第370話 山科家でも兄より優れた弟はいないー④

 山科やましな家のディナーを終えた兄弟は、兄の部屋にいた。


 ここのあるじである山科玲司れいじは、学習机の椅子に座りながら、本音を吐く。


 さんざんに両親から脅されたことで、もう勝手に動く気はない。

 しかし、形だけでも強がって、気持ちの整理をつけておきたいのだ。


「ハーッ。あれだけ美少女がいて、成果ゼロかよ。せめて、1人でも連絡先があれば……。室矢むろや寺峰てらみねは年下の男子だから、『あのレジデンスへ遊びに行くか、紫苑しおん学園の文化祭で会えるかな?』と思っていたのになあ……。ドジった。先に男子2人の連絡先を押さえてから女子を漁れば、良かったわ。ところで、隆元りゅうげんはどうだった? 槇島まきしまの姉妹の1人と話し込んでいたようだが。……って、聞くまでもないか」


「うん。彼女の連絡先は、教えてもらえなかったよ……」


 自分を出し抜かなかったことに満足したのか、玲司は今日の人気ぶりを自慢する。


「そうか。まー、そうだろうな! 俺のほうは、大人気だったぞ? 本命の咲良さくらマルグリットに話しかけたら、すぐに他の女子がやってきてさ! 全員の相手をするのは、さすがに辛いわ。あちらも今頃、俺と会えなくなったことを嘆いているだろうよ。……お前も、何か運動部に入ったら、どうだ? 体を鍛えれば、俺みたいに女子からモテるぜ?」


「僕は、遠慮しておく……」


 隆元は、素っ気ない。

 だが、兄の玲司は、その返事を予想していたらしく、気を悪くしなかった。


 自分を肯定する兄に対して、隆元は槇島如月きさらぎとの会話を思い出す。


 最初に言っていた定期的なパーティーが、いきなり中止された。

 ならば、理由があるはずだ。

 

 考えてみれば、あの両親がサプライズで、女子を選び放題の合コンに連れていくとは思えない。

 それに、さっきの剣幕は、尋常ではなかった。


 室矢家はよく知らないが、ウチにとって頭が上がらない悠月ゆづき家が激怒すれば、どうなるのか? は分かる。

 初対面からパーティーの間で、ウチの評価が変わったのは――

 

