第362話 財閥のご令嬢が紫苑学園にやってきた!ー①

 ここで、時間を少しだけ、戻す。

 鍛治川かじかわ航基こうきが、沙雪さゆき小森田こもりだ衿香えりかの2人と、雪女の隠れ里に滞在していた頃だ。


 彼らがお互いの関係と、自分自身を見つめ直していた時。

 その裏側……もとい、表側で何が起きていたのか? を語ろう。



 紫苑しおん学園は、世間より遅めの文化祭シーズンに突入した。

 一般的には9月頃だが、この学校の高等部は、諸般の事情で遅めだ。

 あと1週間で本番のため、まさに追込みの時期。


 そして、『1-A』の教室は、別の意味でも沸き立っている。


 宝石のような赤紫の瞳に、明らかにお金と手間がかかっている、長い黒髪。

 綺麗な肌と合わさって、日本人離れした雰囲気。

 端的に言えば、室矢むろやカレナの同類だ。


 細長い黒板の前にある教壇きょうだん

 その横に立つ悠月ゆづき明夜音あやねは、クラス全員の視線を集めている。

 彼女は、まるで鍛治川航基と入れ替わりのように、やってきた。


 朝のホームルームは短いため、担任はすぐに用件を話す。


「えー。本日からウチに加わる、悠月明夜音だ。短い間だが――」

 ワァアアアアアッ


 担任は、黒板にカッカッと名前を書いた後で振り返るも、大きな歓声でさえぎられた。


「綺麗……」

「これから文化祭という、タイミングでか。うし! ここで、仲良くなれば……」


 他にも、多くの私語が重なっている。


 担任がパンパンと手を叩いたことで、ようやく落ち着いた。


「他所の迷惑になるから、静かにしろよ? じゃ、悠月。自己紹介をしてくれ」


 うなずいた明夜音は、立ったままで、優雅にお辞儀をした。

 スッと頭を上げてから、外見通りの心地よい声で話す。


「悠月明夜音で、ございます。魔法師マギクスバレを研究開発している、ソピア魔法工学高等学校から、転校してきました。私自身もマギクスですが、何卒よろしくお願いいたします」


 海外の映画やドラマの中から抜け出したか、絵に描いたような、お嬢さまだ。


 その笑顔に、クラスの男子たち、特に陽キャが騒ぐ。


「よろしくー!」

「分からない時は、俺が教えてあげるよ!」

「さっそく、歓迎会だな!」

「マーちゃんと同じか。クラスに、戻ってこないかなあ……」


 元クラスメイトの『マーちゃん』こと、咲良さくらマルグリットは、すでに通信制だ。

 マギクス繋がりで、また教室に引っ張り出せないか?


 そうたくらむ男子に対して、文化祭までのカウントダウンで忙しいのに、と面白くない女子たちは仏頂面だ。


 再び担任が黙らせ、室矢重遠しげとおたちが通信制へ移ったことで空いた席の1つに座らせようと――


「では、そういうことで、失礼いたします」


 言うが早いか、明夜音はお辞儀をした後で、教室から出て行った。


 唖然とする、1-Aの全員。

 我に返った担任が廊下に出て、彼女を追いかける。


「ま、待て待て! どこへ行く、悠月!? た、体調でも悪いのか?」


 振り返った明夜音は、小首をかしげた。


「ご挨拶も済みましたので、マギカ製作所の開発室に行こうかと……」


「あ、あのな? ここは、お前が通っていた魔工と違って、自分でカリキュラムを組み、自由に単位を取っていく形式じゃないんだよ。今だと、さすがに目立ちすぎる! せめて昼休み、いや1時限目が終わるまでは、教室にいてくれないか? 頼む!」


 弱り切った担任の懇願で、明夜音は教室へ戻った。

 指定された席に座って、真新しい教科書を開き、筆記用具とノートも机の上に広げる。


 1時限目の準備をする明夜音に対して、さっそく陽キャたちの1人が近寄った。

 人の気配と視線で、彼女が顔を上げると――


「俺、上加世かみかせ幸伸よしのぶって言うんだ。よろしく! 突然だけど、今日のお昼は、俺らと食べない? ほら、この学校って中高一貫だから、グループに途中から入るのが難しくてさァ……。女子もいるし、この教室で食べるから、どうかな?」


