第386話 家に帰るまでが遠足です

 ヒナと呼ばれていた女子大生は、警察と検察の取調べを終えた。


 自宅に戻ってきた彼女は、籠っていた空気を入れ替える。

 上京しているため、学生用のマンションで一人暮らしだ。


 着信履歴を埋めていた家族に、手早く電話をする。

 

「うん。そうそう……。心配いらないって! ……いいから! じゃ、切るよ?」

 ピッ


 気楽な一人暮らしで、親に居座られたら、たまったものではない。



「フーッ。とんだ災難ね……。げ! イベサーのSNSで、タカ君たちから、山のように着信やメッセージがある。消しとこ」


 ケチがついた集団とは、縁切りが一番。

 専用のアカウントだったので、躊躇ためらわずに消す。


 “このアカウントは、消去されました”


 用心して住所や電話番号は教えていなかったので、ひとまず大丈夫だろう。

 昔のように固定電話だったら、こうはいかない。


「バイバーイ! ……自分の電話番号も教えずに、メッセージと通話か。便利な時代よねー」



 空調が効いたことで、ヒナはソファに腰を下ろした。


「さーて、世間では何があったかな、と?」

 カチッ


 机上のノートパソコンを立ち上げ、その間に冷蔵庫から缶を取ってきた。

 プシュッと開けたら、ぐいぐいと飲む。


 ピッ

『東京の各地で、倉庫、貸事務所が立て続けに襲撃される事件があり、銃撃のような音も響き渡りました。現場には銃火器や違法薬物の痕跡があったことから、警視庁は組織同士の抗争との見方で――』