 たぶん、目の前にいる兄と、それに張り付いていた母親のせいだろうなあ。

 僕は、あの槇島さんと普通に話していただけで、ガッつかなかったし……。


 真実に辿り着いた隆元だが、わざわざ兄のプライドをし折る気はない。

 玲司の気が済むまで喋った後で、お開きに。




 自室に戻った山科隆元は、バタンと扉を閉めて、内鍵も閉めた。

 ようやく邪魔されない時間になったことで、息を吐く。


 すぐに勉強をする気になれず、さりとて娯楽を楽しむ気にもなれない。


 ベッドに倒れ込んだ隆元は、寝ころんだまま、自分のスマホを触った。

 撮影した画像を呼び出し、ジッと見る。


 そこには、昼に会っていた少女の姿があった。

 盗撮にしては、正面から堂々としている。


「……もう、会えないのか」


 胸の痛みを感じながら、寂しそうにつぶやいたが、画面の中の如月は微笑んだまま。

 返事をしてくれない。


「100年以上も、変わらない姿……。どんな気分なのだろう?」


 事前に如月から、もう会うことはない、と知らされていた隆元は、自宅で告げられても冷静だった。


 最後の記念として、この撮影を許されたのだ。

 あなたに彼女か婚約者ができたら、消しておいてください。と言われたものの――


「消せるかなあ……」


 彼女や婚約者ができるかどうか? ではなく、如月への未練を断ち切れるのか? と悩んでいる。


 その母性は凄まじく、ゆったりと包み込んでくれる感じだ。

 少なくとも、騒がしい女子中学生には、珍しいタイプ。

 しかも、お別れの前には、2人きりで励ましてくれた。


 ・

 ・・・

 ・・・・・

 ・・・・・・・ 


 如月は山科隆元の耳に口を近づけて、ささやく。


「こういう言い方は、あまり良くありませんが……。私は、あなたのお兄様よりも、あなたのほうが好きです。この姿のままですから、気持ちも変わりません」


 驚いた隆元は、近くで自分の顔を見ている如月を見た。


「私は、あなたよりも弱かった人を知っています。常に命を狙われていて、私共わたくしどもがお守りすることで生きていました。それが、今では立派になったのです」


 隆元が知り得ない、過去の室矢むろや重遠しげとおの話。

 それを懐かしむように言った如月は、立ったまま、隆元と向き合う。


「あなたを見ていると、昔のその御方を思い出します。別に、『あなたも立派になれ』と言うつもりはありませんが……」


 そこで、隆元は柔らかい感触と、花のような香りを味わった。


 正面から抱きしめられている、と理解した時には、ほおにも花びらのような感触を覚えた。

 いつの間にか、身だしなみを整えていたらしく、清涼感のあるくちびるだ。


「頑張ってください。続きは、あなたの彼女か婚約者としてくださいね?」


 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・

 ・


 回想を終えた山科隆元は、ベッドで寝転がったまま、赤くなった頬を撫でた。

 ちょうど、如月にキスされた部分を。


「女の子の体って、どこも柔らかいんだな……」


 正面から抱きしめられた時は、お互いに服越しだったが、胸だけではなく、手足を含めて、どこも良い感触だった。

 その香りも、男子とは全然違う。


 初めて女子と抱き合ったことで、どうにも落ち着かない。

 手慣れていた様子から、『その御方』と愛し合っているのだろうか?


 何となくNTRされた気分の隆元は、再び溜息を吐いた。



 むっくりと起き上がった隆元は、スマホの画面にいる如月を見た。


 たった半日の出会いと別れで、自分の好みがしっかり固定された気がする。

 これからの自分は、他の女子を見る度に、彼女と比べるのだろう。


 目が似ているから。

 声が似ているから。

 雰囲気が似ているから。


「これから出会う女の子には、口が裂けても言えないや……」


 他の女と似ているから、君を好きになった。

 突き詰めれば、あの日に出会った如月の代わりに、君を抱きたい。


 そんなことを言えば、誰だって激怒するだろう。

 まだ顔も知らぬ、自分の恋人や婚約者になる女からすれば、常時NTRられているのと同じだ。


「でも……」


 それほど魅力的な女子が、兄よりも自分のことが好きだ、と言ってくれた。

 密かに劣等感を持っている時に、どれだけ嬉しかったことか……。


 両親は、長男が最優先。

 自分を愛していないわけではないが、例えば兄が大学受験で失敗したら、浪人や私立に通う分だけ、自分のリソースが減る。

 まだ中学生だが、今から将来の選択で頭が痛い。



 如月からは、長男のくせに次男へ家督を譲って、また別の家の長男になって苦労している事例を聞かされた。

 誰かは教えてくれなかったが、その男はずいぶんと愉快な性格をしているようだ。


 ……今から思えば、たぶん『その御方』なのだろう。


 その見知らぬ男に嫉妬しながら、自分の兄も苦労しているのかな? と違う視点を持つ。


 如月は、言っていた。


 昔の長男は、今では信じられないほどの重圧でした。

 一家、あるいは、一族まで養い、常に優秀とされる結果を求められます。

 泣き言は決して言えず、投げ出すことも許されず。

 自分で自分を鼓舞しつつ、ひたすらに前へ進むことだけ。

 その立場は一番上でありながら、誰よりも孤独でした。


「それができなければ、一家の、一族の恥として、存在そのものを消される……」


 この山科家も、似たようなものだ。

 だけど、僕は次男。

 家督を継ぐ必要はない。

 両親もそういう扱いなのだし、後でグダグダと抜かしても、相手にしなければいいだけ。


 そう考えたら、一気に肩の力が抜ける。


 今から勉強をしっかり行い、家族とは別の人間関係を築いていけば、自分が食っていく程度は何とかなるだろう。



 実際に、日本の歴史を見てきた。


 槇島如月の、自分は式神、という告白については半信半疑だが、そのいつくしみは女子中学生のレベルではなかった。

 実の母親より母さんらしい包容力って、どういうことだよ?


「尻軽にならない、ギリギリの線で慰めてきた。と考えたら、まさに小悪魔」


 本気で誘惑されていたら、何もかも忘れて、彼女に溺れていたのだろうな。

 『魔性の女』というには外見が若すぎるし、小悪魔というべきだ。


 彼女とは、これで別れて、良かったのかもしれない。

 もし傍にいたら、際限なく甘えていただろうから……。


 そう思いつつ、ベッドの上に置いたスマホの中に収まっている如月を見た。

 何となく、彼女はこう言っているように思える。



 ――だから、『人形の怪異は扱い辛い』と言ったでしょう?



 隆元は学習机に向かい、『小悪魔系の美少女』如月ちゃんの画像のまま、卓上のホルダーに立てかけた。

 見つめられているようで、実に落ち着く。


「どうせ、男子校だ。僕が大学生になるまでは、支えになってもらおうかな?」


 彼が如月を忘れられるかどうかは別として、学校の成績は上がりそうだ。

 思わぬ刺激で、将来のことも真剣に考えられた。



「あれ?」


 何となく、画面の中の如月が動いた気がして、隆元は思わず目を疑った。

 しかし、やっぱり同じ姿だ。


「気のせいか……」


 本人も怪異だと言っていたし、そんなこともあるかな?


 すぐに勉強に集中した隆元は、けっこう感覚がズレている。

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