縁側から靴を脱いで、上がる。


 警護の夕花梨シリーズや、奥座敷でくつろいでいる面々と言葉を交わしながら、その先へ進む。


 慧が声をかけた後で、奥の引き戸をスーッと開くと、中の灯りが漏れてきた。

 中の居間には、寝巻の夕花梨がいる。

 座椅子に座って、本を読んでいたが、パタンと閉じた。


 もう布団が敷かれていて、何もない部屋だ。



 小坂部慧は、端的に報告する。


「紫苑学園の文化祭は、無事に終わった。重遠は2日間とも女子に追われまくったけどね……。機械化歩兵のチームは、たぶんUSユーエスの特殊部隊だけど、証拠はなし。カレナに『問題なし』と言われて、そのまま引き上げてきた」


 頷いた千陣夕花梨は、慧をねぎらう。


「ご苦労様でした。私もあなたに同調するか、望月もちづきたちの報告で、確認済みです。申し訳ありませんが、明日は早朝から、京都駅で東京行きの高速鉄道に乗ります。……食事は、どうしますか? 制服の予備は?」


 片手を振った慧は、ボロボロの制服のままで、答える。


「いらない。お風呂に入ったら、もう寝る……。まだ一着あるから、明日はそれを着るわ。おやすみなさい」



 夕花梨の離れにある風呂に浸かりながら、慧は重遠の意識に同調する。

 ちょうど、彼も同じだ。

 まるで、一緒に入っているような感覚。


『ふ~』


 お風呂だけではない紅潮のまま、慧はゆっくりと自分の手を動かし、洗っていく。

 重遠の意識のままで行うと、彼にまさぐられているようで興奮する。


 キュキュッとシャワーを強めで、出しっぱなしに。

 そのまま声を押し殺して、長めのお風呂タイムを楽しんだ。




 明日は早いので、夕花梨シリーズも就寝。

 むろん、交代で警備を行っている。


 スッキリした小坂部慧も、上気した顔で、自分の布団に潜り込む。


 室矢重遠の式神だから、ずっと一緒だ。

 どれだけ遠くても、彼と繋がっている。


 あれだけの女がいて、順番待ちは耐えられない。

 そもそも、彼に合わせる顔もない。

 だから――



、本当に良かった……」



 寺峰てらみね勝悟しょうごが、この時点では浮気相手だった神子戸みことたまきと紅葉狩りをして、敵に襲撃された日。


 小坂部慧は、千陣夕花梨から、敵部隊の殲滅を行う皐月さつきたちの支援を命じられていた。

 だから、室矢重遠に張り付き、ひたすらに機を待ったのだ。


 彼と話せるのは、恐らく二言、三言。

 それで、目的を達成しなければならない。


 慧は自分から敵兵士に捕まり、重遠と久々に対面した。

 だが、全く相手にされず、極度の緊張、逆恨みによる激情で、思わず彼の初体験の失敗を叫んだ。


 そのおかげで、空間を切り裂く攻撃をしてもらえたから、結果オーライであるが……。


 重遠が冷静に返したら、彼の式神になるチャンスは、二度とない。

 それを理解した慧は、極限まで自分を弱めて、彼の攻撃を受け入れたのだ。

 滅びるリスクを背負ってまで。


 そして、小坂部慧は、賭けに勝った。



 明日からは、東京だ。

 近くで暮らせる。


 布団に入っている慧は、にっこりと微笑んだ。


 本当に、楽しみ。



 再び、室矢重遠と同調した慧は、彼の寝息を聞きながら、自身も眠りについた。

 彼が死ぬ時まで、その感じること、思うことは、全て彼女の物である。


 自分の思いは、絶対に知られてはならない。

 受け入れられた時に、我慢できなくなるから。

 そうなれば、全てを忘れ、彼と2人で生きようとするだろう。

 他の女を全て排除して。


 たとえ、その先に破滅しか待っていなくても……。



 だから、小坂部慧は絶対に、自分の本音を言うつもりはない。



 あなたが楽しければ、私も楽しい。

 あなたが悲しければ、私も悲しい。

 あなたが幸せなら、私も幸せ。


 雨が降るのは、嫌だ。

 とても冷たい。


 だけど、あなたの中は、思っていた以上に荒れている。


 言葉に。


 言葉にできないほど……。



 あれだけ、飄々ひょうひょうとした雰囲気であるのに。

 その本音を全て知れば、夕花梨や詩央里ですら絶句して、縁を切るかもしれない。


「さとり妖怪の沙都梨さとりが、あれだけ憔悴するのも当然か……」


 当主会の決定で、幼児だった千陣重遠の心を読んだ際に、沙都梨は倒れ込んで、吐き続けた。

 涙をボロボロと零し続ける彼女に、十家の反対派は、重遠を処分するための言質を欲しがる。

 でも、彼女はがんとして、その言葉を口にしなかった。

 

 沙都梨は、その能力から、自由に出歩けない。

 千陣家の当主の直属で、十家に準ずる待遇だが、妖怪エリアの別荘に引き籠もっている。


「心を読んだ沙都梨は、分かっていたんだ……」


 弱い怪異では、千陣重遠の式神になれない、と。


 彼に霊力がない以上、この過酷すぎる記憶の奔流と、秘めたる激情に耐えられる大物と契約させることもかなわない。


 そして、重遠は廃嫡され、室矢家の名ばかり当主として、東京へ追い出された。



「沙都梨は、どれだけ重遠の式神になりたかっただろう?」


 こうしてみれば、彼女の苦しみが、よく分かる。


 重遠の真実を知りながら、誰にも言えない。

 千陣流の本拠地で口にすれば、必ず聞かれてしまうから……。


 布団の中で、小坂部慧がこぶしを握りしめていると――


「明日から、東京らしいわね?」


 目を開けたら、沙都梨が、枕元で正座をしていた。

 暗闇の中で、薄い紫の瞳がある。 


 掛け布団を外して、上体を起こした慧は、沙都梨を見た。


「……明日、早いのだけど?」


 真剣な顔つきの沙都梨は、慧の手の甲に触りながら、ポツリと呟く。


「お願い」


 慧が手を重ねて、立ち上がろうとした沙都梨を引き留めた。


「また、重遠を連れてくる。その時に、会えるよ?」


 顔をうつむかせた沙都梨に対して、慧が諭す。


「人間は、すぐに老いて死ぬ。会える時に会ったほうが、いいわ」


 が言うのだから、と自虐した慧に、沙都梨もしぶしぶ、同意する。


「そう……。なら、お願い」


 返事をした沙都梨は、スッと立ち上がり、今度こそ帰っていく。

 この場面を他の人間に見られたら、面倒なことになるからだ。


 夕花梨シリーズは気を遣って、2人から離れていた。



 慧は、再び布団に入る。


 沙都梨と触れ合った手は、彼女の思いを受け取ったことで、より重くなった。


 室矢重遠の師匠を気取っている柚衣ゆいは、私たちと違う。

 現実的な方法で、彼を救おう。と動いている。

 今は、その必要もなくなったが……。


 ともかく、これから忙しくなる。



 慧は、改めて重遠と同調して、彼に添い寝をする。

 薄れゆく意識の中で、考えた。



 もしも、あなたを不幸にする者がいれば――



 私が、消しておこう。

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