 BGMの代わりに、テレビもつけた。



 とりあえず、自分の大手イベサーを検索する。

 匿名の掲示板やSNSでは、いかに酷いサークルなのか? で盛り上がっている。


「うっわー。こりゃ、もうダメね! 私も、うっかり口を滑らせないようにしないと……」



 ニュースでは、大手イベサーで幹部をしている学生や、その上にいる人間たちが芋づる式に逮捕されたことを告げている。


 それを耳にしたヒナは、椅子に座ったままで振り返った。


「薬に手を出していると、警察も早いわねー。ま、私は知らなかったのだけど?」


 だが、男たちが招待した女にを飲ませていたことは、知っている。



 ヒナは、紫苑しおん学園で一緒だった元仲間が逮捕されたのか? と気になった。

 すぐにスマホで検索するも、ヒットせず。


「あ! さっきのアカウント、残しておけば良かった! でも、いいか……」


 割り切ったヒナは、すぐに彼らのことを忘れた。



『東京のオフィス街でガス爆発が相次ぎ、安全性のチェックとして、周囲の点検が行われています。被害に遭ったのは、どれも外資系の企業で――』



 ヒナは、テレビのニュースを気にせずに、今は解散した大手イベサーの影響を考える。


「落ちぶれたら、コレかぁ……。インカレで、特定の大学だけ叩かれていないのが、せめてもの救いね」


 ネットでは、酒を飲ませた後で回していた、などの暴露だが、現場にいなければ分からないレベルの書き込みもあった。


 自分が招待した女を酔い潰させたうえに、事後のなだめ役もやっていたことはバレていない。

 幹部だった事実までは消せないが、自分から喋らず、あくまで被害者を装えばいい。


「ノコノコ参加するほうが、バカなの! ちょっと調べれば、ウチが危険だってことぐらい、すぐに分かるんだし……」


 ヒナは、自分が助かったことで、ホッとした。

 取調べの女刑事の言葉を思い出す。


「なーにが、『あなたを助けたい』よ。自白させる常套句じょうとうくじゃない。バカバカしい……」




 ――1ヶ月後


 大手イベサーの幹部だったヒナは、すっかり元の生活に戻った。

 前ほどの権勢はなくなったが、キャンパスライフを続けることに支障はない。


 移り気な世間は、別の話題で持ち切りだ。

 ネットの書き込みは残るが、ユーザーは同じく別の事件に夢中。



 男子大学生たちは、ここぞとばかりにアプローチしてくる。


「俺で良かったら、いつでも相談に乗るぜ?」

「うん。私は、大丈夫だから……」


 ヒナは、取り巻きの1人を便利に使いながらも、芸能界や金持ちの男への伝手を失ったし、これからどうしようか? と思いを巡らせる。


 今は夜で、新しく所属したサークルの飲み会が終わった直後。

 男子大学生には、酔った女を口説き、そのまま持ち帰る場だ。


「悪いんだけど、今日は私……。あれ?」


 送り狼をさせないために、男子大学生を拒絶しようとしたら、振り向いた方向には誰もいない。


「……帰ったのかな?」


 ムカついたが、言う手間が省けた。と思い直す。


 そのタイミングで、横を通り過ぎた人間に、ドンッと肩をぶつけられた。

 衝撃で、肩掛けのバッグを取り落とす。


「ちょっと!! ……ったく、もう!」


 くだんの通行人は、視界の外だ。


 ヒナがかがんで、拾おうとした瞬間に――


 トスッ プシュー


 筒のようなものを肌に押し当てられ、何かが流し込まれる音。

 おそらく、無針の注射器だ。


 事態を把握する前に、ヒナの意識は途切れた。




 ――どこかの広い部屋


 薄暗い、ジメジメした空間で、女子大生のヒナは目覚めた。


 窓がなく、四方を鉄の壁に囲まれた、無骨な空間だ。

 天井の灯りは最小限で、かろうじて周囲が見える。

 少なくとも、客室には思えない。


 足元が、ゆらゆらと揺れている気がする……。


 周囲を見ながら、身体を動かそうとするも、自分が椅子に座った状態で縛られていることに気づく。

 その隣には、同じように大手イベサーの幹部で、一緒に紫苑学園で勧誘していた女子大生の姿も。

 こちらは、まだ気絶しているようだ。



「何これ!? ……誰か! 誰か、いないの?」



 すると、ガチャリと重い音が響き、外からの光が入ってきた。


 コツコツと歩いてきたのは、海外ブランドのスーツを着た男。

 暗がりですら分かる、仕立ての良さだ。


 チラッと見えた顔は、彫りが深く、整えられた髭で、渋いイケメン。

 若さと貫禄が釣り合ってくる年齢に見えた。


 いっぽう、周囲にいる男たちは、粗暴な雰囲気。

 高級スーツではなく、作業着や私服だ。

 そのうちの1人が、渋いイケメンの後ろから、強力なライトを当てた。

 ヒナは思わず、目を伏せる。


 これは、相手の視界から自分たちの姿を隠すという、定番の方法だ。

 

 ヒナの視点では、黒いシルエットだけになった。

 それに対して、渋いイケメンからは、彼女がハッキリと見える。



 見るからに偉そうな、渋いイケメンは、優しく声をかける。 


「これは、これは……。ようやくお目覚めですか、レディ?」


 しかし、ヒナは構わずに、その男に叫ぶ。


「何よ、あんた!? 自分がしていることを分かっているの?」


 大仰おおぎょううなずいた男は、笑顔で答える。


「もちろん! それよりも、レディ。あなたは、ご自分の心配をしたほうがいい! 我々を裏切っておいて、無事でいられるとは思わないでくれ」


 困惑したヒナは、椅子に縛られたままで、ポカンと口を開けた。


「は? あんた、何を言っているの? 頭、大丈夫?」


 苛立たしげに靴を鳴らした男は、それでも忍耐強く、説明する。


「話す気はないと? 私はね。ナメられることに、我慢ならないのだよ。今回の一連の襲撃のせいで、我々は流通ルートと在庫に大きなダメージを受けた。その情報を警察に渡した君たちには、報いを受けてもらう」


 パチンと指を鳴らしたら、手下と思しき男たちが動き出した。


 1人は、アタッシュケースを開けて、その中身を見せている。


usiウズィ?(使いますか?)」

Nonノン c'èチェ bisognoビゾンニョ.(不要だ) それだって、安くはない」


 あっさりと答えた男に、手下はアタッシュケースを閉じた。


 幹部らしきスーツ男は、拘束を外されたヒナに笑みを浮かべた。


「長いだ。私に真実を話したくなったら、いつでも呼んでくれたまえ。ああ、まだ寝ている隣のお友だちには、君から説明するように! 私は、同じことを話すのが嫌いでね」


 床に寝かされた女子大生のほうは、まだ気絶している。

 それをチラリと見ながら、スーツ男は言い捨てた。


 起きている女子大生は、必死に訴える。


「わ、私、本当に何も知らないのよ!? 信じて!」


 首をかしげた伊達男は、ヒナの訴えを退しりぞける。


「冗談にしても、笑えないぞ? 君たちは、我々の組織を売った見返りに、で無罪になったのだろう? 別人になるか、警察署から刑務所へ移される前に確保できて、本当に良かった。早く逃げなければ、危険だったからねえ……。いやはや、日本の警察も、なかなか怖いものだ。認識を改めなければ……」


