第375話 一部の秩序が崩壊した紫苑学園で逃げ惑う

 パックならでの香りを楽しめる紅茶、コンビニでも買える菓子、女子を狙ってギラつく陽キャたちに覆われた、ミニゲーム喫茶。

 それが、文化祭の出し物の1つ、高等部『1-A』だ。


 大量の手紙や訪問者が続くディリース長鵜おさうから逃れた俺は、紫苑しおん学園に紛れ込んでいた。

 通信制に移ったが、『1-A』の店員として参加するために……。



 終わりなき戦いに、もはや始めた理由すら覚えていない。

 どうして、他流の女子を口説き始めたのか?


 そう。

 俺は、疲れていた。


 だが、気晴らしで参加した紫苑学園の文化祭は、あらゆる女子が集まる、内乱の地だった。


 

 これは、後から知ったことだが……。


 俺が前に住んでいたマンション、ディリース長鵜に手紙が届かなくなった時点で、女子の協定が結ばれ、休戦状態だったらしい。

 


 公表されていた文化祭による遭遇で、女子たちとの激しい戦闘が始まる。

 その中で、新たなる陽キャ、上加世かみかせ幸伸よしのぶとの対立も……。


 視界が利かないジャングルで、小さな金属音によって敵兵を発見する兵士のごとく、俺は女子たちと対峙した。

 生き延びるためには、先に見つけて、敵を倒すしかない。


 『1-A』のミニゲーム喫茶では、俺の専用コースが用意された。


 校舎の外まで続く行列。

 次々に渡される、女子の連絡先とパンツ。

 ストレートに、抱いて欲しいと懇願する女子。

 まだ見ぬ好敵手よろしく、フラグを立てたがる女子。


 それらをまとめて、捕虜交換で引き渡そう。




 キーンコーンカーンコーン


 正午のチャイムだ。

 ここで、午前と午後のスタッフが入れ替わる。

 

 ともあれ、1日目の仕事は終わり!


「じゃ、上がるんで! 連絡は、文化祭のSNSに!」


 返事を聞かず、執事服のままで、『1-A』から出る。

 とたんに、廊下の行列が注目した。


 俺のコースで待っていたと思しき女子たちは、困惑ぎみに話し合う。


「あれ、室矢むろやくん?」

「そうかな?」


 山で熊に遭遇したら、いきなり背中を見せて逃げるのは悪手だ。

 それと同じで、普通に女子たちを見てから、すぐ視線を外した。

 最短距離のルートで、自然に階段を目指す。


 スーッ フーッ


 自分の呼吸を感じながら、緊張感を楽しんでいた。


 まだ笑うな。

 こらえるんだ……。


 ようやく、廊下の角に差し掛かったところで――


「本日の室矢コースは、終了しました! お待ちのお客様には、大変申し訳ございません!」


 『1-A』の女子は、俺のシフトが終わったことを告げた。

 ギリギリで、行列の女子たちの視界を切る。



 階段を上がった2階には、準備室が1つある。

 紫苑学園の制服を着た悠月ゆづき家の配下は、俺の顔を見て、お辞儀した。


「お疲れ様です。どうぞ、こちらへ……」

「ありがとう」


 お礼を言いながら、開けてくれた狭い空間に滑り込む。

 ガラガラとすぐに閉じられた後で、さっきの女子の一部が探しに来た気配を感じる。


『いないね?』

『んー。こっちじゃないか……』


 今の引き扉は、外に見張りがいる。

 興味本位の女子が入ってくる心配は、無用だ。


 とっとと、制服に着替えて、指定の場所へ行こう……。


 俺が取っ手を触ったら、カチリと錠が外れた。

 このために、わざわざ生体認証のロッカーを運び込むとはね。


 ……おや?


 映画で見覚えのある、両肩の紐で支えるホルスター。

 完全に縦の収納で、ドロウよりも、隠すほうを優先した形状だ。

 拳銃のグリップも見えている。

 

 護身用に、ハンドガン型のバレをどうぞ?

 よく見れば、スマホ型、リストバンド型もあるな……。


 うーん。

 下手に武器を持つと、使いたくなるし。

 今回は、止めておくか。


 着替えた後に、バタンと閉めたら、ピピピッと自動的に施錠された。


 

 文化祭の2日目は、ちょっと考え物だな?

 

 そう思いつつ、準備室を出た。

 引き扉の外で立哨をしている、学生服の警備に告げる。


「あとは、お願いします」

「承知いたしました」

 



 校舎の中を歩き、目的地へと向かう。

 すでに情報が回っているようで、他校の女子からの視線が増えてきた。


 俺が行うべきことは、焦燥に耐えて、これ以上の興味を引かないこと。

 学校の中は窓が多く、どの位置からでも見られる。

 


 教室の窓を開け放っても、甘い体臭と、甲高い声が残る。

 おまけに、出し物をしている教室の出入口は、だいたい前方の1つだけ。


 過去に類を見ない、大勢の女子たちの来訪で、紫苑学園は最高に活気づいている。

 ここは女子校と言われても、すぐに納得できるほどの男女比だ。


「男が、少なすぎる……。校舎内と廊下で見えた光景から察するに、もう入場制限が始まった?」



 む? このプレッシャーは、何だ?



 小声で独白した俺は、エヘヘと笑みを浮かべた女子の集団に、行く手をさえぎられた。

 しかも、美少女ばかりだ。

 ほぼ他校の制服で、廊下いっぱいに広がって、ジリジリと迫りつつある。

 

 何人、いるんだよ?

 最低でも、1クラスか……。


 索敵班は、いったい何をやっていた!?


