第387話 本物のお姫様から見た室矢重遠という男ー①

 月明かりが狭い格子から差し込む、空高い場所。

 白い壁と木組みに囲まれ、段差のない板張りの床は、庶民が暮らす場所ではないことを示す。


 大天守の最上階にある、広い部屋。

 そこにいる女は、時代劇のような和装をした老人と向き合っていた。


 煌びやかな上着である打掛うちかけを腰に巻き付けて、上には白い間着あいぎという、夏向けの正装だ。



 正座をした爺は、部分的な畳の上に座る女の質問を聞く。


「……半年前の者は、どうしました?」


 座ったままで震えた爺は、薄暗い中で返事をする。


長久ながひさは……。長久は、先の合戦で、武家として立派な最期を遂げました!」


 感極まった様子の爺に対して、女は告げる。


「……分かりました。では――」



 爺が去り、立ち上がった女は城の大天守の端へ歩き、夜空の月を眺めた。

 腰に巻いている打掛の部分を握りしめて、にじんだ景色で……。


 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・

 ・


 夢を見ていた小坂部おさかべけいは、東京のホテルの一室で目を覚ました。


 千陣せんじん流に所属する妖怪にして、刑部おさかべ姫とも呼ばれる身の上。

 普段は城の大天守にいるのだが、今は宗家の娘である千陣夕花梨ゆかりの護衛で、側近の1人だ。

 とある失言によって、夕花梨の兄、室矢むろや重遠しげとおの式神でもある。



 慧が上半身を起こしたのは、柔らかいベッドの上。

 白いシーツに、内装の家具や小物類が目に飛び込んでくる。


 シングルのようで、1人用のベッドの反対側には、すぐ作業デスクと棚。

 下には、備え付けの小型冷蔵庫も。

 