 社交辞令の笑顔になった明夜音は、考えておきます、と答えた。


 自分の席に戻る幸伸は小声で、シャッ! と叫んだ。

 やったぜ! を短縮した、喜びの声のようだ。


 明夜音が担任から配られたプリントの1枚を見たら、“文理選択は来年の1月までに” とあった。

 どうやら、文系と理系のクラス分けで、そろそろコースを決定する時期らしい。



 ――1時限目 英語コミュニケーション


 悠月明夜音は目立つ容姿のため、担当の教師に驚かれたものの、卒なく進める。

 前回までのページや課題については、隣接する席のクラスメイトに訊ねた。

 予習をしていないが、詰まることはない。


 ――2時限目 体育


 体操着の生徒たちが、教師の指示で準備体操を行い、グラウンドを走る。

 涼しくなってきたことで、マラソンによる体力錬成だ。

 明夜音は息を荒げつつも、最後尾で何とかついていく。

 身体を動かすことは、苦手のようだ。

 最後にグラウンドの整備をして、終了。


 ――3時限目 数学Ⅰ


 明夜音は水を得た魚のように、スラスラと記述していく。

 退屈な表情で、暇潰しのように自習を進める。

 その内容は、少なくとも、大学受験レベル。


 ――4時限目 古典


 険しい顔の明夜音は、古文の活用形に挑む。

 教師に指名された時には、その部分を上手く読めず、クラスから小さな笑いも。

 イジメというほどではなく、普通の反応だ。

 赤面した彼女は、教師に命じられて、自分の席に座る。



 昼休みになった教室は、明るい雰囲気に。


「あー! 終わった終わった!」

「まだ午後の授業が残ってるのが、ダリぃ……」


 購買へ買いに行く生徒たちは、大急ぎだ。

 全体的に仕入れ数が少ないため、人気商品から売り切れてしまう。


 対して、登校時にコンビニで買ってきたか、弁当を持参してきた生徒たちは、総じてゆっくりだ。


 1-Aで最も大きな顔をしているのが、明夜音を誘った陽キャたち。

 上加世幸伸がやってきて、もう机をくっつけている島へと誘う。


 いかにも自信に満ち溢れた男子たちは、すぐにアピール開始。

 自己紹介こそ、第一印象だ。


「俺は陸上部にいる、柏木かしわぎ昌也まさや。マサと呼んでくれ」

「次は、俺な! 日高ひだか尚史ひさしで――」



 一通り名乗った後に、リーダーの幸伸が話しかける。


「やっぱ、明夜音……悠月さんは、海外の生まれ?」


 勢いで押せるか? と思ったが、強い拒絶を感じて、名字で言い換えた。


 本人は、馴れ馴れしくされたことを引き摺らず、質問に答える。


「いえ。私の先祖は、REUアールイーユーのドイツにいましたけど……」


 悠月家が魔法使いの系譜であることは、教えない。

 

 幸伸は、さらにプレミアがついたことで大興奮。


「へー! すごいじゃん!? やっぱ、向こうにも別荘とかあるの?」

「私は、存じ上げません。生まれてから、日本にいますので……」


 主に男子たちが質問攻めで、女子たちは黙っている。


 次々に弁当を広げて、買い物バッグから総菜パン、ペットボトルを並べている中で、そのうちの1人が声を上げた。


「あ! マズった……」


「どうしたよ?」

「まさか、弁当を忘れたとか?」


 注目を集めたばん雄馬ゆうまは、自分の髪を触った。


「いや……。今、あいつがいないじゃん? 俺、いつも購買で買ってきてもらったから……」


「ああー」

「そういえば、航基は休みだったな」

「すっかり、忘れていた……」

「ご愁傷さま。昼を抜いたぐらいで、死にはしないって!」


 周りが納得する中で、雄馬は机に突っ伏した。


「お前ら、他人事だと思って……」


 それを不憫に思った明夜音は、おずおずと提案する。


「えっと……。よろしければ、分けて差し上げましょうか?」


 机に突っ伏していた雄馬の上半身が、跳ね上がった。


「え? マジマジ!? やったー! アーちゃんのお弁当だー!!」


 ニヤニヤしながら、自分の弁当を食べていた男子たちは、一気に怒り出す。


「ずりいぞ、てめえ!」

「明夜音ちゃん。俺にも、少し分けてくれ!」

「こんなん、アリかよォ!」


 その一方で、明夜音は自分のスマホを弄っている。


 彼女と一緒に食べることを許された雄馬は、さっそく明夜音の机に置かれている弁当を覗き込んで、物色する。

 その様子は、もう彼氏になったかのようで、非常にウキウキしている。


「じゃあねー。コレとコレ! アーちゃんは、別のお箸を持っている? なかったら、悪いんだけど――」

「お待たせいたしました、明夜音さま!」


 自称彼氏の雄馬が、ここぞとばかりに押していたら、よく通る声が近くで響いた。

 あわよくば、間接キスまで持ち込もうとした彼は、内心で怒り狂いながら、そちらを向く。


 よくて大学生だろ? という、ガッチリした男が、不動の姿勢で立っていた。

 紫苑学園の制服が、まるでコスプレのようだ。

 その手には、2つの弁当がある。

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