 ……と現実逃避をすれば、その分だけ不利になる。



 無理だろう、と思いつつ、交渉する。


「そこを通してくれませんか?」


「ダメ!」

「室矢君だよね?」

「通りたければ、私たちを倒して! さあ、どこからでも、かかってきなさい!」


 着替えた時に、ハンドガン型のバレを持ってくれば、良かった。

 ゾンビ映画のラストシーンみたいな状況だし、撃っても正当防衛だろう。


「みんなで協力したから、すぐに分かったね?」

「室矢くんと会えるコースが2時間待ちで、方針を切り替えて、大正解♪」

「さあ! このままだと、後ろも塞がれるよ?」

「なにゆえ、もがき、逃げるのか! 私たちの中で、果てるが良い!」


 ええい、ままよ!

 どうせ挟まれるのなら、前に進むまで!



 どこを触っても柔らかい肢体を掻き分けながら、必死に目的地を目指す。

 ムニュンと胸を揉みしだいた気もするし、むしろ埋もれていたが、構わず逃げた。

 彼女たちは興奮しているようで、体から甘ったるい香りが漂い、甲高い声が響く。


 巨大なスライムに取り込まれた勇者も、同じ気分だと思う。

 こちらは、窒息しないが……。



 見渡す限りの女体をラッセルし続けたことで、ようやく脱出。

 遭難せずに、生還。

 もし力尽きたら、餌を見つけたアリのように、巣穴へ運ばれたに違いない。


「俺は、貞操観念逆転の世界にいるのか!?」


 頼りになる正妻は、この場にいない。

 南乃みなみの詩央里しおりは笑顔で、文化祭に出かける俺を見送った。


 私は、遠慮しておきます。

 

 その台詞と共に……。



 後日の話だが、詩央里と2人になった時に、どうして俺を見捨てた? と質問した。

 すると、私はいつも、彼女たちの相手をしているのですよ? 少しは苦労を分かってください。と返してきたんだ。


 ディリース長鵜では毎日、あふれるほどの手紙が届いていました。

 その報告は、何回もしましたよね?

 にもかかわらず、部外者を招く文化祭にノコノコ行ったのは、若さまの自己責任です。

 

 ……おっしゃる通りでございます。

 


 咲良さくらマルグリットも、忙しかった反動で、自宅に引き籠もったまま。

 最近は、防音ばっちりのスタジオを利用して、睦月むつき北垣きたがきなぎたちと室内サバゲーをしている。

 元軍曹だけあって、ムダに完成度が高い訓練場を作り、楽しく遊んでいるとか……。



 ふと制服を見たら、上着とズボンのどちらにも、連絡先がいっぱいだ。

 爽やかな男がビキニパンツで練り歩き、そこにチップを挟まれるがごとく。


「とりあえず、後で判断するか……」


 名刺を束ねた俺は、改めてポケットに仕舞った。

 ここで捨てれば、彼女たちの気分を害するし、他の連中に個人情報を拡散してしまう。



 生徒会室へ逃げ込んだ俺は、応接用のソファに腰掛けて、グターッとなる。

 さすがに、ここまでは追ってこないだろう。




 ここは、紫苑学園の生徒会室だ。


 中高一貫のため、生徒会長は高等部のみ。

 副会長は、高等部と中等部でそれぞれ選出する。

 

 詳細は、私立によって異なるらしい。


 中等部の生徒は、どうせ高等部の生徒に従う。

 なら、中等部の生徒会長を立てても、意味がない。

 責任逃れをさせないように、最初から一本化しておく。

 下級生の面倒は、ちゃんと見ろ。


 ウチは、そういう考えの生徒会だ。


 小さな職員室に、応接スペースがついた感じの間取り。

 ここは中高が共用する大部屋で、高等部の生徒会室は、この隣にある。

 とてもご立派で、いかにも金持ちが通う私立、と言わんばかりの空間が……。


 大きな学校行事があると、実行委員会も組織される。


 文化祭の実行委員会は、通年で活動中。

 要するに、部活動と同じ扱いだな。


 彼らは、クラブ棟に部室を持つ。

 過去の資料などの保管室と、史料編纂へんさんの作業場も兼ねているそうだ。


 離れた中等部の校舎にも生徒会室があって、閑散期はそちらで活動。

 上級生がいたら話しにくい状況もあるし、いつも先輩と一緒では息が詰まる。



 俺は、対面に座っている女子2人を見た。


 紫苑学園の高等部3年で生徒会長、澤近さわちか葵菜あいな

 ベルス女学校の高等部3年で風紀委員長、木幡こはた希々ののだ。

 どちらも、悪い笑顔。


 葵菜は、久々に会えた親友に声をかける。


「すごいね、室矢くん! ベル女だけじゃなく、止水しすい学館がっかんのような珍しい女子校からも、大人気だよ!」


「そうね。普通なら躊躇ちゅうちょする演舞巫女えんぶみこも食い荒らしているとは、まさに規格外!?」


 イエーイ! と両手でハイタッチをしている2人が、非常にイラつく。



 希々が、隣に座っている葵菜に話しかける。


「ねえ、聞いて聞いて! ベル女の交流会でね! 室矢くんと楽しく過ごした女子たちは、高い確率で寮の個室に籠ったのよ! 20分ぐらい!」


「へー! 不思議だねー!」


 この話題を終わらせるべく、俺は沖縄土産を出した。

 なぜか、部外者の希々が手に取る。


「あら、気が利くわね?」

「木幡先輩じゃなく、ここの生徒会にです!」


 そんなに怒らなくても、とブツブツ言いながら、希々は隣の葵菜に手渡した。


 生徒会長の葵菜が直々に準備して、3人でいただく。

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