 訳の分からない展開に、ヒナの顔から血の気が引いた。



 紫苑学園で、次期当主の明夜音あやねを危険に晒された悠月ゆづき家が、報復した形だ。


 前から目をつけていたので、公安が情報を提供。

 悠月家の部隊が、一斉に強襲した。

 ヒナが自宅で見たニュースの被害者は、目の前にいる男たちが築き上げてきた拠点や人員という話だ。


 紫苑学園で逮捕した大学生グループを取り調べた刑事たちは、上の命令で事務的に処理。

 彼らについては、わざと見逃した。


 つまり、大手イベサーの大学生たちは、スケープゴートにされたのだ。


 悠月家は、裏に情報を流した。

 紫苑学園にいた大手イベサーの連中が、違法薬物を流している組織を裏切り、重要な情報を流したことで、無罪になった、と。


 ご丁寧なことに、彼らの自宅には、住んでいる本人も気づかないように、組織の情報を記したメモなどが残されていた。

 密かに侵入した組織の人間が発見したことで、今回の拉致に及んだ。



 ドサリと投げ出された人影を見たら、タカ君などの元メンバーが揃っている。

 勝手に帰ったと思っていた、男子大学生まで……。


「ひっ!」


 それまで能天気だったヒナにも、ようやく男たちの正体が分かった。

 マフィアだ。


 ガチガチと歯を鳴らすヒナに、幹部の男は優しく言う。


「本国に着くまでは、君たちの安全を保障するよ。ここにはシャワーとトイレがあるし、洗濯機なども自由に使ってくれ! 下っ端の集団生活の場で、少しジメジメしているが、そこは我慢だ。飲み水と食事は、ちゃんと差し入れる。多少の嗜好品しこうひんもね? 喧嘩せず、仲良く分けてくれ。……ああ、そうそう!」


 もったいをつけた言い回しで、幹部の男は話を続ける。


「命に別状がなければ、ここで何が起ころうとも、我々は関知しない。君たちも、疲れただろう? これは、私からの差し入れだ。ゆっくり、休んでくれ」


 部下が持ってきた袋を置くと、その中には大学生たちが飲み会でよく見かける缶が見えた。

 度数が高く、女を酔い潰すのに最適なものばかり。


 倒れている男子大学生たちに告げた幹部は、スタスタと出口へ向かう。

 後ろのライトは、もう消されている。


 手下の1人がドアを開けていて、堂々と退室した。

 他の男たちも、それに続く。


 ヒナは、慌てて叫ぶ。


「待って! ねえ、待って! 私も連れて行ってよ! 何でもする!! お願いだから――」

 ガチャン ガシャッ


 水密扉のようなドアは、無情にも閉められた。

 鍵が閉まる音も。


 震えるヒナが振り向いたら、ちょうど起き上がってきた男子大学生たちが目に入った。

 女を回すことに慣れている、彼らの姿が……。




 大型船の最下層から上っていく一団。

 その幹部は、歩きながら思案する。


 最悪の形だが、故郷に帰れることは嬉しい。

 場合によっては、自分の最後の景色にもなる。

 だが、故郷の空気を吸い、その場所で死にたい。


 上のデッキに向かう幹部は、ふと訊ねた。


Aveteアビーテ delデル vinoヴィーノ sicilianoシチリアーノ?(シチリアのワインはあるか?)」

Subitoスビト.(すぐにでも)」


 即答した部下は、上へ連絡する。

 


 家に帰るまでが、遠足だ。

 最後まで、自分の名誉だけは守ろう。


 マフィアの幹部は、日本の学校でよく言われる台詞から、ふとそう思った。

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