第307話 黒真珠と王女と円卓の騎士【カレナside】

 中世ヨーロッパを思わせる、きらびやかな空間。


 天井が高く、落ち着いた雰囲気だ。

 ぐるりと見渡せば、床から柱、天井に至るまで、微細に描き込まれた模様があって、全体を引き締めている。


 そこに並ぶのは、やはり歴史を感じさせつつも、品の良い家具ばかり。


 歴史的な絵画、大きな壺、赤色のカーテンが彩る、広い廊下を歩いてきた少女は、案内の召使いが立ち止まったことで、同じく足を止める。


 2枚の大扉の前に立つ召使いが、来訪者の名前を告げる。



「ウィットブレッド公爵令嬢にしてナイト、カレナきょうの入室でございます!」



 部屋の大扉が、ゆっくりと、開かれた。

 中間色、上等な仕立てのワンピースを着たカレナは、しずしずと、室内へ進む。


 適度な位置で立ち止まり、カーテシーを披露した後に、うつむいたままの姿勢で、待機した。



「顔を上げなさい、カレナ……」



 よく通る女の声が、謁見の間に響いた。


 それを受けて、カレナは、すっくと立ちあがる。

 自分の視線の先にいる、上品な普段着の女性を見据えた。


「久しぶりじゃな、プリシラ。本当に……」


 少女の姿でありながらも、周囲に立つ近衛騎士、メイド、執事を意にも介さぬ、尊大な態度だ。

 しかし、プリシラと呼ばれた老婆は、全く怒らない。


 それどころか、奥にある高いスペースの椅子に座ったままで、クスクスと笑う。


「フフ。まさか、あなたが宮廷の作法でやってくるとは、夢にも思いませんでした。長生きはするものですね。それで、今日は何かお願いがある、と聞きましたが?」


 うなずいたカレナは、率直に言う。


「円卓の騎士に、私の書状を届けてもらいたい。場所は日本で、届け先は沖縄のキャンプ・ランバート、防衛省の2つだ」


 怪訝けげんな顔になったプリシラは、問いかける。


「……理由を聞かせてもらえますか?」


 首肯したカレナを見たプリシラは、無言で、片手を上げた。


 傍に控えていたメイドが動き出して、すぐに、ティーセットが用意される。




「お話は、分かりました。私は構いませんが、円卓ラウンズを動かすとなれば、最低でも1人の正騎士に賛同してもらう必要が――」

「奴を呼べば、良かろう? お主の言うことなら、喜んで聞くと思うが……」


 丸いテーブルを囲み、アフタヌーンティーを楽しむ2人だが、カレナの指摘によって、沈黙が訪れた。


 音もなく紅茶を飲んだカレナは、話を続ける。


「私の名前を出せ、プリシラ」


 それを聞いた彼女は、信じられない、という表情に、変わった。




 小一時間もせず、再び、大扉が開かれた。


 今度は白髪の、年老いた男だ。

 穏やかな雰囲気であるのに、不思議と、隙が見当たらない。

 騎士の平服らしき姿で、片膝をつき、先ほどのカレナのように、かしこまっている。


「円卓の正騎士、レノックス。プリシラ殿下でんかの命により、参上いたしました」


 もう1人、いる。


 こちらも騎士の平服で、アッシュブロンド、緑の瞳をした少女だ。

 スレンダーで、髪型はツインテール。


「同じく、従騎士のシャーリーでございます」


 彼女は言葉少なで、目を伏せている。


「久しぶりですね、レノックス。そして、シャーリーも……。大きくなりましたね。訓練は、順調ですか?」


 プリシラの質問を受けた少女は、初めて、顔を上げた。


「はい。お気遣いいただき、恐縮です」


 必要最小限の返事で、視線を下げた。



 プリシラは、レノックスに顔を向ける。


「本日、お呼びしたのは、他でもありません。こちらのカレナが、あなたを指名したからです」


「……どのような、ご用件でしょうか?」


 プリシラと反対側の椅子に座ったままの、カレナ。

 彼女のほうを向いたレノックスは、警戒しながら、質問。


 しかし、当のカレナは、あっさりと言う。


「たいした用件ではないのじゃ。お主に、2通の手紙を届けてもらいたくてな?」


「手紙で、ございますか……」


 ユニオンの王家も守護している『円卓の騎士』を呼びつけて、まさかの郵便配達の依頼。


 さて、どのような裏が? と警戒するレノックスに対して、カレナは話を続ける。


「届け先は、どちらも日本だ。それより、私は『騎士の誓い』に興味があってな?」


 いきなり話が飛んだことで、ラウンズの2人はもちろん、周囲にいる全員が、困惑した。


「ここで、やってみてくれんか?」


「……カレナ様と、でしょうか?」


 かろうじて、レノックスは確認した。


 けれども、カレナは首を横に振る。


「プリシラとだ。今、ここで」


「ご冗談をおっしゃってもらっては、困りますぞ? カレナ卿も、その誓いの意味をご存知でしょうに……」