 枕の後ろには、デジタル時計とアラームが見える。

 反対側のデスクを含めて、手を伸ばせば届く距離に、あらゆる機能がまとめられている構図だ。


 男がいたら興奮するであろう、一晩で濃縮された甘い体臭を上掛けの外にまき散らしながら、慧はつぶやく。


「私は……。どこまでも、プラトニックな恋愛に縁があるのね」



 起きた慧は、部屋に備え付けの寝間着のままで、テレビのスイッチを入れつつも、窓のカーテンを開けた。

 外は明るく、太陽の光を浴びた彼女も、強制的に朝モードへ。


 出入口のドアまで直通の狭い通路を歩き、個室のユニットバスに入った。

 かつての和式の板張りが、今では洋風のフローリングだ。


 しばし、水音が続く。



 誰も見ていないのを良いことに、シャワー後にはバスタオル1枚でうろつき、頭部のドライが終わったタオルを外す。

 ユニットバスに戻ってドライヤーを持つと、通風口からブオオっと温風が噴き出してきた。


「城の天守閣は、寒かったからなあ……。文明の利器ってすごい」


 独り言を呟きながら、今日のヘアスタイルを決める。

 シャンプーの香りに満ちた空間で、長い黒髪を動きやすい形にまとめた。



 さっぱりした慧は、狭い部屋の中で、昨日に買っておいた朝食を広げた。

 美味しそうな総菜パン、サンドイッチと、冷蔵庫に入れておいたフルーツジュース。

 ベッドの端に腰掛け、テレビを見ながら、それらを口に運ぶ。


 ふと、時計を見る。


「あっ! いけない!」


 バタバタと動き回り、歯磨きを行い、オールインワンの化粧水をつけて、着替えを行う。


 紫苑しおん学園の制服を着た慧は、学校指定のカバンを持ち、ホテルをチェックアウトした。

 カードキーを回収箱に入れて、エントランスから出ていく。




 『しおん祭』と書かれた看板や、ゲートが、正門に飾られている。

 本日は、中高生や招待チケットを持つ方のみ、とも。


 どうやら、紫苑学園の文化祭が行われているタイミングのようだ。

 本日は、1日目。


 敷地の至るところに飾りつけや垂れ幕があって、普段は目にしない展示物であふれている。



 高等部『1-A』の教室に入った小坂部慧は、今は自分の主人になっている室矢重遠が訪問してくる女子たちに振り回されている光景を見て、その様子を楽しんだ。


 霊体化している慧は、周囲に全く気付かれない。


 重遠と繋がっているパスにより、午後は彼がフリーになって、どう動くのか? を知る。


 実体化した慧は、周囲にいる重遠が目当ての女子たちを煽動せんどうして、生徒会室の前に集団を形成。

 後ろからも、別動隊を向かわせる。


「なにゆえ、もがき、あらがうのか!」


 叫んだ慧も、女子の集団に埋もれる重遠に飛びついて、存分に楽しんだ。




 2日目の後夜祭では、真っ暗な敷地内で、校舎の上に立つ。

 眼下には、悠月ゆづき明夜音あやねに寄り添う、室矢重遠の姿が……。


 小坂部慧の背後で、シュッと音がした。

 彼女は振り向かずに、話しかける。


「何か用? 私、今は邪魔されたくないんだけど……」


 紫苑学園の制服を着た、タレ目の女子高生が現れた。

 ライトブラウンの長髪は、いつものサイドテール。


 千陣流で室矢重遠の師匠である、柚衣ゆいだ。

 彼女は、同じ格好で中等部ぐらいの桜帆さほすいを引き連れている。



 地上のキャンプファイヤーの炎は、とても幻想的。

 まるで、異世界にいるようだ。


 遠く離れた室矢重遠を見つめたままの小坂部慧に、柚衣は話しかける。


「あかんでー?」


 その声に、慧はようやく振り向いた。


 目を合わせた柚衣は、繰り返す。


「あかんでー。その先に踏み込んだら、あんたを滅ぼさなアカンわ」


 半目になった慧は、一瞬だけ殺気をまとったが、すぐに霧散する。

 前に向き直り、地上にいる重遠へ視線を戻した。


 そのままで、慧は口を開く。


「人間でも妖怪でも、たいした違いじゃないわ……。それに、重遠だって、ずっと生きられるほうを選ぶかもしれない」


 柚衣は、慧の後姿うしろすがたを見ながら、警告する。


「まず、重遠が望まん。仮に本人が『はい』と言っても、高天原たかあまはらの連中が黙ってへんわ。もちろん、千陣流と桜技おうぎ流もな? まあ、ウチが輪廻りんねからの解脱うんぬんと、言えた立場ちゃうけど……。やめとき? 誰も幸せにならんわ……」


 力のない声で、慧は返事をする。


「分かったから。もう、邪魔をしないで……。お願い……」


 それを聞いた柚衣たちは、再び瞬間移動のように消えた。



 長く息を吐いた慧は、校舎の上に立ったままで、地上のキャンプファイヤーのすみにいる重遠を見つめ続ける。


「こんなことなら、ずっと傍にいてやれば、良かった……」


 キャンプファイヤーの揺らめく炎のせいか、慧は昔を思い出す。


 ・

 ・・・

 ・・・・・

 ・・・・・・・


 小坂部慧が、室矢重遠に初めて出会ったのは、彼が5歳ぐらいの時。


 重遠は物心がついて、ここは原作の世界では? と気づき始めた頃でもある。

 そのため、原作で千陣重遠をひどい目に遭わせたキャラに囲まれていることで、錯乱していた。


 婚約者の南乃みなみの詩央里しおりが宛がわれても、重遠は霊力ゼロで、精神的に不安定なまま。

 千陣流の十家は、いつ廃嫡するか? という協議や根回しに明け暮れる。


 次期宗家が生まれた、と聞いて、珍しく城の天守閣を出た慧は、十家の1つである杜ノ瀬もりのせ家に滞在しながら、その様子を他人事として見ていた。



 ああ、これはすぐに死ぬな。


 そう思った慧は、興味を失くした。



 今度は、宗家に長女が生まれて、大名ゆかりの日本人形の怪異を10体以上も従えた。と聞いた。

 千陣流の本拠地へ行ったら、琥珀こはく色の目をした千陣夕花梨と出会う。


 慧が世話になっている杜ノ瀬家は、夕花梨の派閥になった。

 その関係で、よく遊びに行く。


 式神の日本人形たちが、アニメキャラみたいに変貌した時には、慧ですら驚いた。


 どんどん女らしく成長する夕花梨は、慧に繰り返し言う。


「お兄様は~」


 退魔師の業界、それも大手の宗家の長男で、霊力ゼロ。

 どうせ、すぐ死ぬのに。


 どうして……。



 どうして、こんなに入れ込むのだろう?



 重遠は、いよいよ室矢家に移され、東京の紫苑学園の高等部へ編入。

 まだ婚約者の南乃詩央里も付き添い、ひとまず暗殺の危険はなくなった。



 城の天守閣に籠っている小坂部慧は、次に千陣家による室矢重遠の立ち合いで、本拠地を訪れる。

 室矢カレナが来てから、一軒家の探索、洋館の攻略、ベルス女学校の召喚儀式と、目まぐるしく動き続けた末だと、後で知った。


 初夏の蒸し暑い盆地であるのに、宗家と十家の主だった面々、さらに下っ端までがこぞって見学する、重遠と大百足オオムカデの立ち合い。

 事情をよく知らない慧ですら、ただの公開処刑だ、と察する。


 何しろ、重遠は和装だが、何も武器を持っておらず、帯に差さず、背中にもないのだ。


 山にある木の上で立ちながら、無表情で遠くの室矢重遠を眺める慧。

 鬼気迫る様子に、知り合いの妖怪は声をかけられず。



 そして、小坂部慧は、重遠が大百足を一瞬で両断する瞬間を目にした。



 あれは、天装だ。

 間違いない。

 それに、あの差しりょうも、尋常ではない。


 剣術を知らぬ慧は、その太刀筋より、瞬時に切り替わった衣装と刀に目を奪われた。


 妖刀ではない。

 独特の波長を感じられず、それどころか荘厳。

 おまけに、重遠は半年前まで霊力ゼロだったのに、今の動きと霊圧から察するに、副隊長どころか下の隊長格だ。


 その驚くべき光景に、慧の周りにいる妖怪たちは騒ぎ続ける。


 千陣流の副隊長は、生まれ育った家に関係なく、誰でも目指せる特権階級。

 十家のいずれかに支援を受けることで、庶民から成功者になれる。

 もっとも、その前にだいたい死ぬし、並大抵の霊力では無理だが……。



 木の上で立ち尽くす小坂部慧は、その紫の瞳を大きく見開いたまま。

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