 すぐに否定するレノックスだが、カレナは許さない。


「ブリテン諸島の黒真珠の名において、命じる! しょせんは、たわむれだ……。それとも、この場にいるのは、その程度の秘密を守れない人間ばかりか?」


 カレナはぐるりと見回すが、反論はない。

 彼女が二つ名を出した以上、それに異議を唱えれば、決闘もあり得るからだ。


「……レノックス」


 プリシラから名前を呼ばれて、彼は一瞬だけ、辛そうな表情になった。


「……承知いたしました」




「あなたは、この剣にかけて、いかなる時も、私に忠誠を誓いますか?」

「誓います」


 一通りの儀式が終わり、片膝をついているレノックスの両肩に、剣の腹が軽く当てられた。

 改めて、ソードが返される。


 レノックスが立ち上がろうとした時、プリシラに両肩を押さえられた。


 驚いて顔を上げた彼に、彼女は言う。


「前に会ったのは、いつ頃でしたか?」


 目を伏せたレノックスは、端的に応える。


「……20年ぐらい前かと」



 沈黙が、流れた。



 プリシラは、おもむろに1つの装飾品を外した。


「レノックス、これをお持ちなさい」


 ひざまずいたままの騎士は、目の前に差し出されたブレスレットに、戸惑う。

 非公式とはいえ、直接の下賜かしでは、外聞が悪すぎるからだ。


「しかし、それは――」

「連れて行ってください。の代わりに……」


 切々とした願いを聞いて、レノックスは、断るセリフを押し殺した。

 無言でブレスレットを受け取り、ふところへ仕舞う。


 それを見たプリシラは、独り言のように、つぶやく。


「お互いに、年を取りました。あの時はまだローティーンで、お互いに愚痴ばかり言っていましたね。それが、今では剣聖と、ユニオンの一部に……」


「懐かしい話と思える時点で、相当ですぞ? あなたに、『このまま駆け落ちしたい』と言われた時には、どれだけ悩んだことか……」


 レノックスが跪いたまま、答えた。


 観念したのか、普通に話している。



 呼びつけたカレナは口を挟まず、黙々と三段の銀食器からサンドイッチを食べ、紅茶を飲む。


 公爵令嬢と呼ばれただけあって、様になっている。


 カレナは、日光が入ってくる窓から、外を見た。

 よく手入れされた庭が、絵画の一部のように広がっている。


 近くに控えているメイドが、カレナのティーカップに注ぎ、お茶請けを補充していく。

 だが、熱心に話している女主人には、声をかけない。



 やがて、騎士の誓いは、終わった。



「レノックス。お主には、ラウンズの承認を取ってもらいたい。私の名前を出して構わんが……」


 下がった位置で跪いた彼は、平然と返す。


「私も、そろそろ、暇をもらう予定でした。何とか、説得しましょう」


 頷いたカレナに対して、彼女から手紙を預かっていた執事が、動く。


 公爵家の封蝋で閉じられた手紙が、2通。

 それを受け取ったレノックスは、プリシラの許しを得て、シャーリーと一緒に退室した。




 椅子に座ったプリシラは、対面にいる少女を見た。


「感謝しますよ、カレナ」


「そうか……。私も、そろそろ行くのじゃ」


 スッと立ち上がったカレナは、すぐに椅子を引いてくれたメイドに構わず、出口へと向かう。


 その背中に、プリシラは声をかける。


「また、会えますか? 次は、あなたの好物を用意しますけど……」


 立ち止まったカレナは、半身になりつつ、振り向いた。


「今の私は、日本の室矢むろや家の人間じゃ……。あえてウィットブレッド公爵家の肩書きを使ったが、もう気軽には会えん」


 政治的なトラブルになる。


 その建前だが、空間を渡れるカレナにとっては、たいした話ではない。

 つまり――


「ありがとう、カレナ。これで、私も心安らかに、を待てるでしょう」


 プリシラの返事に、少女は無言で頷く。



 謁見の間から出たカレナは、大扉が閉められる前に、くるりと振り向いた。

 そのまま、じっと、プリシラを見つめる。


 尋常ではない様子に、左右でそれぞれに扉を閉めかけていた侍従の1人が、訊ねる。


「カレナ様。まだ、ご用件がおありですか?」


 首を横に振った少女は、閉めてくれ、と呟いた。


 先ほどの場所に立ったまま、カレナを見つめているプリシラ。

 2人の視線は、大扉によって、さえぎられた。


 ――まるで、この世とあの世の境目のように


「さらばだ、プリシラ。もう、会うことはないだろう……」




 ラウンズは、レノックスの長年の働きをかんがみて、正騎士のままで日本に行くことを許可した。

 もっとも、カレナの手紙を届けるのではなく、極東支部への赴任だ。

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